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路地裏とココアシガレット

作者: アク
掲載日:2026/10/12

不採用通知の入った鞄は、中身が空であるにもかかわらずひどく重かった。


転職活動のために訪れた東京の外れ、名前もよく知らない駅に降り立ったのは、秋の風が少し肌寒く感じられる夕暮れ時だった。


見知らぬ街の雑踏を避けるように歩いていると、ふと、ビルの隙間に不自然なほど細い路地があることに気がついた。


吸い込まれるようにその薄暗い路地を進むと、錆びたトタン屋根の駄菓子屋があった。


東京の景色には似つかわしくないその店構えに、私は既視感を覚えた。


店に入り、色褪せた棚から「ココアシガレット」を一つ手に取った。


幼い頃、背伸びをしてよく買っていた砂糖菓子だ。


硬貨を置いて店を出た私は、大人が煙草を吸うような手つきで、箱から取り出した白い棒を口にくわえた。


ふと顔を上げると、コンクリートの壁は消え失せていた。


代わりに広がっていたのは、低い空と、瓦屋根が連なる見慣れた町並みだった。


すれ違う人の中に外国人観光客の姿はなく、静かで、どこか湿り気を帯びた空気が漂っている。


角のコンビニのガラス越しに新聞の日付を見て、私は息を呑んだ。


そこは、私が小学2年生だった頃の京都だった。


行き場を失った私は、実家の方角へ歩き出したが、どうしても足が向かなかった。


三十歳になり、何者にもなれずに立ち止まっている今の自分を、あの家へ連れて帰ることはできなかった。


無意識のうちに辿り着いたのは、家の近くにある寺の横の墓地だった。小学一年生で父を亡くした私は、当時、放課後によくここへ来ていた。


古い石畳を踏みしめ、記憶の中にある区画へと曲がった途端、私は足を止めた。


秋の虫が鳴く声に混じり、微かに線香の匂いが漂ってくる。


墓前には、二つの影があった。


若き日の母と、ランドセルを背負った八歳の私だった。


踵を返そうとしたとき、小枝を踏む音が響き、母がふり返った。


見知らぬスーツ姿の男(私)と目が合い、母は少し不思議そうな顔をした後、静かに問いかけてきた。


「……もしかして、あの人のお参りにきてくだはったんですか」


その穏やかな京都の言葉の響きに、胸の奥がひどく締め付けられた。


「あ……はい。昔、東京で少し、お仕事をご一緒したことがありまして」


とっさに口をついて出た嘘だった。父の仕事仲間。そう名乗るしかなかった。


「わざわざ東京から。主人がお世話になりました」


母は深々と頭を下げた。


その横で、幼い私がじっとこちらを見上げている。


大きな瞳の奥に、かつての自分の戸惑いと好奇心が透けて見えた。


その偶然の流れで、私は二人と一緒に、秋の深まる京都の町を少しだけ歩くことになった。


観光地化される前の、静かな東山の裏道。疎水沿いの桜の葉は赤く染まり、水面を静かに流れていく。


母は父の思い出を、時折微笑みながらぽつりぽつりと語った。


その声を聞きながら、私は自分の中にあった「父の死の重さ」が、静かに解けていくのを感じていた。


ふと、幼い私が私の袖を軽く引いた。


「おじさん、お父さんの匂いがする」


真っ直ぐな瞳だった。私はハッと息を呑んだ。


スーツに染み付いた整髪料か、それとも年齢を重ねて骨格や背中から滲み出るものか。


三十歳になった私は、気づけば、八歳の私が見上げていた「父の年齢」に追いつこうとしていたのだ。


私は彼に、いや、かつての自分に向けて、少しだけ不器用に微笑んでみせた。もう大丈夫だ。そう伝えたかった。


夕暮れの鐘の音が、町に響き渡った。


別れ際、私は口にくわえたままだったココアシガレットを、奥歯で静かに噛み砕いた。


カリッ、という微かな音が頭蓋に響く。


砂糖の甘さとハッカの香りが口の中に広がった瞬間、線香の匂いも、秋の疎水の水音も、ふっと風に溶けて消えた。


気がつくと、私は再び、東京の外れの駅前通りに立っていた。


冷たいビルの風がスーツを揺らす。行き交う車の排気ガスの匂いが鼻を突く。


鞄の中の不採用通知は変わらずそこにあるはずなのに、先程までの鉛のような重さはもう感じなかった。


私は小さく息を吐き、改札へ向かって、静かに歩き出した。

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