第六十一話 雷轟鬼
漆黒のローブに身を包んだ二人に制止され、キルゲルの柄をただ強く握り締める。
目の前に居る久遠の姿をジッと見据え、奥歯を噛み締めていた。
久遠が不適な笑みを浮かべると右腕を高らかにかざす。その行為とほぼ同時に、狼電の声がこだまする。
「水嬌!」
その声にやや遅れ、
「貴方に言われなくても分かってます」
と、水嬌の声が響き、水の膜が前方に広がった。久遠のかざした右手から放たれる一筋の光り。それが、僕を狙っているのだと、この時初めて気付く。そして、五大鬼獣である水嬌と、あの狼電と呼ばれた鬼獣はそれに気付き、僕を守ろうとしていた事にも。
だが、その光景を目の当たりにし、久遠は小バカにする様に笑うと、ふてぶてしく言い放つ。
「光の前で、水の壁など無意味だ」
「それは……どうかしら?」
そのふてぶてしい久遠に対し、水嬌の甘く囁く様な静かな声がそう告げると、久遠が何かの異変に気付いたのか、急に表情をこわばらせる。
刹那――広がっていた水の膜が気泡を大量に放ち、やがて弾ける。僅かな破裂音を残して。
そして、その弾けた水は、一体の鬼獣の体に触れ瞬時に蒸発し、その一帯を濃霧で包み込んだ。火猿だ。先程まで呻き声をあげていた火猿の上に、あの水の膜が作られていた。恐らく、水嬌は予測していたのだ。この状況で、火猿が起き上がり、更に自らの肉体の火力を増す事を。
それを考慮し行った行動により、一帯を霧が包み、その霧の作用により久遠の放った光りは分散される形になった。
「ウオオオオッ! 殺す! 貴様は!」
霧の中で聞こえる火猿の叫び声。青白い光が薄らと霧の向こうに見え、それが火猿なのだと理解する。
「クッ! 邪魔だ!」
久遠の声が聞こえた。遅れて、霧の向こうで今度は赤い光が見える。何が起こっているのか全くわからないが、それに遅れて何かの遠吠えが響き渡った。
その場に立ち尽くす。と、言うよりもこの状況ではどうする事も出来ず、ただ待つ。自分が今すべき事を考えながら、力を蓄えつつ。
濃霧の向こうで久遠と火猿が怒鳴りあう声が僅かに聞こえ、突如として衝撃が起き霧を吹き飛ばす。霧が晴れたその先には、蒼い炎に身を包む火猿と赤い巨体を揺らす一体の龍の姿があった。
大口をあげる龍。その口を両手で掴む火猿。明らかに火猿の方が押され、地面には火猿の足跡が二本の線を描き伸びていた。強靭な肉体の火猿があんなにも押されている姿を見て分かる。あの龍の力の強さが。
その二体の攻防に目を奪われていると、突如翡翠色の輝きが僅かに辺りを照らした。
「暴れまわれ。嵐蝶」
久遠の呟く声が僅かに耳に届いた。すぐに視線を久遠へと向けると、彼の周囲に無数の蝶が舞っていた。その羽は美しく翡翠色の輝きを放ち、同じく翡翠色の鱗紛を撒き散らし、一直線に風童の方へと向かっていく。
この光景から、彼、久遠の目的が大よそ理解できた。この場に居る五大鬼獣の足止め。この場で一番厄介な相手が五大鬼獣だと、久遠自身分かっているのだろう。
嵐蝶に囲まれた風童が何か叫んでいるが、嵐蝶の起こす暴風で僕には聞き取れない。ただ、風童の体に切り傷が刻まれている事から、明らかに押されている事は目に見えた。
そして、突如爆発は起こる。風童が何かをしたのか、それとも嵐蝶が何かをしたのかは不明だが、その衝撃で校舎の窓ガラスが砕け、校舎に僅かな亀裂が生じる。だが、生徒達の悲鳴は聞こえない。ここに来た当初は、大分騒がしかったはずなのに。
「生徒はいないのか?」
だから、尋ねた。ローブを着た二人に。二人内、片手に弓を持った方が険しい口調で答える。
