第六話「炎の記憶」
炎のバンシー「カーネリア」の封印は解けてしまった。
かつての友の声も届かぬ程に理性を失った彼女は、再び呪いの火の粉を降り撒く。
焼ける家屋、立ち上る黒煙、逆巻く炎。それは一年前の事件を、少女に思い出させる。
■第六話「炎の記憶」
纏う灼熱に苦しむかのように、炎のバンシー「カーネリア」はその身をのたうたせる。頭を抱え「———!」と金切り声の叫びと共に、触れるもの全てを燃やし尽くす、呪いの火の粉を振りまくと、それはリルカの部屋のあちらこちらに火を付け、瞬く間に激しい炎が部屋を支配する。
「カーネリア! 落ち着いて、私よ、リルカよ」
炎に狂うカーネリアは、リルカの、かつての友の声も届かない程に理性を失っていた。炎のバンシーが部屋の天井へと、その身をのたうつ勢いでぶつけると、彼女の身体からまたしても火の粉が飛び散る。その飛び散る火の粉の一部がリルカへ目掛けて飛んできた。その場から動けないでいたリルカに、ルアは勢いをつけて飛びつく。その反動で彼女たちは、大きく体制を崩し床にゴロゴロと転ぶ。寸での所で、火の粉をかわす事に成功したリルカの腕をルアが掴むと、そのまま引き起こし部屋の入口へと駆け出す。
「とにかく、今は外へ出ないと! このままじゃ二人そろってローストビーフだわ!」
ルアは扉を蹴破ると、リルカの腕を引きながら廊下へと飛び出す。
「でも!このままじゃ、また一年前みたいに」
「だから、そうしない為にも広い場所へ出ないと!」
「……助けてくれるの?」
「どうにかするって言ったでしょ」
二人は廊下を走り、階段を駆け下りる。その直ぐ後ろには炎のバンシーが、身体を屋敷のいたる所へとぶつけながらフラフラと追いかけて来ていた。広間を抜け中庭へと飛び出す。二人は息を切らしながら、伸び放題の雑草の中をひたすらに走る。後ろの母屋は、手の施しようが無い程に赤く炎に身を焦がし、バチバチと木材が弾ける音を鳴らし、黒煙を噴き上げている。燃え盛る母屋から、カーネリアが二人を追い飛び出す。フラフラと宙を舞いながら、中庭へも火の粉の雨を降らすと、草木は勢いよく燃え上がり、瞬く間に火の海へとその姿を変えた。エントランスへの扉を勢いよく開け、二人は転がり込む。
「あぁ、ルア様よくぞご無事で」
バッゴの迎えを食い気味にルアは叫ぶ。
「お前たち!ココを出るわよ!急いで!」
ルアの緊迫した声と、その後ろに迫りくる異様な炎に危険を察知したフーゴは、バッゴを抱えると、先程彼が破壊した外へ繋がる壁の大穴へと飛び込む。ルアとリルカもそこへ飛び出し、四人はなんとか無事に館の外へと出る。門を抜け、敷地外へ転がり出ると四人は屋敷へと視線を戻す。屋敷からゴウゴウと立ち上る炎が、まだ夜も空けぬ暗い空を橙色に染め上げる異様な光景をその目に映す。
「屋敷が」
リルカがぼそりと溢す。彼女の生まれ育った、家族との思い出が詰まった屋敷が燃え落ちようとしていた。その屋敷から、ユラユラと身を宙に舞わせ、カーネリアは姿を現す。
「なななななっ、何ですかアレは!」
バッゴは金属管の中で響く様な声を震わせながら、ガシャリと音を立てその場に腰を崩した。
「バンシー。魔術師の魂の成れの果てよ。リルカ、アナタ禁を破ったのね?」
ルアの言葉に、リルカは唇を噛み視線を落とした。
「あの時の私は、目先の事に惑わされ大切な事すら忘れてしまってたの。だからこんな事に……」
「まぁ、どうにかするしかないわね」
「何か手があるの?」
「無い事も無かったのだけれど、バッゴ、霊札の予備はあるかしら?」
バッゴは自分のカバンの中身をひっくり返し、ゴソゴソと探し物をする。
「ルア様、先ほどの結界で全て使ってしまった様です」
