こんな世界にこんにちわ
「あーもー。雨、本降りになってきちったよ」
ぽたぽた、と音をたてて雨が地面を濡らし始めた。
近くの辛うじて形の残る廃屋から顔だけを外に出して苦々しげに空をにらむ人物は全身のボロにしみ込んだ雨粒を払いながらそうつぶやいた。
口元を分厚い布で覆い隠しているが背格好と声からすれば年若い少年という年齢だろう。
分厚い雲を見るにこの分では当分止むことはなさそうだ。
「こりゃあ、今日の仕事はナシにするしかないな」
「えー……。せっかく準備したのにー……」
後ろから若干舌足らずな声がかけられる。
後ろを見ると、少年と同じく顔から下の全身をボロで覆いつくした格好の子どもがいる。
子ども、と断言できるほどに小さなその体。
背にはそこかしこに破れを継ぎ接ぎした自分の体と同じ大きさのリュックを背負っている。
被った古いヘルメットは明らかにサイズが合っていない。
「仕方ない、って。この分だと地面にまで雨が染み込んじゃう。……多分、地面から毒が湧き上がってくるはず。……危なすぎるよ」
「……そーなんだけどー。……ちぇー」
とてとてと少年に言われた子供はそれ以上言うことなく廃屋の中に入っていく。
前時代の化学薬品なのかウイルスの類か、それらのブレンドか。
地面から染み出したそのゲボ色の水たまりは毒そのものだ。
雨でぬかるんだ地面から染み出すナニカを踏みしめながら歩くなど正気の沙汰ではない。
去年の暮れ、ブルのおっさんはそれをやらかしたがために、足の裏から膝の下までを恐ろしいほどに膨れ上がらせて、そうなってからひと月もしないうちにぽっくりと死んだ。
完全防水の靴?
そんな高級品、自分の周りに履いているやつ等、一人もいやしない。
廃屋の中は中央部に火を起こした跡があり、周囲にごみやら廃材やらが転がっていた。焚火跡の上の煤で汚れた天井を見ると、一部は壊れて上の階が見える。
どうやらそういった一時的な休息所やキャンプ地として利用されているのだろう。
火を起こした周囲に置かれたパイプ椅子の座面にはさほどホコリも積もっていない。
「ミック、とりあえず飯の準備と火を起こそう。この感じだと今日はここで泊まりだ」
「……ここってミュータントとかだいじょーぶ?」
ここで泊まり、といったところで子ども、ミックが少し緊張して少年に尋ねてきた。
「ここら辺は街区の警備隊がミュータントの定期駆除をしてくれてからはいなくなってる。イカレ機械がいるんなら床に血の跡みたいなもんが残ってるはずだ。……ここで一晩過ごす程度なら問題ないよ、きっと」
「そ、そーだよね。じゃ、じゃあ。ごはん、準備するよ!」
ミックはそうして自分のリュックを下ろす。
どさん、とぺちゃんこに見えたわりに重い音をさせて地面から土ぼこりを巻き上げた。
外を徘徊するミュータントやらイカレ機械たちから背中から急に襲われたとしても何かしら命をつなぐための一因になるかもしれない。
まあ、9割がたは無理だろう。
それでも、1割を信じてリュックの背には鉄板が一枚しっかりと縫い込まれていた。
あとは緊急用の水と食料、そして野営のための品々。
(……とはいえ、あくまでもそういう話、ってだけのことなんだよな)
溜息とともにヘルメットと口元を覆う布を外して小脇に抱える。
いそいそと手持ちの資材で火をおこし始めたミックを横目に、少年は幾重にも巻かれたボロの奥に手を突っ込む。
指先に触れる固い木の感触。
ずるり、とそれをつかんで外に取り出す。
外の悪天候と室内ということで暗くなってはいたが、それはれっきとした銃であった。
かちん。
手に持ったそのリボルバー式の銃に弾がしっかりと込められていることを確認する。
そのかすかな金属音に気づいたミックが振り返る。
「ボクサー……どうしたの?」
ミックにボクサーと呼ばれた少年は、その声にたいして軽く笑って答えた。
