第六十五話 限界
轟音に目が覚めた。
体が重く、何とか両手を地に着き体を起き上がらせる。痛みはあるものの、傷自体はキルゲルの力で塞がっていた。
「キルゲル……」
(大丈夫か?)
「ああ……それより……何が起こった?」
呼吸を整えながら問う。今現在、何が起こっているのかを。
目の前には燃え盛る炎と大量の土煙だけが舞っている。右手で額を軽く押さえ小さく息を吐く。
(愛、円、武明の三人がここに到着し、雷轟鬼とやりあった)
「雷轟鬼と! そ、それじゃあ、あの土煙は――」
何を行ったのかはわからないが、抉られたグランド。その先に見える燃え盛る炎の中に浮かぶ一つの影。雷轟鬼だ。全くの無傷。どんな攻撃を食らったのかは分からないが、あの五大鬼獣を圧倒する化け物だ。そう易々と傷はつかないだろう。
その時、雷轟鬼の口元が緩んだのが視線に入った。背筋がゾッとし、何か嫌な予感が脳裏を過る。
「紅蓮は炎……否。紅蓮は血――鮮血なり」
燃え盛る炎の中心でそう呟く雷轟鬼の視線の先に円さんの姿が見えた。完全に雷轟鬼の殺気に呑まれている様だった。
(晃! あの娘――)
「分かってる!」
キルゲルの声に怒鳴り、重い体を無理矢理に動かす。地を駆ける。鉛のついた様に重い足で。
「雷轟鬼。終わらせろ」
「承知」
久遠の言葉に雷轟鬼がそう返答し、炎の中から姿を消す。何度も転びそうになりながら、必死に駆ける。その視線の先で雷轟鬼が姿を見せる。円さんの目の前へと。
「なっ!」
突然出現した雷轟鬼に驚く円。
「円!」
危険を察知し、叫ぶ武明。時が止まった様な感覚が体を襲う。キルゲルの声が脳内で響く。
(諦めるな! 集中しろ。風を!)
キルゲルの言葉に駆けながら風をイメージする。自分は風になるんだと、そう自分に言い聞かせる。その瞬間、体は軽くなった。重かった足が――、痛みのあった体が――自然と前へと出る。踏み込む足に力が入り、蹴りだす足はいつも以上に強く大地を蹴った。
雷轟鬼の唇が動くのが見えた。何か言葉をつむいでいる様だが、耳に届くのは風の音だけ。その為、何を言ってるのかは分からない。ただ、大よその検討はつき、更に地を蹴る足に力を込め叫ぶ。
「円!」
そして、僕は円の前へと身を投げ出す。その刹那――ドスッと鈍い音が耳に届き、口から血が噴出す。衝撃が胸から背中へと突き抜け、体はゆっくりと崩れ落ちる。目の前に映る雷轟鬼の姿が霞み揺らぐ。その唇が動いているのは分かるが、声が届かない。
呼吸が出来ず、自然と左手は胸を押さえていた。溢れる血が手を真っ赤に染める。そんな折背中に円の手が触れたのを感じ、ゆっくりと顔を横へ向けた。
「グッ……。だいじょ――ぐふっ……」
心配そうな顔をする円を安心させようと言葉を紡ごうとしたが、体がそれを拒絶する様に血を口から吐く。それでも、何とか膝に力を込め立ち上がり、右手に握るキルゲルに力を込める。
右腕に絡まった触手が活発に動き出す。その動き出しに雷轟鬼はその場を飛び退き距離を取った。直感的に何かを感じ取ったのだろう。
そんな雷轟鬼に、口から血を流しながら笑みを見せた。今出来る最大限の強がりを見せ、膝の震えを隠しながら右足を前へと出す。
『晃、一撃だ。あと一撃が限界だ』
キルゲルが皆に聞こえる様にそう告げた。その言葉に僕は小さく頷く。
「分かって……る。これで……決着を、着ける」
そう呟き、雷轟鬼の後ろに見える久遠を睨んだ。決着……それは、雷轟鬼とのではなく、ここで起きている戦いの。すなわち、キルゲルを元の場所へと戻すと言う事だった。
