会社の先輩がドMだった件
この世界には二種類の人間しかいない。
奪う側の人間と、奪われる側の人間。
私は奪われる側の人間である事を選んだ。
必死に汗水垂らして働き、社畜として人生の大半を奪われる人生を。
代わりに金銭を頂いたとしても、会社に奪われた時間は帰ってこない。
ストレス解消として買い物をしてみるも、後から考えれば何故こんな物を購入してしまったのか、と頭を抱える方が多い。まさに悪循環という奴だ。
私はひたすら奪われる側の人間。
奪われて奪われて……奪われ続けて、あとに残るのは……
「おーい、コムギちゃーん?」
名前を呼ばれ、思考世界から帰還する。
パソコンから目を離し右横に振り向くと、我がチームのリーダーが満面の笑みを浮かべていた。
「ぁ、はい、正月先輩」
「どうしたの? ボーっとして。大丈夫? 疲れたなら休憩しておいで。それで、悪いんだけど……コレあとでよろしく」
「はい、わかりました……」
追加の仕事を受け取り、先輩は相変わらずの笑顔で自分のデスクへと戻っていく。
正月 明
容姿端麗、頭脳明晰、私と同じ『レクセクォーツ』というIT企業の社畜。
最も過酷でエリート集団が集うと言われているこの開発部で、一番の成績を収めている。
その見た目から社内でもファンが多いらしいが、恋人がいるなどの話は聞いたことが無い。
前に飲み会で係長からその事を追及されていたが、本人はやんわりと流していた。これだけ忙しいと恋人が作れない、そんな事言うんだったら休みをくれ……とかなんとか言って皆の笑いを誘っていた。
(仕事は真面目、コミュニケーション能力も高く……性別問わず、周囲からは常に憧れの目線で見られているイケメン……)
正に私が一番嫌いなタイプだ。正直虫唾が走る。きっと学生時代はサッカ―部かバスケ部の部長で、女子からは黄色い声援を常に送られていた存在に違いない。
(顔がいいのは認めるけども……性格がいいのも認めよう、仕事も出来るし後輩に気遣いもしてくれる。当然のように周囲からの人望も厚いし……)
もう完璧超人だ。異常なほどに。
そんな超人を何故私は嫌っているのかと言えば、社内には先輩を狙う肉食系女子も多い。
私はそんな社員から以前、嫌がらせを受けた事がある。同じチームに属しているというだけで。
「休憩行ってきます」
「いってらっしゃいー」
喫煙室に入り、煙草に火を付け一服。
私が煙草を吸うようになったのも、先輩を狼の如く付け狙う女子達からの嫌がらせのせいだ。
今ではパッタリと何故か止んでしまったが、数か月前までは陰湿な行為のせいで鬱病にもなりかけた。
(そういえば何で止んだんだろ。色々されたなぁ……ロッカーに生ごみ詰め込まれたりコーヒーぶっかけられたり……)
学生の虐めみたいな行為を、社会人になっても体験する事になるとは思わなかった。
そう、私は学生の頃からそんな虐めを度々受けていた。
その理由は、何故か私はイケメンと呼ばれる種族に気に入られるという絶望的な特性にある。
学生時代、私はスポーツ系の男子に度々告られていた。私がもっと社交的で女子グループを率いているような奴だったら良かったのだが、あいにく教室の隅で本の虫になっていた根暗な存在。そんな奴がイケメン種族にモテるような事があれば……肉食系女子は黙ってはいない。
(全くいい迷惑だ……)
煙草を吸うようになった、というのは大抵男は喫煙する女子に対して偏見を持っているからだ。
自分は吸う癖に、女が吸うのはアウトと言う奴が大半。要は男避けとして吸い出したのだ。
大きく煙草を吸い、煙を無造作に吐き捨てながら灰皿へと捨てる。
煙草を吸いだしても先輩の態度は変わらなかった。少し意外、という表情を示して頂いただけ。
ちょうどその後だ、社内の嫌がらせがパッタリ止んだのは。
(まあ、どうでもいいや……)
デスクへと戻り仕事を再開する。
追加の仕事も来た事だし、今日も残業だ。まったく嬉しい限りだ。これでまた金の無駄使いが出来る。今度は何を買おうか。全く興味は無いがブランド物の鞄でも……
※
「あー……終わった……」
ようやく本日の仕事を終え、椅子へともたれかかりながら天井を仰ぐ。
凄まじい集中力を発揮したおかげか、まだ時刻は午後九時。帰りに何処か寄って飲んでいこうか、と悩んでいると、突然私の眼前にイケメンの顔が……