「夜が来るんだ。無いとは思うけど念のためだよ」
「念のため、だよね」
「ああ」
ミックを不安がらせたこともあり銃を懐に戻す。
自衛のために持っているリボルバー式のハンドメイドのパイプピストル。
どこのだれが作ったかなど経歴も一切不明のトンデモ銃であるが、一応撃てるには撃てるはず。
何せブルのおっさんがぶっ放しているのを見ていたからだ。
死んでしまう前のブルのおっさんが賭場で勝った時に、上機嫌になって自慢して一発だけだが見せてくれた。
整備などもそのあと、目ん玉が破裂するんじゃないかというくらいに集中して観察したし、しつこいくらいに質問攻めにした。
そんなこともあってブルのおっさんはボクサーに目をかけていたようだった。
それが親しみからなのか、先々利用してやろうという魂胆だったのかはもう知る由もない。
そんな“大変親しくさせていただいていた”ブルのオジさまが身罷られた際に、速やかに形見分けを頂戴したのは当然の権利である。
ボクサーが最低限の金目の物を抜き取ってブルの住居を後にし、自分の家にしっかりと形見を隠したあと、再度ブルを訊ねると、その家の中には何も残っていなかった。
どうやら周辺のブルと親しい間柄の皆さまは彼が亡くなるまで、じっとその命を案じてらっしゃったようだ。
速やかに“形見分け”は行われ、パンツ一枚のブルのおっさんだけが、家の床にねかせられていた。
ちなみに手は胸の上で組まれていたので、悪しからず。
(本当はナイフもあったんだけど……。隣のララばあちゃんが持ってっちゃったんだよ)
あの時は銃を真っ先に確保し、次は金か、ナイフかの二択だったが今さらながら悔やむ。
今考えれば金よりナイフの方が価値はあったかもしれない。
錆の浮いた暴発の危険が否めない手製のジャンクピストルよりも、頑丈な刃の輝きが今は恋しい。
持っている弾は計10発。
自分で撃ったこともない当たるかどうかすら怪しい10発。
それとどこにでも転がっているひん曲がった錆びた鉄筋が彼らの自衛の装備だ。
期限切れになった街区の最低限の栄養は補償する低品質のレーションを買うためには、なんにせよ外に出てナニカを見つけてこなくてはならない。
街区の連中が行きたがらない、汚染地域に踏み込み、そこに残っているかもしれない前時代の機械を持ち帰る。
ボクサーにはわからないが、どうやらその中には時折だが価値のあるものがあるらしい。
とはいえ、ほとんどが一山いくらの資源扱いになるだけだ。
ミックが荷運び兼ごみ漁りをする、ならばコンビのボクサーはその護衛兼ごみ漁り。
街区に入ることも許されないスラム、その最外周にバラックを作って暮らす彼らにはこれが精いっぱい。
「ねー。ごはん、できたー」
ボクサーは銃床のさびを指でなぞって物思いにふけっている間に、ミックは火おこしから飯の準備までを完了していたようだ。
火にかけられた鍋には件のレーションがドロドロとして湯気を立てていた。
ところどころへこんだ金属のマグカップにそのレーションを注ぎ、スプーンを突っ込む。
そして小さなクラッカーが一枚ずつ。
水は各々の水筒で管理している。
「「イタダキマス」」
どういう意味か知らないが、食事の前の感謝句を述べる。
これは大昔からの慣習とかいうやつで、これを述べないと街区の連中が三カ月に一回やってくる炊き出しの時に飯を食わせてもらえない。
そんなわけで、スラムの連中は飯を食う時には必ず「イタダキマス」と唱えるように年長者からげんこつとセットで教え込まれるわけだ。
年に四回のそんなことのために、と思うかもしれないが、廃棄寸前の食料を“恵んでくださる”街区のメシは美味い。
マジで美味い。
塩味以外のメシはそんな時でもなければ食えないのだから、それは皆が必死になる。
「「ゴチソウサマ」」
食い終わったときは「ゴチソウサマ」だ。
これも意味は知らない。
