第五十六話 久遠達樹
空に浮かぶ久遠。
浮かべるのは不適な笑み。
背中から生えた翼は静かに羽ばたき、僅かに風を巻き起こす。
土煙が漂い、髪が揺れる。
お互いの視線が重なり、暫しの時が過ぎた。
キルゲルを構え、息を呑みゆっくりと右足を前に出す。心臓の鼓動が激しく聞こえ、自分の緊張状態が鮮明に分かった。
その緊張がキルゲルにも伝わったのか、頭の中に声が響く。
(落ち着け。お前には我がついてる)
「分かってる……」
小さく呟き、息を呑む。
視線を久遠に向けたまま軽く深呼吸をし、自らを落ち着け体重を右足へと乗せる。空中に浮く久遠に届く攻撃はコレしかなかった。
風がキルゲルに集まり、足元から暴風が渦巻く。髪が逆立ち、服の裾がはためく。柄を握り締めた手はその暴風で小刻みに震える。
(狙いを定めろ!)
「ああ」
キルゲルの声に答え、確りを久遠を見据える。暴風で暴れる剣を腕に力を込め押さえつける。
(チャンスは一度。よく狙え)
「ああっ!」
奥歯を噛み締め返答する。奥歯が僅かに軋む。吹き荒れる暴風が土煙を巻き上げ、徐々にその視界は悪くなっていく。
「まだか……」
(次だ。次、奴の翼が広がった時。そこを狙え!)
「ああ!」
久遠の背中の翼が風を掻いた後、大きく広がる。その瞬間、その翼に向かって一気に刃を振り抜いた。放たれた風は鋭い刃と化し、荒々しい風の所為か、僅かにブレながらも久遠の翼へと高速で襲い掛かる。だが、それは無情にも空の彼方へと消えていった。
「くっ!」
「甘いよ。流石に、俺もこの高さから落ちればヤバイかもしれないけど……そんなヘマはしない」
不適に笑う久遠。
刃が翼に当たる直前、久遠は一度その具現化を解き、僅かに落下しながらもう一度翼を具現化した。空へと羽ばたく久遠を見据える。その顔には余裕の表れか、笑みが浮かんでいた。
「ふぅ……仕方ないね。これじゃあ、不公平だからな」
突然そう呟くと、久遠は地上へと降り、その翼を消す。何を考えているのか分からず、その行動を見据える。
「ほら、早くしろよ。力の差を見せ付けてやるから」
「――ッ!」
軽い挑発だった。だが、その瞬間、僕は走り出していた。キルゲルの意思がそうさせたのか、それとも僕本来の意識がそうさせたのか定かではない。ただ、気付いた時には久遠に対しその刃を振りぬいていた。
空を斬る刃。切っ先が僅かに久遠の金色の髪を掠める。ハラハラと目の前を舞う金色の毛。その向こうに不適な笑みを浮かべる久遠の顔が見え、下唇を噛み締め更に一歩踏み込む。
『おいっ! 落ち着け!』
キルゲルがそう叫んだ気がする。だが、耳に届かない。足を踏み込むと同時に振り抜いた刃を引き、一気に突き出す。久遠の喉元に向けて。
その切っ先が久遠の首元へ届く刹那、下からキルゲルを膝で蹴り上げられ、切っ先は大きく上へと逸れる。
「くっ!」
「動きが雑だよ」
前のめりになるが、そのままの勢いで身体を反転させ後ろ回し蹴りを放つ。不意を突いた蹴りだったが、それすら空を切る。大きく首を後ろへと逸らした久遠の目の前を足が通過し、視線が僅かに重なった。
振り抜いた足を地に着くと同時に流れる様にキルゲルを横一線に振り抜く。風が吹き抜け、久遠の身体を僅かに後方へと弾く。地面に刻まれた一本の筋。そして、土煙がその筋を中心に二つに裂ける。僅かに裂けた久遠の右頬から赤い血が滲む。
「シンクロ率が上がってるのか? それとも……」
ぶつぶつと言う久遠に対し、更に間合いを詰める様に地を蹴る。
「チッ! うっとうしい!」
