第四十三話 晃対久遠
脈打つ心音がやたら大きく聞こえた。
緊張しているのが自分でも分かる。頭の中は真っ白で、どうしていいのか分からなくなっていた。静かに過ぎる時の中、キルゲルの声がようやく耳に届く。
『おい! 晃!』
名前を呼ばれ、我に返る。冷静になる。そして、考える。どう戦えばいいのかと。
キルゲルを奴に渡すわけには行かない。奴の目的が、世界を変える事だから。どんな風な力があって、どんな風に世界を変えるつもりなのか分からないが、あんな思想の持ち主が世界平和の為にと言う事にはならないだろう。
両手でギュッと柄を握り締め直し、半歩下がった。臆している。自分でも分かる程、久遠達樹と言う人物が放つ忌々しい殺意の込められた視線に、恐怖していると。息を呑む事さえ忘れてしまいそうなそんな雰囲気に包まれていた。
『落ち着け。晃。貴様は我の指示に従えばいい』
「指示?」
『ああ。大丈夫だ。貴様は我の戦い方を見てきたはずだ。その通りにやればいい』
キルゲルが勇気付けようと強気な言葉をぶつける。気持ちで負けてはいけない。と、静かに息を吐き、ゆっくりと久遠に視線を向けた。
「やる気……みたいだね?」
「あなたは危険な思想を持っている。だから、僕はあなたにキルゲルは渡せない」
そう延べ、アスファルトを駆ける。電柱の横に立てられた青いポリバケツを踏み台にし、彼の居る家の塀へと飛び移った。踏み台にしたポリバケツが、蹴った反動で倒れ、アスファルトにゴミを散乱させた。
「あーぁ。ゴミを散らかすのはよくないなぁ」
『なら、ここで、貴様と言うゴミを排除するまで』
キルゲルが叫ぶと同時に塀を蹴り、家の二階バルコニーの手すりを左手で掴んだ。ギリギリだった。一歩間違えれば落下し大怪我をする所だったが、上手くいった。何とか手すりをのぼり、屋根へと飛び移ると、そこで強風が体を煽った。
「くっ!」
体が後方へと流れる。大きな翼を広げた久遠が不適に笑う。
「こんな人の家の屋根で戦う気かい?」
静かにそう言うと、彼は両手を胸の前で軽く広げた、最もな意見だが、最初にこの屋根に降り立ったのは、彼の方だ。それに、この住宅地を戦闘の舞台に選んだも、彼だ。初めから分かっていた。久遠と言う男は、キルゲルの力をフルで発揮出来ない場所を選んでいるのだと。
(晃!)
「キルゲル?」
突然頭の中に聞こえたキルゲルの声に、思わず返答すると、(バカ野郎)と怒鳴られた。久遠に聞かれない為に、直接頭の中で話しかけてきたのだと理解した。
(いいか。奴のペースに呑まれるな)
(そう言われても、この突風じゃ……)
久遠が両翼で起こす突風に耐えながら、そう返答すると、キルゲルが小さく舌打ちしたのが分かった。
(相手が風で来るなら、お前も風で対抗しろ)
(んな無茶な事言うなよ! それに、ここの家壊したらどうするんだよ!)