わざわざ飯を恵んでくれる連中の機嫌を損ねる方が阿呆だ。
奴らは言っておけば満足するのだからそうする方が楽に決まっている。
対して量もないレーションと、非常用のクラッカー。
味に関しては塩味がする気がする、というのが全てだ。
塩味がするんだろう、たぶんだが。
「……雨、止まないねー」
「ああ。……酷くなってきた」
とはいえ先ほどの判断は正解だった。
すすんだ先にここのような雨をしのげる場所があればいいが無ければ詰む。
急いで帰っていたとしたら、時間的にはまだ家にはたどり着いていない。
となると雨に濡れた上に、染み出したナニカに体が汚染されている。
ミックもボクサーもまだ形見分けをするつもりは毛頭ない。
(しっかし、マジで降ってきたなぁ。……あんまり長雨だと考えないと)
どんなひどい雨がふっても晴れさえすれば、地面は半日もあればカラッカラに乾く。
体にしっかりボロを巻き付けて肌が出ないようにしないと火傷するほどの日差しなのだ。
一部の適応人類の連中はそんなこと関係なしに外を出歩いているが、残念なことに彼らは二人とも旧人類。
ひ弱な彼らには生きづらいこと、はなはだしい。
(飯は二人で3日分。……とりあえず節約すりゃ4日半はイケる。それ以上になるなら、雨の中で強行突破だしな)
雨はいつ降るか全くわからない。
この辺りはほとんど年間を通して降る事などめったにない。降ったとしても一日程度の雨で終わるのだが、数年に一度くらい二、三日の長雨になることがある。
念のため3日分を持ってきたのはそのためだ。
「ま、できることはないし。どうするかなぁ」
「……うん」
ボクサーのつぶやきにミックが答える。
だが、ミックは空になったマグカップを手に、軽く船を漕いでいる。
目元もとろん、として明らかに眠気に襲われていた。
「眠いんなら、横になったら? 俺、まだ起きてるし」
「……そお?」
答えたミックは限界だったのだろう。
子どもの体力は急に切れるものだ、と過去の自分の身をもって知っているボクサーはうなづく。
「寝てて、寝てて。とりあえずは、ね」
「ありがと」
ミックはそう言ってパイプ椅子から床にずり落ちるようにして腰を落とした。
そのまま自分のリュックに体を預け、休もうと目を閉じた。
メッッッッッゴォォォォオオオオオオオン!!!!!
「ちょ!!!! 何だぁぁぁっ!!」
廃屋の外から、耳をつんざく爆音。
ボクサーは叫ぶと同時に廃屋の出入口のそばに転がるようにして身を伏せる。
寝ぼけまなこだったミックも飛び起きると抱えていたリュックをひっつかんでボクサーに寄り添う。
ぎゅう、と服の裾をつかんでくるミックを開口部から遠ざけつつ、ボクサーは顔を半分だけ外に出す。
雨の夜ということもあり、視認性などあってないような状況のはずだが、先ほどの爆音の「原因」が煌々と光を発し、というか盛大に燃え上がっていた。
「なんだ、ありゃあ? コンテナ、か?」
ここに雨宿りに逃げ込むまではなかったはずのコンテナ(当然のことながら、緊急時の逃走ルートの確認で周辺を見渡すくらいはやっている)が、横倒しになって派手に燃え上がっている。
「ねえ、ボクサー! たき火を消さないとっ!」
「……ッ! ミック、頼むっ!」
「うんっ!」
ミックが身をかがめて這いつくばりながら、たき火を消しにかかる。
この大音量。そして大火。
ミュータントや暴走機械がこの状況を感知されていないというのは虫が良すぎる。
夜だから、一旦駆除されたはずだから、といってもここまでの大騒ぎならもっと離れたところからきっと集まってくるだろう。
その近くに光源となるたき火をしていては危険度はいや増すばかりだ。
手早く火を消しにかかるミックと、外で小さく破裂音を立てているコンテナ付近を見る。
ここからは少し離れており、火に照らされたあたりで蠢く影が見える。
(くそ、やっぱ集まってきたっ!)
