第十一話 記憶
眩い光の中を歩み進むと、徐々に視界が開けてきた。
懐かしい香りに誘われ、歩みは少しずつゆっくりになる。
声――が、聞こえた気がした。懐かしい人の声……。
「ねぇ……キミ?」
「んっ?」
目を開くと……そこは、公園だった。あの日、僕があの人と出会った――。
「こーら! こんな所で寝ると風邪引くぞ!」
ボーッとしていると、頭を叩かれた。
激痛。一体、何で頭を叩いたんだ……。表情を歪めると、目の前に真っ白な顔が現れる。輪郭も目も鼻も何も無いただの真っ白な顔。
そこで気付く。ここが、自分の記憶の中だと。だから、彼女の顔は――。
「ここの所、毎日ここに来てるね。私は――。あなたの名前は?」
「僕は――……桜嵐……晃……」
彼女の名前すら出てこない……でも、その澄んだ綺麗な声は分かった。
「桜嵐君か……その制服って事は、私の後輩になるのかな?」
「……?」
「卒業生なんだよ。その学校の。エヘヘ……」
照れた様な笑い声。だが、顔は分からない。どんな表情で笑ったのかも思い出せない。
でも、この時僕はその笑顔に元気を貰った気がする。
「それで、こんな所で何してるのかな?」
「少し一人になりたくて……」
確か、この頃の僕は人に頼られるのを疎ましく思っていた……。いろんな人に頼られて、正直疲れていたのだろう。特に中学に上がった当初は、無理矢理学級委員長にされたり、色々仕事を押し付けられていた。
そんな事もあり、この日僕は学校をサボったのを覚えている。
「おやおや……サボりとは、キミはアレかな? 不良とか言う奴かな?」
「……かも……知れませんね」
ボソリと呟くと、彼女の真っ白な顔が僕の顔を覗き込む。どんな顔をしていただろうと、思い出そうとするが、全く思い出す事は出来ない。
それから、色んな話をした。学校の事、今の自分の状況、何故そんな話をしたのか分からないが、ただ彼女に話すと心が楽になった。彼女も何も文句を言わずただ相槌を打ってくれる。だからだろう。安心して何でも話せた。
結局彼女は最後まで相槌を打っただけで、話が終わると優しく微笑み――その顔も思い出せないが――頭を撫でてくれた。その手がとても暖かで、僕は自然と彼女に心を引かれていた気がする……。今となっては記憶が曖昧で、自分がどう思っていたかも定かではない。
「キミは、随分周りから頼られてるんだね」
「頼って欲しいとは、一度も思った事は無いですけど……」
「ふ~ん。じゃあ、キミは私を頼ってみない? 私は色んな人に頼って欲しいからさ」
彼女はそう言いもう一度僕の頭を撫でた。
その彼女の優しさに惹かれたのかその日から、何度か彼女と会う様になった。学校での出来事や、自分の愚痴を沢山話したのは覚えている。そんな僕の話を彼女はいつも相槌を打って聞いていた。何の文句も言わず。だからだろう。僕は彼女に会うのが楽しみになっていた。
そして、あの日――。いつもの時間――。あの公園で――。それは起きた。
激しい衝撃。
突風。
周囲を焼き払う業火。
燃え盛る家々。
その中心に佇む二つの影。
一つは見覚えのあるあの人の後姿。もう一つは――。
「クククッ……光明の女神と呼ばれたお前が、こんな所で……」
ふてぶてしい声でその影が言う。鮮血に染まった真っ赤な手に握られた剣の先から滴れる血液。誰の血だ……。そう考えた時、ふと彼女の制服が赤く染まっているのに気付いた。
驚き不意に悲鳴を上げそうになったが、それより先に彼女が叫ぶ。
「逃げなさい! これは、あなたが踏み込む世界じゃない……」
「クククッ……必死だな……光明の女神……。さては……あれが……」
「――くっ! 貴様!」
彼女が地を駆ける。自らの腹部から血を飛び散らせながら。
一体、何が起こっているのか、全く分からない。非現実的な事が目の前で起こっているのだから。
走る閃光。
響く金属音。
散る火花。
