エピソード9 翼
Episode9
登場人物
加地 伊織:主人公
吾妻 碧:泣いてるだけ
源 香澄:台詞多い
難波 優美:喋らない
室戸 達也:元々喋らない
キース:そこそこ喋る
自転車が転がっている。
元はと言えば親父の自転車だった。 自転車オタクの父親が新しいのを買うからってお下がりをくれたのだ。 独特な薄緑色のイタリア製ランドナーで、結構高価だったらしい。 そう言えば親父…「クロモリ製のフレームは重いけれど粘りが有って乗ってみるとシックリくるんだ。」…とか言ってたっけ。
いや、現実を直視しよう…。
俺の名前は加地伊織、
午前11時の住宅街で何故だか傷だらけの女の子にすがりつかれている。 「一回だけで良いから抱いて欲しい」と言うのが彼女の望みだった。 伊織に抱かれている写真を12時までにコロウに渡さないと、コロウが彼女の顔に火傷を負わせると言うのだ。
そんな伊織と詩織の一悶着を何故だか幼馴染みの碧が目撃してしまった。 目下碧と伊織は喧嘩中で、何故だか時同じくして偶然知り合ったキースから強引に誘われて、ちょうどこれから二人で江ノ島へデートに出かける予定だった。 何故だか、デート前にコンビニに買い出しした帰りに、偶然現場に居合わせてしまったらしい。
碧はすぐさまその場を逃げる様に立ち去ろうとするが、何故だか偶然現場に居合わせた香澄に掴まってしまう。 そして、何故だか道の真ん中に座り込み、号泣してしまった訳だ。
キース:「ミドリ! 大丈夫ですか?」
キースはマッチョなイケメンイギリス人である。 キースはコンビニでカラアゲを買おうとして難儀していた所を偶然その場に居合わせた碧に助けられていたく感激してしまった。 感激のあまりキースは碧に恋愛感情を抱き、今日の江ノ島デートで来週一緒にイギリスに来て欲しいと打ち明けるつもりなのだ。
今まさにへたり込み泣き崩れる碧に駆け寄ろうとしたキースの前に、白衣の美女が立ちはだかる。 彼女の名は源香澄。 長身長髪、切れ長の眼と濡烏の髪のスレンダー美人で、大抵はバラの香りの香水を着けている。 性格はおおらか…と言うよりは、はっきり言えば 痴女!で、事有るごとに伊織に濃厚なスキンシップを要求して来る。 ちなみに伊織のファーストキスを奪ったのもこのお姉さんであった。
香澄はキースに対して明らかな敵意を向けていた。
キースは、香澄を警戒する様に立ち止まる。
伊織:「博士…、どうしてここに…。」
香澄は一瞬だけ伊織に微笑みかけた。
その足下に、かすかに黄色っぽい半透明の実体のない陽炎が立ち始めている。
香澄:「青龍を手に入れようとする何者かが、吾妻に接近して来る事は予想していたからね、しっぽを出さないか網を張っていたって訳。」
吾妻が泣き止んだ…。
未だ香澄に腕を掴まれた格好で地面に座り込み、しゃっくりが止まらないままではあったが…、何かが急激に変化しようとしている確信は碧に臨戦態勢を要求した。 それは、伊織も同じ…。
伊織と碧は、二人してキースの顔を見上げる。
キース:「貴方は、誰? ミドリの知り合い…ですか?」
キースの背後に、いつの間にか凸凹の2人組が現れる。
一人は長身のイケメンアサシン、男だと言うのに腰まで届く長髪で二昔前の少女漫画から抜け出して来た様な嫌みな位の美形男子である。 夏だと言うのにロングコートを着込んでいるのは、ナガモノの凶器を隠し持つ為であるが、滅多な事で道具に頼る事はなく、大抵は超人的な瞬殺芸で獲物をしとめる。 銀の十字架ピアスがトレードマーク。 かなり無口で、伊織は彼が喋った処を聞いた事が無い。 名を室戸達也という。
もう一人の小さい方は、これ又嫌みなくらいの美少女、〜中略〜 その容姿から時々小学生に見間違われるが実際は17歳、伊織と同じ歳である。 何故だか今日は、いつもよりおとなしく見える。 一応、名前は難波優美。
香澄:「ほら、優美! 大体こういう遊び人のお奉行様だか放浪癖の副将軍的な口上はあんたの役回りでしょう?」
香澄:「全く、アレくらいの事で…いつ迄腰砕けちゃってんのよ! しっかりしなさい!」
伊織:アレ位?
