表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/10

規格外の肉体

 自分の顔を触れば、水面の男も顔を触る。何度やっても、水面の男は俺の動きに合わせて動く。


「あの? どうかしましたか?」


 背後からの女の声に振り向こうとして止めた。

 あのままなら、あの女は裸でいることになる。そのような姿を見る訳にはいかない。

 自分の服に目を向けると、着物と袴姿であることに気づいた。


 着物の紐を緩めて脱ぐと、背中を向けたまま服を差し出した。


「着ろ」


「えっ? あっ! 私っ!?」


「早く着ろ」


 手にした着物が引っ張られたので、手を離した。衣擦れの音が聞こえると、女が声を掛けてきた。


「服、着ました」


「ああ、分かった」


 ゆっくりと振り返ると、女は着物を羽織っていた。

 顔を見ると、慈愛を感じる柔らかな顔立ちをしており、その顔を見ると不思議と高鳴った鼓動が穏やかになった。

 じっと見つめていると、女が首を傾げる。


「あの、あなたは?」


「俺か? 久琉守くるすだ。武智たけち 久琉守」


「タケチさん?」


「ああ。久琉守でも構わない」


 女は目を伏せると、小さく頷いた。


「では、クルスさんと呼ばせてください。クルスさんはどうしてここに?」


 女の問いに、すぐに答えることができなかった。

 周りを見ると、まったく見た事のない景色に囲まれており、小さな湖の真ん中に俺と女がいる状況であった。

 近くに川はないため、流されてここに来たとは思えない。


 一体、ここはどこなんだ。俺は一体、何故、ここにいるんだ。次々と浮かぶ疑問に目眩がしてきた。

 額に手を当てていると、女が不安そうな顔をする。


「分からないんですか?」


「ああ、まったくな。ここはどこなんだ?」


「クルーゾです。本当に分からないんですか?」


「クルーゾ? どこだ、それは?」


 全く聞き覚えのない単語に、眉をひそめた。

 疑念を抱いた俺を見てなのか、女は困り顔をした。そんな顔をされると、俺が悪いことをしているような気がする。


「ブルドーズ国って分かりますか?」


「いや」


「では、アインゼン大陸は?」


「知らん」


「そうなんですか。参りましたね。記憶はあるのですか?」


 女の問いかけに頷いた。この顔に服のことはさっぱりだが、間違いなく記憶はある。

 俺の顔をじっと見た女の表情が曇った。


「クルスさんは、ご自分のことは知っているんですよね?」


「ああ、それは分かる」


「でも、ここが分からない?」


「ああ、分からん」


 分からないものは分からん。クルーゾだの、ブルドーズ国など知らないし、アインゼン大陸など増々分からん。

 知らない言葉を投げかけた女はため息を吐いて、肩をすくめた。


「記憶喪失、という訳ではなさそうですね。自分のことが分かるのですから」


「そうだな。で、お前は誰なんだ?」


 すっかり忘れていたことを思い出したので聞いた。

 この女が何者なのか。それを知ることができれば、何か分かるかもしれない。


「私は、リリセーラ・ファルム。イスタル教会の循導師じゅんどうしです」


「循導師?」


 また分からない言葉が出てきた。女は困り顔で笑った。


「分からないですよね。簡単に言えば、世界を旅して困った人々を助けているんです」


「そうなのか?」


 このような若い女が世界を旅して、人助けをしているのか。感心して、大きく頷いた。

 人のために動くのは難しい。世界を旅するだけでも過酷なことだ。この女、ただ者ではない。


「お前、すごいな」


「えっ?」


「すごいって言ったんだ。誰かを助けるのは簡単なことじゃない。俺はそう思っている」


「あ、その。ありがとうございます」


 リリセーラは俺から目を逸らして、照れ顔をしている。誇れることだ。照れることではない。


「あ!」


 リリセーラが声を上げた。


「目を瞑っててください。私、着替えてきますので」


 言われて思い出した。リリセーラは俺の着物を羽織っているだけなのだ。どこかに着替えがあるのは当然だ。

 すぐに指示に従って目を瞑った。目を閉じたお陰で、困惑していた頭の中が整理されていく。

 とはいえ、分かったのは、ここが全く知らない場所で、俺は顔も違えば服も違うということだ。やっぱり、分からないことだらけだった。


「クルスさん、目を開けても大丈夫ですよ」


 目を薄っすらと開けて、リリセーラの声が聞こえた方に目を向ける。

 湖のほとりに、純白のローブを着たリリセーラがいた。安っぽい言葉だが、綺麗だと思った。

 女にそう思ったのは初めてだ。


 同年代の女は大体、俺のことを避けていた。怖いのだそうだ。自分ではよく分からないが、周りが言うのだからそうなのだろう。

 女との接点は母さんと美羽と祖母ちゃんを除けば、ほとんどなかったため、女に何かを感じることがなかった。

 不思議な気持ちを抱いていると、リリセーラが手を振る。


「どうしたんですか? 風邪を引いちゃいますよ?」


 そうか。俺はびしょ濡れだった。濡れたままでいるのは体に悪い。リリセーラの元へと向かい、着物を返してもらった。

 水を吸った着物を手で絞って水気を抜いてから、袖に手を通した。

 湿り気があるが、裸でいるよりはマシだろう。袴も絞りたいところだが。


「悪い。後ろを向いていてもらえるか」


「あ、はい」


 袴を脱いで、力を入れて絞る。その時、ふと違和感を覚えた。力を入れた時の感覚が今までと違う。