「……でしょうね。私の手持ちじゃあ、もう解呪の陣を発動させられる分は無い」
「ルア様、今こそドラゴンプラズマを」
「ダメよ。それじゃあ、カーネリアを無にするだけだわ。それに、今のこのゲオルグの姿を私は見た事が無い」
ルアの言葉に、バッゴは彼女のそばに浮く、七星の転輪とエメラルドタブレットへと目をやる。
「コ、コレがゲオルグ・・・なのですか?」
「そうよ。そして私は、今のゲオルグの扱い方を知らないの」
「それでは」
「まったく、まったくだわ」
ルアは額に流れる汗を拭うと、ニヤリと笑って見せた。
「あああぁ、絶体絶命だぁ!」
バッゴは頭をその四本の手で抱え、その場にふさぎ込んだ。
「どうにかするのよ。さぁ、どうするルア」
ルアが呟いた瞬間、屋敷が一瞬、ググっと膨張する様を見せる。
「しまった!爆発す・・・」
リルカが言葉を言い終える前に、屋敷は耳を裂く轟音と共に爆風と激しい炎に焼かれる瓦礫を周囲にバラまいた。それは四人に回避する暇も与えずに襲い掛かった。
「クッ、どうすれば」
フーゴが身を投げ出し、三人を守ろうと飛び出す。その時であった。四人を囲む様に、透明で、不可視の何かが半球のドーム状に展開される。その不可視の何かは、爆音も炎も瓦礫も全てを跳ね返し、中の四人と外界を完全にシャットアウトした。
「なに?」
ルアの言葉に反応したのか、沈黙し続けていたエメラルドタブレットから、まるで感情を感じさせない、無機質な、成人男性の様な声が聞こえた。
「脅威の発生を感知。『絶対防盾アイギス』が発動しました」
「ゲオルグ? アナタなの?」
ルアの声にエメラルドタブレットは反応し応答する。
「私はゲオルグではありません。私は、エメラルドタブレットのオペレーションシステム『ヘルメス』に備わる機能、人工知能型音声アシスタント『ケーリュイオン』です」
「人工知能ですって?」
「はい。現在の使用者『ルア・マグノリア』の様々なサポートを音声と音声入力で行います」
「そんな、人工知能だなんて」
この世界の人工知能は、今だ構想上の物であり、様々な分野で研究され、簡単なモノ、例えば計算機に組み込まれる程度の物くらいは存在していた。今目の前の、まるで自身の意思を持つかの様な反応。言葉を発しそして会話を成立させる。そんな人に近づけた代物は、発想はあったにせよ、まだまだ絵空事の話であった。
「現在の状況は、命の危険が伴うと判断します。対象の沈黙を優先してください」
「……随分簡単に言うわね」
そう言うとルアは少し考え事を始める。頭の整理が出来たのか、彼女はケーリュイオンへと尋ねる。
「アシスタントと言う事は、私の指示に従ってくれると言う事よね?」
「はい。エメラルドタブレットで可能な事であれば、音声入力を介して、実行可能です」
「それなら、彼女の……あの炎のバンシーの状態を分析出来るかしら?」
「可能です。現在の炎のバンシーの状態は、魔術師カーネリア・カルセドニーの魂に強力な『魔物落ち』の呪縛がかけられていると判断します。しかしその侵食はまだ浅く、コレを解除し無力化する事が可能と判断します」
ケーリュイオンの分析を聞き、リルカは「それって、カーネリアを輪廻の巡りへ戻して上げれるということ?」と声を溢す。
「可能です」
「リルカ、アナタの願いは」
「カーネリアを苦しみから解放してあげたいの。私のせいで失った生まれ変われる道を、もう一度示してあげたいの」
「わかったわ。ケーリュイオン!呪縛を解けば間違いなく輪廻の輪に戻れるのね」
「間違いありません」
「よし、では現状で出来る最善を導き出せるかしら?」
「十二の奥義の一つ『否定の秘術』をエメラルドタブレットで起動する事で、対象の解呪は可能と判断します」
