微笑み(4)
そうしてルチアの家の前でマルコーが迎えてくれたのは、一時間あとのことくらいだっただろうか。午後の日差しが、先程よりも大きく傾いている頃だった。
「よお。」
マルコーが木陰から何でもなく右手を上げて挨拶する。僕は表情を固くして、門の前に立った。
「そんなに緊張するなよ。今日はフルクシオ夫人が迎えてくれる。それに、俺もいるからさ。……一緒に行こう。」
そうして僕らは林道を行った。今はしっかりと監視されているらしく、マルコーはしっかりとついてくるよう僕を促した。二人でここを行くときは毎日ふざけあいながらかけ上がっていた道。今は同じように二人で歩いているのに、まるで違う道のように思えた。
やがてあの草原が広がっても、マルコーはもう迷うこともはしゃいで走り出すこともない。規則的に草を踏み鳴らしていくうちに、いつも遠目にみていたあの屋敷はあっという間に近づいてきた。こんなに近づいたのは夜にルチアを連れ出すために忍び込んだときくらいだろうか。こうして明るいところでみてみると、古めかしい煉瓦で、歴史のある、ずっと守られてきた建物だと分かる。まさかこんなところに入る日がくるなんて、思わなかった。
監視カメラで誰か見ているのだろうか、門に近づくと向こう側の大きな扉が開いて、燕尾服の中年男性が出てくる。思わず、やはりマルコーは何も動じることはなかった。何がポケットから取り出すと紋章のようなものを見せて、
「フルクシオ夫人に。事前に約束してます。」
そう一言告げると、
「どうぞこちらへ。」
僕らは中へと案内された。
中の空気を吸った途端に威圧感に押し潰されそうだった。高価な絨毯、彫刻や絵画が廊下を飾り、エントランスとおぼしき場所では高い天井から吊られた豪華なシャンデリアが僕らを迎えた。僕らの住んでいる所だとは本当に世界が違っている。ルチアはそういう世界の人間で、やはり僕らは普通とても近づける存在ではなかったのだ。そうして様々なものに目移りしていくうちに、僕らは階段を登り、廊下の向こうの部屋に案内された。
扉の向こうは、小さめの部屋ではあったが他に負けないくらい絢爛な、応接間だった。壁はきらびやかな電飾に彩られ、中心の円卓を囲むようにして、銀の刺繍の施されたソファが4つほど並んでいる。
その一つに、白のスーツに身を包んだ三十代後半程の婦人が座っていた。
「こんにちは。」
婦人は微笑んで挨拶する。決して若くはなく、若干やつれて疲れの色が見られた。だけど落ち着きがあって美しく整った顔立ち。後ろにきちんと纏めた金髪。そして座っているだけなのに、気品に満ちた立ち振舞いを感じさせるその姿は、一目見ただけで彼女が誰なのか、容易に推測させる。
「こちらがフルクシオ夫人でございます。」
燕尾服が言う。言われなくても、分かってる。彼女が、ルチアの母親なのだ。夫人が何か目配せすると、燕尾服は音もなく下がった。
「あなたが、ルチアのもう一人のお友達ね。初めまして。今日はよく来てくれたわね。」
夫人は微笑みを崩さず、僕に歓迎の意を述べた。どういうことなのだろうか。娘をあんな状態にした張本人だと言うのに、この人は眉ひとつ動かさない。僕は戸惑いながらも答える。
「僕は…シオン・アルキメデスといいます。」
「シオン君ね。」
そう言って、夫人は柔らかく笑いかける。
「その黒髪と、黒い目…お父さんにそっくりだわ。」