フラッシュバックする戦慄。
飛び散る血飛沫。
地に落ちた腕。
全てが一瞬。
体が震え、悲鳴を上げ様にも声が上手く出せない。膝が笑いその場から逃げる事も出来ない……。
動悸が激しくなり、何故か涙が零れる。そして、腰が自然と落ちた。胸を刺す様な圧迫感。圧倒的な恐怖の中で、呻き声が聞こえた。
「うぐぅ……ぐああっ……」
彼女の声。苦痛に蹲る彼女の背中。そこで気付く。地に転がる腕が――彼女の右腕だと。
「クククッ……無様だな……光明の女神もこうなってしまえば……」
「ふっ……ふふふっ……」
おぞましい声に、彼女が静かに笑い出す。
「……アハハハハハッ!」
気でも狂った様に大きな声で。
「ハハハハハ……笑わせるな!」
突然の怒声。
「貴様如きが、私と対等だと思うな!」
変貌。彼女の言葉遣い、声質。全てが変わり、彼女の髪が逆立つ。眩い光りを纏い。これが、光明の女神? そ、そんな分けない。これじゃあ、女神と言うよりも――狂気に狂った……鬼。
その後姿に体が震える。思考が恐怖で回らず、何も考えられなかった。ただし、それも一瞬。彼女が僅かにこちらに顔を向け、
――大丈夫。キミは私が守るから。
そう言い微笑んだ。いつものあの笑み……その忘れかけていた微笑みが僅かに脳内にフラッシュバックする。目の形……鼻の高さ……唇の色……輪郭……全てが幾度となく脳を駆け巡り、一つの顔を形成する。
二重で大きな目の奥に宝石の様に透き通る蒼い瞳。その目がいつも僕を見ていた。
顔立ちは綺麗で、三つ四つ違うだけなのに大人っぽく見える顔。その顔がいつも僕に微笑みかけてくれた。
なぜ、こんなにも綺麗な顔を今まで忘れていたのか……何故思い出せなかったのか……自分でも不思議に思う。そして、気付く。彼女が光明の女神と呼ばれる理由を。
「おー……怖い怖い……。光明の女神がお怒りだ……」
まるで怖がっていない口振り。何処か余裕が窺えた。それでも、彼女は尚も強気な姿勢、強気な言葉を発する。
「貴様には……この程度のハンデで十分だろ」
「オイオイ。冗談はよせ。もう、お前に戦う力は無い」
「それは……どうかな?」
彼女がそう言葉を発し地を蹴った。腰を抜かし、膝を震わす僕は、ただ彼女の背中を真っ直ぐに見据えていた。何も出来ず無力な自分を戒めながら。
その時だった。初めて声を聞いたのは。胸の奥で何かが弾け、頭の中に何かが聞こえた。低音の声。そして、その声は告げた。
『望め。汝が求める力を。さすれば我が――授けよう。汝の求める力を――』
この声に願った。彼女を守る為に――力が欲しいと。今、この状況を切り抜ける為に――力が欲しいと。
そう願うと、頭の中でもう一度声が聞こえる。
『創造する。汝の求める力を。その手の中に――』
声が途切れ、胸が熱くなる。苦しくて右手で胸倉を掴むと、その手の平に光りが溢れた。
「この光りは……ま、まさか! 桜嵐君! だ、ダメ!」
彼女の声が聞こえた。だが、もう止める事など出来ず、僕の手の中に一本の剣が創造された。
「くっ! 目覚めたか!」
「桜嵐君! 今すぐ、それを――」
「ハァ…ハァ……全てを……斬る!」
薄れる意識の中でそう呟いたのは覚えていた。僕が口にした言葉だったのか、キルゲルが口にした言葉なのか、今ではハッキリしない。でも、この後の事は覚えている。僕はこの手で――彼女を斬った。何故、そう言う経緯に至ったのかは定かではないが、僕のこの手が彼女を殺めたのは確かだった。
それでも、彼女は最後に微笑み、
「ごめん……守れなくて……」
と、薄ら涙を流し、僕の頭を優しく撫で息を引き取った。両手は彼女の血で真っ赤に染まり、真っ白だったワイシャツも返り血で赤く染まっていた。
悲しかったが、涙は出なかった。ただ呆然とまだ暖かい彼女の体を抱きかかえていた。そして、空からはいつしか、大粒の雨が僕の代わりに涙を流す様に降り注いでいた。




