3話:玄関で。
昨晩から芝居がかったやりとりをしてきたけれど、僕たちはいつもあんな話し方をしているわけじゃない。
みちるとはわりと仲の良い方だが、僕がシスコンということもなければみちるがブラコンというわけでもない。
お互いに特別べったりってわけでもなく、それでいて嫌い合うこともなく、ほどほどに居心地のよい兄妹関係である。
ただ、一つだけ困ったことがあるだけ、なのだ。
たった一つだけ……。
みちるには“隙あらば兄のパンツを被ろうとする”という、少々特殊な趣味がある。
ただそれだけが困り事なのである。
先に玄関口で靴を履き終えたみちるが、脇に置いてあった鞄の紐を掴んで立ち上がる。
「よいしょっと。 兄さまー、忘れ物はない?」
「うん、大丈夫だ」
「ほんと? 今日は午後から雨予報。ちゃんと傘持った?」
「そうなのか? それは知らなんだ」
「はい、兄さまの分の折りたたみ傘です」
そっと、みちるは僕の鞄に折りたたみ傘を差し込んでくれる。
みちるは普段からおしとやかな性格でよく気配りできる子なのだ。
「ありがとう、みちるはよく気がつく子だなぁ」
「ふふふー、いえいえー」
お礼を受けてくすぐったそうに笑う。
まさにあご下をくすぐられて喜ぶ小型犬のようだ。
「あ、それと……今日は午後から土砂降り予報。ちゃんと替えのおパンツは持った?」
「そうなのか? それは知らなんだ」
「はい、兄さまの替えのおパンツです」
そっと、みちるは紺色ブレザーの右ポケットから水色地に白い水玉模様のトランクスを取り出し、広げ、己が頭上に掲げた。
「ありがとう、みちるはよく気がつく子だなぁ」
「ふふふー、いえいえー」
「とでも言うと思ったか」
「あいたーっ」
ズビシッと、最愛の妹の脳天に手刀一閃。
まったく……いつのまに部屋から盗み出したんだコイツは。
しかもそのパンツは、これからの季節大活躍間違いなし、夏限定ナンバー“三二〇”じゃないか。
「返しなさい」
「可愛い妹の脳天にチョップかますとは……兄さまのき・ち・く」
「やかましい。ほら、遅刻するぞ」
「ぶぅー、ぶぅー」
そしてふくれっ面の妹の手からパンツを奪い返し、そのまま二人揃って玄関を出た。
♂ ♂ ♂
――わかっている。
妹がこれほどまでに兄のパンツ(洗濯済み、トランクスに限る)に執着するのか。
その理由を僕は知っている。
それは僕の……みちるの兄である僕の幼き頃の過ちに起因するのだ。
物心ついたばかりの幼いみちるには、さぞ強烈な記憶として焼きついたのだろう。
今なおここまでの偏執に囚われるほどには。
だから、僕はみちるの側にいなければならない。
妹の趣向のベクトルが、パンツとはなんぞやという概念が、これ以上あさっての方向に走っていってしまわないために。
あわよくば、おしとやかで気配り上手で兄のパンツを見て「や、やだっ、パンツ見えてるじゃんっ、兄さまのエッチ!(チラチラッ)」などと恥じるノーマルなJCに戻れるまで……。
――僕には、みちるを見守る義務があるのだ。