とにかく、優美達はキースの退路を封じている様だった。
やはり、香澄達の狙いはキースに有るらしい。
伊織:でも、何故?
香澄:「しょうがないわね…、」
香澄は碧の手を離し、キースの方に一歩踏み出した。
香澄:「私は吾妻の関係者よ。 そういうあなたは一体何者なの?」
香澄:「聖獣の能力を手に入れて、一体何をしようと企んでいるのかしら?」
キース:「聖獣? 分かりません。 何の事ですか?」
香澄:「大体出来すぎているのよ、最近の伊織の身の回りの出来事は。」
香澄:「全部、伊織と吾妻を引き離す為にあなた達が仕組んだ事でしょう?」
香澄:「大方、前回伊織を亡き者にした筈だったのに、吾妻の青龍が生き返らせちゃった物だから、戦法を変えて来たって処でしょうけど…。」
伊織:「博士、一体何の事…。」
香澄:「吾妻と伊織のイチャイチャ電話を妨害する為に同じ時刻に電話かけてみたり…」
伊織、碧:えっ?
香澄:「うぶな伊織に可愛い子を近づかせてちょっとエッチなトークで誘惑してみたり…」
伊織、碧:ええっ??
香澄:「挙げ句の果てにはその娘と伊織の濡れ場写真でトドメを刺そうとしたのだろうけど…」
伊織:はああ????
碧:何だとぉ!
伊織は、自分の腰にすがりついている女をまじまじと見つめる。 女は…詩織は、ちょっとバツが悪そうにニヘラ笑いしていた。 それにしても…
伊織:「…何故、博士がそんな事を…。」
香澄:「こういう時の為に、伊織の体内に盗聴器を仕掛けておいたのよ。」
香澄は、さらっと、自信満々に、声高らかく叫んだ!!
伊織:「…体内?」「盗聴器??」
伊織の顔から一気に血の気が引いて行く。
伊織:「あの…ちなみに、何を…盗聴されてたのかな…僕。」
香澄:「ちゃんと全部聞いてたわよ! もう…伊織も、そんなに溜まってるんなら、一言お姉さんに相談してくれれば良いのにぃ!」
香澄、愛玩動物に話しかける様に頬を紅潮させ身体をクネクネ…。
香澄:「それからぁ。 優美ばっかりじゃなくって、たまにはお姉さんの事も、オカズにしてくれても良いんじゃないかな〜って思うんだけど。」
香澄、ちょっと拗ねて怒った感じで…。
伊織、まさかの救いを求める様に…、優美の顔を…見る。
優美、伊織と眼を合わせようとしてくれない…。
優美、すでにこれ以上無いくらい顔が赤くなってる…。
優美、無言でうつむいてしまう…。
優美、室戸の影に隠れてしまう…。
伊織、沈没…。
香澄:「ついでに言えば、…涼子は私の指示で伊織を見張っていたの。 怪しい接触が有れば直ぐに連絡する手はずになっていたって訳よ!」
伊織:涼子って、意外に役に立つんだ…
伊織:もう、どうでも良いけど…
香澄:「とにかくまんまと引っかけたつもりでいたのだとしたら、残念だったわね、…引っ掛けられたのはあなたの方よ」。
香澄、改めてキースを睨め付ける。
香澄の迫力に圧倒されたかの様にたじろぐキース…
キース:「言っている意味が分かりません。 何かの誤解じゃないですか? 一体何を証拠に?」
香澄:「別に証拠なんかいらないわ、…私は警察じゃないもの。」
香澄:「大体こんな、見た目ぱっとしない体育会系女子に手を出してくるフェチ野郎は、それだけで怪しいって事よ。」
碧が香澄を睨みつける。
碧:「何それ? 今の、ちょっと聞き捨てなら無いわね。」
碧、ちょっと、元気出たらしい…。 いつものテンションに戻りつつ有る。
香澄:「室戸、やりなさい!」
香澄の号令で十字架ピアスがキースに飛びかかる。 驚いた事に、その初弾を、キースが受け流した! 室戸の突進力はすぐさま逆の掌にスイッチされてキースの顎を刈る! 更にキースは信じられない柔軟性で上半身を反らし、その反動を使って室戸の腕を絡めとろうとする。 しかしそれより一瞬早いタイミングで室戸の第三撃目がキースの鳩尾に突き刺さる!
