祖父の葬儀の翌日、義妹ができました
カルドダム・ローマイン前公爵の葬儀の翌日、まだ、悲しみに浸っている公爵家のホールに全ての使用人が集められていた。その中には、現公爵の娘サーシェも含まれていた。
バルザック・ローマイン現公爵が、二人の女性を伴ってホールに現れた。
一人は三十代くらいの黒髪の勝ち気そうな目をした女性であった。彼女の真っ赤な口紅は真紅のドレスに似合っていた。但し、彼女のドレスも身に付けている豪華な宝石類も葬儀を終えたばかりの公爵邸には不釣り合いな装いだった。
もう一人は十代半ば、サーシェと同年代と思われる少女だった。薄い赤茶色の髪に碧眼の可愛らしい見た目であったが、彼女もまた華やかな黄色のドレスを着ていた。顎をツンと突きだし集まった人々を見回している。
「今日から公爵夫人となるイブリだ。そして、この子が私の娘のアガサだ。彼女達の言葉は、私の言葉だ。心して仕えるように」
誰もが信じられない面持ちで公爵を見つめた。父親の葬儀の翌日に後妻とその娘を迎えるなど聞いたことがない。
「お父様、どれがお姉様なの?」
「私がサーシェ・ローマインですわ」
「へぇ、あれが? 随分地味なのね。アハハ」
「ああ、お前より二月早く生まれたサーシェだ」
「黒いメイド服みたいなのを着てるから、私、使用人なのかと思ったわ。ねぇ、お母様」
「本当に。誰も彼も真っ黒でカラスのよう……ああ、先代様のご葬儀があったばかりでしたわね。ウフフ」
「お父様、どういう事ですの?」
「今、言った通りだ。イブリは私の唯一無二の愛する妻だ。そして、愛しい我が娘アガサは、お前の妹だ。新学期から、お前と一緒に学院に通う。面倒をみてやれ」
「……」
「ここに居るのは、漸く我が家に迎え入れる事が出来た私の家族だ。わかったら解散しろ」
「二月違いと仰いましたが、お父様はお母様の生前から不貞をなさっていたと言うことですか?」
「不貞だと。何を言っている。イブリとは学院の頃から付き合いだ。男爵令嬢では釣り合わんと反対されていただけだ。先王と父上が勝手に隣国の王妹との婚儀を決めたのだ。お前の母親が嫁いでさえ来なければ、とっくにイブリが公爵夫人の席に着いていたのだ。割り込んでいたのは、お前の母親だ」
「……」
「あの女がとっと死んでくれてほっとしたのに、父上にはどうやっても許されなかった。あの堅物も死んでくれて万々歳だ。ハハハ」
その場にいた者達は絶句した。亡くなった前公爵は、人格者で誰もが慕っていた人物だった。昨日も多くの参列者を迎え、皆悲しみに浸っていたというのに実の息子である男が死を嘆くどころか嘲笑っているのだから。
亡くなったカルドダムが若かりし頃、当時の王太子ゲゼルタールに伴って隣国アルテノンに留学した。その時、先の国の王太子トルバートと懇意になった。気の合った三人は、勉学に競うように励み共に深く語り合う仲となった。
時が流れ王位を継いだトルバートが、両国の友好関係を確たるものにすべく末王女スーラを旧知の仲であるカルドダムの嫡男バルザックに嫁がさせたのだった。バルザックが選ばれたのは、実を言うと高位の中で婚約者のいない適齢の男子が他に見つからなかった事も大きな要因であった。こちらも王となっていたゲゼルタールが間に立ち、形としては王命に近いものでの婚姻であった。
美しく高貴なスーラは、公爵家でも社交界でも歓迎された。只、夫バルザックとは仕事が忙しい事を理由に深く関わることが出来なかった。とはいえ、嫁いで二年ほどしてサーシェを身籠った。皆から喜ばれ大事に扱われるのとは反対に夫とは益々疎遠になっていった。
サーシェが六才なった年、スーラは皆の看病の甲斐もなく呆気なく流行り病で亡くなってしまった。因みに隣国アルテノンの現在の国王は、スーラの長兄セイシャルが継いでいる。