「その能力の詳細は?」
「否定の秘術は、使用者が対象とした如何なる術、能力であってもその発動及び能力、効果を無効にし消滅させます。つまり呪縛を無効にすることで解呪となります」
「と、とんでもない奥義ね。デメリットは?」
「特にありません。術の容量が小さいため、タブレットのストレージに保存されています。なので直ちに発動が可能です」
機械的に、淡々と奥義についての解説をするケーリュイオン。彼の話の所々に、今のルアには理解出来ない言葉が使われる。容量、ストレージ……この魔導書は機械仕掛けとでも言うのだろうか? 今はとにかく、自分に出来る策が見つからないのであれば、この「否定の秘術」を発動させるほか解決策は無い。
「解ったわ、否定の秘術を発動させて頂戴」
「対象の選択を行います。対象、炎のバンシー・カーネリア・カルセドニー。否定の秘術を発動します」
エメラルドタブレットは、淡くその翡翠色の体を明滅させる。文字盤はまたしても、ルアが見た事も無い文字を高速に表示させ、様々な魔法陣の図や、何かの解析図等、大量にその文字盤に情報を表示させる。魔導書なのに、その姿は石板の様。そしてこの動的に表示される情報の数々。それは正しく未知の技術、人知を超えた力の集合体。錬金術が人の手に余る力を有していた事を、このエメラルドタブレットは雄弁に語っている様にも思えた。
「これが、魔導書だと言うの?」
その様子を見たリルカは、これまでの自分の知りえる常識を否定された様に感じた。この世界にかつて存在したと言われるモノ。失われたモノ。意図的に隠されたモノ。遥か昔のモノであるはずなのに、この世界の如何なる魔術、如何なる化学を超越した、人が到達出来ない何かで構成された技術の終着点。究極と言う物が存在するのならば、コレが正しくそうであると、そう思ってしまうほどに異質な光景が彼女の視界に映る
「確かに、コレを魔導書と呼ぶのはふさわしくないわね」
「この文字列も……私の知らないモノだわ」
「コレは恐らく、神の文字と言う奴ね。悪魔文字を見たの。それは、神の文字を鏡の世界に落として作られたと言われてる。その悪魔文字にこの文字はどことなく親和性を感じるわ」
「神の文字、悪魔文字……。この一年、全てを捨てて研究してきたと言うのに、その言葉すら知る事が出来なかった」
「私もさっき知った所よ。この世界は、重大な何かが隠されている。それが今、この時代で動き出した」
ルアの話にリルカはゴクリと生唾を飲む。神の文字が刻まれるエメラルドタブレット、それを手にしたがるジェーン・ドゥ、そして無限を生きる錬金術師。かつて聞いた、おとぎ話や神話。それらが一堂に会し、目の前に現れた。彼女は只々、圧倒されていた。
「否定の秘術、起動します。術の発動に伴い、一時的にアイギスを解除します。外部の脅威に備えてください」
ケーリュイオンの無機質な声が、術の発動と注意勧告をアナウンスする。絶対防盾アイギスが解除されると、息する事も許さぬ熱風が四人を襲う。アイギスの外界との遮断のおかげで全く気が付かずにいたが、彼女たちの周囲は既に、夜の闇に爛々と輝く紅蓮の炎が支配し、熱気と渦巻く黒煙が生身のルアとリルカを襲った。
「くっ! ゴホッゴホッ!」
「リルカ! 布で口元をふさいで! ちょっと! アイギスを解かないと使えないなんて聞いてないわ!」
煙が目にしみ涙を浮かべながら、その場に座りこむリルカを抱き寄せ、腰に下げた革細工のカバンからハンカチを取り出すと、ルアは彼女の口元にあてがう。空を見上げると、カーネリアは呪いの火の粉をまき散らしグルグルと空を飛び回っていた。
「あわわ、ルア様! 早く呪文の発動を!」
