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無限を歩くルア  作者: 九重ウメ
第一章 ルアと星月夜の幽霊屋敷
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第五話「エメラルドタブレット」

退路の確保と、力を使い果たしたフーゴをバッゴに任せ先に進むルア。

彼女は呼び起こす。

忘れていたつもりであった、苦悩と哀しみの記憶を。

無限を歩く咎人は罰を受け続ける。その心が人である限り。

■第五話「エメラルドタブレット」


 退路の確保としてフーゴとバッゴを屋敷エントランスに残したルアは、奥にある扉を開く。彼女が感じた、死霊魔術の力は扉の先にある中庭の更に奥に見える、屋敷の中でも一際大きな建物から感じる。


「あれが母屋かしら」


 一言呟くと、彼女はその歩みを進める、感じる力は死霊魔術以外に、何かを封じる様なモノも感じ、ルアは不可思議な感覚に陥る。この正体不明な感覚の中、手負いのゴーレムたちと進むのは彼女にとってはリスクが高いと判断した。ルアにとってのリスクとは、たった三人きりの家族を失う事であった。それは先程のアーダーンとの戦いで、フーゴの腕を破壊された時に彼女の頭によぎった「死」というもの。死という概念。ルアは、自身を取り巻く命ある者が、彼女をおいて先立つ苦痛と恐怖を知っていた。


「そんなモノ忘れたつもりでいたわ」


 それはルアが、館の外との関りを極力持たない様に立ち回る理由でもあった。死は何者も逃れる事は出来ない。けれども自分は死を、理を超えてしまった。


 全知を求める者よ、一切の望みを棄てよ。


「ゲオルグ」が「まだゲオルグではなかった」その書の最初に記されていた文が頭によぎる。


「まるで呪いね。結局、私の望みは……」


 彼女が望んだ、たった一つの未来は、全知を得る時間と引き換えに奪われてしまった。以来、彼女は飢える事無く、老いる事無い身体となった。そして死は、理を超えた咎人に、恐怖と苦痛を罰として与えた。その心が人であり続ける限り。

心が壊れない様に、苦しまない様に、彼女は外界との関りを草結びの結界で断った。その時のルアには、そうする事しか出来なかった。


「人の気も知らないで」


 ルアは自身の心の中へ、土足で入ってこられた気分でいた。眉間にシワを寄せ、一言呟くと、まるで手入れの行き届いていない、荒れ果てた中庭の奥へと歩みを進めた。傍らにフワフワと浮かぶゲオルグは白紙のページへ文字を浮かべる。


「えぇ、怒ってるのよ。何を企んでるのか知らないけど、ビンタ一発じゃ済ましてあげないわ」


 その言葉を聞き委縮したのか、ゲオルグは広げた体をパタンと閉じ、ルアの腰のカバンの中へとスポッと収まる。


「……それにしてもこの荒れ方、まさに幽霊屋敷ね」


 ルアの背の高さ近くまで伸びるススキや、無秩序に生える雑草。剪定もされず佇む木はどことなく生気を感じさせない。吹く風は、ひんやりと冷たく、木の葉をカサカサと鳴らす。そんな中、かろうじて確認できる石畳の道に従いながら進む。


 中庭を抜け、母屋と思わしき建物の前に出た彼女の前には、木造の立派な扉が現れる。ドアノブに手をかける。鍵はかかっておらず、ゆっくりと扉が開く。扉の先は広間となっていた。しかしここはエントランスとは違い、天井から下がっている銀細工のシャンデリアや壁にかかる燭台は火を灯しており、先程まで感じる事の出来なかった人の生活感というものを感じ取る事が出来た。入ってすぐ目に映る二階への階段。それを上がった先にある一室から、魔力を感じる。ルアは迷うことなく階段を上りその部屋まで向かう。階段を上り真っすぐ続く廊下を抜け一番奥の部屋。扉の前に立つと、ハッキリと強い魔力の流れを感じる。