サーシェの生活は父が二人を連れてきた日から、一変してしまった。
亡くなった母の思い出が残る公爵夫人の上品な部屋は、イブリの好みに合わせ煌びやかな様相に模様替えが施される事になった。
嫡女として与えられていた東館の私室は、アガサが、気に入ったと言う一言で部屋替えを余儀なくされた。今は、西館の奥まった一室がサーシェの生活の場となった。
部屋替えの折、サーシェの衣装や宝飾品類を勝手に漁りまくったアガサが『私の方が似合うわ』とそれらを欲しがった。全て奪われるのか危惧したにも拘わらず、公爵が『お前達には古い物など持たせたくない。全て新しい物を揃えよう』と諭し諦めさせた。愛娘にスーラ(隣国王家)に所縁の有る物を身に付けさせたくなかったのか否かは定かではないが、サーシェにとっては、母の形見の宝飾品や祖父が誂えてくれたドレスなどが手元に残ったのは幸いであった。
学生ではあったが、既にサーシェは、嫡女として公爵家の仕事を一部任されていた。彼女に領地経営を教え込んだのは、前公爵カルドダムであった。祖父に付いて幾度か視察にも同行した。領地民に慕われる祖父を間近に見て、幼いながらに自分もこうありたいと思っていた。彼女が成人した折には、領地経営に於いては有能だと言われている父バルザックにも引けを取らないだろうと言われていた。
母を幼い時に亡くし、加えて祖父譲りの責任感の強さの為か子供の頃から甘えることが苦手だった。特に父に対して甘えた記憶がない。バルザックは確かに多忙であった。それが自分との関わりが薄い一因なのだろうと思っていた。しかし、サーシェは父から常に一線を置かれているように感じていた理由がこの年になって漸くわかった。
さて、この国には、王都にある王立学院と地方に十ヶ所設けられた王立学院分校がある。
王立学院では、初等科と高等科の二つの科が設けられていた。全貴族子女の義務とされる初等科は十三~十五才を対象としている。高等科は十六~十八才の伯爵家以上の上位貴族の子女が必須で通う事になっていた。但し、特例として下位貴族であっても初等科で優秀な成績を治めた者であれば高等科への進学が認められた。分校では初等科のみ設けられている為、高等科に進む者は王都まで出てきて本院に通う必要があった。
したがって、本来であれば、男爵家に身を置く十七才のアガサは、分校で優秀な成績を修めていない限り高等科に通う機会はなかったはずだった。
新学期、登校する馬車の中でアガサははしゃいでいた。真新しい高等科の制服、初めて公で示せる最高位の公爵令嬢という立場、身に付けている物全てが最高級品。夢に見ていた幸せが今現実となっていることを実感していた。向かいの席に座るサーシェは、ただ静かに窓の外を見ていた。
登校して直ぐにアガサの最高潮だった気持ちは打ち砕かれる事になるのだが……。
学院の玄関には、二人の公爵令嬢を待つ人がいた。背筋をピンと伸ばし、白髪交じりの髪を綺麗に纏め上げた上品な女性である。
「ご機嫌よう。サーシェ嬢」
「ご機嫌よう。マーシャル先生、本日は朝からお出迎え頂き有り難う存じます」
「いいえ。貴女が、アガサ嬢ですね。ご機嫌よう」
「ねぇ、早く教室に案内して頂戴」
「……」
「アガサ、先生に失礼です。謝罪なさい」
教頭であるカレン・マーシャルは、驚いたように一瞬目を見開いていたが、直ぐにサーシェに微笑み自分の教室に向かうよう指示をした。
「アガサ嬢、貴女は私と共にこちらにいらしてください」
アガサは、サーシェと共に教室に向かえないことにあからさまに不服そうな表情をした。結局、ぶつぶつと文句を言いながらも、初日だから何か手続きがあるのだろうと、面倒臭そうにマーシャルの後に続いた。
「どうして、私が一年生の教室に行かなくちゃいけないの!? 私、サーシェお姉様と同い年なのよ。二年生でいいじゃない」
