悪夢の中でのおはよう
ちょっと書いてみたくなった崩壊した世界での旅のお話です
――何かカチャカチャとした音が聞こえる。それは近いようで遠いようで、上から横から様々なところから聞こえてくる。まるで私がカチャカチャとした音を発する何かに囲まれているように。
「――そうか……、肉体の方はやはりダメだったか。……うん、そうだね」
誰か話している?
誰?
「よし、肉体の方は破棄しよう。代わりの肉体に彼女を容れよう」
破棄?
彼女?
彼女って誰? それに肉体を破棄って…… 身体を捨てたら生きていけないじゃない。
「そう、そう……、君たちの技術なら僕が蘇生させた肉体を使うことなんてわけないだろ?」
誰かが誰かと会話している。
でも、相手の声がしない。代わりに聞こえるのはカチャカチャした音だけ。――いや、もう一つ聞こえる音がある。何か……、そう信号とでも言えばいいのか。そんな音が聞こえる。
ん?
信号が聞こえる?
何を言っているんだ。信号は感じるものではないのか?
感じる? 聞こえる?
何がなんだかわからなくなってきた……
第一、私は誰だ? なぜ、ここにいる? ここはどこだ?
私は叫ぶ。
「―――――――――――」
だが何も聞こえない。
なんで?
それに私……口を動かした感じがしない。麻痺しているとかそんなんじゃない。口が存在しない……?
「ああ、彼女が何か発しているね。僕にはわからないが君たちにはわかるのかい? ――そう、何か叫んでいるのか。もしかして、彼女の意識が覚醒したのかな。それなら、ここがどこかわからなくて困惑しているのか」
この誰かが言う彼女って私…………?
「どこから話そうか――そうか、まだ彼女は不安定なのか。なら、手短に話さなければならないか。――簡潔に言うなら君の肉体は死んでいることになる」
え……?
今、なんて言った?
私の肉体が――死んでいる……?
「今の君は頭部から摘出された脳だけの状態だ。本当なら何も聞こえず、話せずってところなんだが、僕の友人たちの力で聞こえる程度はできるようになっている。もちろん、君が発した言葉の代わりの信号はこちらでも受け取ってるよ」
理解できない。
私が脳だけになっているだと?
何を馬鹿なことを。
――なのに、なのになんでこうも恐怖を感じているんだ私は……?
「さて、君が脳だけになっている理由だが――なんて馬鹿馬鹿しい話はやめておこう。こんなご時世だ、死ぬことなんてよくあることだ。だが、運良く――いや、悪くと言っておこうか。脳が死ぬ前に僕の実験材料となってしまったというわけだ」
実験?
「そう、気になるよね。君には知る権利があるが、実を言うと僕はあまりおしゃべりな方ではないんだ。だから、何の実験かと言うことは伏せておきたいんだ。――まあ、そう怒らないでくれ。具体的には言えないが――言うなれば、ある種の適合実験とだけ言っておこうか」
適合実験……?
「僕の友人たちと協力してやっているんだけどね。本当なら健康な材料がいいみたいなんだが、あいにくそう簡単には材料は手に入らない。そこで僕の専門である死体蘇生で試してみたんだが、上手い具合に死亡してからあまり時間が経っていない君に適合反応があったんだ」
何なんだこの者は……
本当に人なのか……?
もし、こいつが言っていることが本当なら、狂気そのものではないか。
信じられるものか!
私が死んでいるなどと!
私が脳だけになっているなどと!
「信じられないか――それは仕方ないことだ。誰も死体が蘇ったなどと信じられることではない。しかし、このご時世、常識と言う言葉は既に意味をなしていない。ならば、死体が蘇ってもおかしくはないと思わないかね? ――話が逸れてしまった。失礼。そう、君が蘇ったところまで話したんだった。底から先が問題なんだ」
問題? どういうことだ。
「君と言う存在は僕たちの適合実験にある程度の反応を見せた。だが、身体の方は上手く蘇生は適わなかった。適合の条件は君と言う存在――言うなれば魂なんだが、肉体がまた死んでしまえば次は蘇る可能性は低い。だから、君には悪いが脳を取り出させてもらった。だけど、脳だけとなると僕たちがやっている適合実験には満足のいく結果は出せない。――そう、君には肉体が必要なのだ。しかし、肉体は既に機能をしない。そこで僕の友人が新たな身体を用意したんだ。友人は人の脳を入れ替えたりするのが得意でね。これまで何人もの脳を取り換えてきたんだ。だから、安心してくれていいよ」
吐き気を催すとはこのことだな。こいつらは完全に狂っている。
「そう捉えてくれてかまわない。しかし、この狂った世界だ、狂ったことが当たり前なら、それは狂っていることなのかどうかも誰にもわからない。狂っているからね。――そうだ! 肝心なことを忘れていた。君の新たな肉体となる身体なんだが……、そう、異性の身体なんだ。すぐさま容易できる身体がなくて、ここらで君の脳と適合率が高い身体を探した結果、男性の身体しかなかったんだ。本当に申し訳ないと思う」
ちょっと待て……男性の身体だと?
「気に入るかわからないが、その身体を見えるようにしてあげよう」
また、カチャカチャとした音が聞こえ出す。いや、感じると言えばいいのか……
少しして、映像が見えてきた。
不思議な感覚だ。見ると言う言葉を使ったが、目で見えている感じではない。頭の中に直接浮かんでくる感じだ。
「なかなか良い身体だろ。君が気に入ってくれればいいんだがね」
手術台に乗せられた身体があった。確かに男性の身体だ。眼を瞑っているが、なかなかの美貌をしている。烏の様に黒い髪から日本人だとうかがえる。だが――、
「この身体には左腕がないんだ」
そう、声の通り左腕がなかった。
「まあ、そこは僕たちがなんとかするから気にしないでくれ」
声は呑気に言うが、ここで私の押さえていた感情が爆発した。
………………ふざけるな!
信じないぞ!
私が死んでいる? 脳だけになっている。
そこにあるのが新しい身体?
バカを言え!
何が適合実験だ?
それなら私が脳だけになっている証拠を見せろ!
お前たちは狂った鬼畜だ。変態だ。変人だ。
「……うーん、そこまで言われるのはちょっと傷つくなぁ。見たいと言うなら、見せることはできるけど――君が壊れてしまわないか心配だ。――だが、ここで壊れるなら、そこまでだったと言うことかもしれないか。いいだろう、君の望む通り、見せよう」
今度は違う映像が頭に浮かんでくる。
これは――――
えっ?
いや、……でも、これは――
嘘だ。
こんなことがあるはずない!
だって、だって、私に見えているのは――
「これが今の君の姿だ」
見せられた映像、それは――紛れもない脳だった。
「これから君はある意味で生まれ変わる。だが、それに特別な意味はなく、選ばれたわけでもない。――偶然、そう偶然の一言だ。だが、僕はその偶然が大好きだ。そして、最後に言わせてくれ。――――おやすみ、ソニア。おはよう、ナツメとね」
――世界が暗転した。