呪殺
ある日、仕事で卵焼きを作っていると、上司の伊藤が言った。
「おい、黒岩!ニンジンの煮物は朝のうちに作っておけって言っただろ!?」
「あ、ハイすいません」
「それが終わったら、から揚げも作っておけよ」
「あ、ハイ」
「ったく使えねー奴だな」
伊藤はそう言って、向こうでだし巻きを作り始めた。俺は何も言わなかったが、心の内で言った。
(あの野郎、必要なことだけ言えばいいものをいちいち余計なこと言いやがって、気に障る野郎だ。定期的に他人を貶めなきゃ気がすまねーのか?本当に害虫みてーな野郎だな…)
俺はニンジンをまな板の上で切りながら、だし巻きを作っている伊藤の後ろ姿を眺めて、思った。
(この包丁で、後ろからあいつをグサリとひと突きで殺りてーな…。罪にさえ問われないなら、いつでも喜んで殺るんだが…)
そんないつもの妄想をしながら長い仕事をすませ、帰ってくると、俺はパソコンを立ち上げていつもの小説投稿サイトにアクセスした。「小説家をやろう」通称「やろう」である。
「例の作者さんの連載、更新されてるかなー…、本当、最近はこれくらいしか楽しみがないからなぁ」
そんなことを言いつつ画面をクリックしていたら、間違って広告をクリックしてしまった。俺は言った。
「チッ、まーたミスクリック狙いの広告かよ。『進む』とか『戻る』の近くに広告載せてんじゃねーよ」
そう言ってブラウザバックしようとした俺の指が、画面に映し出された文章を見て止まった。画面にはこんな文章があった。
“☆あなたにも出来る黒魔術☆
★その1 嫌いな相手を呪い殺す方法”
その下にはさらに文章が続いている。俺はついついそれを読んでしまう。
“まず以下のものを用意します。ナイフ、嫌いな相手の名前の書かれた紙、ロウソク…
…そして以下のような準備をします…
…そして準備ができたら、以下のような魔法円を床に描きます…
…そして殺したい相手を思い描きながら、以下の呪文を唱えます…
そうすると、呼び出された魔神が相手を片付けに行ってくれます。
あなたもこの魔術を使って、嫌なあの人を亡き者にしちゃおう☆”
俺は言った。
「なんだこりゃ…うさんくさいにも程があるだろ…。
でも、そう言えば明日は休みだったな…」
こんなの信じてるわけじゃないが、どうせ暇だし試してみようかな…。見たところ手間もかからないようだし…。
俺は軽い気持ちで、それをやってみることにした。準備を整え、床に魔法円を描き、呪文を唱える。
(そう言えば、魔神は危険な存在だから、呪文を唱えてから一分間は魔法円の外に出てはいけないと言われてたな。まあ別に信じてるわけじゃないが…)
そんなことを考えながら呪文を唱え終わった後、床に描かれた魔法円の中に座っていると、突然
ドクン
と、心臓が鳴った。そして、全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
「!?」
…何か妙だ。辺りに、異様な「気配」がする。見回しても誰もいないが、明らかに、この空間に自分以外の「誰か」がいる気配がした。
「マジかよ…?」
冷や汗が出てきた。しかしその気配はしばらくして消えた。手元の時計を見ると、すでに一分過ぎていた。
「大丈夫なんだろうな…」
俺は恐る恐る円の外に出た。しかし何もいない。何も起こらない。
「…ふう。あーやれやれ、いい歳して馬鹿なことやっちゃったぜ…」
次の日、俺が工場に出勤すると、パートのおばちゃん達が何か集まって話していた。そして俺を見ると、言った。
「あら黒岩さん、聞いた?伊藤さん、亡くなったんですってよ」
「えっ?な、なんで…」
「さあ、よく分からないけど、何でも急に心臓発作が起こって死んだんですって」
「えー本当?でも心臓悪いとかそんな話もなかったのにねぇ」
「いやー、だからああいうのは分かんないのよ。自分では健康だと思ってても突然来るからねぇ」
「あらー怖いわね。私も気をつけなくっちゃ」
(…マジかよ…)
俺は呆然としたままそこに突っ立っていた。
しばらくはショックだったものの、結果的に言うと、やはり嫌いな相手のいない職場というのは働きやすいものである。俺はそのうち、伊藤のことなど忘れてしまった。しかし…
「おい、黒岩!早くだし巻き作らねーか!」
「あ、ハイ。今やります」
「チッ、仕事がおせーな」
「…」
(なんか…今までは伊藤の存在のせいであまり気にならなかったが、こうして見るとこいつも嫌な奴だな…)
俺は、今度は高橋のことが気に障り始めていた。伊藤がいなくなったせいで、高橋と接することが増えたからかもしれない。一度仲が悪くなると、四六時中それが気になってくる。
(こいつも、消すか…?どうせあの術で消したところで、誰も俺の仕業だとは分からない。たとえ分かったとしても、それで殺人罪に問えるわけでもない…。そうだ、これは完全犯罪じゃないか!)