(なら、制御しろ。力を。そして、奴だけを狙え)
無茶苦茶なキルゲルな言い分だったが、どっちにしろこのままでは何も出来ない。なら、この一か八かに賭けるしかなかった。すり足で左足を踏み出し、切っ先を後方へと向け低く構える。風が刃に集中していくのが、柄を握る手に伝わる。確り握っていないと、その風に弾かれてしまいそうな程で、両手が振動で震える。
「くっ……」
(この突風で、我の風の力が増幅している。ちゃんと制御しないととんでもない事になりかねんぞ)
「そう言われたって……」
どう制御すればいいのか分からないが、とりあえず両足を踏ん張り、更に腰を落とす。震える刃を押さえながら、真っ直ぐに久遠を見据える。
(意識を集中しろ。奴から目を離すな)
キルゲルの声に静かに頷き、前傾姿勢をとる。左足に全体重を乗せ、暴れ狂う刃を振り抜く。腕を完全に振り切り、切っ先が空を指す。吹き荒れていた突風は二つに裂け、その間を放った風の刃が突き進む。だが、力を加減し過ぎたのか、刃は久遠に届く前に消滅した。
「くっ!」
(もっと腰の回転を利用しろ)
「仕方ないだろ。こんなの初めてだったんだから」
「へぇー。初めて。それで、今の威力なら、申し分ないね。多分、俺じゃなかったら、今の一撃で大ダメージを与えられてね」
久遠が笑いながらそう言うと、二つに裂けていた突風がまたこちらに襲い掛かってきた。
「ぐうっ……」
不意の一撃に体がよろめき、右足が屋根から弾かれた。体が宙へと投げ出され、視界が一転する。空と地面が交互に映り、やがて闇へと包まれた。だが、頭の中に響くキルゲルの声にすぐさま意識は戻る。腰を思いっきり塀に強打したのだろう。そこら辺に、ブロック塀の破片が散らばり、目の前には崩れたブロック塀がたたずんでいた。
それ程の衝撃を受け、立っていられる自分自身に驚いた。これもキルゲルの再生力のお陰なのだろう。
足元が僅かにふら付き、よろめき、塀に左手を着いた。腰の痛みに歯を食いしばる。口から漏れる吐息が、荒く乱れる。
「はっ……はっ……」
何とか背筋を伸ばし、上空に舞う久遠の姿を確認した。爽やかな笑顔を見せながらも、好戦的な視線を向ける久遠。戦闘経験の浅い僕でも分かる。よっぽど自分の力に自信を持っているのだと。だからこそ、まだあそこまで余裕で居られるのだろう。
乱れる呼吸を整えながら、頭の中に聞こえるキルゲルの声に耳を貸す。
(いいか。奴は完全に油断している。次の一撃は手を抜くな。ありったけの力を込めろ)
(だけど、そんな事したら、ここら一帯の家が……)
(我の言葉を信じろ。貴様はただ黙って全力を尽くせ)
キルゲルの言葉に静かに頷いた。今は信じるしかない。キルゲルの言葉を。僕にはそれしか出来ないから。右足を引き、腰を落とす。痛みに思わず表情が歪むが、奥歯を噛み締めそれを必死に堪えた。左足に体重を乗せると、膝が震え出す。ダメージは完全に足まで来ていた。
奥歯を噛み締め、息を吐きながら、ただ必死に力を込める。キルゲルの刃は相変わらず風を纏い暴れまわり、それを堪えるだけでも体が軋む。しかも、さっきの一撃は威力を制御していたが、今回は全力。先程よりも反発する力は大きく、気を抜くと体ごと弾き飛ばされてしまいそうだった。
「ぐぐっ……」
腰が痛み思わず声が漏れる。刃がガタガタと激しく暴れ、その衝撃が痛みの走る腰に更に負担をかけていた。
(堪えろ。もう少しだ)
頭の中に聞こえるキルゲルの声に僅かに頷く。
甲高い風の音だけが耳に聞こえ、後はもう何も聞こえない。視線を上げると、久遠の姿が映る。綺麗な翼が空を掻く様に羽ばたき、数枚の羽が宙に舞う。彼の口が何か言葉を告げている様に動いているが、風の音で何を言ってるのか分からない。ただ、全てを言い終えた後薄らと笑みを浮かべたのが分かった。何かあると、直感が告げる。だが、自分に出来るのはこの一撃に全てを託す事だった。
(行け! 奴を叩き切れ!)
「うおおおおおっ!」
キルゲルの声に雄たけびを上げ、一気に刃を横一線に振り抜いた。腰の痛みなど気にせず、全力で腰から回転させ、右肩を内に入れ込む様に一気に振り抜く。鋭い風の音が耳に残り、疾風が空を駆けた。
鋭い風の刃。先程の制御したモノとは明らかに威力の違うその一撃が、久遠に直撃し爆発した。爆風が周囲一帯を襲う。周囲の建物が僅かに軋み、その爆風に僕の体は軽々と吹き飛んだ。やがて、電柱に背中をぶつけ、アスファルトに仰向けに倒れた。
もう動く事など出来なかった。薄れ行く意識の中、コツッと耳元で靴音が聞こえ、キルゲルの叫び声が聞こえた気がする。だが、もうその声すら薄らとしか聞こえず、意識は失われた。