「アガサ嬢、貴女は高等科の授業を初めて受けられるのですよ。ですから、年齢に関係なく一年生の授業から始めて頂きます。それでなければ勉強についていけませんよ」
「わかったわよ。それは認めてあげる。でも、公爵令嬢の私が、どうしてDクラスなのよ」
「爵位は関係ありません。初等科での成績でクラス分けは行われています。貴女はDクラスでも……ゴホッ。学院での成績次第でクラスは上がりますから、精進してください」
「因みにサーシェお姉様は何クラスなの? ふふ、根暗なお姉様じゃ、まともに何にも出来ないでしょうから、Eクラスなんじゃない?」
「Eというクラスはございません。サーシェ嬢は最上級の特進クラスに席を置かれておりますよ」
「はぁ? 何でよ! あんたじゃ話にならないわ。お姉様に会わせてよ。クラス替えしてもらうんだから!」
「特進クラスは別棟にございますし、学年も違います。まもなく、授業も始まりますから、お会いになりたければ昼食時までお待ちになるしかございませんね」
「漸く公爵令嬢になったのに一年生でDクラスなんておかしいでしょ! 事務員だか、一介の教師だか知らないけど偉そうに! お父様に言い付けてやるんだから、覚えておきなさいよ!」
「公爵様でもそれは無理です。クラス替えをご希望でしたら、成績をお上げになるのが一番の早道でございます」
廊下に響くほどの大声で文句を言うアガサとマーシャルの遣り取りは、各教室の教師や生徒達に筒抜けだった。
元から興味の的である公爵家の醜聞である。非常識にも父親の葬儀翌日に妾とその娘を家に入れた公爵。自らを公爵令嬢と宣う娘は、どうやら頭の出来が悪いらしい。厚顔無恥も甚だしいと格好の話題を得た生徒達は、ほくそ笑んでいた。こういう話はあっという間に学院全体にそして、社交界に広がっていくものだ。
「サーシェ嬢、葬儀以来だね。家の方は大丈夫?」
「ガイアス様。何がなんだかわからないの。急に居場所がなくなったみたい」
「力になれなくてごめん」
「いいえ。貴方に声を掛けて貰えただけで嬉しいわ。ありがとう」
ガイアス・クライズ、子爵家の嫡男である。プラチナブロンドの髪に青い瞳。誰もが振り返るほどの美丈夫だった。サーシェとは、同じクラスの生徒で二人は常に首席を競いあっていた。互いに憎からず思っているのだが、跡取り同士な上、公爵家と子爵家、家格が違い過ぎた。似合いの二人に周りは期待をするが、残念なことに進展する様子はなかった。
「お姉様、どうして同じクラスにしてくださらないの! そんな意地悪をして楽しい?」
「意地悪なんてしていないわ。クラスは貴女の成績が反映しているのよ。私がどうにかするなんてできないわ」
怒りに満ちた顔をしていたアガサだったが、漸く隣に立つ美しい男に気がついた。
「初めまして。公爵令嬢のアガサよ。貴方、お名前は?」
「ガイアス・クライズです」
「お家は、伯爵? もしかして、侯爵?」
「子爵ですが」
「へぇ、子爵かぁ。頭いいのね。まあ、いいか。お昼御飯一緒に食べて。私、今日から、この学院に入ったばかりで慣れてないのよ」
「サーシェ嬢も一緒なら」
「お姉様は、他にもお友達がいるでしょ。私には、誰もいないの。わかったら行きましょ」
「でも、サーシェ嬢と先に約束しておりますので」
「子爵令息さん、公爵令嬢の頼みなのよ」
ガイアスは、怪訝な顔をしているが、どう考えても後が面倒なことになりそうだった。
「ガイアス様、私は大丈夫」
「サーシェ嬢……」
「お姉様の許可が出たわ。ねぇ、行きましょ」
それからというもの、アガサは何かとガイアスに絡み始めた。休憩時間でも特進クラスは別棟だというのに現れる。
「早く戻らないと授業に遅れるわよ」
「酷いわ! お姉様が、私を邪魔者扱いにする!」
と、大騒ぎをする。クラスの皆にも迷惑を掛けているのは明らかだった。