いくつかは見たことのあるミュータントやら暴走機械であり、互いにその存在を認識して潰し合いに変わっている。
幸運にもこちらを認識するには距離があるのか、一切こちらに一匹・一体として向かってくることなく、真正面からぶつかっているようだ。
人類種の敵が徒党を組む、などということはなくそれぞれが互いに敵同士であるからこそ、この極限世界の中でも辛うじて人類種の最底辺であるボクサーやミックなどが生き延びれている理由でもあった。
「……よし、あの感じならこっちには気づいてない……多分」
最後の声は消え入るように小さい。
そうであってほしい、との願望が最大限に加味されたつぶやきだった。
なけなしのハンドメイドのジャンクピストルに命を預ける経験などなければない方が良いに決まっている。
「ボクサー、どんな感じ?」
火を消し終わり、ミックが体を寄せてきた。
ぎゅう、と先ほどよりもさらに強く痛いくらいに体を押し付けてきた。
当然のごとく軽い震えがその小さな体から伝わってくる。
「ああ、ミュータントとイカれ機械どもが潰しあいになってるな。あの分だと機械どもが勝つんじゃねぇかな。ラッキーっちゃラッキーだ」
情勢は暴走機械群が優勢に見える。
ラッキーといったのは機械どもはあくまで暴走し、その索敵範囲に対象がいるなら襲うが、それから離れれば追跡を止めるからだ。
こちらを明確に食料とみなしてどこまでも追いかけてくるミュータントが残るよりはマシといえばマシなわけだ。
「……雨が上がって地面が乾いたら、全力で逃げるぞ」
「うん」
先ほどのどうするか、という相談など吹っ飛んだ。
この状況ならば逃げるの一択。
死んでしまったらおしまいなのだ。
「……く、あぁぁ」
小さなうめき声が聞こえた。
「ひぅっ……!!」
「ッ!!」
悲鳴を上げかけたミックの口をボクサーがとっさに覆う。
ボクサーは上げかけた声を唇を咬み、辛うじて飲み込んだ。
近くに、何かが、来ているッ!
(……なんだ、なんだ、なんだ!? 向こうの騒ぎに行けよ、クソッ!)
じゃりっ………じゃりっ……じゃりっ。
明らかに何かが地面を歩いている音が聞こえる。
金属音はしない。
となると、考えられるのはミュータントか。
「……ううっ……」
ミックの口を押えていた手がぽたり、と濡れる。
ミックの目からあふれ出た涙が手を濡らしたのだ。
それを感じてボクサーは覚悟を決める。
ゆっくりとミックの口から手を放し、ミックを部屋の奥に押し出す。
とと、と足をもたれさせたミックはリュックを握り、隅へとかくれた。
(やれる、やれる、やれるっての!!)
懐のジャンク銃を取り出し、両手でしっかりと銃を握る。
じゃり、じゃり、じゃりっ!
足音は廃屋のそば、すぐそこまで来ている。
もう猶予はなかった。
「う、わぁぁぁっ!!」
入口の陰から飛び出し、近づいてきたナニモノかに銃口を向ける。
そして、その銃口の先にいたのは。
「……ぁあ、こ、子供っ……?」
「へ、へぇっ!?」
ところどころが破れ、だがこの辺りでは見たことのない綺麗な縫製の服と、しっかりとしたブーツを身に着けた中年の男。
ぱっと見ではボクサーたちと同じ旧人類だろう。
けがをしているのか服のあちこちから血がにじんでいる。
あともう一つだけ言うならば、剣を持っていた。
ボクサーが生まれてこのかた、見たこともないような美しい拵えと刀身を持つそれを杖替わりにして。
「……く、がっ……」
ばしゃんっ!!
「え、ちょ、ちょっとっ!!」
その男が急に気を失い、目の前で崩れ落ちた。
そして毒の染み出た屋外で、うつぶせにぶっ倒れたのである。
見る見るうちにその綺麗な(破れていてはいたが)服に、その毒水が染み込んでいく。
けがをして裂けた部分からそれが染み込んでしまえば、その部分の皮膚、そしてその下のケガをした部分にまで浸透してしまうだろう。
「ど、どうするの、ボクサー」
奥から出て来たミックがボクサーに尋ねる。
「……と、とりあえず中に運べ! 外にいたらミュータントがよってくるかもだし!!」
「そ、そうだよね!!」
そう、これはもうどうしようもない。
ボクサーは選択肢がなくなったことで、ミックと共にこの得体のしれない中年の男を助けることになった。
彼はそうしてボクサーたち街区のスラムキッズによって助けられたることになる。
そして彼は「数えて四代目の」ブルのおっちゃんとなった。
それが一週間前の話である。
まあ、昔に書いたものを参考にちょっと書いてみた。
ちょいとリハビリがてらに。
続きはできてないのですけどね。