第五十話 覚悟と想い
朝日が昇るその前に、静かに家を出た。
一枚の書置きを部屋の机に残して。
家を出てすぐ門の前で深々と頭を下げた。もうここには帰って来れないかも知れない。そう思ったからだ。きっと壮絶な戦いになる。命と命を懸けた戦いに。だからこそ、キルゲルも愛や武明達に今日の事を説明したが、強制はしなかった。今日戦いに赴く事を。
もうすぐ夏だと言うのに、やけに冷たい風が吹き抜ける街道を歩む。今日はいつもと違う街道。やけに足が重い。それでも、一歩ずつ足を進めた。
(大丈夫か?)
「ああ。平気だよ」
頭の中に聞こえたキルゲルの声に笑顔で返答する。無理に作った笑みに、キルゲルは『我にまで無理する事は無い』と静かに告げ、その言葉に静かに頷いた。一心同体なのだから、無理する事無いんだと。
暫く歩みを進めていると、前方に人の気配を感じ顔を上げると、見慣れた人物がそこに立っていた。思わず訝しげな表情を見せると、その人物は憮然とした表情を浮かべる。
「ちょっと。人の顔見て、その態度は無いんじゃない?」
「いや。加奈こそ、こんな時間に何してるんだよ? まだ明け方だぞ? 学校に行くには早くないか?」
そう言うと、加奈は腕を組み視線をそらす。
「それなら晃だってそうでしょ? こんな時間に何処行くつもり? しかも、学校とは別方向だけど?」
昨日の違和感のある態度に、加奈も薄々感じていたんだと思う。こうなる事を。だから、こうしてわざわざ待ち伏せていたのだろう。流石は幼馴染と感心する。
真っ直ぐな眼差しがこちらを見据え、小さく吐息が吐き出された。
「何かあるんだよね? だから、昨日……」
「まぁ、そんな所かな」
隠さず正直にそう答える。もう長い付き合いだから分かる。隠してもすぐバレると。だから、正直に答える事を選んだ。その答えに加奈も「そう……なんだ」と静かに呟き、すぐに笑顔をこちらに向けた。その笑顔が何処か悲しげに見えたのは、多分気のせいだろう。
暫く向かい合ったまま話をした。他愛も無い話だが、気持ちは少しだけ楽になった。そして、思う。またここに戻ってくるんだと。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
キリの良い所で話を切りそう告げると、加奈は俯く。重々しい間が空き、加奈が笑顔で顔を上げる。
「待ってるから! 絶対帰ってきなさいよね!」
「ああ。必ず帰ってくるよ。約束する」
「うん」
ニコッと満面の笑みを浮かべた加奈が頷く。果たせるかどうか分からない約束。それでもそう約束を交わした。帰ってくる場所がある。そう思いたかったからだ。
静かにそう約束を交わし加奈と別れる。程なくして振り返る。だが、もうそこに加奈の姿は無かった。小さく息を吐きまた足を進めると、その先で翼の羽ばたきと突風を巻き上げ愛が降り立った。
「いやいや。中々良い感じだったんじゃない?」
などと、軽口を叩く愛にジト目を向ける。
「いつから見てたんだ? て、言うか恥ずかしくないのか? ミニスカートなのに空飛んで」
「うっさい! 別に良いじゃない! 早朝なんだから!」
顔を真っ赤にして怒鳴る愛に、思わず失笑した。そんなに恥ずかしいならわざわざ飛ばなくてもいいのに、と心の中で呟くと、『全くだな』とキルゲルが静かに答えた。
「それより、彼女はなんだったのよ? こんな早朝に密会?」
愛は照れ隠しをする様に、腕を組み背を向けそう言うと、チラッと横目でこちらを見た。
「まぁ、そんな所かな?」
「えっ!」
驚いた様子でこちらに振り返った愛に、訝しげな表情を向けるとすぐにそっぽを向かれた。意味不明な愛の行動に首を傾げ、更に言葉を続ける。
「昨日の様子に違和感を感じて、待ち伏せしてたって所だよ」
「な、何だ。そんな事……紛らわしい言い方はやめてよね」
「はぁ? 何がだよ?」
「それより、行くんでしょ!」
呆れ顔を向けると、愛は早口でそう述べ歩き出す。僕もその背中を追い歩き出した。暫しの間沈黙が続く。お互いに何を話して良いか分からずにいたのかも知れない。あまりの静けさに、頭の中でキルゲルが呟く。
(何か話したらどうだ?)
「いや、話す事無いから……」
「えっ? 何?」
思わず口ずさんだ言葉に、前方を歩く愛が振り返る。そんな愛に「なんでもないよ」と苦笑すると、「変な奴」とジト目を向けられた。
小さく吐息を漏らし、両肩を落とすとすぐに頭の中でキルゲルに文句を言う。
(いきなり声掛けるなよ)
(貴様が勝手に口に出したんだろ。我が知るか)
(ったく……)
目を細め眉間にシワを寄せもう一度小さく息を吐くと、その吐息に気付いたのかジト目を愛が向ける。
「何? 私と一緒だとそんなに憂鬱なの?」
「えっ? いや、別に、そんな事は……」
思わぬ愛の言葉に焦りそう返すが、愛の額に浮かんだ青筋は収まらず、口元が僅かに震える。
「そうよねぇー。吉井さんとは仲良く話す事があるのに、私とは一切無いわけだもんねぇー」
「はぁ? ちょ、ちょっと待て! 加奈は関係無いだろ?」
「はいはい。どうせ、私と吉井さんは全く関係無いですよー」
全く持ってわけの分からない事を言う愛に呆れていると、キルゲルはのんきに『大変そうだな』などと、頭の中で呟き欠伸をする。キルゲルの態度に呆れ顔をすると、丁度愛と目があった。
「何よ! その顔! そんなに私といるのが面倒くさいのかよ!」
「い、いや、ちょ、ちょっと――」
言い終える前に愛の背中にセイラが具現化される。相変わらず美しい白翼が大きく空を掻くと、突風が吹き荒れる。上半身が僅かに仰け反り、思わずこけそうになるが、それを何とか堪え空へと浮き上がる愛を見据えた。
「ま、愛? ど、何処に――」
「うっさい! 私は先に行く! あんたは一人で走って来ればいいじゃない!」
「えっ! お、おい! ちょ――」
「セイラ!」
『ふふっ。はいはい。それじゃあまたね』
セイラは意味深に含み笑いをすると、静かにそう述べて一層羽ばたきを強くし一気に空へと舞い上がった。空の向こうへと遠ざかっていく愛の背中を見据えたまま、ただ呆然とし小さく吐息を漏らすと、『大変だな』と、相変わらず他人事の様にキルゲルは呟いた。