というわけで、俺は再びあの術を使ってみた。だめ元だったが、使った次の日出勤してみると、やはり高橋は心臓発作で死んでいた。
(やはり、あの術は本物だったんだ…!)
もっと他に役立つ術があるのかも知れないと思い、俺はまたあの広告が出ないかと探してみたが、何度「やろう」の中を探してみても、あの広告は現れなかった。
(惜しいことしたな…。こんなことなら、もっと他の術も覚えておくんだった)
とは言え、この術だけでも大きな力には違いない。昼休み、ニュースを見ていると、通り魔事件で捕まった犯人が、精神鑑定の結果責任能力なしとみなされ、無罪になって入院したというニュースをやっていた。
(せっかくだから、こいつも消すか。ちょっとは世の中の役にも立たなきゃな。削除、削除だ!…なんかデス○ートみたいだな)
というわけで、また俺は例の術を使った。後で調べて見ると、やはり犯人は死んでいた。
(意外と、殺しても抵抗感ないもんだな…。殺し方が間接的だからかな。そう言えば、人を殺すには刀や槍で殺すより、銃や弓矢で遠くから殺すほうが抵抗感ないとか聞いたことあるな。これもその原理か)
そんなある日、新しく白石というバイトが入ってきた。今までは俺が一番後輩だったが、これで俺にも後輩ができたわけだ。
白石は俺より年下で、いかにも好青年といった感じの男である。受け答えも感じがいいし、仕事もできる。職場の皆からも評判が良かったが、俺はうさんくさく思っていた。
(この世に根っからの善人なんているわけがない…。こいつもこんな顔して、裏では何やってるかわかんねーからな…)
ある日、珍しく白石が遅刻してきたので、俺は訊いた。
「なんで遅刻したんだ?」
「すいません。ちょっと通勤途中のトラブルで…」
「どんなトラブルだ?」
「あー、それがですね…。実は、今日電車の中で痴漢に遭ってる女の人がいたんですよ。それでその犯人を捕まえて次の駅で降りて、駅員さんが警察呼んで、事情聴取とかされたんで、それで遅れたんです」
「はあ…。それ、本当か?」
「本当ですよ!信じて下さいよ。まあ僕もこんなふうに痴漢に遭遇するなんて思ってなかったですけど…」
「はあ…。そうか分かった」
とは言ったものの、俺は心の中では
(本当はこいつが痴漢で、警察呼ばれて逃げたんじゃねーか?こういう奴は裏がありそうだしな…)
と思っていた。
そんなある日、交通の都合で、今日の分の食材が一部届かないことになり、俺が直接買い出しに出ることになった。
「ニンジン20kgに、卵30個に、みりん10本頼むよ黒岩。一人じゃ持って帰れないだろうから、白石も行ってくれ」
「ハイ」
二人で店に向かっている途中、交差点の前で、重そうな荷物を持った老人がいた。俺は特に気にせず交差点を渡ったが、渡って隣を見ると白石がいない。見ると、白石は老人の荷物を持って渡っていた。渡り終えると、老人は言った。
「ありがとうございます。ご親切に」
白石は言った。
「いえいえ、当たり前のことですから」
俺は思った。
(ケッ、なーにが当たり前のことだ。じゃあ俺は当たり前のことができない奴だってのか?俺への当てつけか?気に入らない野郎だ)
そうして、店で食材を買って出ようとした時
「あっ、苦しい…イタタタ…誰か助けて…」
と声がした。見ると、店の入り口の辺りで、妊婦さんがうずくまっていた。白石は駆け寄って
「大丈夫ですか?かかりつけの病院の番号分かりますか?タクシーとか予約してますか?痛みの間隔は…」
などといろいろ聞くと、電話をし始めた。そして彼女の体を支えてまたいろいろ聞いたあと、自分の上着を丸めて地面に敷くと、その上に彼女を寝かせて言った。
「楽な姿勢をとって下さい。このほうがいいですか?こっちのほう?それじゃ長く呼吸をして下さい。はい吸って-、吐いてー」
とやっていた。俺は手持ちぶさたでその光景を眺めていた。
結局、15分ほどでタクシーがやってきて、彼女はそれに乗って去っていった。
俺は言った。
「お前さあ…。別にあそこまでやる必要ないだろ?タクシー呼ぶだけでよかったじゃねーか」
「まあ、そうかもしれませんけど、僕実家が医者なんで、たまたま詳しかったんですよ」
「それにしたって、そこまでやる義務は…」
「でも、ほっとけないじゃないですか」
俺は思った。
(ないですかってなんだよ…なんで俺に同意を求めてんだ?当てつけか?)
