遭遇
「ナツメぇ…………」
ナコトが私の名前を呟く。
「――――」
だが、私はその呼びかけに答えない。
「ねぇ、ナツメぇ……」
「――――」
また、呼んでくるが答えない。
「いつまでここで隠れてないといけないのぉ……?」
「―――奴らがここから離れるまでな」
ナコトは顔を膨らませて抗議する。
「そんなこと言ったって、もう二時間はここで隠れてるよ」
「仕方ないだろう。深きものどもが儀式を初めてしまったんだから……」
私たちはもう二時間もじっと息を潜めて隠れている。
それもこれも深きものどものせいだ。
ようやく潮の香りが感じられるところまで来て、ナコトは喜んでいたと言うのに、そんなとき私たちは深きものどもが海神クトゥルフへと捧げる儀式を始める場面に遭遇してしまったのだ。
咄嗟に近くの物置へと隠れたが、最悪なことに奴らは小屋に近い場所で儀式を始めた。海神への儀式なんだから、海岸でやればいいものをなんでこんなことで……
だが、こんなとこで嘆いていてもしょうがない。
今は奴らが儀式を終えて離れるまでこの小屋の中に隠れているしかない。
「ねえ……まだぁ……?」
「まだ……だ。奴ら、なんだかテンションが上がってきてるな」
奴らの儀式は海神への祈りの言葉が最高にならないと終わらないと聞いたことがある。私も初めて儀式を目にするから、いつ終わるなんてわからないが、この様子じゃまだまだ先の事だろう。
「ねぇ……、ねぇってば!」
「なんだ……」
「まだぁ?」
「まだだ」
もう何度目かもわからない『まだ』だ。
「ナコト、もう少し静かにしろ。奴らに気づかれる」
「あら? ナツメなら大丈夫よ。強いんだもの。あれを使わなくても奴らなんかケチョンケチョンにできるよ」
言葉からもナコトがイライラしているのがわかる。それは私だって同じだ。いつまで、この小屋の中にいないとならないのか。
「それにしても、本当に何もない小屋ね」
部屋を見渡しながらナコトが言う。私もその通りだと思う。本当に何もない小屋だ。
「誰かが持っていったんだろう。ここは海からの風も凌げるからな。休憩所にはもってこいだ」
もう少し高台に小屋があったならきっと海も見えただろう。
「あんなに必死に祈りの言葉を言っても、どうせクトゥルフには届かないのに」
ふとナコトが言った。
「そうなのか?」
「そうよ、だってナツメは神様に祈って、それが叶ったことはある? ないでしょう、奴らもいっしょよ。どれだけ祈ったところで神様は助けてはくれない。善も悪もそのところは同じなのよ、神様って存在はね」
祈ったことは……か。ナコトの言う通りだ。
この身体になって暫くは思い出したように元の身体になりたいなんて思いが湧く度に神に祈ってた。しかし、それに意味はなく、神には届かなかった。それに、きっとこの星には神なんていないだろう。いるのは邪神たちだけ。
「そうだな、お前の言う通りだナコト」
「思いなんて一方通行なものなんだよ。――でも、……いつかナツメなら……」
「え? なんだって?」
最後のところは声が小さくてゴニョゴニョとしか聞こえなかった。
「い、いいの! この鈍感バカッ!」
「何を怒っているんだか……――おっ、どうやら終わりが近づいてきたみたいだぞ」
「本当! やった!」
外から聞こえてくる奴らの祈りの言葉もだんだんと大きくなってくる。奴らの熱気が部屋の中にまで伝わってきそうだ。
「すごい大声だな。ガラスが割れそうだ」
儀式は奴らがこれまで聞いたことのない大声を出したところで終わった。
「ある意味で貴重な体験だったな。見つかってたら面倒なことになってただろうがな」
「そうね、もう二度と経験したくはないけどね」
「同感だ」
結果として私たちは二時間半もの間、この小屋の中でいたことになる。貴重な体験とはいえ、もう二度とこんなのはごめんだ。
「海岸は奴らのテリトリーってことはわかってたつもりだが、いきなり出くわすことになるとは…… ナコト、海に近づくのはもう少しこの辺りを調べてからにしよう」
「えーっ」
この反応は理解できる。ナコトは海に来るのを楽しみにしてたからな。
楽しみが延期されたとなっては不満を口にしたくなるだろう。
「なに、少しこの辺の様子を探ってみるだけだ。そう何度も奴らと遭遇することもないはず。奴らの住処は海の中だからな」
「うーん…… わかった……」
「良い子だ」
ナコトの頭をワシャワシャと撫でてやった。