「ガイアス、教室まで送っていってちょうだい」
「ああ。わかったから早く行こう」
ガイアスは、アガサを彼女の教室まで送り届けた後、特進クラスまで走って戻ってくる事が恒例となってしまった。
サーシェが、家に戻ると父からの叱責が待っている事もこれもまた恒例となっていた。
「サーシェ、お前はまた妹に高慢な態度を取ってるそうだな。姉としての自覚が足らん」
「可哀想なアガサ。また、泣かされたのね。なんて底意地の悪い娘なんでしょ。誰に似たのかしら」
「少し勉強ができるからといって、学院に入って間もない妹を笑い者にしているとは、なんと狭量な。恥を知れ。今日は、部屋から出てくるな!」
「……はい、お父様」
部屋から出ないようにと言われる時は、食事を抜かされる事が多々あった。こっそりパンとスープを運んだ事がばれたメイドは、紹介状も持たされずに解雇された。使用人達もサーシェを助けたいという思いと職を失いたくないという思いとのジレンマに襲われていた。サーシェは、それを察し何もしないよう皆に伝えた。
今日も特進クラスにアガサが現れた。
「ガイアス、お昼に行くわよ。あら、あなた見かけない顔ね。へぇ、なかなか整った顔してるじゃない。でもまあ、ガイアスには叶わないわ」
「……!」
ガイアスは、彼を見て慌てて口を噤んだ。周りにいた生徒達も固唾を飲んだ。彼はにっこり笑って、
「公爵令嬢にご挨拶いたします。早く行かないとお昼休みが短くなってしまいますよ」
「そうね。行くわよ、ガイアス」
二人が教室から出ていった途端、皆、漸く息が出来たようだった。
「サーシェ嬢、君の異母妹、かなり強烈だね。皆も調子を合わせてくれてありがとう。あの子には僕の事は内緒でね」
公務が続き、久しぶりに登校した王太子ハルシオンは、さも面白そうに笑いながら皆に声を掛けた。
「ご迷惑をお掛けしています」
「僕も側近候補のガイアスを振り回されるのは困っていてね。真面目なガイアスのあんな顔を見るのも面白いんだけど。公爵にも困ったものだねぇ。何処が自慢の娘なんだか。もう暫く様子を見てみて、僕の方でどうにかするよ。ふふっ」
『この年になるまで日の目を見られなかった可哀想な娘。輝くほどの容姿に恵まれ、素直で愛らしい子。異母姉やその友人達に苛められても挫けず、慣れない環境にも努力する健気な自慢の娘』
サーシェは、公爵が盛りに盛ったアガサ像を至るところで吹聴していると耳にした。
――父の姿は、社交界でどれだけ滑稽に映っているのかしら。学院でのあの子を知っている人達が本当の姿を広めてるのよ。既に影で笑われている事を知らないなんて有り得ない。お祖父様の葬儀の翌日に二人を招き入れたうえに虚像のあの子を語って更に恥の上塗りをしているだけだわ。どう考えてもお父様らしくない。
夕刻、公爵に呼ばれたサーシェは、また何か叱責されるのかと沈んだ気持ちで執務室の扉をノックした。執務室には、公爵だけではなくイブリとアガサも同席していた。
「サーシェとアガサの二人の婚約が決まった。サーシェ、お前は、隣国アルテノンのドルマン辺境伯の元に嫁いでもらう」
「お父様、私は公爵家の後継者です。嫁ぐ事はできませんわ!」
「公爵家はアガサが婿を取って継ぐことにする。王太子の側近候補の男を捕まえて来たんだ。家格は低いが優秀な男だ」
「……それは、何方なのでしょうか」
「クライズ子爵家のガイアスだ」
「ガイアス様は子爵家の嫡男です。婿入りは無理です。何かの間違いでは」
「子爵家はガイアスの弟が継ぐことになったのよ。お父様が話を付けてきてくれたの。彼、公爵家への婿入りならば是非って直ぐに承諾したのよ」
アガサが勝ち誇ったように笑う。
「本当に良い婿を見つけてきたわ。出来がいいだけじゃなく相思相愛なんですって。学院でも一時も離れたくないらしいじゃない。まあ、誰でも可愛いアガサに夢中になるのは分かっているけど」