そして言った。
「お前もバイトとは言え社会人だろ?仕事を優先するべきじゃないか?それに飲食業なのに上着を汚したりしてさ」
「そうですけど、でも社会人である前に人間ですから」
「はあ…」
俺は思った。
(なーにが社会人である前に人間ですから、だ。いちいち善人ぶりやがって、気に入らねぇな…。こいつの化けの皮をはいでやりたい…
…殺るか?)
俺はすでに、ささいなことで例の術を使うような精神状態になっていた。次の休日、俺はまた呪殺の術を使った。
(フフフ…あの野郎の取り澄ました顔が、いざ自分が死ぬとなったらどんなふうに歪むか見てやりたいぜ…まあ実際に死ぬところは見れないんだけどな)
そうして次の日出勤した、のだが…。
「あ、先輩。おはようございます」
「えっ…?白石?」
「ん?どうしたんですか?」
「あ、いや…別になんでもないけど…」
「どうしたんです?そんなに眺めて。僕の顔に何かついてますか?」
「あ、いや…なんか顔色が悪いなぁと思って…大丈夫か?病気とかしてないか?」
「いえ、大丈夫ですけど…あっでもそう言えば、昨日の夜変なことがあったんですよ」
「変なこと?」
「ハイ。昨日の夜12時頃に、寝ていたら突然全身が引きつって、目が覚めたんですよ。まあ一分もしないくらいで終わったんですけど、今までそんな経験なかったんで、あれは何だったんだろうと思ったんですよ。疲れてるのかなぁ」
「はあ…」
昨日の夜12時は、ちょうど俺が術を使った時間だった。俺は思った。
(引きつっただけだと?ふざけやがって。まさか今までのも、偶然死んだだけで、術のおかげではなかったのか?いやまさか…。どうしよう、今度もう一回試してみるか…
…いや、考えてみたら、こんなささいなことで人を殺すべきじゃないな。こいつの本性がどうかは知らないが、少なくとも俺に危害を加えてるわけじゃないし…。むしろ死ななくてラッキーだったかも知れない。そうだな、多分術が失敗したんだ。たまにはそういうこともあるんだろう)
その夜、また俺が「やろう」内のページにアクセスしていると、見覚えのある広告を見つけ、指が止まった。
“☆あなたにも出来る黒魔術☆”
(あった!!やっと出てきたか。よし、今度はちゃんとブックマークしておくぞ)
と思って、俺はその広告をクリックした。相変わらず先頭には「嫌いな相手を呪い殺す方法」が来ていたが、それは読み飛ばしてページを送る…と、俺はそこで、そのページの下の方に注意書きが書いてあるのに気づいた。
“★注意★
☆高潔な魂の持ち主は、魔術の力をはね返すことができると言われています。呪い殺す時は、相手の人間性にも気をつけようね☆人を呪わば穴二つ!”
俺は言った。
「はあ?なんだそりゃ。そんな注意書きはもっと上の方に書いとけよ…。て言うかあいつマジで善人だったのか…。チッ気に入らねーな」
そう言って次を読もうとしたが、何かが心に引っかかった。
(高潔な魂の持ち主は、魔術の力をはね返すことができる…
…はね返す?人を呪わば穴二つ?
…それって…
…呪いが「自分に」返って来るってことじゃねーのか?)
俺は言った。
「…い、いやいや。まさかそんな…。だって俺は現にこうして生きてるし。もし返ってくるならとっくに…」
と言った時
ドクン
と心臓が鳴った。そして、全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
「え?これは…」
辺りに異様な雰囲気が漂っている。自分以外に、この場に「何か」がいる気配がする。この感じ…。そう、あの術で、魔神を呼び出した時の感じだ。だが、俺は術を使っていない。何も呼び出していない。ということは…
「や、やばい。逃げ…」
そこで気づいた。体が動かない。金縛り状態である。声も出せないまま、俺は前の空間を眺めていた。
その空間に、人影が現れた。空中に赤い炎のようなものが現れ、その中に、青黒い肌に白い目をした、おぼろげな人影が立っている。
(こ…こいつが魔神?初めて見る…)
そしてそれは俺のほうに手をのばすと、その手が俺の左胸をすり抜けた。そしてそいつは、「直接」俺の心臓を握りしめた。
「うっ!」
そして、そのままギリギリと心臓を締め上げてくる。
「ぐっ…ああああああああああ!!」
声が出たせいか、喋れるようになった。俺は言った。
「や、やめろ!!この野郎!お前…、お前は俺が呼び出したものだろうが!!俺に従え!俺の言うことを聞け!!やめろ!!」
だが、それの手は止まらなかった。少しずつ、強い力で、あくまでも締め上げてくる。自分で呼び出したものであっても、それはすでに、自分ではコントロールできないものになっていたのだった。