「これは、封印魔術?」


 感じ取った死霊魔術の力よりも、今は封印魔術の力の方をルアは強く感じた。そうしていると、扉の向こうから少女の声が聞こえた。


「入って来ないの?それとも、コソコソと様子を伺うのが錬金術師の流儀なのかしら?」


 扉越しに話しかける少女の声に、ルアは眉間に寄せたシワをさらに深め、ノックもせず扉を開けた。


「随分な言い様じゃない?私の館をメチャクチャにしたあげく、家族を傷つけた。何が目的かは知らないけど、私を怒らせた罪は重いわよ」


 勢い良く扉を開けた先は、色取りどりの宝石や鉱石が所狭しと部屋中に並び、壁に掛けられた燭台の灯りがそれらをキラキラと輝かせる。奥には部屋のどの宝石よりも大きな、一目見ても分かる特別なクリスタルが赤く光を反射する。そのクリスタルの前には、声の主であろう少女がルアに向かって立っていた。


 薄っすらと青紫に光を纏う白髪。フリルやレースが装飾された白いドレス。そして心の空虚を映すかのように儚げな、黄金に染まる瞳。ルアはこの少女の持つ雰囲気、その見た目から想定される年齢とは裏腹に、成熟した意思の様なものに、彼女が「リルカ」と呼ばれる者だと確信した。


「アナタの館をメチャクチャに? 私はレブナントにそうするよう指示はしてないわ」


「実力でゲオルグを奪えって言うのは、どう説明してもらえるのかしら?」


「……ジェーンの仕業ね。荒事になった事は謝罪するわ。でもアナタも私の屋敷をメチャクチャにしてる。それでチャラにしてもらえるかしら?」



「アナタの指示のもとに、私の家族は傷ついたのよ。そんなに簡単に済まそうとされても困るわ」


「では、私にどうしろと?」


「まずは名乗りなさいな。私と対等に話そうというのなら礼儀ぐらい弁えなさい」


 ルアとのやり取りに、少女は誠意を示す様に足を交差させ、軽く膝を曲げる。両手はドレススカートの裾を軽くつかみ上げ、所謂カーテシーという挨拶の仕草を見せ名を乗る。


「私は、リリカナルシリカ・イクセントラッヘ。ようこそ私の屋敷へ、花明りの魔女様」


 仕草は洗練され丁寧に見えるが、ルアを「花明りの魔女様」と皮肉を込めて呼ぶ。普段であれば、そういった所に敏感に噛みつくルアであったが、この時ばかりは沈着冷静な態度を見せる。


「イクセントラッヘ。聞いた事ある名ね」


「私のご先祖様の名は、ガリル・イクセントラッヘ。東雲の侵略戦争から青嵐を守った、偉大なるネクロマンサーよ」


「たった一人で、死者の軍勢を率いて東雲のサムライ衆を追い返した英雄。その子孫が私に……ゲオルグに何の用かしら?」


 ルアの言葉を聞き、リルカは溜息交じりに、気だるげに言葉を返す。


「その前にアナタは名乗らないのかしら?花明りの魔女様。礼儀だうんぬん吼える割には、案外アナタも礼節がないのね」


「私は、ルア・マグノリア。花明りの魔女であり錬金術師よ。さぁ、偉大なるネクロマンサーの子孫よ、私の問いに答えなさい」


 皮肉めいて話されても、その態度を崩さないルアに、リルカは目の前の「花明りの魔女」を名乗る少女の言葉に確かなものを感じた。


「では単刀直入に。私には錬金術の力が必要なの。アナタの持つ魔導書ならば、私にその力を与えてくれる。知識を分けてくれるだけでも構わない。どうか力を貸していただけないかしら?」