「サーシェ、今月の末に辺境伯家からの迎えが来る。荷物を纏めておくように」
「そんなに急に。それに学院の卒業まであと一年あります」
「先方は、卒業する必要はないと言ってる」
「きっとヨボヨボの年寄りで老い先短いから急かされているのよ。アハハハ」
サーシェは、部屋に戻った。物の少ない西向きの薄暗い部屋の中で立ち尽くしていた。
――どうしてそこまで疎まれなければいけないの。ガイアス様のことは、家格も違うし、家を継ぐ方なのだと思って諦めてきたのに。でも、思いだけは通じていると思っていたのよ。子爵家を盛り立てる為の事業計画をあんなに熱心に語っていたのに……どうして公爵家を、アガサを選ぶの。……誰も助けてなんてくれないのね。もう、どうでもいい。どうせ翻らないもの。
翌日、サーシェは、退学届けを提出した後、私物を取りに教室に入った。クラスの友人達は教科書を広げていたり、おしゃべりをしていたりと、そこにはいつもの風景があった。
ガイアスが、耳元を少し赤くしながらこちらに近付いて来る。
「サーシェ嬢、おはよう」
サーシェは、無言で横を通り過ぎ、自分の机に向かう。後ろには、侍女を伴っていた。置いてあった小物を鞄に詰め小声で、侍女に指示を出した。
「あとは、私の収納棚に私物が残っていると思うの。持ってきてくれる」
侍女は、小さく頷いて棚に向かった。
「サーシェ嬢、どうしたんだ? 君は喜んでくれていないのか?」
「……!?」
サーシェは、驚いたように目を見開いてガイアスを見た。
――何故、そんなことを私に聞くの? 何故、私が喜ばなくちゃいけないの。
涙が溢れそうになるのを奥歯を噛みしめ堪えた。ガイアスに答えることもなく、彼の後ろにいたハルシオンに向かって恭しく淑女の礼をした。
「ハルシオン殿下。お別れのご挨拶をさせて頂きます。本日を持ちまして、学院を退学することとなりました。長らくお世話になりました」
「待って、待って、待って。どういうこと!?」
周りにいた生徒達も何が起きたのかと一気にざわめきだした。
「今月末に隣国アルテノンのドルマン辺境伯の元に嫁ぐこととなりました」
「サーシェ、君、ガイアスと婚約したんじゃないの?」
「ガイアス子爵令息様と婚約を結んだのは、アガサでございます。公爵家もアガサが継ぐことになりました」
「待ってくれ。嘘だろ。俺は君との婚約だと思って受けたんだ!」
「えっ? ガイアス様とアガサは、相思相愛の仲で子爵家の継承権を譲られてまでお受けになったと聞きました」
「違う! 公爵家の後継者としか言われなかったから、当然君との婚約だと思ったんだ。君と一緒になれる機会を逃したくないと思って、爵位を弟に譲って婿入りすることに承諾したんだ」
「あの子を選んだのではなく……」
膝から崩れそうになるサーシェをガイアスが受け止めた。彼を見つめる潤んだ目からは涙が止めどなく溢れ出た。
「ガイアス、ローマイン公爵令嬢は、倒れられた。これは、何か重い病いやもしれん。宮廷医官に委ねる為、至急王城に運べ!」
「御意!」
サーシェがハルシオンの言葉に驚く間もなく、ガイアスは、サーシェを横抱きに抱え、王城に向かうべく急ぎ教室を出た。
「ガ、ガイアス様!?」
ガイアスの手に力が籠った。サーシェは、彼の首に手を回すしかなかった。ガイアスの腕の中で互いの胸が早鐘のように打っているのだけがわかった。
「皆も良いな。サーシェ嬢は急な病だ!」
「「「御意に!」」」
王城の一室にサーシェとガイアスがいた。王子の侍従によって茶が振る舞われた。二人に向かい合った席には老医官が座り、ゆったりと茶を飲んでいた。
「ご令嬢、薬草茶を温かいうちに。貴女は稀なる『気』の病でございます。安静にしていただかねばなりません。この病は、生死に関わるものですからな」