バッゴが頭を押さえ、地面に伏したその時であった。ピィーンと空間が張り詰める様な感覚がルアを襲った。その一瞬だけ、炎が燃え盛る音、熱風が駆け巡り肌を焼き付ける熱さ、気管や肺を焦がす黒煙の燻した様な空気、そのどれもが一切何も、まるで切り取られたかの様に、消失した様に感じた。
「えっ?」
ルアがその感覚に驚いた瞬間、彼女たちを取り巻いていた炎が、まるでロウソクの火を吹き消したかのようにその姿を一瞬のうちに消した。同時に、ルアの左耳はキーンと軽い耳鳴りを起こす。立ち上る黒煙も、吹き付ける熱風も、舞い散る金粉の如き火の粉の嵐も、その姿を一瞬にして消し去り、周囲の燃え殻はブスブスと音を出しながらその身の火をゆっくりと沈めていった。
「これが、否定の秘術」
橙色に染まり昼間の様に明るかった村は、いつの間にか元の夜の闇に戻り、濃紺の夜空は宝石を散りばめた様に数多の星々を輝かせ、激しく鳴り響いた炎の叫びと金切り声は沈黙し、代りに静寂が焼け焦げた村を包んでいた。
「対象の呪詛の無力化を確認しました」
ケーリュイオンの声が無機質に響く。「ゴホッゴホッ」と咳き込むリルカ背をルアは優しく撫で声をかける。
「もう終わったわ。大丈夫よ、さぁコレを飲んで」
カバンから小型の水筒を取り出すと、ルアはリルカに手渡す。グッと一口水筒の中身を飲み込むと、軽く喉を鳴らしリルカは顔を上げた。
「カ、カーネリアは……?」
ルアは顔を上げ辺りを見回す。少し離れた位置に、ぼんやりと赤く明滅する光球を発見する。
「あそこよ」
ルアが指さす方向へリルカは視線を向けた。光球はその姿をゆっくりと変え、それは人の姿を象りはじめる。
「カーネリア!」
リルカは彼女の名を叫び、光へ向かって駆けだした。
「カーネリア。私よ、リルカよ。分る?」
人の姿を朧げに象った光は、リルカが語り掛けるとその姿をハッキリとしたものに変えた。心に眠る情熱を現す様な赤いショートヘアーに、ルビーの輝きをそのまま閉じ込めたかの様な深く赤い瞳の少女。それはあの恐ろしい炎のバンシーではなく、紛れもなくリルカの親友、カーネリア・カルセドニーであった。
「リルカ?」
「そうよ、私よカーネリア」
「どうしたのその髪?あんなに綺麗な黒髪だったのに」
「これは……何でだろう。分らないや」
リルカの瞳には涙が溢れ出していた。待ち焦がれていた、叶う事などないのかもしれないと、心のどこかで諦めていた、彼女に呪縛をかけた自分への罰なのだからと。そんな自分に、カーネリアはあの時と変わらず優しい笑顔を向けてくれる。あぁ、本当にカーネリアだ。そう思うと、嬉しいはずが自然と涙がこぼれ、リルカの視界が滲んでゆく。その様子をルアとフーゴとバッゴは静かに見守っていた。
「……一杯、辛い事があったんだね」
「私、アナタに謝らないといけないの」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。私、カーネリアを魔物に変えてしまったの。そして沢山の命を奪わせてしまった」
「うん」
「アナタを封印して……ずっと魂を束縛し続けて来た」
「うん」
「ごめんなさい、私の自分勝手な気持ちでアナタの魂の尊厳を奪い続けてきた。アナタを助けたかった。でも私は間違っていた。ごめんなさい」
「もう謝らないでリルカ。分ってるから。ちゃんと分かってるわ」
「うん……」
「泣かないで。あの時、リルカが助けてくれようとしたのちゃんと覚えてるわ。それだけで私、嬉しかった」
「カーネリア」
「私はいつだってアナタの味方よリルカ。アナタとお友達になれて本当に嬉しかった。楽しかった」
「……うん」
「ちゃんとこうやって、私を助けてくれた。大好きよリルカ」
