狩り
「ナコト、絶対に私の手を離すなよ!」
「う、うん!」
私たちは深い森の中を駆けていく。
暗く、暗く、深い森はどこまでも同じ風景であり続け、私たちを閉じ込める牢獄のようでもある。
「足を止めるな! とにかく全力で走るんだ!」
走る速度が遅くなったナコトに私は怒鳴った。本当なら怒鳴りたくなんてないんだが、今はそんなことを言ってはいられない。
「キィィィッ!」
後方では不気味な鳴き声が私たちを追いかけてくる。いや、追いかけると言うよりも追い立てると言ったほうがいいだろう。
奴らにとってはこれは狩り、ゲームだ。獲物は私とナコトの二人。狩人は奴ら。捕まれば命はない。それもあっさり殺すのではない。奴らは拷問狂だ。捕まったら、ありとあらゆる手段で私たちを虐め殺すだろう。
迂闊だった。
本来ならば、こんなとこ通ることなんてなかったはずなのに。私たちは迷い込んでしまった。本当ならこの森はもっと遠いどこか、そう決してこの辺りには存在しない場所にあるはずだった。
これも邪神の影響か。
邪神が暴れてから、各地で異次元への扉が開いてしまった。異次元への扉は人を、物を、場所さえも呑みこみ、でたらめに世界を歪に変えた。
この森もそうやって遠い地から飛ばされてきたのだろう。
「キィィィィィィィィッ」
奴らが嬉しそうな声を上げる。
「ナコト、大丈夫か!?」
「うん、ナツメといっしょなら恐くないよ!」
「そうか、急ぐぞ!」
とは言ったものの、もうナコトの体力も限界だ。それにこの暗く深い森を長く走ったせいで森のどこにいるのか見当もつかない。入口なら少しは変化があってもいいはずなんだが、それがないってことは入口の近くではないってこと。最悪、もっと奥へと走っている可能背もある。
ナコトを抱いて走りたいが、左腕の拘束具がじゃまで上手く走ることもできない。
このままでは奴らに捕まってしまう。
奴らについて詳しくは知らないが、旅の途中で人間に寄生したり、拷問したりする蟲が存在する噂を聞いた。そいつらは邪神復活前からこの星に隠れ住んでいたらしい。
私がこの森を奴らの住処だと断定した理由は、この森に入ってすぐのことだった。私たちに森の道案内をかって出た者がいた。最初こそ疑いはなかったが、どうにも様子が変だった。私たちを森の奥へと案内しようとしていたのだ。
もし、旅の途中で聞いた話を思い出さなかったら危なかった。この案内人は蟲に寄生された人間に違いなかった。
私は現状が理解できていないナコトの手を取ると走った。そこからが狩りの始まりだった。
「ナツメ……、ちょっと疲れてきちゃったかも……」
ナコトの声が弱弱しい。
「――わかった。あれを使う。ナコトはもっと先に逃げていてくれ」
「――! で、でも……、あれを使うとナツメは――」
「大丈夫だ。心配はいらない。ここから逃げるためにはあれが必要だ。奴らをなんとかしたら、私もすぐに後を追う」
そうだ。このどうしようもなく絶望的な状況を乗り切るにはあれしかない。なるべく、使いたくはないんだが、そうは言ってはいられない。
ナコトが泣きそうな顔をする。
「そんな顔をするな。それよりも走る足を止めるなよ」
「絶対……、絶対に追いついてきてね! 絶対だよ! 追いついてこないと許さないんだからね!」
「いけ! ナコト!」
ナコトの手を離し、後ろへと振り返る。
ナコトの走る音がどんどんと遠ざかっていく。一瞬、振り向きたい衝動に駆られるが、どうにか踏みとどまる。
「今は奴らに集中するんだ」
――感じる。奴らの気配が私の下へと集まってくるのを。
奴らは不可視の存在。人に寄生するときと拷問するときにだけその姿を見せる醜悪な存在。
「確かに見えないな。だが――」
軋む、軋む、軋む。
蠢く、蠢く、蠢く。
穿つ、穿つ、穿つ。
燃える、燃える、燃える。
その全てが左腕を覆い隠す拘束具の中で起きる。止めることは私にはできない。どうにか動かすことまでできるようになったが、それ以降は私にはどうすることもできない。
だから、あれは使いたくないんだ。止まるまで私は何もできない。主導権は向こうが握るのだから。
あれを使っている間、私は部品、断片、一部なのだ。
「この左腕からは逃げることはできない」
左腕の拘束具が起動する。中から大量の蒸気が吹きだして左腕を隠す。拘束具が外れて、重厚な音が響く。
「ここからはもう私はどうすることもできない。でも、この狩りはお前たちが仕掛けてきたことだ。恨むならその遊び癖を恨むんだな」
「キキキィィィィィィィィキィィィッ!」
音が、声が私に向かって飛んでくる。
だが――もう遅い。
「……解放――トラペゾヘドロンっ!」
貌のない獅子は解き放たれた。