「生憎だけれど、ゲオルグの書があれば錬金術は扱えると言うものではないわ。それにこの書は記憶喪失なの。手にしたところで、アナタが求める知識は得られないわ」


「本が記憶喪失? 無限を歩く者は、随分と笑えない冗談で話を流そうとするのね」


「冗談なんかじゃないわ。ゲオルグ」


 ルアの言葉に反応し、腰のカバンに収まっていたゲオルグはフワフワとその姿を現し、白紙のページをペラペラと広げ、リルカに見せる。


「解って貰えたかしら?」


「ページが全て……こ、この本が本物だという証拠もないわ。こんな子供だまし信じられない」


「その存在が、とうに忘れ去られた錬金術は信じるのに?随分都合がいい考え方をするのね」


「それは」


「アナタが求めるモノが、そのクリスタルに封じられた子に関する事なのは何となく解ったわ。でも、アナタは自分のエゴイズムの為に、私の大切なモノを傷つけた。協力する気にはなれないわ」


 リルカはエゴイズムという言葉を耳にし、胸の奥をグッと握りつぶされる感覚に陥った。それは今まで、彼女が虐げられて育って来た中で、何度も何度も他人の都合に振り回され続けた、彼女と家族の苦い記憶を呼び起こしたからであった。


「みんなそうだわ。どうして、どうして私の願いは、みんな平気で踏みつけて行くの。私たちが何をしたというの?」


「・・・何があったかは私は知らない。でもソレとコレは話が違うわ」


「何も違わないわ!」


 感情的な声でリルカは叫んだ。その黄金に染まる瞳からは涙が溢れていた。


「ご先祖様は、国を守ったじゃない。なのに戦争が終わった後、誰もがご先祖様を疎んだ。死霊魔術を気味悪がった。恐れた。だから国を出て星月夜で平和に暮らそうとした」


「……」


 リルカの話に、ルアは何も言わずに耳を傾けた。


「パパとママは、世界の人々の為になると信じて、蘇生の魔術や疫病の魔術を研究したわ。私たちを嫌った世界の為に。私はそんな家族が大好きだった。誇らしかった。だからどんなにイジメられても、気味悪がられても悔しくなんかなかった。でも寂しかった。私も友達を作って、ひみつ基地で遊んでみたかった。そんな私に手を差し出してくれたのは、カーネリアだけだった。私たちはただ、穏やかに生きていきたかったの。それなのに、都合が悪い時だけ私たちを頼り、無理難題を押し付け、その口封じにパパとママを殺した。そして私をかばってカーネリアは死んだわ。世界は……世界はこんなにも利己主義と理不尽が溢れている。どうして私だけが願ってはならないの? どうして私たちが耐え忍ばなければならなかったの? ねぇ、アナタはどうして花明りの民を助けてるの? 私の事も助けてよ。私の友達を助けてよ!」


 ひとしきり自身の中に眠る負の感情を言葉にし吐き出したリルカは、ハァハァと息を切らせた。黄金の瞳は涙で歪み、流れる涙は、雪の様な白い肌をじっとりと濡らしていた。


「アナタの言い分も、気持ちも理解したわ。では何故、アナタが苦しめられた理不尽を、自分のエゴで私たちに振るったのかしら? 私たちも静かに穏やかに過ごそうとしていたわ。それをアナタは突然壊した」


「私は、封印魔術でココを動くわけにはいかなかったの」


「だから、レブナントをよこしたの? ジェーンなんて胡散臭い女まで使って? こんな荒事になるなんて思わなかった? 全てアナタの軽率な考えじゃない」


「じゃあどうしたら良かったのよ! 私はココから動けない。誰も頼れる人もいない。こんな私に、たどり着けない館に住むアナタに、どうやって助けを求めれば良かったのよ!」


「そんな事は自分で考えなさい。そうやって目先の事ばかり優先するから、こうやって何かが犠牲になるのよ」


 目先の事ばかり優先するから何かが犠牲となる。この言葉に、リルカの脳裏にあの時の、カーネリアを救おうとした時の記憶が蘇る


(リルカ、これだけは覚えておくのよ。魔術師は、魔導とつながる者は、必ず輪廻の輪に帰らなければならないの。そうでないと、魔に食われて魔物に生まれ変わるから。私たちの死霊魔術は、絶対に魔術師の魂に使ってはいけないよ。魔術師の魂に呪いがかかり災厄を生んでしまうからね)