カーネリアがそう言うと、彼女の霊体はゆっくりと光の粒子状になり霧散を始めた。
「待って、行かないで。まだ話したい事があるの」
震える声で引き留めるリルカの手に、カーネリアはそっと何かを手渡した。
「もう、泣き虫さんなんだから。そのブローチ、私だと思ってそばに置いて。そうしたらずっと一緒よ」
そう言い終えると、カーネリアはその姿を完全に淡く輝く粒子へと変え、ゆっくりと天に昇りそして消えて行った。リルカの手には、赤く深く、彼女を思わせる様な紅玉の宝石を美しく装飾したブローチが握られていた。
「私も、大好きよカーネリア。どうか、どうか安らかに」
彼女が消えた空を見上げながら、リルカは両手を合わせ、指を組み、静かに、静かに、カーネリアの安らぎを祈った。
「ルア様。あの女の子、どうにかしてあげられなかったのでしょうか?」
様子を見守っていたバッゴは、静かにルアへ問いかけた。
「……どうにかって?」
「僕達みたいに、新しい身体を」
「やめて。そんな話しないで」
静かに呟いたルアの言葉に、バッゴは口を閉じた。
「命の、魂の尊厳は、誰かが自由に操って良いものではないの。私は神じゃない。人よ。その領域を超えた先にあるものは、後悔だけよ」
バッゴは静かにルアの言葉を聞いた。その言葉は彼がこれまで見て来た、彼女の孤独を現している様に感じた。
「命とは、何なのでしょう?」
「その答えを探す為に、私は研究をするの」
リルカの後姿を見守りながらルアはバッゴに答えた。すると、ルアの周囲を浮遊していた七星の転輪が、その姿をフッと消す。同時にルアの身体から力が抜ける感覚が彼女を襲った。その場にガクリと膝を付けると、バッゴは慌ててルアの身体を支えた。
「ルア様!」
「本機を構成するマルチCPU『アルケミア』『アストロギア』『テウルギア』より、許容範囲を超えた発熱を検知しました。OSヘルメスを強制終了します」
ケーリュイオンの無機質な声が響くと、エメラルドタブレットは光りを徐々に失い始める。
「待って!」
ルアの声を無視するかのように、タブレットは光を失い、そしてその姿を本の姿、ゲオルグの書へと戻した。
「くぅ、しまったわ。こんな意味不明な……少しは研究が進歩するかと思ったのに」
バッゴに抱かれ口惜しそうにするルアの元に、リルカがフラフラと姿を見せる。
「……ありがとう、ルア」
「心は軽くなったかしら?」
「えぇ、もう……つかれ……」
言葉を言い終える前に、リルカは意識を失い、前のめりに体勢を崩した。フーゴは彼女をスッと支えると、そのまま抱きかかえた。
「フーゴ。もう身体は良いのかしら?」
「……」
何も言わず、フーゴはゆっくりとルアに頷く。
「そう。私も少し眠るわ。リルカと私を館までお願い。もうじき夜が明ける。例の道を行けば、人には出くわさないはずよ。お願いね」
「お任せくださいルア様」
「ん、ありがとう二人とも」
ルアはそう言い残すとゆっくりと目を閉じ、やがて寝息を溢し始めた。
■エピローグ
穏やかな午後の日差しを浴び、館の庭の薬草や花々はキラキラと輝く。ガシャリガシャリと音を立て、その大きな黒鉄の右腕には似合わない、ブリキの水差しで水やりをするフーゴに、ぼんやりと青白く輝く少女は、フワフワと纏わりつく。
「ねぇねぇ、フーゴちゃん。このお花は、なんて言うの? フーゴちゃん、コレはなんて言う木なの? 大きいねぇ。フーゴちゃんみたい!」
「……」
纏わりつくレブナントをしり目に、フーゴはいつもと変わらぬ様子で草花の世話をする。
「あっ、蝶々だ! まってぇ!」
