第二十五話 愛(まな)の部屋
――放課後。
火野先生に連れられ、雪国さんの部屋の前まで来ていた。
深呼吸し、呼び鈴を押す。ドアの向うからチャイムの音が聞こえるが、それっきりだった。数十秒の時が過ぎ、
「あれ? 留守?」
「違うと思いますよ」
火野先生の言葉にすぐ返答すると、「あはは、そうだよね」と静かに述べ、もう一度呼び鈴を鳴らす。またチャイムの音だけが中から響く。
数十秒待ち、火野先生がコッチを振り向く。
「また明日にしよっか?」
苦笑する火野先生の顔に、笑みを返すと、ドアの向うで鍵の開く音が聞こえた。視線をドアの方へと向けると、静かにドアが開く。
「誰……」
掠れた雪国さんの声がドアの隙間から聞こえた。あれから、大分泣いたんだと思う。喉がかれるまで。師弟の間柄とは言え、雪国さんにとっては大切な人が亡くなったのだから、当然と言えば当然だろう。僕には分からない程のショックを受け、僕には分からない程の悲しさを感じたと思う。だから、ここには来たくなかった。
少しだけ開かれたドアの隙間を覗き込む火野先生は、ドアノブを掴むとニコッと笑みを浮かべる。
「雪国愛ちゃんだよね? 私、教育実習生で、今、君のクラスの担任代理をしてる火野恵って言うんだけど、話したいんだけど?」
「話し? すいません。私に話は――」
「雪国さん。僕も少し話したいんだけど?」
「…………分かった。ちょっと待ってて」
暫く間が空いて、ドアがゆっくりと閉まった。
部屋の中から全く音はせず、数分が過ぎた。着替えにしては時間が掛かり、部屋を片付けてるにしては静まり返っている。
「……遅いね? もしかして、忘れられたのかな?」
不意に火野先生が呟く。確かに遅い。急に不安になる。もしかしたら、倒れているのかもしれない、などと思うと、思わずドアノブを握った。
「うわっ! ちょ、晃君!」
「緊急事態だから」
ドアノブを捻り、ドアを開くと、その向うにタオルで髪を拭く、下着姿の雪国さんが立っていた。どうやら、雪国さんはシャワーを浴びていた様だ。
上下共に真っ白のフリルの付いた可愛らしい下着。鬼獣と戦っている時の荒々しい雪国さんから想像できない下着姿だった。
この状況に思わず、「へっ」と、声をあげる。後ろでは火野先生の「あちゃー」と言う声が聞こえ、目の前では雪国さんが握り締めた拳を震わせる。
「晃……どう言うつもりなのかしら?」
「い、いや……お、遅いから、何かあったのかと――」
「殺す! 今すぐ、この場で!」
叫ぶと同時に右手に現れた蒼い銃。そして、幼い子供の様な声が、『何? 鬼獣?』と眠そうに言ったのが聞こえたが、その直後に鳴り響いた銃声で、その声は掻き消され、同時に腹部に衝撃が走った。
「うぐっ!」
「わわっ! ゆ、雪国さん! も、モデルガンでも、そんな人に向けて撃っちゃダメだよ!」
慌てて火野先生がそう叫ぶが、雪国さんは冷酷な目で僕を見据え、構わず銃を連射する。銃声が重なり、衝撃が全身を襲う。凍る様に冷たい衝撃を全身に浴びせ、雪国さんはドアを乱暴に閉めた。おまけに鍵まで掛けられた。
そのまま仰向けに倒れていると、火野先生が心配そうに顔を覗き込む。
「だ、大丈夫?」
「はい……大丈夫です」
苦笑しながらそう答えると、火野先生も苦笑した。
それから数分後、ドアの鍵が開けられ、再びドアの向うから雪国さんが顔を出した。僅かに頬が赤く見えるが、ジッと顔を見ていると、冷やかな目で睨まれた。
「で、何の用? まさか、さっきのアレが、あんたの用?」
冷やかで怒りのこもった声。まださっきの事を怒っている様だ。流石に下着姿を見たわけだから、怒るのも分かるが、シャワーを浴びるなら、浴びるで一言言っておいて欲しい。心配したコッチが恥ずかしくなる。
言葉につまっていると、その間に火野先生が入り、
「ご、ごめんね。私が遅いって言ったから、晃君が心配して――」
「……そうですか。……それじゃあ、とりあえず中に入って」
