エピソード1 妄想現実
加地伊織シリーズ第三弾
聖獣の支配者の続編です。
Episode1
登場人物
加地 伊織:主人公
源 香澄:バラの匂いのお姉さん
難波 優美:パジャマのワガママ少女
夏休みの初日。 一年中でもっとも幸せな気分になれる日だ。 ちなみに2番目は冬休みの初日である。
急いでやらなければならない事も無いし、学校の友人とどこかに出かける…なんて予定も無い、というかツルんで出かける様な友達も居ない。
幼馴染みで体育会系女子の碧は部活と受験勉強で忙しいらしく、此処しばらくは会えそうにも無い。 そう、一応 碧と俺はつき合っている事になっている…と自分では思っている。
と言う訳で、天気が良いのも手伝って、フラフラと「とある場所」を訪ねてみる事にした。 少し、いやどうしてもはっきりさせておきたい事が有った からだ。
電車を3回乗り換えて、都内某所にある閑静な住宅街に降り立った。 東京に、よくもこんなにのんびりした場所が有るモノだと改めて感心する。
長〜く続く高い塀が おそらく目指す建物だと思うのだが、明るい時間に此処を訪ねるのは初めてだったので今ひとつ確信が無い。 しばらく塀に沿って住宅街を歩き、ようやく見覚えの有る地下駐車ガレージの入り口に辿り着いた。
ところが、地下ガレージの入り口にはシャッターが降りていた。
流石に此処まで来て手ぶらで引き返す訳には行かないので、ゲート入口に有った呼び出しボタンを押してみる。 …反応がない。 普通守衛とかが応対してくれるモノなのではないだろうか? 何度かボタンを押して、しばらく待ってみる。
そうしたら、…背後から呼ぶ声がした。
香澄:「おーい! 伊織、こっちよ。」
道路を挟んだ向かいのマンションの3階から香澄が手をふっている。 相変わらずプライベートな時はジャージらしい。
オートロックの入り口が開いて中に入る。 こういうシステムは初めてだから、少しドキドキする。
香澄:「いろいろあったでしょ、それで今警察が来てるのよ、現場検証って言うのかな?」
地下研究施設の血生臭い惨状を思い出す。 …というか、人類滅亡を画策する組織が普通に警察のご厄介になっていても良いモノだろうか?
伊織:「でも、良いんですか? 悪の組織がこんな普通のマンションに住んでて?」
香澄:「ああっ、今さり気にお姉さんの事虐めたでしょう。 伊織って、そういう属性だったっけ?」
香澄が温かい紅茶を出してくれる。 真夏だがこの部屋はギンギンにエアコンが効いていて…寒かった。 だからジャージでも大丈夫なのだろうが、 普通に半袖な伊織には結構キツい。
香澄:「いいのよ。 一応、表向きは押し込み自爆テロの被害者って事になってるからね。」
伊織がお土産に持って来たケーキを渡す。
香澄:「美味しそうね! お姉さん実は甘いものに目が無いんだ。」
香澄:「因みに一番好きなのは…大阪の片田舎にある駅前商店街の和菓子屋で売ってる甘栗入り粒餡厚皮饅頭なんだけどね。」
伊織:大阪に片田舎なんてあるんだ…
香澄:「それにしても どうしてまた、いきなり訪ねてくれたのかな?」
ケーキを取り分けながら香澄が上目遣いに伊織を見つめる。
伊織:「済みません、でも僕、博士の連絡先とか知らないんで…どっちみちいきなり来るしか無かったんですけど…ね。」
伊織:「…もし良かったら、携帯の番号とか教えてもらえたり…しないですか?」
香澄:「ふーん、お姉さんの携帯番号、知りたいんだ。」
立て肘にちょこんとあごを乗せた格好で悪戯そうに微笑む。 テーブルを挟んで座る香澄の胸元から、ふっとバラの香水の匂いが立つ。
伊織:「いや、…無理には良いです。 何というか、博士と携帯で話するのも、変な感じですしね。」
香澄:「お姉さんは、いつだって伊織の声を聞いていたいな。」
