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往復切符の自由旅行

作者: 初来日

 読んでくださるとうれしいです。

 「ノンオブユアビジネス」というのは「余計なお世話だ」という意味であり、つまりは「あなたが考える必要はない」ということである。では、どこまでが「ユアビジネス」、つまり「考えなければいけないこと」なのだろう。

 例えば、今日大学からの帰路で買い物袋を落としてしまった女性がいたが、すぐに私が拾ってあげたほうがよかったのか、また、私がコンビニのバイトを退勤する際、上司とお客様が話をしていたようだが、それでも一言「お先に失礼します」と言ったほうがよかったのだろうか・・・。

 日本の通常国会は年に一回らしいから、このような今更考えてもどうしようもないことを考える私の脳内会議は実にその三百六十五倍の頻度である。ただ、百日以上も続く通常国会と違って、私の一回の脳内会議は寝る前の約一時間で終わってしまう。そして、終わりの合図は私が眠りに落ちた時である。

 朝目覚めた時の気分は最悪だった。原因は悪夢を見たからである。大学に入ってからしばらくしてから、かなりの頻度で目覚めの気分は最悪であり、その原因はかなりの頻度で悪夢を見るからである。悪夢の内容は決まって私が大学に入学する前、実家で暮らしていた時の様子である。私の両親の仲はお世辞にもいいとは言えず、私と妹はいつもその鬱屈とした空気の中で過ごしていたのである。一人暮らしが始まって、ようやくその空気から逃げ出せると思っていたら、今度は私の夢の中にその空気が漏れてしまったようである。「バクでも飼おうかしら。」などと面白くもない冗談を言って陰鬱な気分を飛ばそうとしても、ただその一言が静かに部屋に響くだけなのである。

 こんな悪夢を見た日は、もうその日一日中ベッドの上でだらしなく過ごす権利をもらわないと割に合わないが、実際のところはそうもいかない。今日は午前から対面授業があるのだ。

 私の住むアパートから大学までは徒歩ですぐ着くことができる。どれくらいすぐかというと、ちょうどカップラーメンが四つ作れるか作れないかくらいである。ただし、四つのカップラーメンを一気に作ってしまった場合は、作り終えてから大いに時間が余ることになる。そんな短時間に、私の本日の脳内会議の事案となってしまいそうなことが起きてしまった。

 それは、私が横断歩道に差し掛かった時のことだ。ちょうど車がこちらに来ていたので、私は横断歩道の前で立ち止まった。しかし、親切にも車の運転手は横断歩道の前で停止し、私に譲ってくれた。私はその親切を素直に受ければよかったのだ。しかし、その時の私はそれがかえって申し訳ないように感じ、結局わざわざ止まってくれた運転手に、手で「お先にどうぞ。」の合図をしてしまったのだ。私は運転手の親切を無下にしてしまったのではないだろうか。

 そのことを議題に臨時脳内会議を開催していたが、その会議は教室に着いて友達に話しかけられることで中断された。友達が言うには、来月あたりに開催される、ある漫画の展覧会に行かないか、ということであるようだ。正直なところ、私はその漫画は一通り読んだ程度で、展覧会に行きたいと思うほど熱烈なファンではない。しかし、私はその誘いに半ば無意識的に首を縦に振った。彼は私が大学に入ってからできた貴重な友達であり、彼からのマイナス評価をなるべく避けたいのだ。このように私は、彼に対して素直に接することができず、いつも申し訳なくなってしまう。この申し訳なさが彼に伝わることは避けなくてはならない。そう思って私はぎこちなく笑うのだ。きっととても不細工な顔をしていることだろう。

 授業が終わると、私はそのまま一人家路につく。展覧会に誘ってくれた彼は、今日の授業のペアワークをした人と早速仲が良くなったようで、何やら談笑している。私はその輪に入ることは到底できず、彼の視界に入らないように努めて教室を出たのだ。私は彼がいないと一人で帰ることになるが、彼は私がいなくても自分の足音だけを聞いて帰ることはないだろう。そう勝手に嫉妬して勝手に落ち込んでいるのだ。もし負の感情のエネルギーで発電ができるのなら、私は世界の救世主になっていることだろう。自家発電ができるのだから。

 そんな、私が世の人々の役に立つという滅多にはありえない妄想をしていると、いつの間にか家に着いていた。

 この後は、コンビニにバイトに行かなければならない。前に調べたところによると、私は世の大学生よりかなり多い時間をバイトに費やしている。しかし、贅沢ができるというわけではなく、自前のパスタにソーセージを三本乗せようか、二本で我慢しようか悩む日々を送っている。私の実家は複雑な事情を抱えており、できる限り私が発生源の負担は軽減する必要があるだけだ。そんな、お金のことを考えてしまうと、友達と行く漫画の展覧会が頭によぎる。友達と遊ぶ予定を楽しみに思うよりもその費用の心配をしてしまう私の卑しさに、どうしようもなく落ち込んでしまった。

