花咲く禁じられた場所
翌朝、私は馬に乗って領地の見回りに出かけることにした。もちろん、護衛のトマス卿が付き添うことになっている。
「お嬢様、今日はどちらへ?」
「特に決まった場所はないの。ただ、新鮮な空気が吸いたくて」
実際のところ、私は昨夜から妙に胸が騒いでいる。
何か新しいものを見つけたい、いつもと違う道を歩きたいという衝動に駆られている。
私の直感は昔からよく当たる。今日も何か特別なことが起こる予感がしていた。
馬を走らせながら、私たちは領地の北側へ向かう。ここは普段あまり足を向けない場所で、深い森と険しい山に囲まれている。
「お嬢様、あまり奥へは行かない方がよろしいかと。この辺りは古い言い伝えもありまして...」
トマス卿が心配そうに声をかけてくる。でも、私の好奇心はすでに止められないほどに膨らんでいる。(危険だって分かっているのに、なぜこんなに引かれるのかしら)
心の奥で何かが私を呼んでいる。抗えない力に引っ張られるような感覚。
「少しだけよ。大丈夫」
そう言いながら馬を進めていくと、突然視界が開ける。そこには見たこともない光景が広がっていた。
「わあ、綺麗…!」
それは美しい花畑だった。でも、それは普通の花畑ではない。花々は深い紫や漆黒に近い青、血のような赤といった、どこか不吉な色合いをしている。それなのに、なぜか美しくて、まるで私を呼んでいるようだった。
「あの花畑、見たことある?」
「いえ、お嬢様。このような場所があるとは存じませんでした。しかし、何だか不気味で...」
トマス卿の声は遠くに聞こえる。私の意識は完全にその花畑に奪われている。
花々はそよ風に揺れながら、まるで私に手招きしているように見えた。
私の直感が告げている——ここに来ることは運命だったのだと。
「少し近づいて見てみたいの」
「お嬢様、それは...」
私はトマス卿の制止を振り切って馬から飛び降りる。足が地面についた瞬間、甘くて濃厚な香りが鼻をついた。めまいがしそうなほど強烈で、でも不思議と心地よい香り。意識が朦朧としてくる。
一歩、また一歩と花畑に近づいていく。トマス卿の「お嬢様!」という声が背後から聞こえたが、もう気にならない。私の心は完全にこの不思議な花畑に奪われている。
しかし、花びらに触れようと手を伸ばした時、突然後ろから強い腕が私の腰を掴んだ。
「きゃっ!」
振り返る暇もなく、私は何者かに抱きかかえられる。
(誰?何が起こっているの?)
恐怖が一気に心を支配する。
黒いマントに身を包んだ男。顔は深いフードで隠されていて見えないが、その腕の力は驚くほど強い。
「トマス!助けて!」
私は必死に叫ぶが、トマス卿の姿は見えない。
(どうして?さっきまでそこにいたのに)
いつの間にか周囲は深い霧に包まれていて、さっきまでいた場所もわからなくなってしまう。現実感が失われていく。
「静かにしろ」
男の声は低く、氷のように冷たい。その声を聞いた瞬間、私の体から力が抜ける。まるで魔法にかけられたように、抵抗することができなくなってしまう。恐怖で頭が真っ白になる。
「誰...なの...」
私の問いかけに、男は答えない。
(この人は何者?なぜ私を?)
男はただ私を抱えたまま、霧の中を歩いていく。私の意識は段々と薄れていき、最後に見たのは男の胸元で揺れる奇妙な紋章。
(これは夢?それとも現実?)
やがて私の意識は、闇に沈んでいった。