濡烏の髪の美女がじっと伊織の事を見つめている。
香澄:「ねぇ、何だか寒そうだね。 …温めてあげようか?」
香澄:「…今、この下、…何も付けて無いんだ。」
香澄が、…少しずつ、ジャージのファスナーを下ろし始める。
伊織:「いえ、流石にそれは不味い…。」
香澄:「だって、一人暮らしの女の部屋に訪ねて来たのは、伊織の方だぞ。」
見ては行けない? いや見ずにはいられない? 見ないと失礼? 自然と目が宙を泳ぐ。
香澄:「遠慮しなくても…良いのよ、こっちに…」
いきなり! 隣の部屋から大きな物音がした。
気分を削がれたのか、香澄がちょっと溜息をついて仕切り直す。 でも胸元は大きく開いたままだ。
伊織:「とまあ、僕の覚えてる事はこんな感じなんですが、…あの時、実際は何があったんですか? 未だに、自分がどうなってたのかさっぱり判んなくて。」
夏休み直前、山猫と名乗る怪しいロボットを使う連中との戦いの最中に、自分は確かに右腕を切り落とされた筈だった。 それが今は何の痕跡も無く元通りにくっ付いている。
香澄:「うーん、微妙に「現実」とずれているところがあるみたいね。 例えば、斜め後ろ上方から見下ろすって奴…よく言う臨死体験って奴だけど、あれって…かつて人間が樹上で暮らしていた時の名残らしいの。 人間って自分の事を客観視する時に、そんな風に斜め後ろ上方から見下ろす様に自分をイメージするのよ。 「現実」には魂とか幽体離脱とかある訳ないんだよ。」
伊織:ビジョンはあるのに?
香澄:「それに、…吾妻がそんな解説調な台詞を叫んだって記憶も無いわね。
「命の力、作り変える力」…か、面白いわね。」
再び、香澄が悪戯そうにクスリと微笑む。
香澄:「大体…私はあの時白衣なんて着てなかったわ、真っ裸だったのよ。 多分、連中に凶器の材料になりそうなモノは全て取り上げられたんだと思うけど… まるで記憶の一部に自主規制がかかってるみたいね。」
伊織:「記憶が、間違ってるってことですか?」
香澄:「まあ、人間の認識なんて、所詮は人体の各種センサーから取り入れた電気信号を基に脳みそが作り出すものだから、…脳みそを操作されたら 幾らでも「現実」なんて作り変えられるものだけどね。」
伊織:脳みそを操作…って?
香澄:「あの時、伊織がどういう状況まで昇天ったのか、…今となっては分からないわ。 …吾妻のビジョン、青龍の能力は面白すぎるのよ。」
伊織:「…言ってる事がイマイチ良く分かりません。」
香澄:「別の言い方で言うと、伊織、あの時一回死んでたかも知れないのよ。」
伊織:「…死んでた?」
香澄が伊織の隣に座り直す。 ぴったりと身体をくっつけて来る。 いつもながら、どうしてだか逆らえない。 バラの香りが脳髄をくすぐっている。
香澄:「伊織の傷は、右肩からわき腹にかけての切断、幸い?肋骨のお陰で肺臓には被害は無かったのだけれど、脇の下の動脈は切断されていた。 直接の死因は、出血性ショック死ね。」
そう言いながら、伊織の肩、脇、胸に触れる。 …撫ぜる。
香澄:「青龍の能力は多分、ある物を原材料として別の物に作り変える事みたいだけど、…果たして、死んでしまった有機物から生物を作りだすなんて事、本当に出来るのかしら。」
いつの間にか、香澄の指先が、直の肌に触れている。
香澄が伊織の首筋の匂いを嗅いでいる。 …耳たぶを甘噛みする。
香澄:「ねえ、…もういっぺん試してくれないかな?」
我に返って、香澄から逃れる。
伊織:「い、いえ、…絶対遠慮しておきます。」
香澄:「とにかく、…血液が行かなくなって破壊された脳細胞を、そっくりそのまま生きていた時と同じに再生してくれたみたいだけど、まさか記憶まで再現、もしかすると都合よく作り変えるなんて、ビックリだね。」
伊織:都合よく記憶を作り変える? …誰にとって都合よく?