火野先生を部屋へと招き入れると、僕の方をジト目で見据える。
「あんたは? 入るの? 入らないの?」
「は、入るよ。話があるって言っただろ」
「そう。じゃあ、早く入って」
やや刺々しい言葉遣いで、部屋へと招く。
意外と元気そうに見えるが、きっと空元気なのだろう。僕と火野先生の手前、無理矢理そう見せているんだと思う。やっぱり、雪国さんは強い人なんだと、実感した。
部屋は相変わらず綺麗に整っているが、何故だかここ数日食器を使った形跡が無い。食事は全くとってないんだろう。よくよく見れば、少しふら付いている。
玄関に立ち尽くし部屋を見回していると、居間から火野先生が顔を出す。
「何してるの? 早く上がっておいでよ? って、言うか、女の子の部屋をジロジロ見回さない! 変態さんか、あんたは!」
「いや、あの……すいません」
確かに、女の子の部屋を見回すのは良くないと思い謝ると、火野先生は笑みを浮かべ手招きする。小さくため息を漏らし、靴を脱ぎ部屋に上がると、冷蔵庫の中を見据えていた雪国さんがコッチに視線を向けた。
眉間に寄ったシワから察するに、冷蔵庫の中には何も無いのだろう。視線が数秒の間合うと、雪国さんは苦笑し、静かに冷蔵庫を閉めた。
「すいません。今、飲み物切らしてるんで、ちょっと買ってきます」
「えっ! い、いいよ! 別に、そんな気を使わないで? すぐ帰るから」
慌てた様子でキッチンへと現れた火野先生が、雪国さんの前に立つ。火野先生に立ちはだかれ、困った様な表情を見せる雪国さんがコッチへと助けを求める様な目を向けた。暫く様子を見たかったが、雪国さんがコッチを睨んでいたので、渋々火野先生を止めに入る事にした。
「あーぁ。火野先生。雪国さんもああ言ってるんだし、お言葉に甘え――」
「それなら、晃君が行きなさい!」
「えっ!」
「そうよ。うんうん。最初っから晃君に行かせればよかったんだ」
「で、でも、そんな、桜嵐くんに悪いんで、私が――」
火野先生の提案に、雪国さんが焦り反論するが、有無を言わさず僕は外へと追い出された。暫しドアの前で呆然としていると、中から雪国さんの慌てた様な声と、火野先生の明るい笑い声が聞こえた。お金を貰っていない時点で、僕の自腹は確定し、ポケットから財布を取り出し有り金を確認する。
「はぁ……ギリギリかな……」
ガックリと肩を落とし、渋々と買出しに行く事にした。
しかし、今考えてみれば、あの状態の雪国さんに買出しに行かせるのは、確かにまずい。火野先生もその事に気付いていて、僕に買出しを命じたのだろう。
もう一度深いため息を漏らし、歩き出す。確か、この近くにコンビニがあったはずだ。とりあえず、そのコンビニを目指す事にした。
暫く歩くと、ガラの悪い三人組が、眼鏡を掛けた内気そうな学生に絡んでいるのが視界に入った。この辺では見かけない制服を着た学生に、長髪の男が掴みかかる。
「おい! 金、出せって言ってんだろ!」
「えっ、いや、お金は持ってなくて……」
「はぁ? じゃあ、財布だせよ!」
そう言われ、財布を出すと、それを鼻にピアスを付けた男にもぎ取られ、
「んだよ! マジで、金持ってねぇんじゃねぇかよ!」
「ふざけんじゃねぇよ!」
金髪の男が学生を殴った。学生はヨロケ塀に背中をぶつけ、その場に座り込む。三人組はそんな学生を更に罵倒し奪った財布を叩き付けその場を去っていく。
今時、あんなのがいるんだなと、思いながら学生の方へと足を進め、
「大丈夫? キミ」
手を差し出すと、学生は僕の顔を見ると、
「あっ、だ、大丈夫です。どうも……」
と、差し出した手を取り立ち上がる。その時、手首に輝くブレスレットが見えたが、学生はそれをすぐに隠し財布を拾い上げた。
「それじゃあ、僕、他に用があるんで」
丁寧にお辞儀をし、学生は何事も無かった様にその場を去って行った。そんな彼の後姿を見ていると、不意に背後に冷たい視線を感じ振り返る。だが、そこには誰も居らず、静かに風だけが流れた。