「えっ?」
「そうですな。気に食わぬ者には、当分お会いになってはなりません。貴女のことを親身に想う者だけが会う事が出来ると言う病というのは如何ですかな。フォホホ」
「ならば、俺が付き添います」
「未婚のご令嬢の側に殿方がお一人で付くというのは、頂けませんな。直ぐに侍女を手配するよう伝えておきましょう」
「お気遣い頂き、ありがとう存じます」
「疲れていらっしゃることは間違いございません。いい機会です。ゆっくりなさい」
老医官と入れ違いにハルシオンが部屋に来た。
「少し、落ち着いた? ガイアス、その手をずっと握っているつもりかい?」
「えっ? あっ、申し訳ない」
「わ、私こそ……。殿下、医官様はゆっくり休むようにとおっしゃいましたが、月末には嫁ぎ先から迎えが参ります」
「ドルマン辺境伯について知ってることは?」
「嘗ての隣国王弟陛下の血筋の方かと。確か40過ぎの恰幅の良い方で一度親善試合に賓客としてお越しになられたかと」
「うん。僕もその時、少しだけ言葉を交わしたことがある。野心家でね。王位を狙っているのではないかと言われている。アルテノンとは、新たな親書を交わしたばかりだからね。我が国の公爵家とあちらで怪しい動きをしている辺境伯が結び付くのは不味いんだよね。こちらから資金でも流れて内政干渉したなどと痛くもない腹を探られたくないしね」
「辺境伯と父とはどういった繋がりがあったのでしょうか?」
「まだ詳しいことは言えないんだけど、奥方経由ではないかと踏んでる」
「お義母様ですか?」
「正確には、怪しい動きをしていると噂のリンド男爵家という事ですね」
「そうだ。ガイアスも気がついていたか。最近、僕の側にいられなかった割には調べてたんだね」
「申し訳ありません」
ハルシオンの説明によると、近年、リンド男爵家の所有する山から良質な鉄鉱石が出てきた。どうやら産出量を少なく国に報告しているらしい。余剰分の売り渡し先がドルマン辺境伯の可能性が高いという。大量の鉄鉱石から想像が付くのは、武器の鋳造。隣国王家と共に探りを入れていた。証拠も揃い、最終段階にあるという。
「婚姻を急かしているのも怪しい。公爵家からの資金を得たら、近々動くのではないかと思われる。こちらとしては、君を搔っ攫って藪を突いてみたんだ。後は逃げられないようにするだけだ。さあ、どう出てくるのか、楽しみだね」
その日のうちにローマイン公爵が、王城に飛んで来た。一見、娘を心配している体だが、老医官の『予断を許さない』とか『生死の境で動かせない』とか『感染するかもしれない』等々のらりくらりとした押し問答にも『娘を嫁ぎ先が迎えに来る。何が何でも娘を連れ帰る』の一点張りだった。老医官に根をあげたのか終いには、
「意識などなくても構わん。どうしても送り出さねばならんのだ!」
「随分なことを」
「ハ、ハルシオン殿下!」
「サーシェ嬢の血が必要だということだよね、ドルマン辺境伯には。アルテノンの王妹の娘であるサーシェ嬢の血が」
「な、何を言って……」
「捕らえろ」
ハルシオンの後ろに控えていた騎士達にローマイン公爵は呆気なく捕らえられた。
事件は、一気に動いた。
隣国アルテノンでは、まず、辺境伯領周辺を近隣諸侯の騎士団が囲み退路を塞いだ。事前に領地に入り込んでいた密偵達が武器庫と鋳造所を押さえ、最終的に王国軍がドルマン辺境伯を国家転覆罪で捕らえた。実に素早い動きだった。
辺境伯自体も王家の血統ではあるがかなり薄い。やはり王妹の娘であるサーシェを担ぎ上げ、王位を狙う算段だったらしい。
バルザックは、娘に隣国で王位を継がせ、その実の父親として自国だけではなく隣国に於いても地位を確立したいと野心を抱いた。バルザック自身は、幼い時から優秀であったが、常に父の陰が付き纏い次第に自己顕示欲が強くなっていったようだ。
