死の王、現る
目を覚ました時、私は冷たい石の上に横たわっている。
身を起こすと、そこは見たこともない場所。
(ここはどこ?夢じゃなかったの?)
高い天井、巨大な石柱、そして壁一面に刻まれた不気味な彫刻。まるで古い城の玉座の間のような場所だが、温かみなど一切感じられない。全てが灰色で、冷たくて、死んだような静寂に支配されている。恐怖が背筋を這い上がる。
「目が覚めたか」
声のした方向を振り返ると、黒い玉座に一人の男が座っている。
(この人が私を...)
私を拉致した男だ。今度はフードを取っていて、その顔がはっきりと見える。彫刻のように整った鼻筋、意志の強そうな顎のライン。でも、その肌は雪のように白く、髪は夜よりも黒い。
そして何より...氷のような瞳が私を見つめている。美しいけれど、まるで感情が凍りついたような、冷たい瞳。
「あなたは...一体何者なの?」
私は震え声で尋ねる。怖くて涙が溢れそうになる。
「俺の名はクロヴィス・グレンハルト。この国を統べる王だ」
男はゆっくりと玉座から立ち上がる。黒いマントが足音もなくひらめいた。その優雅な動きにさえ、何か非人間的なものを感じる。
「あなたが私を連れ去ったの?どうして!?」
私は状況を理解できずにいた。クロヴィスは私に近づいてくる。でも、近くで見ると、その無表情な顔の奥に何か深い悲しみが隠されているような気がした。
「家に帰りたいわ!私を家に帰らせて!」
「帰る?」
彼は感情を込めずに言う。その声に、私の背筋がぞっとする。
「お前はもう家に帰ることはない。お前は俺のものだ」
「何を言っているの?私はあなたのものなんかじゃない!」
私は立ち上がって反論する。怒りが恐怖を一時的に上回る。でも、クロヴィスの表情は変わらない。彼は私の顔を冷たい指で触れながら言う。
「聞け」
クロヴィスは私の顎を掴んで、氷のような瞳で見つめてきた。
「お前には二つの選択肢しかない。俺の妻になるか、それとも死ぬかだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の心臓が止まりそうになる。
「なんですって、妻...?」
「お前の意思など関係ない。俺が決めたことだ」
クロヴィスの声は絶対的だった。有無を言わせぬ圧がある。
「嫌よ!絶対に嫌!」
私は彼から逃げ出そうとするが、部屋の出口には見えない壁があるようで、そこから先に進めない。
(なぜ?なぜ出られないの?)
何度も何度も試したが、まるで透明な檻に閉じ込められているよう。絶望感が襲いかかる。
「無駄だ。この城からは俺の許しなしには出られない」
私はその場にへたり込んだ。父上は私を探しているだろうか。トマス卿は無事だろうか。エリスは心配しているだろうか。もう二度と家族に会えないのだろうか。胸が締め付けられるような痛みが広がる。
「お父様...」
涙が止まらなくなる。生まれて初めて感じる、本当の絶望。
(こんなところで死ぬなんて嫌)
クロヴィスが近づいてくる。でも、私はもう逃げる気力もない。
「泣くな。お前を不幸にするつもりはない。俺の妻になれば、この国の女王として何不自由なく暮らせる」
「…私が欲しいのはそんなことじゃないわ」
私は涙声で答える。
「…明日の夜までに答えを聞かせろ。俺の妻になるか、死ぬかだ」
そう言い残して、クロヴィスは姿を消した。まるで影が溶けるように、跡形もなくその場からいなくなる。
「助けて...誰か...助けて...」
私は一人、冷たい石の城に取り残された。助けを呼んでも、誰も答えてくれない。ただ私の声が空しく響くだけ。私は石の床に崩れ落ち、声を上げて泣く。
(どうして私がこんな目に)
これまでの人生で、こんなに絶望を感じたことはない。自分がいかに守られた世界で生きてきたかを、今更ながら思い知る。父上の怒鳴り声も、求婚者の同じような笑顔も、エリスの心配そうな表情も...全て恋しい。
月明かりが高い窓から差し込んでくる。あの月は、私の世界と同じ月だろうか。もし同じなら、今頃父上もこの月を見上げて、私のことを心配しているかもしれない。
「お父様...必ず帰ります。諦めません」
私は涙を拭いて、固く決意する。
(負けない。絶対に負けない)
どんな手を使ってでも、あの冷酷な王の支配から逃れてみせる。そして、自分の本当の人生を取り戻すのだ。