蝶を追い、そばから離れるレブナントをフーゴは眺める。その視界に日差しが差し込むと、彼は物言わずに太陽を眺めた。そうしていると、彼の肩にレブナントの追っていた蝶が羽休めにと止まる。彼はじっと身体を動かさずにその場に棒立ちになる。
「じぃーっ。蝶々、可愛いねフーゴちゃん」
レブナントはフーゴの肩に止まる蝶を驚かさぬよう、静かに眺める。フーゴは相変わらず物言わず佇む。すると館の玄関の方から、金属管の中で響く様な声がフーゴを呼ぶ。その声に反応したのか、蝶は彼の肩から飛び立った。フーゴとレブナントはそれを見届けると、館の方へと視線を向けた。
「おーい、フーゴ。そんな所で何してるんだい?」
「……」
「もぉ、バッゴちゃんが大きな声出すから蝶々が逃げちゃったじゃない!」
「蝶々、ですか?」
「そうだよぉ! 可愛いかったんだよ。ねっ、フーゴちゃん」
「……」
「ハハッ、二人とも随分仲良くなりましたねぇ。あっ、そうだフーゴ。ルア様がお呼びだよ」
「……」
「頼んだよフーゴ」
フーゴは話を聞くと、ガシャリと音を立て館へと向かい歩き出した。その姿を見送ると、レブナントはバッゴに話しかける。
「ねぇねぇバッゴちゃん。フーゴちゃんの声が聞こえるの?」
「声は聞こえませんよ。でも僕たちは、心で繋がっているから分るんです」
「ふーん、ココロかぁ」
「そうです。所で、レブナント様。アナタは幽霊なんですよね?」
「そうだよぉ? なんでぇ?」
「普通、幽霊は夜に現れるモノで、太陽の光とかそう言うモノに弱いのではないのですか?」
「そうなの? あたし、そう言うの良くわからないなぁ」
「えぇ……そんな軽い」
「そもそも、あたし何で幽霊なのかも分かんないし、生きてる時の事も良く覚えてないの」
「記憶喪失ですか。うーん何処かで似たような話を……」
「ゲオルグちゃんじゃない?」
「あぁ、そうだゲオルグだ。流石ですねぇレブナント様」
「えへへ、あたしは凄いんだぞぉ!」
庭先でキャッキャと響く声が薄っすらと聞こえたのか、館の二階のにある一室のベットで眠っていたリルカはゆっくりと目を開けた。微睡む視界に見た事のない天井が映りこむ。
「……ここは」
身体をゆっくりと起こし周囲を見渡す。部屋には自分一人きり。ベットの他には木造りのクローゼットが一つに机と椅子が一脚ずつ。レースのカーテン越から、温かな陽光が刺しており、窓は空いて、そよそよと風が部屋に入ってきている。ベットから降りると、リルカには少し大きいサイズの、若草色の寝間着に身が包まれている事に気付く。窓から外を覗くと、レブナントとバッゴが楽し気に会話をしているのが下方に見える。そうか、ここは花明りの森の館だ。リルカはその事に気が付くと、部屋の扉を開け廊下へと出た。
階段を降り、すぐ横の廊下を奥に進むと木造りの扉が見えた。その扉の向こうから女の子のこえが聞こえる。次の瞬間、ズシンと何かが倒れる音と同時に、館に軽く地響きが走った。リルカは恐る恐る扉を開けると、そこには大量の本が散乱し、たった今倒れましたと言わんばかりに本棚が横たわる。そのせいか、酷く埃っぽくリルカの鼻を刺激した。散乱した本の山から、ズバッと腕が一本伸びるとその腕は本を払いのけ、本の山に埋もれていたルアが顔を出す。
「あいたたた。やっぱり無理するもんじゃないわ」
「だ、大丈夫?」
「あら、起きたのね。顔、洗ってらっしゃい。酷い顔してるわ」
「……ルアも、人の事言えないわ」
ルアの埃まみれになった顔を見て、リルカはクスリと笑いながら答えた。
「……洗面所、こっちよ」
バツが悪そうに、ルアはリルカの手を引き洗面所へと向かった。
顔を洗い終えた二人は、ルアの書斎に戻る。先程ルアが倒した本棚と本の片づけをフーゴはスッスと物言わず片付けている。ルアは「ありがとうフーゴ」と声をかけるとそのまま、部屋の隅にある、ニ脚の向かい合わせに据え置かれた、革張りの黒いソファーへと腰を下ろす。
