顔を隠して尻隠さず 6
私の1日は鳴り響く目覚まし時計を止めるところから始まる。
良い年の女だというのに、化粧もそこそこに荷物をまとめて家を飛び出し、駆け足で駅に向かう。
身の置き場もないほど、人でぎゅうぎゅう詰めの電車から解放された後は、オフィスのデスクでキーボードを叩き続けるか、偉い人か取引先の人に頭を下げて、またパソコンの前に座って書類を纏める。
それと、
「ねぇ、水戸ちゃ〜ん。今日一杯どう? もちろん2人で… 」
「いえ… 今日も予定があるので… 」
「え〜! つれないなー、いーじゃな〜い、奢るからさ〜、ね?ね?」
「いい加減にしてください! 経理部の橋本さんの次は、私に手を出すつもりならセクハラで訴えますからね!?」
「ななななッ…!? 水戸ちゃん、私にそんな口を聞いていいと思っているのかね?」
「ええ、別に… 」
「そうか… 後悔することになっても知らんぞ… 」
こんな中年ハゲ親父のセクハラを受け、そしてまたか鮨詰めの電車に揺られて帰るのが私の1日。
唯一の楽しみといえば、風呂上がりにスルメを片手にキンキンに冷えたビールで一杯やることくらいかしら。
こんな生活が随分と長いものだから、今では別に普通の毎日だと思えるし、きっといつも電車で一緒になる名前も知らないOLも、私と同じような生活をしているんだと思う。
だから、きっと私は普通なんだ、普通のOL。
昔は普通って言われるのが一番嫌いだったのに、いつの間にか自分が普通にOLしてるなんてね…
「はあ… 」
リビングに溜息が短く響くと、大して広くない部屋なのに、急に広く感じてしまう。
そんな気持ちを紛らわすために、テレビのリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れる。
軽快な音楽とと誰かの喋る声を聞いて、少しばかり気分が落ち着いていく気がする。
たまたま点けたテレビに映し出されたのは、新人バンドの紹介番組で、初々しいバンドマンたちのライブ映像が次々に紹介されていた。
昔はよく好きなバンドのライブやフェスに参加しては、いつか音楽に携わる仕事がしたいと思っていたけれど、気付いたら全く関係のない仕事をしている。
そりゃまあ、誰もが自分の好きなことを仕事にできるわけじゃないとは分かっているけど、こうして事あるごとに後悔とも似た気持ちになるのよね…
「あ、そーいえば最近、駅前で路上ライブしているバンドがあったわね、確か… 『放課後なんたら…』 だったかしら… 」
テレビがついていると、誰かがそこにいるみたいで、話しかけるように喋ってしまうのが最近の悩み。
それはそうとして、あのバンド結構私の好みだったのに、ここ数日見てないわね。
今度見かけたら、最後までちゃんと聴いてみようかしら…
そんなことを思いながらも、あっという間に1本目の缶ビールを空にしてしまったのだった。
…
……
………
「おはようございます」
「……… 」
いつも通り真っ直ぐ自分のデスクにつき、パソコンを立ち上げていると、隣のデスクから同僚のケバ子が珍しく声のトーンを落として声を掛けてくる。
「ねぇ、ちょっと沙都子? あんたなにやらかしたのよ?」
「何のことよ?」
「朝一番で、部長があんたの事をお呼びなのよ?」
「はあ!? 何でよ!?」
「知らないわよ! あんた昨日、部長とやり合ったって聞いたけど本当なの?」
「あー… そのことか… 」
「ほら、呼んでるわよ?」
ケバ子の視線の先には、部長室からアゴでこちらに来るように指示する部長の姿があった。
部長室に入ると直ぐに椅子に座るように言われるが、別に長居する気も無いため丁寧に断る。
「部長、お呼びでしょうか?」
「うむ、水戸くんには大変申し訳ない話なのだが… 」
水戸…くん…?