――俺は何処で間違ったのだろう。国内では、庶子を溺愛する父親を演じ、他意がないように繕った。辺境伯さえ焦らなければ、俺の思惑通りに運んだ筈なのだ。アルテノン国王とハルシオンに思いの外、早く気付かれたのもあの間抜けな辺境伯のせいだ。俺の計画は完璧だった筈なのだ。
バルザックは、最後まで自分の計画が稚拙であり早々に露見したとは思っていなかった。あくまでも計画が頓挫したのは、ドルマン辺境伯の行動が起因だと思っていた。
若き日のバルザックには婚約者が決まっていなかった。既に水面下でカルドダムとトルバートの間で話は出来ていたのであろう。しかし、婚約者のいない公爵家嫡男となれば、あわよくばと令嬢達が次々と寄ってきた。
その中でリンド男爵家のイブリは、野心の塊のような令嬢だった。男爵家の身分で高等科まで進むことができた事だけでも勉学に関しては問題がなかった。自分の美しさを上手く魅せる。面白いと思った。自分は公爵家嫡男である。妻は、政略で娶ることとなるだろう。だが、イブリは手元に置いておこう。いつか使える日が来る予感がしていた。
彼は、既に公爵という最高位の家に生まれてしまったが故にその上を目指すというと王となる。確かに何代か前に王家の血が公爵家にも入っているが、流石に王位を狙う気は起きなかった。サーシェをハルシオンに嫁がせるのでは外戚であっても、結局のところ何処まで行っても臣下でしかない。ならば、外から王家を屈せば良いのだ。賢いが真面目過ぎる娘を傀儡にこの国を思い通りに動かしてみたいと思うようになった。
こうして、バルザック・ローマイン公爵は、隣国の王位継承争いに便乗することにしたのだった。サーシェは、利害の一致した彼等の最高の駒であった訳だ。
事件から半月が経った。
両国の公爵と辺境伯という大物の起こした事件であった割には、判決が早かった。事前に両国間で水面下の擦り合わせが行われていたこともあり事務的に事が進んだ。
「サーシェ嬢、沙汰が決まった」
「はい、承ります」
「まず、ローマイン公爵とイブリ夫人、リンド男爵家当主と嫡男は事情に深く関わっていた為、極刑。既に実行された。公爵家は、侯爵に降爵のうえ一部領地の没収と賠償金の支払いが生じる。男爵家は全財産没収のうえ取り潰しとなる。侯爵位はサーシェ・ローマイン、君が継承することとする」
「恐れながら、侯爵位で宜しいのでしょうか?」
「隣国王妹の血筋をあまり下位に下げる訳にはいかない。まして、君に咎はない」
「……若輩の身ですが、謹んでお受け致します」
「堅苦しいのは、ここまで。領地の立て直しは大変だと思うけど、微力ながら助力はさせてもらうよ。お父上は、憑き物が落ちたみたいにこの度の概要を語ったそうだ。だが、妻子にも君にも言葉はなかった。それから、学院は飛び級試験を受ければ卒業扱いになるよう手配した」
「殿下……ありがとう存じます。必ず受かるよう頑張ります」
「君の成績なら大丈夫だろう」
「俺も受けます。サーシェ嬢を支えたい」
「そうだね。ガイアス卒業するのはいいけど、サーシェ嬢だけじゃなく、僕の方も支えて欲しいんだけどね。ガイアス・クライズ子爵令息、君には正式に僕の側近として働いてもらう。いいな」
「御意!」
「後、これは隣国からの贈り物。君の元に母君の肖像画が、一枚もないと耳にしたらしい。公爵家に嫁ぐ前の肖像画だということだよ」
ハルシオンが椅子に立て掛けてあった額縁から布を取り除いた。そこには、蜂蜜色の髪にティアラを冠し、新緑色の瞳で優しく微笑む美しい女性が描かれていた。
「……お母様」
「サーシェにそっくりだな。」
「サーシェ?」
「いえ、お互いに敬称を取ることにしたのですが。まだ慣れなくて、つい付けたり外したりで……」
