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微笑み(3)

キィと嫌な音をたてると本独特の匂いが扉から漏れてきた。この書斎には窓がない、だから扉の向こうは昼間でも常に真っ暗な闇を孕んでいる。僕はいつものようにリビングの引き出しからマッチを取り出すと、扉を開いて、暗闇の中のオイルランプへと火を灯した。


マッチ棒のはぜる音で部屋全体が薄ぼんやりと照らし出される。僕は見渡してみて少し驚いた。壁一面の本棚一杯に並ぶ物理化学の書物の数々。無造作に床や机に重ねられた資料の紙の束、それらは最後に入ったときと殆ど変わっていなかったのだから。何冊か本やノートが無くなっているような気はするが、それにしても変わっていない。


もうここでの研究は終わっている、とでも言いたいのだろうか。僕が何年で読みきれるか分からないほどの本の山が打ち捨てられ、ただそこに鎮座していた。でも既に、僕にとっても何の関係もないことだ。この本達はこのまま、本当に捨てられて埃を被って朽ちていくだけなのだろう。そう思った。


机に借りていたものを置いて、返す。これで、終わり。二度とこの部屋に踏みいることもない。僕は何となく部屋全体を眺めてから、目を閉じる。祈りだかなんだったのかは、自分でも分からない。ただ、一つの言葉が浮かんだ。


「ーーありがとうーー」


止まった時間、止まった思い出。

全てをその一言にこめて、

僕は軋む扉を閉ざすのだった。


それからの時間は入院中以上に空っぽだった。明日からの学校生活もどうでもよかった。食欲すら沸いてこない。そうして僕が自分のベッドに倒れ込んでいると、何事もなかったかのように日は落ち、また登ってくる。気が付いたら、僕は窓から差し込む日差しに、ベッドの上で目を眩ませていた。今日も馬鹿みたいに晴れ渡った空だ。


着替えて、歯磨きをして、昨日貰ったパイを一切れだけ食べてから登校の準備を済ませる。


外に出てみると、どこからか喧騒が聞こえる。僕はそれに何の反応も示すことなく、一ヶ月ぶりの通学路についた。高台の道から見渡せる、数ヶ所で立ち上る黒煙と、誰かの悲鳴。そして戦争話をしながら背中を追い越していく生徒達。


そう、これが僕の日常風景。


いつもどおりの、繰り返しの、繰り返し。


だから、僕は安堵する。


何も考えなくても、繰り返していれば時間は勝手に過ぎていく。正直こんなに気が楽なことはないだろう。


一ヶ月ぶりの登校も、誰から何を言われるでもなかった。休み時間中も、したくもない授業の予習をして極力目立たないように努めてた甲斐があった。それより周りでは突然学校に来なくなってしまったマルコーの噂で持ちきりだ。寧ろそっちの方で何人か事情を聞きにくるクラスメートは何人かいたが、下を向いて知らないふりをしていればそれで事は足りた。


そう、知らないふりをしていれば。


ふと窓の外の空を眺める。秋になって日が短くなってきているのだろう。まだ昼間だと言うのに、この街は常に夕日に包まれているようだ。そして、僕はもうすぐそこまで来ているその時を思って、目を閉じた。


今日で、最後。


ゆるゆるとした緊張感が、僕を苛んでいる。僕は、どんな顔をして会ったらいいのだろう。…会わせられる顔なんてない。きっと両親だって、僕をまるで殺人犯のように恨んでいるに違いないのだ。


マルコーが言っていることが本当なら。本当だったとしたら、どうして僕はこんなに不安なのだろう。僕はもしかしたら、ルチアに会いたくないのだろうか。いいや、そんな筈はない。


どうして。



ーー『どうしてそんなに簡単に諦められるんだよ?!もう自分が傷つきたくないからか?!』

ーー


マルコーの怒声が甦って、

ずきりと、胸が痛んだ。



ーー違うーー


それから僕はずっと心の中で繰り返し、

それを呟いていた。


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