「そこに座って」
ルアは自分の向かい側にリルカ案内する。リルカは言われるがままに、ルアに向かってソファーへと腰を掛ける。
「アナタ、三日三晩眠っていたわ。お腹空いてない?」
「三日も」
「そうよ、よっぽど力を使ったのね。無理もないわ」
「その……ごめんなさい」
「まったくよ」
ルアの言葉に、リルカはビクリと身を震わせた。そうだ、理由はどうあれ、彼女の家族を傷つけた。更には、ルアを危険な目にあわせ、そして自身の罪の尻ぬぐいをさせてしまった。リルカは視線を落とすと声を震わせながら話した。
「どんな罰も受け入れます。私の一生をかけて償います。どうか怒りを納めてください」
リルカの様子を見たルアは、フフッと笑う。
「償い、ねぇ。どんな償いをしてくれるのかしら?」
「……なんでもします。どんな事でも、命を懸けてやります」
「命を懸けて?」
「はい」
「失望したわ、リリカナルシリカ」
「……」
「どうして命を懸けるなんて言葉を使うの? アナタにとって命とはそんなに安いモノなのかしら?」
「それは」
「私は、見え透いた安い言葉が嫌いよ。そんなモノになんの価値も感じないわ」
ルアの厳しい言葉に、リルカはただ黙る他なかった。そんな彼女にルアは諭す様に続けた。
「命は、誰かに預けるモノでも、預かるモノでもないわ。誰かが操り支配するモノでもない。カーネリアがそれをアナタに教えてくれたのではないの?」
「……」
「アナタの一族は、苦しい思いをしてきたのでしょう? それならば、何故そうも簡単に命を差し出す様なことをするの? アナタの父上と母上はそれを分かっていたはず。だからこそ、アナタたちを嫌った世界の為に研究をしていたのではなくて?」
「だって……私には、もうどうしたら良いか」
リルカは顔を伏せたまま、大粒の涙を流し声を震わせる。その様子にハァと深い溜息を溢すと、ルアはフーゴへお茶を淹れて来るように指示をした。
しばらくして、フーゴがリルカの前に白いティーカップを差し出す。淹れたての熱いお茶からは、薬草のスッとした清涼感のある香りが立ち上った。
「飲みなさい。少しは落ち着くわ」
リルカはティーカップに口を付け、ゆっくりとお茶を口に含んだ。すると、ゴチャゴチャと感情が渦巻く頭の中が明瞭になっていく様な気分になった。
「ありがとう」
「まったく、どうして先にそうやって感謝の言葉を言えないのかしら? これじゃあ私が悪者みたいじゃない」
「でも」
「もう良いわよ。怒ってはいるけれど、アナタに怒ってなんかいないわ。あの性悪女にイライラしてるのよ。謎を残すだけ残して、消えるなんてまったくだわ」
「ジェーンは、私の屋敷に封印されていたの」
「アナタの屋敷に?」
「えぇ、一年前の、カーネリアが村を燃やしたあの日。どういう訳で封じられて、どういう経緯で封印が解けたのか分からないけれど、途方に暮れる私の前に姿を現したジェーンは、クリスタルの封印魔術を教えてくれたの。それからの付き合いよ。彼女が言うには、遥かな昔から存在する亡霊だって」
「遥かな昔ねぇ。錬金術の事を知ってるという所の整合性は取れるわね。あの女の企みは?」
「それは分からないわ。私は屋敷から動けなかったから。たまに出て行ったきりと思えば、フラリと帰ってくる。何か調べものをしていたみたいだけれど」
「調べもの……亡霊が? どうやって? 何を? 胡散臭い事以外、全く分からないわね」
ルアが渋い顔をし頭を抱えていると、リルカは何かを思い出した様に顔を上げた。
「そうだ、エメラルドタブレット。アレが目覚めた時の事!」
