リリアーナ
また今日も、父上の怒鳴り声が館に響く。
「リリアーナはまだ十五だぞ!嫁にやるなど早すぎる!」
書斎の扉越しに聞こえるその声に、私は小さくため息をつく。
(また始まった...)
今度は一体どこの家からの求婚話だろう。ここ数ヶ月、まるで申し合わせたように縁談話が舞い込んでくる。隣国の王子様、名門貴族の跡取り息子、富豪の商人の長男...数えきれないほどの男性が私に結婚を申し込んできた。
私の胸の奥に重苦しいものが沈む。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
侍女のエリスが銀のトレイを手に部屋に入ってくる。彼女の表情は申し訳なさそうで、きっと今回の求婚者についても聞いているのだろう。エリスは私より三つ年上。幼い頃から私のお世話をしてくれている大切な人だ。時には姉のように、時には友人のように接してくれる。
「ありがとう、エリス。今度はどちらの方なの?」
私は窓辺の椅子から振り返って尋ねる。心の中でうんざりした気持ちが渦巻いた。エリスは困ったような顔をして、小声で答える。
「東の王国のアルバート王子殿下だそうです。金の馬車で乗り付けて、護衛も二十人ほど連れていらしたとか...」
「まあ」
私は苦笑いを浮かべる。確かに名誉なことかもしれない。でも、私の心は少しも躍らない。
「お嬢様は...どう思われますか?」
エリスの遠慮がちな問いかけに、私は首を横に振る。心の奥底に溜まっていた不満が溢れそうになる。
「正直に言うなら、もううんざりしているの」
毎日のように知らない男性からの求婚話。私の意思など誰も聞こうとしない。まるで私が売り物のよう。(私にも心があるのに、誰も私の気持ちなんて聞いてくれない)
涙が目尻に滲む。私はすぐに泣いてしまう癖がある。感情が高ぶると、どうしても涙腺が緩んでしまう。エリスがそっとハンカチを差し出してくれる。
「でも、お嬢様のお気持ちを一番大切に思っていらっしゃるのは、旦那様です」
書斎からまた怒鳴り声が響く。
今度は「娘を政治の道具にするつもりはない!」という父上の声。
ありがたいと思う。父上は本当に私のことを愛してくれている。しかし、複雑な気持ちが胸に渦巻く。愛情深い父の保護も、時として息苦しい檻のように感じてしまう。
「エリス...」
「はい?」
「私、自分で恋をしてみたいの」
心の奥底から湧き上がる願望を口にする。
(誰かを心から愛して、その人からも愛されるような...そんな恋愛をしてみたいわ)
エリスの顔が少し曇る。彼女は私以上に現実を理解している。領主の娘である私に、自由な恋愛など許されるはずがないことを。その表情を見て、私の心に諦めに似た寂しさが広がる。
「お嬢様...」
「大丈夫よ、エリス。ただの夢物語だって分かっているから」
でも、時々思う。私の人生なのに、なぜ私だけが蚊帳の外にいるのかしら。私は再び窓の外を見つめる。青い空が広がり、遠くには緑豊かな森が見える。あの森の向こうには何があるのだろう。私の知らない世界、私が選べる未来があるのかもしれない。胸の奥で、小さな憧れが芽生える。
夕刻、アルバート王子が帰った後も、父上の機嫌は直らない。夕食の席で、父上は渋い顔をしたまま口を開く。
「リリアーナ、お前はまだ若すぎる。結婚などもう少し後でいい」
「はい、父上」
私は素直に頷く。
(父上の言う通りかもしれない)
確かに結婚を急ぐ気持ちはない。でも、父上の言葉の裏には「お前には何も決めさせない」という意味が込められているのを感じる。
「ああやって言ってくる男というものは信用ならない。特に権力や財産目当てで近づいてくる輩など...お前の美しさと純粋さを利用しようとするだけだ」
父上の話は延々と続く。私はうんうんと頷きながらも、心の中では別のことを考える。いつか私は、自分で選んだ道を歩きたい。誰かに決められた人生ではなく、私が望む人生を。
その夜、ベッドに入りながら私は天井を見つめる。求婚者の顔を思い浮かべてみたが、誰も印象に残らない。皆同じような笑顔で、同じような言葉を並べる。
「美しいお嬢様」
「名誉なことです」
「末永くお幸せに」
(まるで台本でも読んでいるみたいね)
私が本当に求めているのは何だろう。愛?冒険?それとも自由?心の奥底を探ってみても、明確な答えは見つからない。ただ、今の生活に満足していないことだけは確かだった。