 私よりバイトに費やす時間が短い世の大半の大学生は、どうして私よりもおしゃれな服をたくさん来て、たくさんお出かけをして、煌びやかな学生生活を送っているのだろうか。考えてもどうしようもないことを漠然と考えながら見ていた動画サイトの広告では、家族が何やら和気あいあいとしており、その様子を見た私はまた漠然と落ち込んでしまうのだ。

 私がどれだけ落ち込んでいても、コンビニに来るお客様はそのことを知らないのであり、私は元気よく対応する必要がある。この気持ちの浮き沈みは、お風呂の底でキャップの締まった空の二リットルペットボトルから急に手を離したときのようであり、精神衛生上あまり健康的なことではないだろう。

 コンビニには、可哀想なお客様がたくさんいらっしゃる。こちらの質問を終始無視する不愛想なお客様、人と交流する最低限の声量を持ち合わせていないのに聞き返すとおキレになるお客様は、ここが葬式会場だと思ってそんなに声を押し殺していらっしゃるのだろうか。店内BGMはお経ではなく、流行りのJ-POPである。お客様自身も可哀想であり、そのお客様の部下として働かなければならない人、そのお客様の子供として生活しなければならない人も可哀想である。そして、こうしてお客様を見下している私も可哀想な人間である。

 今日は退勤する際、上司とお客様が話しているということはなかったので、悩むことなく「お先に失礼します。」と言うことができた。

 このまま家に帰り、そして何やらして寝たらまた今日のような明日が来てしまうのだ。

そうしてぼんやり考えながら歩いていると、視界の端で何かが動くのが見えた。猫だ。猫は、そのまま細い道の先へと消えてしまった。私の帰路とは違う。その道は、今まで通ったことがなかった。大学に入って二年程経つが、大学、バイト先、スーパーマーケットといった決まった場所以外ほとんど訪れていないのだ。そこで、不意に悪魔のささやきのように、脳内にある考えがよぎった。

「このままこっちに行ってみたらどうなるだろう。」。

 考えてから実行するまで躊躇の間があったからか、その道を進んでいってももう猫はいなかった。しかし、そのまま進み続けた。初めは恐る恐ると、そしてだんだん歩調が速くなり、しまいに全力で走っていた。通ったことがない道をめちゃくちゃに進む。ひとつ前の角をどう曲がったかなんてもう覚えていない。帰りのことなんて考えていない。きっと私は逃げ出したいのだ。考えることが多すぎて、肺と心臓が押し潰されてしまいそうな私の世界から逃げ出したいのだ。別に、夢を見たいなどという歯の浮くようなことは言わない。悪夢ならかなりの頻度で見ている。夢を見たいのではなく、ただ現実を忘れたいのだ。

「こんなところに公園があったんだ。」

 誰に言うでもなく、無意識的にそう呟いた。そして、その声がかすれていたので、喉がとても渇いていたことに気づいた。全力疾走していたのだから無理もない。どこかに自動販売機はないか。地元と違って都会なので、探せば近くにあるだろうと思っていたら、案の定であった。私は、暗がりの中、スマホの明かりを頼りに財布を覗き込んだ。ちょうど二千円。あの、友達と行く漫画の展覧会のチケット代である。バイト終わりにコンビニで払おうと思って、バイトに行く前に調べて道中ATMで下ろしてきたものだ。払い忘れていたことに、今気づいた。しかし、私はその千円札を一寸の躊躇もなく自動販売機に突っ込んだ。

 自動販売機から公園に戻るまでに、五百ミリリットルあった清涼飲料水は空っぽになってしまった。ゴミ箱もなく、空のペットボトルを抱えたままブランコにゆっくりと揺られる。公園の周りは道路で囲まれており、車のエンジン音が盛んに響いていた。今夜は曇りのようで、月明かりもなく、公園の隅にある街頭だけでは私のところにほとんど光は届かない。それでも私は、この上なく幸福であった。曇り空と車の騒音が、今夜の私の愚行を隠してくれている気がした。見えないお月様は、今夜のことは目をつぶってくれている気がした。呼吸をすることが気持ちいい。心臓は、さっきまで全力疾走していたのを忘れたかのように穏やかに動いている。きっと明日は、いつもと変わらない、脳がパンクしそうで、心臓と肺が締め付けられるような私の明日になってしまうのだろう。そうだとしても、今夜は、今夜だけは、脳を空っぽにしてこの暗がりと騒音の中でブランコに揺られていてもいいのではないだろうか。


 読んでくださりありがとうございます。どんな内容でも、感想をくださるとうれしいです。

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