香澄:「まだ実感沸かないみたいね。 …いいもの見せてあげようか。」
香澄が冷蔵庫から蓋付きのガラス瓶を取り出してきた。
そこに入っていたのは、 人間の耳、と何か。 それって多分…
香澄:「そう、…貴方の耳。」
右耳に触れる。 確かにそこには昔どおりの耳がある。
かすかに耳の後ろに縫合の跡が残っているだけた。
いきなり香澄の表情が「ギクリ」と深刻になる。
伊織:「ど、どうしたんですか?」
香澄:「…実は今の伊織の耳は、その辺に落ちていた犬のうんこから作り変えられたものなのよ!」
伊織:犬の、うんこ…
香澄:「…って言うのは冗談だけど、大量出血した血液とか、足りないパーツはその辺にある原料をかき集めて再生したみたいね。」
伊織:そこら辺に、あるもの…
何だか一気に憂鬱になってきた。
伊織:「ところで、…優美はどうしたんです?」
香澄:「ああ、…あの子、山猫とやらに遅れを取ったのが相当悔しかったらしくて、ここの処ずっと引き籠ってるわ。 …隣の部屋に居るんだけどね、」
伊織:「怪我は、大丈夫だったんですか?」
香澄:「ええ、…綺麗な顔に傷跡は残らないで済んだみたいよ。」
ちょっと安心した。 …でも、
伊織:「落ち込んでるなら、会わないで置いた方がいいのかな。」
香澄:「馬鹿ね、すねてるけど、かまって欲しいに決まってるじゃない!」
香澄:「なんなら、合鍵貸すから、…夜這いに行く?」
いきなり! 壁を叩く音。
香澄:「…ここ、安普請だからね、」
伊織:聞き耳立ててたんだ。
一応、優美の部屋にも寄ってみる。 …呼び鈴に応答は無かった。
どうやら、鍵はかかっていなかったので、そっと入ってみる。
食べ散らかした食器が床に放置されていた。
伊織:「…優美、」
優美:「何しに来たの。」
ベッドの中?から声がする。
伊織:「ケーキ食べないか?」
優美:「いらない、出てってよ。」
頭から布団を被ってる。
面白いので、息を潜めて、暫し…待つ。
やがてしばらくすると、…そおっと顔を出してくる。
はっと目が合って、優美の顔が真っ赤になる。
あっと言う間に布団に潜り込む。 まるでイソギンチャクみたいだ。
優美:「馬鹿!ミジンコ! なんで未だ居るのよ。」
伊織:「なんだか、元気そうだな。 良かったよ。 じゃあ、俺帰るよ。」
いつも通りの優美の態度に少し和む。 元気なら それで良いや。
優美:「馬鹿! 待ちなさいよ。」
伊織:「なんだよ。」
優美:「お茶入れて。 ケーキ食べるから。」
何だか偉そうだ。 まあ、落ち込んでるって言うし、大目に見てやるか。 と思って台所に立つが…、
伊織:「無いぞ、お茶、…ていうか何にも無いぞ。」
優美:「気が利かないわね、何でお茶も買ってこないのよ。」
言いたい放題だな…。
伊織:「分かったよ、何か買ってきてやるよ。 ちょっと待ってな。」
優美:「いらない!」
伊織:一体何なんだぁ?
優美:「は、半分食べて! ぜ、全部は食べきれないから。」
伊織:「良いけど…、」
伊織:さっき一個食べたばかりなんだけどな。
優美:「じゃあ、起きる。」
ようやく、パジャマのままの優美が布団から這い出してきた。
長い睫毛に大きな瞳。 傷一つ無い整った小顔は透き通る様に白く。 ウェーブした艶やかな髪はやはり腰まで届く豊かな長髪。
まるで造り物の様に美しい少女。
優美:「くっ付いたんだ、腕。 さすがミジンコね。」
伊織:いや、ミジンコだって普通くっ付かないぞ。
優美がちらちら伊織を見てくる。 顔が赤い。
この反応を見ると、ついつい悪戯したくなってしまう。
さりげなく優美の髪に触れてみる。
伊織:「そういえば、…この間撃たれた所、大丈夫だったのか?」
優美の顔が、ぱぁっと赤く染まった。
伊織:「お前いつものゴスロリ服よりパジャマの方が似合ってんじゃない?」
追い打ちをかける様に、…多少わざとらしく撫ぜてみる。
されるがまま、うつむいて、固まる。 …何故だか息をしていない。 涙目になっている。
伊織:「じ、じゃあ、おれ、…そろそろ帰るね。」
優美は無言のままフンフン頷いた。