キースは辛くも後方に転げ跳んで致命傷を免れる。 それでもダメージは大きいらしく、直ぐには立ち上がれない。
キース:「Marvelous ! …お前、凄いな…。」
突然の騒動に辺りに野次馬が集まり始めている。
香澄:「さて、質問タイム!」
香澄:「あなた達の目的は一体何なの?」
キースがゆっくりと立ち上がる。 システマ独特の呼吸法でダメージを放散させているらしい。
キース:「せっかくの質問だが、私に答える義務は無い。」
香澄:「じゃあ、もう少し、遊ぼうか。」
室戸が追撃する。 キースが受ける、受けながら反撃する。 ソレを室戸が受けながら反撃する。 お互いに速い。止まらない。
まるでアクション映画のVFXを生で見ている様だった。
どちらの攻撃にも無駄が無い。 コンパクトな最小限の動作は、外からの見た目こそ派手さは無いが、その身体の内部では全身・最大限の筋力が活用されているに違いなかった。
やがて、均衡が破れ始める。
室戸の裏拳がキースの顔面を撫ぜる。 そのまま、返す刀でキースの首を捻る! 体勢を崩したキースの鎖骨を、室戸の打下ろしの手刀が砕く!! そして、その打下ろしの転換で掌底がキースの心臓に直撃した!
鼓動のタイミングをずらされた心臓が、身体の神経伝達機能を一瞬混乱・暴走させる。 キースは、後方に弾かれて尻餅を付いた。
香澄:「さて、質問ターイム! そろそろ答える気になってくれたかな?」
キースは、ようやく身体の自由を取り戻し、多少よろけながらも立ち上がる。
キース:「お前、本当に人間か?」
伊織:それに関してだけは、俺も同意見だ…。
それにしても、室戸が手加減している様には見えなかった。 そんな室戸の攻撃を受けて、なお立ち上がれるキースもただ者では無い。
香澄:「山猫を使って私たちを襲わせたのはあなた?」
香澄:「神の戦争って、一体何なの?」
キースは独特の呼吸法でダメージからの回復に専念していた。 それでも…鎖骨の折れた右腕が、だんだん効かなくなって来たらしい。 左手一本を前に出して構えている。 これではもはや勝ち目はない。
とうとう、警察が到着した。 とは言ってもこの二人は止めるつもりは無さそうだし、この二人を止められるモノも居そうにない。
警官1:「こら、お前達! 喧嘩は止めるんだ。」
室戸を制止しようとした警官は、瞬殺芸で地べたに寝そべる…。 もしかしたら、どうしてそうなったのかすら気づいていなさそうだった。
警官2:「貴様…。」
以下同文。
香澄:「それじゃ、もう一ラウンド行っとく?」
室戸がキースに向かって間合いを詰めて行く。 一切の気負いも無く、ただごく普通に歩みを進める様に…
そして、
いきなり何かが降って来た…。
室戸を直撃したそれは、左足を貫通、大腿骨を粉砕してアスファルトの地面を穿つ!
それから、もの凄い破裂音?
香澄:「ソニック・ブーム…」
キース:「良いだろう、それ程望むのならば、…少し相手してやろうか。」
皆が振り返ったキースのその背中に、確かに何かが出現していた。
それは…淡く輝く、半透明の実体のない陽炎の揺らめきの様な、光の翼。