「残念ながら、生徒を逃がしている時間はありませんでした。ですので、今はただ眠らせているだけです」
「そう……」
そう呟く。大方予測はついていた。あの状況下で生徒達を非難させる事など不可能だろう。それに、今、一番安全な場所は間違いなく校舎の中だ。
僅かに一歩下がり、静かに息を吐く。怒りを静める様にゆっくりと深呼吸を繰り返し、三度目の息を吐き終えた後、キルゲルへと目を向ける。覚悟は決まった。やるべき事を遂行する。その為に、キルゲルの柄を力強く握り、静かに告げる。誰にも聞こえない程、誰にも気付かれない様に。
「キルゲル……。僕は願う。この状況を打破する為の力を。目の前に立ちはだかる全ての壁を切り裂く力を……」
『ああ。強く願え。貴様の守りたいモノを。貴様が守らなければならない人達を。想い懇願しろ! 力が欲しいと!』
キルゲルの言葉が胸へと突き刺さる。目を閉じ願う。立ちはだかるモノを切り裂く力を。全てを守る為の力を。願い。想う。また、皆の下へと帰る事が出来る様にと。
強い意志を受け、具現化されたキルゲルが形を変える。柄から無数の触手が飛び出し、それは右腕を侵食する。激痛が腕を襲う。力を得る代わりに奪われる血肉。体の血がゆっくりとキルゲルへと流れ込んでいくのが分かる。いや、正確には、キルゲルが与えてくれていた力が、元の場所へと戻ろうとしているのかもしれない。
触手は脈打ち右腕を蝕む。やがて、その刃は形状を変え始める。
その異変に久遠はいち早く気付き、視線が交錯すると口元に笑みを浮かべ、その右手のリングに触れた。
「来たれ。雷轟鬼」
久遠が呟くと雷鳴が空を裂いた。轟音の後の静寂。何かが落ちた様に地面は砕け、僅かに黒焦げた後がそこには残っていた。黒煙が僅かに漂う中に、それは存在していた。真紅の強靭な肉体。額から突き出る一本の角。それは、まるで鬼。いや、鬼そのものだろう。
体がゆっくりと動き出し、蒼い瞳が周囲を見回す様にゆっくりと動く。今までの比ではないほどの威圧感にただ息を呑む。
緊張高まるその中で、ソイツは不適に笑う。鋭利な牙を口元から覗かせながら。
真紅の体から僅かに放出される電撃。雷の属性の鬼獣なのだろう。禍々しくとても不快な印象を感じた。それは、キルゲルも同じだった。
(何だ、アレは……あんな禍々しい鬼獣、初めて見る)
その言葉にツバを呑むと、雷轟鬼と呼ばれたその鬼獣が静かに口を開く。
「我、降臨したるは雷火の如し、咆哮は雷鳴の如し、その動きは――」
言葉が一瞬途切れ、視界から雷轟鬼の姿が消える。土煙だけを残して。それは瞬きした次の瞬間の出来事だった。その場の誰もがその動きを追う事が出来ず、次の瞬間に気付く。雷轟鬼の――
「閃光の如し」
と、言う言葉によって。
その声の方へと視線を向ける。丁度、狼電と水嬌、二人の間に雷轟鬼は立っていた。右足で守を踏み付け、左手には皆川さんを抱え。驚きその場を飛び退く狼電と水嬌。声がするまであの二人が気付かなかった事に、僕は驚いた。
今、雷轟鬼と対峙していた中で狼電と水嬌の二人がずば抜けて能力が高い。その二人が気付かない程のスピード。間違いなくあの鬼獣は強い。そう感じた。
「キルゲル……」
(ここは耐えろ。今は、力を集中しろ)
「分かってるけど……あんな化け物相手に……」
(敵対する我がこんな事を言うのも変かもしれんが、五大鬼獣を信じろ。奴らは強い。間違いなく現在存在する鬼獣の中で一番……)
キルゲルの言葉に頷く。そして、狼電と雷轟鬼の戦いが目の前で激しい咆哮と共に幕を開ける。




