第四話 声
ようやく学校が終わった。
この気だるさと疲労感はなんだろう。一日で大分老け込んだ気がするのは、気のせいだろうか。いや、気のせいだ、と自らに言い聞かせ、校門を後にする。
結局、放課後までわけの分からないストーカー行為を受けた上に、水守先生にはわけの分からない事で泣き付かれ、吉井からは何故か「最低」の一言を吐き捨てられた。一体、何をしたって言うんだ。
厄日とも言える最悪の一日に、大きなため息が自然と漏れた。両肩を落とし俯きながら歩いていると、ふと足を止める。頭の中に流れる奇妙な声によって。
(動くな。ジッとしろ。神経を集中しろ。気配を感じ取れ)
頭の中に流れる声に不意に周囲を見回した。だが、そこに居るのは自分だけ。人の気配はなく、いつの間にかあの場所に着ていた。狭く人通りの無いあの薄暗い路地。何故、ここに足を進めたのか、自分でも分からない。だが、奇妙な殺気をその身に感じ、ジリッと左足を引いた。
刹那、銃声が聞こえ足元で地面が爆ぜた。
(何が起こった? 大体、銃声って――)
そんな考えが過り身構えると、同時にもう一度脳内であの声が聞こえる。
(意識を集中しろ。考えろ。死にたくないならな)
「何だよ……考えろって……それに、お前は誰なんだよ!」
頭の中に聞こえた声に叫ぶと、更に銃声が響き右頬を冷たい何かが掠めていった。何が頬を掠めたか分からないが、遅れて感じる冷気と針に刺された様な痛みに表情が歪む。頬が僅かに裂け、生暖かい血が汗と混ざり首筋まで流れ出す。
自分の身に起こっている異常事態に、心臓が激しく脈を打つ。その音がうるさく感じるのは僕だけだろう。早い鼓動を静める為にゆっくりと息を吐く。それだけでも、十分な程頭の中はすっきりとし、鼓動も通常時へと戻った。
落ち着いた所で瞬時に考える事が、今自分の身に起きている事。頭の中の声は一体なんなのか、そして、何故発砲されているのか。全てを一瞬の内に考えるが、自分を納得させられる理由は出なかった。
必死に答えを出そうとしていると、また声が聞こえる。今度は頭の中ではなく、正面から――、
「何で具現化しねぇ! それに、テメェは誰だ?」
突然聞こえた乱暴な声に目を丸くする。別に乱暴な口調だったから、目を丸くしたのではなく、目の前に現れたその少女に目を丸くしたのだ。右手に握り締められた蒼い銃。それだけでも場違いだが、それ以上に驚いたのは、彼女の背中から生えた大きな白翼。美しく一本一本艶やかに輝く翼が、静かに羽ばたき彼女の体が地上へと降り立つ。
思わず見惚れてしまったが、すぐに現実へと戻り少女の顔を見据える。僕はその顔を知っていた。目鼻立ちの整った綺麗な顔に、黒のショートボブの髪。そして、蒼っぽく見える綺麗な瞳を。
「雪国さん……だよね?」
見知った顔に思わず問うと、銃口を向けたまま綺麗な顔に薄らと笑みを浮かべた。だが、その笑みと裏腹に向けられた鋭い視線に、本能的に後退りするが、突如体が動かなくなり視界が揺らぐ。一瞬視界がブラックアウトしたが、すぐに元の景色が戻る。先程と変わらず、銃口をこちらに向ける雪国さんの姿に、相変わらず人通りの無い薄暗い路地。
だが、何かが違う。さっきとは明らかに。しかし、それが何かを理解するより先に、体が動き出す。それは、自分が意として行った行動では無く、何かに操られる様に勝手に動き出していた。驚き声を上げ様とするが、口が動かない。その代わりに、右腕が持ち上がりいつの間に取り出したのか分からぬ細い刀の様な刃物を雪国さんへと向けていた。
(な、何だよ! か、体が勝手に――)
「暫し、肉体を貸してもらう。貴様は黙ってみていろ」
(な、何?)