 私のせいだ

 

 私のせいだ


 私のせいだ


「私のせいだ・・・」


 一言だけそう呟くと、リルカは両手で顔を覆いその場に膝をつき、涙を流し肩を震わせた。そんな彼女にルアは歩み寄ると、木造の床に膝を付け静かに語りかけた。


「何かの犠牲の上に成立するモノは、憎しみと不幸を生むわ。私たちには、言葉と理性がある。だから」




「つ か ま え た」




 左の耳元から、冷たく凍り付くような女の声が囁く。瞬間、ルアの背中に刺すような痛みと熱が広がる。それと同時にルアは酷く吐血し、ガフガフと咳き込みながらその場に崩れ落ちる。目の前の光景に、リルカは瞳を見開き驚愕する。ルアの背中には、一振りの銀に輝くナイフが刺さっていた。


「ル……ア……?」


 ルアが崩れ落ちた後ろには、下半身を喪失たジェーン・ドゥがユラユラと宙に揺れながら、ニタリと歪な笑みを浮かべていた。


「何てことを! ジェーン!」


 リルカがジェーンに叫ぶ。


「大丈夫よ、このぐらいじゃ死なないわ。それよりも、フフッ、ようやく私の手に」


 ジェーンの手元には、赤い革で装飾されたゲオルグの書が握られていた。


「最初から……ダマしてたのね?」


「アラ、人聞きが悪いわぁ。お姉さんは別に嘘なんて言ってないわよ。それに私なら、この魔導書の真の力を解放出来る。リルカ、アナタの大切なお友達も助ける事も出来るわ」


「カーネリアを……」


「そうよ。呪縛を解き、輪廻の巡りへ戻してあげる事が出来るわ。言ったでしょう? その力がこの、私の魔導書にはある」


 ジェーンの言葉に、リルカは心を奪われそうになる。同時にルアとの会話を彼女は脳裏によぎらせる。


(目先の事ばかり優先するから、何かが犠牲となるのよ)


(何かの犠牲の上に成立するモノは、憎しみと不幸を生むわ)


 自分の願いが叶うかもしれない。しかしそれは、ルアの犠牲のもとに成り立つ。自分はもう一度、同じ過ちを繰り返してしまうのか? しかしこのチャンスを逃せば、カーネリアを開放することは叶わないかもしれない。自身の置かれた状況に苦悩するリルカにジェーンは続ける。


「何も悩む必要なんてないわよ。ルアは、ほっといても死なないわ。そしてこの本も、元の持ち主の手に戻るだけ。アナタはカーネリアを助けられる。このまま、お姉さんを見守るだけ。それだけよ?」


 甘く優しく、誘惑の言葉がリルカに投げられる。リルカはゆっくりと立ち上がると、流した涙を拭いジェーン・ドゥを見据えた。


「それでも……もう、同じ過ちは繰り返せない。本を返してジェーン。それはアナタのモノじゃないわ」


 その姿は、苦悩し、悲しみと後悔に打ちひしがれ続けた少女のものではなく、自身の意思を力にし、強く立ち上がった決意のあるものであった。


「後悔することになるわよ?」


「後悔なら十分してきたわ」


「残念よ」


 ジェーンは、手にしたゲオルグの書を開くと呪文を唱え始める。


「アレフ、ベス、ギメル、第三種封印術式解凍。ヌン、レーシュ、ヴァヴ、ヌン、クォフ、サメフ、レーシュ、七星の転輪起動」


 七つの色に光を輝かせる球体が連なる輪が、呪文を唱えるジェーンと書を中心として現れ、それは天球儀の様に彼女を太陽に、書を月に見立て、ゆっくりと回転を始める。すると失われていた、ジェーンの下半身が再生を始め、すらりと伸びた足が姿を現す。