奥歯を噛み締め、深く息を吐く。意識を刃へと集中させ、体に走る痛みを遮断する。その一方で、その他の神経を研ぎ澄まし、ゆっくりと瞼を開く。鮮明に映る目の前の光景に静かに告げる。
「行くぞ」
と。その声にキルゲルは言葉を返す。
『ああ。これで終わりだ』
と、静かに。
キルゲルも分かっている。これが最後なのだと。だから、それ以上は何も言わない。
腰を落とし膝を曲げる。その行動に雷轟鬼が身構えた。
「汝の強さ、見極める」
当然と言わんばかりの発言に対し、視線を久遠に向けたまま宣言する。
「残念だが、お前の相手をするつもりは――無い!」
と、同時に地を蹴る。塞ぎつつある胸の傷から血が僅かに散った。それでも、足を止めず真っ直ぐに駆ける。雷轟鬼の姿が視界から消えた。背後から来る気なのだろうと今までの経験から予測し、更に地を蹴る足に力を込め加速する。
刹那、背後に感じる刺す様なプレッシャー。雷轟鬼が来たのだとすぐに分かる。だが、足は止めない。目指すのは久遠なのだから。
(キルゲル……)
(どうした? 急に?)
(ありがとう……今まで……)
心の中でそう呟き、更に加速する。後方で雷轟鬼の拳が地面を叩く音が聞こえた。砕け散った石粒が後ろから飛んでくるのが視線に入った。
(晃。すまん……)
(謝るなよ。キルゲルらしくない。それに……僕が今こうして生きて来られたのは……お前のおかげじゃないか)
左足を地に着くと同時に体を反転させた。これは、キルゲルが行った行動だった。意識が半分薄れ、気付くと右足が背後から迫っていた雷轟鬼の顔を蹴り飛ばしていた。そして、すぐに体を久遠の方へと向け直す。
呼吸が苦しくて、足を何度も止めたいと思う。早く横になって寝たいとも思う。もうこの苦しさから解放されたい。と、思いながら地を駆ける。視線の先で久遠が左手をコッチへと向けた。何かを口ずさんでいるが、もう聞こえるのは自分の呼吸音だけ。それでも、久遠の唇の動きやその不適に浮かべた笑みから、どんな事を口にしたのか理解し、乾いた唇を開く。
「人は常に成長する」
前へと出された久遠の腕を体勢を低くしかわし、懐へと入った。更に一歩踏み込み、刃を皆川さんを抱える右腕の付け根。いわゆる脇へと刃を滑らせる様に入れ、一気に切り上げた。刃は骨と骨の合間を抜ける様に腕を肩から切断し、その腕を弾き飛ばした。
支えを失い落ちる皆川さんの体を左腕に抱え、視線を僅かに上げる。久遠と一瞬だが目が合う。表情は変わらず、その目もやけに落ち着いて見えた。腕を切られても声を上げる事なく無言。それが不気味で恐ろしく感じ、すぐさまその場を飛び退き距離を取った。
久遠から距離を取りすぐに皆川さんを地面へと下ろす。外傷は無く意識を失っているだけで安心した。左手で胸を押さえ、大きく肩を揺らす。
「はぁ…はぁ……再生…速度が……落ちてる……」
まだ塞がり切らない胸の傷にそう呟くと、キルゲルの掠れた声が耳へと届く。
『もう限界みたいだな』
キルゲルの言った限界と言う言葉がキルゲル自身の事を指しているのか、それとも僕の肉体の事を指しているのかは定かではなかったが、「ああ」と小さく返答し頷いた。
視界が霞み揺らぐ。そこで理解する。キルゲルが限界だと言ったのは、きっと僕の肉体の事なのだと。
腕の力を抜き、ゆっくりと肩を落とす。静かに口から息を吐き黒い障壁が覆う空を見上げた。