「そっか。いいなぁ。公爵、いや、元公爵があれだけ皆から嫌われていなければ、僕もガイアスの立場になれたのになぁ」
「譲りませんよ」
「ふっ、だよね」
「あの、殿下。アガサはどうなったのでしょうか?」
「ああ、学院は勿論退学。処遇なんだけどね、事件の概要を知ってはいたみたいなんだけどね。たぶん、彼女の頭では理解が難しかったんだと思われる。取り調べ中も大暴れしてね。市中に解き放っても何をしでかすかわからないので、採石場送りになった」
「そうですか。大変でしょうね。何もしたことのない子でしたから」
感慨深そうに俯くサーシェにハルシオンは優しく話し掛ける。
「彼女も単なる駒だったんだ」
「でも、あの子は父にも義母にも愛されていました」
「まあ、母親にとっては元公爵を繋ぎ止める道具で、元公爵にとっては、君を追い詰める道具だったんじゃないかな」
「追い詰める?」
サーシェは、理解しがたそうにしているが、ガイアスは直ぐに思い当たったようで、そっとサーシェの手に触れた。
「サーシェを後継者から外し、辺境伯に嫁がせる為ですか」
「そう。元公爵は、君達二人の仲も知っていたみたいだよ。継母と異母妹には嫌がらせをさせる。自分は彼女達を溺愛しているふりをする。偶然にもアガサがガイアスに熱を上げたから婿入りにとなったけれど、本来なら何処か遠方に飛ばすか命を落としていたかだろうね」
サーシェは息を飲み、ガイアスの顔を覗き見た。彼は、少しだけ口角を上げ頷いた。
「ガイアスは、君を追い詰めるには格好の相手だからね。あの娘が後継者になり、恋人がその夫になった家に君の居場所はない。公爵側は、自然な流れで嫁がせたかったんだろうが、計画が雑になったのは、辺境伯側が国の動きを訝しんで予定を早めたせいだ。以前、公爵が君のドレスや宝飾品をあの娘に渡さなかったと聞いたけど、たぶん嫁ぎ先でアルテノン王国の由緒ある品を身に付けさせる予定だったんだろう。君が正しく王位継承者だと誇示させるって意図があったんだと思う」
サーシェとガイアスは、無事卒業し、時を置かずして籍を入れた。祖父の喪中だということもあり、式は行わなかった。
元公爵邸は、広すぎると売却を考えていたが、ハルシオンから側近となったガイアスの急な登城にもこの距離なら対応しやすいと敷地の一部をハルシオン自身が購入し、低額で貸し与える形をとってくれた。
皮肉にも元公爵が有能であったこともあり、賠償金も滞りなく支払う事ができた。領地は一部を返納した為、多少見直す必要が出た。しかし、優秀な二人ならば新たな侯爵家として立つ事ができると王家を始め、彼女等を知る誰もが確信していた。
ガイアスは正式にハルシオンの側近となった。何をやらせても優秀な彼は卒無くこなし、名実共にハルシオンの右腕となった。彼は、忙しい毎日の中であってもサーシェを公私共に支えた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。サーシェ、相談があるんだが……」
「ご帰宅早々、どうなさったの?」
「同僚のライオネルが結婚する事になってね。それで、思ったんだけど、事件からも随分と経ったし、俺達も披露宴だけでも開かないか? 感謝を伝えたい人達が大勢いるしね」
サーシェは、ガイアスから受け取った上着を侍女に渡しながら微笑んだ。
「素敵ね。たくさんの人に助けられたものね。でも……」
「でも? 公爵の事でまだ負い目がある?」
「いいえ。来年の春まで待ってくださると嬉しいわ」
「随分、先だね」
「その頃には三人で皆様をお迎えできると思うから」
「……!?」
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
ご意見、ご感想、誤字脱字等何でも頂ければ有り難いです。
※この作品は「カクヨム」でも同名作者名で掲載しています。