「使用者権限を、『フルカネルリ』へ移行。目覚めよ、エメラルドタブレット」


 ジェーンの言葉にゲオルグの書は呼応し、その赤い本の姿を、翡翠の様に鮮やかな緑色に輝く石板の様な姿へと変える。


「さぁ、真の封印は解かれた。どうする? 泣き虫お嬢様」


 リルカは今まで感じた事もない、強大で、とてつもない、この世界のあらゆるものを、その手に収める事も可能な、想像を超えた何かとしか例えようのない、異質な力の波動に身を刺される。その前では、善意も悪意もまるで意味をなさない完全性すら感じられた。


「力を貸して。パパ、ママ、カーネリア」


 両手を合わせ、指を組み、リルカは呪文を唱え始める。


「召しませ、召しませ、常闇の。召しませ、召しませ、暗がりの」


 リルカが呪文を唱え始めると、彼女の周囲を紫の光を発するエネルギーが、彼女を中心に渦巻くようにぼんやりと姿を現す。リルカの胸に輝く銀のペンダントは、その紫のエネルギーを吸い始める。


「禁呪の詠唱? そんな出来損ないの降霊術、この私に通じるとでも?」


「私たちをナメるな! 誉れ高い一族よ、再び立ち上がれ! サモンフォビドゥン!」


 禁呪の詠唱で呼び起こされたモノは、これまで悲運な人生を遂げた彼女の一族の亡霊の群れであった。リルカの父と母も、その群れの列に並びジェーン・ドゥへと襲い掛かる。


「フフッ。面白いじゃない」


 ジェーンが薄ら笑いを浮かべると、サモンフォビドゥンへと右手をゆっくりと向ける。


 ジェーンが気を取られいてるその隙をついてリルカは、倒れて意識を失っているルアを抱きかかえる。口と背中の傷口からドロリと流れる深く赤い血に、彼女の白いドレスは少しずつ紅に染まりゆくが、リルカは気にせずにルアの意識を回復させようとした。


「お願い、目を覚まして。アナタの力が必要なの」


 リルカの声と肌の温もりを感じたルアは、薄っすらと目を開き微かに意識を戻した。


「アナタは……」


 ルアは絶え入る様に声をこぼす。


「私はリルカよ。分かる? アナタ、ジェーンに刺されたの。思い出せる?」


「……あぁ、背中が……痛い」



「そう、背中を刺されて気を失ってたの。その間に魔導書が奪われて、真の封印が解かれてしまったの」


「ゲオ……ル、グ」



「私のサモンフォビドゥンで、何とか時間を稼いでる。でももう持たないかもしれない。ジェーンを止めないと、取返しのつかない事になる。お願い、私に力を貸して。どんな償いでもする。だからお願い、力を貸してルア」


 リルカの呼びかけに、ルアはどこか懐かしい感覚を微睡む意識の中感じていた。


(あぁ、誰かに名前を呼ばれたの……久々な気がする)


「お願い! ルア!」


 リルカの叫びで、ルアの意識はハッキリと覚醒した。薄く開かれた目は大きく見開かれ、深い群青の瞳には光が戻った。同時に背中から鋭い痛みと熱を感じ、彼女は顔を歪めた。


「ぐっ……うぅ、このナイフ、抜いてくれるかしら?」


「で、でもそれじゃあ血が」


「大丈夫よ、私は死なない。それよりもコレ、何か呪術がかかってる。この程度で私が意識を失うなんてありえない」


「わ、わかったわ」


 ルアを自身の胸に抱きかかえると、リルカは彼女の背に刺さるナイフに手を向ける。ダラダラと流れ続ける血液と、ビクビクと痙攣する傷口に、リルカの手はガクガクと震え始めた。


「ダ、ダメ出来ない」


 緊張と凄惨な見た目から恐怖を感じ、声を震わせるリルカに「やりなさい。時間が無いんでしょ」とルアは声をかける。震える手を必死に伸ばし、リルカはナイフをようやく掴むが、その震えがナイフへと伝わり、ルアの傷口を刺激する。


