食事
「お腹空いたー」
ナコトが言った。
「そうか、もうそんな時間だな」
辺りは既に暗く、日は既に地平線へと姿を消そうとしている。
「今日はたくさん歩いたからな。どこか宿があればいいんだけど、こんなと
こに宿なんてないからな……、スマンな、ナコト。今日も野宿だ」
「えー、今日もー?」
「ああ、今日も……な」
失敗したな……
昼過ぎに通った無人の村なら休む場所は腐るほどあったんだが……
別に急ぐ旅ではないから、あそこで一日ぐらい休んでもよかったな。
「この辺りはおそらく危害を加えてくるような敵はいないから安心していいと思うぞ。ま、それでも万が一襲ってくる敵がいるなら俺がなんとかするよ」
「頼りにしてるよ、ナツメ!」
「ああ」
私は力強く頷いた。
そうそう、私は人と話す際はこの身体に合わせて、一人称は俺としている。特に深い意味はないが、あの声の者がナツメと呼んだこの身体は目つきが鋭く、一人称が私ではどうもしっくりこない。それにこんな世の中だから、他人に舐められることは好ましくないのだ。
「さ、あそこに広い空き地がある。今日はあそこで野宿だ」
「はーい」
野宿と言っても、そこまですごいことはしない。私たちは適当に燃えやすいものを集めて、それをただ燃やすだけだ。火を起こすことができれば、大抵の魔に汚染された動物は本能から近づいてはこないからだ。ただ、気をつけないといけないのが、魔に汚染された動物ではなく、魔そのものだ。言うなれば、邪神の眷属たち。
例えば、海神クトゥルフの下部、深きものども。こいつらは集団で襲い掛かってくるから面倒だ。
ここらは海から離れているとはいえ、いつ遭遇するかわからない。広い空地を選んだのもなるべく見通しがよく、襲撃にも対応できるからだ。
「お腹空いたー、お腹空いたー、ぶー」
ナコトが急かす。
「はいはい」
私たちの食事は少し変わっている。
私は荷物から、布でグルグル巻きにした細長い棒状の物体を取り出す。
「ごはん! ごはん!」
ナコトが歓声を上げる。
「そう急かさないでくれよ」
棒状の物体から布を外していく。きつく、何重にも巻いた布が取れていくと――そこに一本の腕があった。
「お肉ー!」
ナコトの口からは歓喜の声が上がる。
そう、これがナコトのごはんだ。
「いただきまーす!」
ナコトは腕にかぶりついた。腕からはまだ残っていた血液が飛び散る。色は……不浄としか言えない色だ。
「旨いか?」
「ふぁーふぁーね」
きっとまあまあねって言ったのだろう。
この旅で何度も見てきた光景だが、正直まだ慣れていない。
目の前で少女が腕にかぶりつく光景など、もしかしたら一生慣れることの
ないことかもしれない。
おっと、ナコトのために言っておくが、ナコトが食べているのはもちろんのこと人間の腕ではない。この腕は現在地球で人間以外に、いや、人間以上に世界を支配している生物、深きものの腕だ。
これがナコトの食料。
ナコトは異形喰いなのだ。
「そろそろ、新しい食料が必要になってくるな」
「また、一匹でウロウロしているのがいればいいのにね。そうすれば、ナツメの負担もすくないんだけど」
ナコトは異形喰いだが、特別な力は何もない。魔を喰らう以外は極普通の少女なのだ。
だから、ナコトのごはんは私が調達しなければならない。だが、私はそのことで一度も面倒だと思ったことはない。ナコトは大切な旅の相棒であり、妹に近い存在だ。ナコトにできないことは私がやる。
「そうだな、――なら、今度は海の近くでも行ってみるか」
「海!?」
「ああ、海だ」
「やったー!!」
さて、私も食事の用意をしよう。
私の食事は至ってシンプルだ。缶詰。そう、私の食事は缶詰だ。
適当に荷物から缶詰を取り出すと、両足で缶詰を押さえてナイフで開ける。左腕が使えないから、一年前は苦労したが、今となってはこんなこと雑作もないことだ。
「開いた」
旅に缶詰は欠かせない。それもあてがない旅だとなおさらだ。ラベルに何
も描かれていなかったが、どうやらこの缶詰は肉ボールの缶詰のようだ。
「適度な量が入っていて、一人分としてはいいな」
私は小食なのだが、歩き疲れていたこともあって、食べる勢いは減らない。瞬く間に一缶食べてしまった。
もう一缶食べたいと思ったが、食糧は無限ではない。だから、ここは我慢だ。明日は日が出ている内に野草でも探すとするか。
「お腹いっぱーい」
ナコトも食べ終えたようだ。
深きものの腕は五分の一ぐらい減っていた。これならもう二、三日は平気だろう。
「ナツメ……、眠い……」
食欲が満たされたから、すぐにナコトの睡眠欲が動き出した。我慢してい
るようだが、ナコトの首がカックンカックンしている。
「いいよ、後は俺が見張っているから」
「うん……」
それから間もなく、ナコトの寝息が聞こえてきた。
「今日も一日歩いたな」
あてのない旅だが、案外楽しいのかもしれない。最近だとそんな風に思えてきたこともある。
「さて、明日はどこに行こうか」