頭で思った言葉に、返答を返したのは間違いなく自分の声。驚き戸惑っていると、目の前に佇む雪国さんの眉間にシワが寄り、静かにその引き金を引く。乾いた発砲音が周囲に轟き、銃口から蒼い光が打ち出される。放たれた弾丸が体に到達するまでコンマ何秒のスピードだったが、何故かその弾丸が今の僕の目にははっきりと見えていた。青白い光が冷気を纏い、螺旋を描き直進してくる。こんな光景を目の当たりにしたのは初めてで、これから先二度と見る事は無いだろう。
その弾丸を見据えていたが、突如視界が変わり空を見上げる。そして、目と鼻の先を先程の蒼い弾丸が通過した。
(うおっ! な、何? 何が――)
「チッ……うるせぇ。少し黙ってらんねぇのか?」
(なっ、それって、僕に言って――)
「テメェ以外に誰がいる」
自分の声に頭の中で話しかける僕。なんだろう。凄く不自然で、気味が悪い。そんな風に思っていると、瞬きしたと同時に視界が変わり、雪国さんの鋭い目がこちらを睨んでいた。
「この前の借りを返させてもらう」
(この前の借り?)
「テメェに借りを作った覚えは無い」
(なぁ、借りって何だよ? この前って――)
完全に僕の言葉など無視し話が進む。一体、雪国さんに何をしたって言うんだろうか。
コッチの不安を他所に、体が前傾姿勢を取り、右手に握られた刃物が切っ先を後方に向ける。踏み込まれた右足に体重が乗り、膝が伸縮し力を蓄える。
その動きを見据える雪国さんが、銃口を向け直し引き金を引く。乾いた破裂音が無数響き、弾丸が数発向って来る。しかし、僕の体はその弾丸の中へと突っ込んで行く様に、体重を掛けた右足で地を蹴った。
(うおっ! ちょ、ちょっと!)
「ククククッ! 我にこの程度の弾丸――」
不適な含み笑いを上げ突っ込んで行くと、向って来る弾丸に対し、右手の刃を素早く振るう。その動きは一瞬。瞬くまに弾丸は二つに裂け爆ぜた。弾丸が裂け真っ白な煙が視界を遮る。やけに冷やかな風が頬を伝い、髪を撫でた。そこでようやく動きが止まり、小さな舌打ちが聞こえた。
視線が忙しなく周囲を見回し、左手を右手に握る刃物の柄に添える。先程までの行動が全部オフザケだったと言わんばかりの構え。そして、意識が集中し感覚が鋭くなっているのが、僕にも伝わった。
(何……する気だよ)
「テメェは黙って見てろ」
(黙って見てろって……。一応、僕の体なんだけど)
そうぼやくが、完全に無視。それ所か瞼を閉じられ、視覚を奪われた。
(ちょ、本当に、何するつもりだよ)
「黙れ」
一喝。
何故、こんな扱いを受けなければならないのか不明だが、とりあえず黙る事にした。暗い闇の中、不思議と色々な音が伝わる。遠くで聞こえる人の声。自動車のエンジン音。風の音。足音。木の葉の舞う音。翼の羽ばたき。全ての音が伝わる。
そして、瞼が開かれ光が目に差し込む。周囲に漂う白煙が薄れ、向こう側に薄らと雪国さんの姿を映し出す。その手に握られた銃の先に青白い光が圧縮され、冷気が白煙を生み出す。視線が交わり、口元に静かに笑みが浮かべられた。
「これで、最後――消えて」
銃口に集められた青白い光が、銃声と共に放たれた。弾丸が今まで以上のスピードでこちらに向う。だが、僕の体はその場を動こうとせず、口元を緩め、
「面白い。力勝負で――我に勝てると思うな!」
右足を踏み込み両手で握った刃物を振り上げる。
(ま、まさか!)
驚く僕を他所に、体は振り上げた刃物を、青白い弾丸へと振り下ろした。眩い光が視界を包み、衝撃が刃を伝い両腕に圧し掛かり、肩から抜けていく。体が押され刃が震える。何とかその場に止まろうと両足に力が込められるが、圧倒的な重圧が少しずつ体を押していく。