「……ッ!」


「あ、あぁ」


「覚悟を決めなさい! リリカナルシリカ! 私がどうにかして見せるから!」


 ルアのハッパをかける声に、勇気を奮い立たせたリルカは、ナイフを握る手に力を込め一息に上へと引き上げた。


「うっ、がぁぁああ!!」


「ルア!」


 引き抜いたナイフを放り投げ、リルカはルアを力の限りに抱きしめた。すると、ダラダラと流れ出ていた血は止まり、見る見るうちに傷口が閉じていくのをリルカは目の当たりにした。


「やれば出来るじゃない」


「ど、どういう仕組みなの?」


「今はそれどころじゃないでしょう。あの女、随分好き勝手やってくれてるわね」


 ルアがリルカの胸から起き上がり振り返ると、ジェーンはまるでワルツでも踊るかのようにリルカの呼び出したサモンフォビドゥンをいなしていた。


「ウフフッ、お目覚めかしら?」


 ジェーンが声をかけた瞬間、光輝く縄が彼女へ目掛けて飛んでいく。ジェーンはそれを片手で払いのけると、興が逸れたかの様に今までの薄ら笑いをスッと止め、サモンフォビドゥンから距離を取るように後方へとその身を下げる。


「何それ?」


 ジェーンの冷たく、感情を感じさせない声がルアへと投げかけられる。


「人の気持ちに付け込んで、自分の良い様に利用して、挙句いきなり不意打ちする様な性悪女にご挨拶申し上げたのよ」


「人の気持ち? フフッ、アハハハハ」


「何がおかしいのよ」


「フフッ、だって傑作だわ。まさか無限を歩く不死者が人の気持ちだなんて。バケモノが人を語るなんて下らないわ」


「私はバケモノじゃないわ。人よ」


「いいえ、人なんかじゃない。アナタは下らないモノを超えた存在。私たち輪廻を超えた者は、旧時代の呪縛から世界を解き放つ為の存在。人の言う、人智を超えたバケモノよ」


「アンタ、何様のつもりよ?神にでもなったつもりかしら?ゲオルグの封印とやらを解いて、自分の物にした気になっているのでしょうけど、それは大きな間違えだわ」


「これは元々、私の魔導書。誰よりもこの本の事は知っているわ」


「リルカ、サモンフォビドゥンを収めて頂戴。この女にゲオルグは扱えない」


 リルカはジェーンから感じる、得体の知れない強大な力をひしひしと感じとる。それでも魔導書の力を使えないという事が信じられずにいた。


「とてつもない力を感じるの。ココで退いたら立て直しなんて出来っこないわ」


「大丈夫よ。それにアナタの大切な一族が傷つくわ」


 ルアの言葉を、自分の一族の事を案じてくれた、彼女の言葉を信じたリルカは、サモンフォビドゥンを素直に収める事にした。


「そんな出来損ないの禁呪、あろうがなかろうが私には支障ないわ。でも、ルア。アナタは私を少し怒らせたわね。錬金術の奥義、その身に味合わせてあげる。肩慣らしに丁度いいわ」


「どんな奥義を見せてくれるのかしら?」


「星を操る奥義『事象獄』で封印してあげる。イベントホライゾンを超えて、光も逃さぬ暗黒に飲み込まれ続け、永遠に後悔するといいわ」


「事象の地平線……ねぇ。まぁ、やってみなさいよ」

ジェーンの言葉に全く動じず、あろうことか挑発的な態度をとるルアに、ジェーンは眉間にシワをよせ、彼女にあるまじき苛立ったそぶりを見せた。


「お別れね」


 そう話すと、ジェーンはエメラルドタブレットに触れスッスと指を動かし始める。指先には淡い黄色い光が追従し、その動きは、文字を刻んだり陣を描くのではなく、何かを操作する様な、傍から見れば理解不能な動きであった。そして最後に手のひらをエメラルドタブレットに当てると、タブレットはその翡翠の姿を緩やかに明滅させた。


