始まりで、終わり (2)
「?」
一体いつからそこにいたのだろうか、目についたのは人影だった。
背丈は僕と同じくらい、女子だ。ここからは少し離れたもっと小高い丘の頂上で、佇んでいる。夕日を見ているのだろうか。…いや、どうやら違う。視線はもっと上の方に向けられていて、何だか目的がはっきりしない。真っ白な、長いワンピースと長い金髪が風に揺れている。極度の人見知りの僕には声もかけられるはずもなく、始めは何となくそれを見ているだけだった。
やがて少しずつ暗闇が迫ってくる。赤い空と黒い影が強いコントラストになっていく。今日なんて、きっとこういう景色を黄昏と呼ぶのだろうと思った。その中で金色の夕日だけはこうこうと光っていて、雲の間からいくつもの筋をつくって僕らに降り注いでいる。赤と黒と、金色の風景だ。綺麗なのか不気味なのか境界線が分からなくなってきた、
その時のことだった。
彼女がゆっくりと右手を上げてーー
それからは、何故か目が釘付けになった。まるで地面に足が縫い止められているかのように僕はその場に立ち尽くす。彼女の視線は黄昏に向けられたまま、やがて持ち上げられた両手が、夕日に向かってに広げられた。風にそよぐ長い金髪が光の中でそよ風にゆらめいてきらきらと光り始めて、
『それ』が目に映った。
彼女が、無数の光に包まれている。
大小形のない光の粒が彼女の周りを浮遊していて。
その中心で、両手を伸ばす彼女は、まるでそれらと戯れているような。
ああ、
この世界にこんなに綺麗なものがあったのか
と。ただそう思った。
思わず自分の目を疑って目を擦る。
ーーあれ、ーー
するとその光景は消えていた。そこにはただ夕日に照らされる彼女の姿がある。僕の目の錯覚だったのだろうか、とぼんやり思っていると。
ドサッ
無粋な音で、僕は急に現実に引き戻される。酷く脱力してしまったのか、左肩にかけたスクールバッグがずり落ちてしまったらしい。
彼女がこちらを見たような気がした。
「!」
気付かれた。僕は慌てて落ちたバッグをひったくると、すぐにその場を駆け出した。
振り向かずに、一目散に帰路を駆ける。その間何故か言い様の知れない罪悪感に苛まされていた。何か普通の人間が見てはいけない神聖な一時を汚してしまったような。そんな気がしたから。
忘れようと思った。しかし家に帰ってベッドに入っても、眠りから覚めても、脳内からあの一瞬の光景が消えることがない。
それからは気付いたらそのことを考えていることが多かった。一体あれは誰だったのだろうか。学校なんて大きなところはうちくらいのものだが、見かけたことがないのが気になる。ある日の休憩時間、教室の机でそのことを繰り返して考えていると、その声は唐突にふってきた。
「よー、元気?」
「、」
教室で話かられるのなんて久しぶりだったから内心驚いた。目をあげてみると、確かに見知った顔があった。特徴的なはねた赤毛が分かりやすい。僕とは正反対に陽気な雰囲気で笑っている。僕はそれを確認するとーー自然と目を逸らしていた。
「…何だよ。」
「いや、別になんでもねーんだけどさ。どうしたのかなーって思って。」
マルコー・ロッシ。昔から学校が一緒の、元々友達だった奴だ。3か月前くらいに父親が軍隊の司令官で大きな功績をあげてからというもの、そのことですっかり周りもてはやされるようになり、しかも性格も明るいからクラスの誰とでも仲良くなっていた。そこに僕が入る隙間なんてなくなっていったので、そのうち、僕は彼に対してはただのクラスメートとして接することにしたのだった。当の本人はまだ僕を友達だと思っているのか、存在を忘れているのかは定かでなかったのだが。
「僕のことは放っといてくれないか。お前の周りと違って、僕は面白い話題なんて持ち合わせてないよ。」
「そんなことねえさ、最近いつもと違って楽しそうだからさ、俺も混ぜろよ。」
「…意味がわからない。」
とは言ったもののその洞察力には驚かされる。昔からそうだ、マルコーには何か感情を隠せた試しがない。隠すのが意図的にしても無意識にしても、人がその時何を考えているのか瞬時に読める奴なのだ。その上頭がいい。だから人付き合いがうまく、周りに好かれやすいのだ。そのわりに僕には無神経に接してくるのはあえてなのだろうか。僕は仕方なく、開いているだけの社会科の教科書を閉じた。
「勉強に身が入ってないじゃん。なんか気になることでもあったか?」
ずけずけと聞いてくるのは昔から相も変わらない。ぼくはうんざりして一目でわかるような大きな溜め息をつく。それだけでは引かないのも、いつものことだった。
「分ぁかった!誰か好きな子でも出来たんだろ」
「…。」
「…目が怖えよ。大丈夫大丈夫、誰にも言わねえからさ。で、誰なんだ?うちのクラスの女子じゃないんだろ?」
一体何をしに来たというのだろう。
だけど的を得ていて、それが癪に触った。
「関係ないだろ。」
僕は拒絶の眼差しを向けたまま吐き捨てた。
「まあそう言うなって。」
するとマルコーは、僕の前にある空いている座席の椅子に勝手に座った。反対に座った椅子の背もたれにひじをついて、僕と向い合わせでにっと笑って見せる。
「俺さぁ、もう同じ話には飽き飽きなんだ。たまにはこう、現実的な地に足の付いた話がしたいなって思うわけ。」
何がどう地に足がついてるのか全く理解できないが、確かに毎日聞こえてくる黄色い話し声の内容は大体同じだったような気がする。大体は…この国の英雄である父親絡みのことだろう。どんな生活してんだとか、どうやったら強くなれるとか。僕はげんなりと目を座らせてマルコーを見る。
「お前にとって、僕は都合の良い暇潰しか。」
「俺は暇潰しはしない主義だぜ。」
「…え?」
「人生無限じゃない、自分のしたいように楽しまずにどうする。つまりだ。今のお前と話す時間はは、俺の人生を楽しむっていう点で必要なことなんだよ。」
「…それに付き合う相手の意志も尊重してほしいんだけど。」
すると、ずいとマルコーは身を乗り出しながら顔を近づけてくる。
「いいか、シオン。自覚していないようだが、これはお前の人生にとってのほうが重要な問題だぞ。」
加えて脇に転がってる僕のシャープペンシルを手に取り、頭の方を僕の鼻先に突きつけた。
「考えてもみろ、ここの生活もあと一年半。卒業して別々になったらもう遅いんだぜ?」
「……。別にそういうのじゃない。僕は別に、あの時見たのが誰だったのか気になるだけで、」
「何だ、一目惚れか。」
「、違うっ!」
思わず反射的に叫んで、はっとした頃にはもう遅かった。にやぁと僕を見るその表情は愉悦そのものというか、なんというか。