部長が私のことを『水戸ちゃん』ではなく、『水戸くん』と呼ぶときは、決まってロクなことがない。
「上からの指示でな、君の海外転勤が決まった」
「海外転勤…!?」
「私は反対したんだよ? でも、君はまだ独身で、聞けば交際相手もいないと言うじゃないか」
「ちょっと待ってください! 私の意見は考慮されないんですか!?」
「水戸くん、これは決定事項だ。来月には向こうに行ってもらうから、荷物はまとめておくように、以上だ」
…
……
………
「何なんだよ、あのスケベ親父! ふっざけんなよッ!! どーせお前が告げ口して転勤させたんだろ! 人の人生なんだと思ってんだよ!! …ヒッく… 」
夕方から駅近くの飲み屋で、人目も気にせず1人で酒をひっかけた私は、千鳥足を何とか自宅の方向に合わせながら、ロータリーを歩いていた。
「ああんッ? 何だ、この人混みはよぉ!?」
いつも通る歩道にある花壇の隣のベンチを中心に、道を塞ぐように人が集まっていて、私のイライラは沸点に達していた。
「はいはい、邪魔だよー! どいたどいたー!」
「ごめんなさい! 皆さん、道を塞がないようにもう少し前の方に詰めて広がってくださいませんか!?」
人混みを掻き分けて道を進んでいると、えらく透き通った綺麗な女の子の声が聞こえたと思ったら、道を塞ぐように集まっていた人がサーっと引いていき、歩道には人が並んで通れそうなほどのスペースが出来上がった。
「なになになに!? いったい何なのよ!?」
この人混みの原因と、一言二言で大勢の人を動かす人物が気になった私は、列の端に加わり、その中心へと顔を覗かせる。
「それでは、改めまして… 皆さんこんばんわ、《Godly Place》です」
そこにはかなり若い男女4人が、各々楽器を持って待機していた。
「何だバンドの路上ライブか… ん? あのギターの子とカホンの子は見覚えあるわね… たしか、《 放課後なんたら》とかいうバンドの2人組だったような… 」
「《放課後演奏団》なのですぞ! 」
「え!? あ、はあ… 」
どうやら考えていたことが全て口に出ていたようで、隣のファンと思われるロン毛のおじさんにバンドの正式名を指摘されてしまう。
「ですが、つい先日に新メンバーが加入してバンド名も変わり、《Godly Place》というバンド名になったのですぞ!」
「し、親切にどーも… 」
「お気になさらず、そろそろ始まりますぞ」
落武者にそっくりな、ロン毛のおじさんの言われて視線を戻すと、ボーカルの女の子が大きな声で話し始めるところだった。
「今日はこんなに大勢の人が集まってくださり、すごく感動しています。短い時間ですが、どうか私たちの曲に耳を傾けてくださればと思います。それでは聴いてください」
女の子のMCが終わると同時に、曲がスタートする。暖かいギターのアルペジオと共に、女の子が歌い始めた瞬間、モヤモヤしていた気持ちが一瞬で晴れていくのを感じた。
おそらくまだ学生であろうこの子たちは、他の路上ライブをしているバンドたちとは違い、マイクもなければアンプもない、ただ楽器そのままの音だというのに、このバンドの生み出す音楽に引き込まれていく。
いつの間にか、周りの景色や人混みが私の視界から消え、このバンドの歌詞と曲の世界に入り込んでいることに気付いた。
『ーー 君は君、他の誰でもないーー』
私は私だ。
普通という言葉の中に自分を押し込めて、自分ではない他人と比べて無理していた。
『ーー 君は君、ただそれだけで素晴らしいーー 』
こんな私でもいいんだ。
ありのままでいいんだ、自分の人生を我慢して生きなくていいんだ。
そう思えた瞬間、私の頬に冷たい雫が伝うのを感じた。
…
……
………
「今日はみなさん、本当にありがとうございました。《Godly Place》でした」
路上ライブが終わり、しばらく拍手が続くとチラホラと観客たちが帰り始める。
そんな中、私は片付けを始めた《Godly Place》のメンバーたちに突進するような勢いで話かけた。
「ちょっと君たち!!」
「えッ? あ、はい何でしょうか?」
メンバー全員が片付けの手を止めて、驚いた顔で私を見る。そのうちボーカルの女の子が、先程のMCと同じ丁寧で優しい口調で応答し、一歩前に進み出る。
「私はこういう者なのだけど、ちょっとお話いいかしら!?」
そう言いながら、会社の名前が書かれた私の名刺を差し出す。
「えーっと… 水戸沙都子さん… プラチナテクノロジーコーポレーション…?」
「会社の名前は忘れて! もう辞めるから」
「えぇッ!?」
驚きと戸惑いを隠せない女の子に、さらにびっくりする話を続ける。
「それはそれとして、あなた達… 《Godly Place》私と一緒にメジャーデビューしてみない!?」




