邂逅 (4)
「ルチア。ひとつ聞いてもいい?」
「?、何?」
「前、僕がここに来たときさ。夕日に向かって手を伸ばしてなかった?…あれって、なんだったの?何かあるの?」
僕は分からない振りをして尋ねた。僕の目の錯覚の可能性だってあるし、いきなりあのことをすべて聞き出すのは気が引けたのだ。
「ああ…あれ?」
ルチアはちらりと沈み行く夕日に目をやった。うっすら暗くなっていく中、あの時のように空の向こうをしばらく見つめていた。僕はまた、その横顔に引き込まれてしまいそうだったが、ややあってルチアは軽く首を横に振る。
「………今日は違うみたい。」
「…どういうこと?」
「ふふ、今は秘密。話しただけじゃ信じてもらええないと思うし。それにあれがなんなのか、私にもよく分からない。でももしかしたらシオンには分かるかもしれないね?」
「おい、何の話してんだよー?俺も混ぜろよ。」
隣にいたマルコーがむくれ始める。
「…うん、いいよ。ここに来てれば、そのうち分かるから。」
ルチアは何でもないように笑った。僕は胸を撫で下ろす。別段知られたくないことでもないようだった。
「おー、そうなのか?よーし、じゃ明日もここに集合な。今日はもう帰った方がいいよな?」
「そうだね、そろそろ親がうるさくなる頃だから。私も、帰るね。」
「おう、今日はありがとな!」
「また明日から、ここに来てもいい?」
「…もちろん。」
やがて肌寒い風が頬をかすめ、夜が本格的に迫ってくる。それから僕らは私有地への侵入に目をつむってくれたルチアに改めて感謝の意を告げ、姿を見えなくなるまでルチアの笑顔を見送るのだった。そして彼女がいなくなるなり、マルコーはまた肘で僕を小突く。
「…何だよ。」
僕も真似して小突いた。
「やったじゃん。この野郎めが!」
こんどは背中をバシッと叩かれると
「なんなんだよ、さっきから!」
また同じように叩き返して。それから僕らは馬鹿みたいに笑いあった。帰路についてからも、この無意味なやりとりはしばらく続いた。初めて知り合ってからまもない頃、確かこんな感じだった。最後にやったのはいつぐらい前だったろう。僕はひとつため息をつく。
「お前は凄いな、マルコー。絶対話せるわけないと思ってたのに。」
「俺を誰だと思ってる!こんなの朝飯前だっての。まあ会えるかどうかは運だったんだけどな。」
「僕だったら、会えたとしても話せなかった。マルコー…どうやったらあんなに出てくるんだよ。」
「会話か?普通に気になったこと聞けばでてくるだろ?」
「あの状況で、僕にそれができたと思う?」
ルチアとあった直後のことを苦々しく思い出していると、マルコーがそれを察してからからと笑った。
「確かにお前には荷が重かったかもなー。コミュ力だよコミュ力。」
「お前みたいに誰とでも話せるスキルは持ち合わせてない。」
「いいじゃねーか、それで。……お前はお前。俺は俺だ。お前だって、俺にはないものをもってたんだからさ。」
「…何だそれ。」
顔がよくて、人当たりがよくて、頭がよくて、気が利いて。こんな完璧な人間が一体何をいっているのか。適当なことで励まそうとでもしてるのか。そう思って僕は一瞬彼をにらんだ。でも、そんなことは気にした風もなくマルコーは答えた。
「周りに流されない力さ。驚いたぜ。まさか、お前一人でそんな勉強してたなんてなあ。」
「……あれは。僕は、ただやってみたいと思っただけで。」
「でもな、あれは今の戦争社会じゃ確かに受け入れられないことだ。ばれないようにやるにしたって…俺にはそれを一人でやる勇気はないよ。」
マルコーは自嘲気味に視線をそらした。
「俺に出来ることといったら、ただ非難の的にならないよう、まわりの環境に適応することだけだよ。ルチアだってさ、有名な家だから名前を汚すわけにはいかないし。まわりに非難されないために、あそこまで頑張らせられたんだろうな。
自分を殺すしかないんだよ。そんな中で、お前だけは明確な自分自身の意思が持ててる。それは誰もができることじゃない、貴重なことだ。俺もルチアも、お前の話の内容だけじゃなくて、そのお前のその姿勢に気づかされた部分はあったと思うぜ。」
「マルコー…」
「なんにせよ。お前はそのままでいいってこった!」
ばん、とまた僕の背を叩くと、マルコーは少し僕から離れた。気付けば僕らはもう敷地の出口まで来ている。あたりはすっかり暗くなっていて、ぽつぽつとある細い街灯が頼りなく分岐する道を照らしていた。
「じゃ、俺こっちだから。俺が作ってやった機会だ!無駄にすんじゃねーぞ!」
「ああ、ありがとう。明日も来てくれよ。」
「まだお前だけじゃ無理がありそうだもんなーしょうがねえなあ!あの話の続きも聞かせてくれよ!明日な!」
「…ああ!空襲には気を付けろよ!」
「お前もな!じゃーなー!」
夜道に陽気な声と足音が遠ざかっていく。僕は暗闇に残された。今この時間だけ切り取れば、一見いつもの僕と変わらない、明日の同じ繰り返しを待つだけの憂鬱な夜の帰り道だ。だけど今日は違う。
僕は期待を持つことができた。明日からどんな楽しいことが待っているだろう。そんな胸がうずくような思いがした。