久遠がそう声を上げ、右手をコッチにかざす。刹那、眩い光が視界を包み、身体を凄まじい衝撃が襲う。衝撃を受けたその瞬間、呼吸が止まる。呼吸が出来ぬまま身体が地面を二度跳ね、ようやく肺へと酸素が流れた。
「かはっ! げほっ……」
土煙を巻き上げながら地面を転げ、仰向けに倒れたまま咳き込んだ。僅かにもうろうとする意識の中、キルゲルの声が僅かに耳に届く。
『大丈夫か?』
「あ、ああ……」
僅かに震えた声で答える。
口の中はカラカラだった。極度の緊張の最中、全力で地を駆け剣を振るった。今まで無我夢中だったから全く気にならなかったが、こうして横たわっているとそれがどうにも気になった。
喉に張り付く様な嫌な感覚に、唾液を搾り出し呑み込む。それでも、すぐに唾液は失われ、喉の乾きは変わらなかった。
「はぁ…はぁ……」
ただ胸を上下に揺らす。
その耳にキルゲルの声が静かに聞こえる。
『身体は動くか?』
「…………」
無言で頷く。その瞬間、視界が一瞬真っ暗になり、身体の自由を奪われる。キルゲルによって。
「あとは任せろ」
(ああっ)
小さく呟くと、キルゲルは立ち上がり久遠の方へと切っ先を向けた。
「我が相手をしてやろう」
「キルゲル。諦めろ。もうすぐ時間切れだよ」
「時間切れ? そんなの関係ねぇ」
キルゲルが右足を踏み込むと、切っ先を久遠の方へと向けたまま前傾姿勢で突っ込む。
「諦めが悪いな」
(キルゲル!)
(ああっ。分かってる)
久遠の右手がかざされ、視界を光が覆うその直前、キルゲルは身を屈め身体をその光へと切っ先を突き出した。
衝撃が刃を襲い、両腕へと襲い掛かり両肩から突き抜ける。その突き抜ける衝撃に上半身が大きく後方に弾かれる。
(くっ!)
「まだだっ!」
キルゲルが奥歯を噛み締め、何とか踏みとどまる。だが、その顔の前に突然現れた。そいつの右手。
「なっ――」
(やばっ――)
「終わりだよ」
久遠の声が耳に僅かに残り、眩い光が視界を包んだ。凄まじい衝撃が身体を襲い、骨が軋む。
何度も地面に身体が弾み、土煙の中で地面にひれ伏す形で蹲っていた。
「あぐっ……」
『くっ……野郎……』
膝を着き何とか身体を起こす。衝撃で身体は戻り、キルゲルの声が剣から聞こえた。
額から溢れる血を拭い、震える膝に左手を添える。
その時、耳に届く久遠の声。
「残念だけど、時間切れだよ」
「くっ!」
かざされたその手の平に集まる眩い光に思わず声を漏らす。
『てめぇ! 考えてる暇はねぇだろ!』
キルゲルの声に奥歯を噛み締め、震える膝に力を込める。
「分かってる。分かってるよ。キルゲル」
立ち上がり力を込める。風が渦巻き、土煙が舞い上がる。けたたましい風音が全ての音を遮り、舞い上がる土煙は視界を遮る。衣服は乱れ、髪が逆立つ。そして、僅かに開いた土煙の合間から久遠と視線がぶつかる。
「あれだけの力の差を見せ付けたのに、まだやるのか?」
「僕は諦めが悪いんでね」
無理に笑みを浮かべそう答えると、手の中でキルゲルも言う。
『我の邪魔をする者は誰であろうと消す』
「口で何と言おうとも、その体ではまともに戦えまい」
久遠が不適に笑う。
久遠の言う通りだ。体はもう節々が痛み、正直戦える状態ではなかった。それでも、奥歯を噛み締め、痛みを堪え、ジッと強い視線を送る。
「君じゃ、俺に勝てない」
静かにそう延べる久遠の右手の光が更に凝縮される。だが、その久遠に対し、キルゲルの言葉が飛んだ。
『それは、貴様の属性が“光”だからか?』
キルゲルの一言に、久遠の表情が僅かに驚きに変わった。