 1回絞っただけで、ほとんど水気が切れていた。それほど力を入れたつもりはないが。


「クルスさん、どうかしましたか?」


「ああ。いや、何でもない」


 袴をはいて、リリセーラに声を掛けると、振り返ってまじまじと見てきた。


「どうかしたか?」


「その服、ミズホ国の物のようですね」


「そうなのか? 着物のようだが」


 また知らない国の名前が出てきたが、着物があることに少し安堵した。訳が分からない世界で見知ったものがあるのは嬉しい事だ。

 この着物、かなり上等なものなのか、肌触りがとてもいい。着物を撫でていると、リリセーラが笑った。


「何だ?」


「いえ、初めて眉間のしわが取れたので。ずっと険しい顔をしていたから」


「そうなのか?」


 思わず自分の眉間に手を当てる。思えば、周りからも険しい顔をしていると言われたことがあった。

 それが素の自分だと思っていたが、そうでない時もあるのか。

 変に感心していると、離れた所から金属がかち合う音が聞こえた。


 こちらに向かって来ているのか、音は徐々に大きくなり、しばらくすると音の正体が分かった。

 西洋の甲冑らしきものを着た3人の男が走ってきていたのだ。


 俺は数歩前に進んで、リリセーラの前に立った。男達の放つ気から、嫌なものを感じ取ったからだ。

 男達が俺達の存在に気付いたのか、足を止めて息を整えている。俺とリリセーラを交互に見ると、口をにやりと歪めた。


「おい、女がいるぞ」


「ああ。それも上玉だ。このまま殺されるぐらいなら、最後ぐらい楽しみてぇ」


「だな。おい! 痛い目見たくなきゃ、女を置いて消えろ! なぁに、悪いようにはしねぇさ」


 下卑た笑みを浮かべる男達をじっと見据える。俺の目が気に食わないのか、男達の目に怒りの色が宿った。


「んだ、その目? 女の前でカッコつけたいのか? 良いぜ。女の前でじわじわと殺してやるよ!」


 男達が剣を抜き、一斉に駆けて来た。

 相対するために歩を進めると、相手の剣の間合いに入る。つま先に力を込めて、相手の懐にもぐり込もうとした。


「なっ!?」


 男達の声を背中で聞いた。何故、俺は男達の間をすり抜けてしまったのだ。踏み込んだだけなのに、風のような速さで突き抜けてしまった。

 何があったのか分からない。ただ、おかしいとしか言えない。力を入れた時の感覚が、今までのものとは全く違う。


「ちっ! そのまま逃げれば良かったのによぉっ!」


 怒声を上げて、また一直線に駆けて来た。俺は腰を少し落として、手を軽く前に出して構える。

 相手の動きをしかと見極めて動くしかない。この体はおかしいのだ。下手に動けば。


「でりゃあ!」


 男の内の1人が剣を振り上げ、一気に振り下ろす。その剣の流れを見極め、すっと半身になって避ける。

 軽く曲げた左手で素早い突きを繰り出すと、拳が男の顔にめり込んだ。男は白目を剥いて鼻血を垂らすと、その場に崩れ落ちた。

 男達が驚愕の声を上げるが、俺が一番驚いている。


 本当に軽く突きを出しただけだ。やはり、この体は異常だ。ほんの少ししか力を込めていないのに、軽い一撃で人を沈めてしまう。

 体自体が凶器と言っても良い。これは力の出し方に注意しなければ。


「ちぇあっ!」


 1人の男が剣を横薙ぎした。

 極力抑えながら、地をトンと蹴って後ろに下がった。それでも思った以上に距離が開いた。

 男は空ぶった剣に引っ張られて、体勢を崩していた。今度も、つま先に少し力を込めて前に踏み出す。


 それでも思う通りにはいかず、男の懐どころか、密着してしまった。

 ここからの打撃技は限られてしまう。それならば、投げ技を決めるしかない。すぐさま男の首に手を回して、空いた手で男の腕を引っ張る。

 体を捻じって男を地面に叩きつけ、呻く男の顔を殴打した。


 こちらも一発でのびてしまったことに、残った1人の顔が恐怖に染まった。

 武器を持った男達で素手の男を襲ったのに、簡単に返り討ちにされたのだ。今にも逃げ出したい気分だろう。

 だが、ここで逃がすつもりはない。


 男との距離を詰めるため、つつつと前に進み、つま先に込めた力を爆発させて飛び掛かった。

 男の顔目掛けて拳を突き出すと、放たれた矢のように男の顔に拳が突き立った。


 顔がへしゃげる程の一撃に、男は仰向けに倒れて行った。

 この一撃は中国拳法でいう「箭疾歩せんしっぽ」に近い。距離を詰めるための歩法で、間合いを一気に詰めると同時に攻撃を繰り出すというものだ。

 瞬く間に倒された男達を見て、一息ついた。


 何でこんなに体が軽く、力強いんだ。まるで自分の体ではないような感覚がする。髪型も違えば、顔立ちも違う。その上、この体だ。俺は別人になってしまったのか。


「クルスさん、大丈夫ですか?」


 リリセーラの声で我に返ると、軽く頷いて返した。


「大丈夫だ。こいつらは山賊か何かか?」


 俺の問い掛けにリリセーラは男の1人の姿を見て、首を振った。


「ブルドーズ国の兵士ですね。おそらく、戦場から逃げて来たのでしょう」


「戦場? 戦争しているのか?」


「はい。フォード国とブルドーズ国の戦争です」


「フォード国?」


 また知らない国の名前が出てきた。もう驚くほどのことではないが。

 リリセーラは俺の顔を見て、神妙な表情で口を開いた。


「10年前、魔王を討伐した勇者デスティンが治める国家です」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