「さぁ、開け事象獄。愚か者を追放せよ」


 ……。


 ジェーンの言葉が空を揺らすも、静寂だけが部屋を支配する。


「なっ……開け、事象獄! どうしたエメラルドタブレット!」


 ジェーンの命令にエメラルドタブレットは一切の反応を示さない。もう一度タブレットが淡く明滅を始めると、彼女はその光を映しこまぬ黒く暗い瞳を大きく見開いた。


「・・・使用者権限の範囲外。現在の使用者『ゲスト』はこの命令を実行出来ません。どういうことなの? 使用者権限の変更も、ゲマトリア封印コードも解除したはず」


 困惑するジェーンに、ルアはフフッと笑い声をかける。


「幽霊やりすぎて、もうろくしたのかしら? アンタ、基本の基本を忘れてるわ」


 ルアの言葉の意味を理解したジェーンは、血の気を感じさせない顔を憤怒に歪める。


「……血と肉」


「錬金術は前提として、術者の血と肉と魂を使わなければ成立しない。アンタ、魂をどうにかこの世界に縛っている様だけど、血と肉が、生ある肉体が無いのだから扱える訳ないじゃない。アーダーンの狂戦士っぷりがそれを証明してるわ」


「アーダーン?」


 リルカの疑問の声にルアは「アナタ、本当に何も知らなかったのね」と返す。


「でも、この溢れ出る力は一体?」


「アレはゲオルグに、仮とは言え繋がっているから魔力が供給されているだけよ。引き離せば供給された魔力はゲオルグに回収されるわ」


 リルカにジェーンのカラクリを説明すると、ルアはパチンと指を鳴らす。すると、ジェーンの元にあったエメラルドタブレットはフッとその姿を七星の転輪と共に消し、ルアの元へパッと姿を現した。七星の転輪がルアの周囲を回り始めると、彼女の傷や汚れがあっという間に綺麗に浄化された。反対に、ジェーンの再生した下半身は、見る見るうちにその姿を霧散し、彼女は元通り上半身だけの姿となった。


「……」


 ジェーンは物言わずルアを、冷たく鋭い眼光で睨みつける。


「アンタには聞きたい事が山ほど出来たわ」


 ルアはその暗く、黒く、光を映さぬ瞳に鋭く睨みつけられても一切動じずに話す。するとジェーンはいつもの調子で、ニタリと笑い顔を歪ませた。


「そう。でも残念。今日はお開きみたいよ?」


「このまま逃げれると思ってるのかしら?」


「えぇ、だってホラ。後ろのその子は待ってはくれないみたいよ?」


 その言葉にリルカは「しまった!」と後ろを慌てて振り向く。カーネリアの封印されていたクリスタルは、赤い蒸気をシュウシュウと上げ始め、ピシリピシリとひび割れを起こし始めていた。


「封印が、私がサモンフォビドゥンに魔力を割いたから」


「リルカ! 術を掛けなおして! 私はコイツを」


「ダメ、間に合わない!」


 バリン。


 大きくガラスの砕ける様な音が鳴り響く。クリスタルに封じられていた少女は、赤い魔力の光に包まれゆっくりとその姿を宙へと浮かばせる。赤い魔力の光は炎へと姿をかえカーネリアを包み込んだ。


「カーネリア!」


 リルカが叫ぶ。ルアはクッっと歯を鳴らすとジェーンへと視線を戻す。しかし視線の先には既にジェーンはおらず、またも取り逃がしてしまった。


「あの性悪女!」


 後ろから吹き荒れる熱風に、ルアが振り返る。そこには巻き上がる炎の中から、恐ろしい姿のバンシーが現れ、苦悶を叫ぶ口と目は、奈落に続く穴の様に深く暗く、声にならない金切り声の叫びと共に、その身を空にのたうち出した。

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