「私が気を失っていた時ね。話して貰えるかしら?」
「えぇ、三種類の封印を解いたみたいなの。呪文は馴染みのない言葉だったから……覚えられなかったけれど、七星の転輪を七つの言葉で呼び起こしたわ。後は使用者権限を『フルカネルリ』へ変更とも言っていたわ」
「それがあの女の本当の名前ね」
「どれかに聞き覚えはある?」
「どれも聞き覚えないわ。あの後、ゲオルグに色々聞いてみたけれど、彼もその時の事全然覚えて無かったの。振り出しに戻ったわね」
大きくため息を付くルアのそばへ、フワフワとゲオルグがやってくる。そして白紙のページに光る文字を現し、彼女の眼前に入り込む。
「……思い出した?」
ゲオルグはページの文字を現しかえる。そこにはエメラルドタブレットの起動条件と呪文が記されていた。
「これは……でもこの条件だとしばらくは起動できないじゃない」
「どうしたのルア?」
「起動条件に、大量の魔力が必要なの。私の分は大丈夫だけど、ゲオルグの魔導回路はかなり消費してるから回復までに時間がかかるの」
「ゲオルグの魔力は限りがあるの?」
「そうよ、彼はどちらかと言うと生き物に近いの。命を持っているの。無限に力を引き出す、所謂『賢者の石』などの様なモノではないわ」
「じゃあ」
「うーん、しばらくは進展なしね。それで、アナタはこれからどうするつもりなの?」
「分からない。でも、ルアを傷つけたのは事実だわ。それに助けて貰った。私はルアに恩を返したい」
「……さっきの言葉より、少しはマシになったじゃない。アナタの道が決まるまでは、部屋を貸してあげるわ。励みなさい、リルカ。アナタの人生は始まったのよ」
そう言うとルアはソファーから立ち上がり、すっかりと片付けられた本棚から一冊本を取り、書斎から出て行った。彼女を見送った後、リルカはふと胸の部分の違和感を感じた。手で探るとペンダントに何かがかけられている様であった。取り出すと、深く赤い紅玉を美しく装飾したカーネリアのブローチが、ペンダントに革の紐でしっかりと結び付けられていた。
「パパ、ママ、カーネリア。私、生きるわ」
リルカは思い出をその手に包み、大切な人に祈りを捧げた。
午後の暖かにそよぐ風が、優しく金色の髪を撫でる。日の光がキラキラと、腰まで伸びたくせっ毛を輝かせる。特徴的な金縁の丸眼鏡の奥には、深い深い群青の瞳が文字を映す。
「たまには、外で読書も良いじゃない」
少女はクスリと笑うと、再び本へと視線を落とした。
森の館には二匹の鬼と魔女が住む。
魔女は長い年月を生き、不思議の薬で人と大地を癒す優しい存在。いつからそんな噂が流れだしたのか誰も知らず、遠い昔からささやかに囁かれ続けた。
彼女の止まった時間と、拒絶した運命の歯車が、千年を超えて動き出した。無限を歩くルアは、何を見、何を感じるのだろうか? 彼女の求める答えは、その道の先に見つかるのだろうか?
全知を求める者よ、一切の望を棄てよ。
始まりと終わりの言葉は、彼女の心臓に今だ深く刺さったままである。
第一章 ルアと星月夜の幽霊屋敷のお話は今回でお終いです。
自分の中で決めたテーマや、シリーズを通して伝えたい事を考えながら書いてきました。
それらを上手く表現できたのかは僕にはまだ解りません。
ですが、この話を読んでくれたアナタには、伝わってほしい、伝えたいと思って書き進めて来ましてた。
特別な言葉をくれとは言いません。もしアナタが何かを感じてくれたのなら、アナタの心に、魂に従ってみてください。
ルアの命の旅は、千年を超えて始まりました。
彼女には求めた答えにたどり着いて欲しいと、僕は願っています。
アナタの人生の旅を、このお話と共に応援しています。
令和二年 八月三十日 日曜日 九重岳