「っどふぁっぁ! せ、先輩! いたんすか!」
「うん。凄いねぇ、あの量をもう終わらせちゃったんだ。流石我がチームのエースだ」
眼鏡を直しつつ、オフィスを見渡すと残っているのは私と先輩のみ。
不味い、こんなところを見られた日にはまた……嫌がらせが始まるかもしれない。
「じゃ、じゃあ私帰ります……お疲れ様でした……」
「ぁ、コムギちゃん、一杯付き合わない? 奢るよー」
「えぇ……先輩とですか……?」
って、しまった。
疲れているせいか滅茶苦茶嫌な態度で本音が。
「そうそう、私と」
しかし失礼極まりない後輩の態度に対して、先輩は相も変わらずニコニコと満面の笑み。
なんだかバカにされている気分……。
私がどんな態度を取ろうと、この人にとって私は米粒以下の存在なのだろう。そんな奴に何をされても気に障らないのだ。
(まあ、でも……ちょっと飲みたかったし……)
「わかりました、一杯だけなら……」
「おっけー、じゃあ駅前……はダメか。私の行きつけのバーでいい?」
先輩なりに気を使ったのだろうか。駅前の居酒屋など誰かに見られる可能性大だ。
この人と二人きりで飲んでいる所など見られた日には……最悪後ろから硬い物で襲われるかもしれない。
「いいですよ、どこですか? いきつけのバーって……」
「電車で二駅いった所だけど……面倒だしタクシー使おう。帰りも送るよ」
いやいや、それは流石に悪い。
確かに疲れてはいるが、電車の方が圧倒的にコスパが……
「いいからいいから、頑張ってくれたし……たまには俺にも格好つけさせてよ」
※
会社からタクシーで走る事、三十分前後。
バーに到着し、先輩の後について入店。こじんまりとした静かな店だ。カウンター席には如何にもイチャついているカップルと、老人、それと三人組の男女。ボックス席には妙に筋肉質なタンクトップの男達が。
「ここのマスターがいい人でね。会社帰りに良く通ってるんだ。カウンターでいい?」
「はい、大丈夫です」
先輩と一緒にカウンター席へと座ると、人の良さそうなマスターが注文を聞いてくる。
「私はいつもので。コムギちゃんはどうする?」
「ぁ、じゃあ……先輩と同じ奴で……」
正直バーで何を注文すればいいのかなど分からず、つい先輩と同じのを注文してしまう。
これでアルコール度が九十パーセント越えの酒でも出てきたら私は確実に落ちる。そうなれば……先輩に何処かに連れ込まれて……
「どうぞ、甘酒です」
ほらぁ、やっぱりきつい酒が……って、甘酒?!
バーで甘酒って飲めるの?!
「じゃあ乾杯、お疲れ様ーっ」
「え? ぁ、はい、お疲れッス」
甘酒で乾杯って初めてした……。
しかも甘酒……ワイングラスで出てくるんだ……。
「先輩……甘酒好きなんですか?」
「んー? いや、あんまり」
おい、いつも頼んでる奴でしょ、コレ。
「はぁー……あー、コムギちゃぁん……きいてよぉ……」
「……ぁ?」
あれ? この人……顔真っ赤……。
ってー! いやいやいやいや! もう酔ったの?!
まだ甘酒半分も飲んでないじゃない!
先輩は既にカウンターへと突っ伏し、ヘロヘロの状態に。
なんなんだ、この人。こんな酒弱かったか?
会社の飲み会でも進んで自分から幹事を引き受けて……
(ぁ、そういえばこの人……いつもハンドルキーパーだったな……)
そういえば先輩が酒を飲んでいるのは見た事が無い。
今までイケメンイコール酒強い、というイメージを持っていた私にとっては軽くカルチャーショックだ。
「コムギちゃん? 聞いてる?」
「え? いや、あの、なんでしたっけ……」
「だからぁ……」
しまった、全然話聞いてなかった。
まあ、恐らく会社の愚痴か何かだろう。
こんな完璧超人でも……いや、超人だからこそ、周りに気を遣うあまり愚痴が溜まっているに違いない。普段からお世話になっているのは間違いないし……ここは黙って聞いてやるか。
「この前……良い感じのドSな女子高生が居たんだけど……もう彼氏持ちだったんだよぉ……」
「おぃぃぃぃい! 何言ってんのアンタ! 犯罪! 有罪! 女子高生アウト!」
ぁ、しまった。黙って愚痴を聞いてやろうと思ってたのに、つい……。
いやいやいや、ダメでしょ、女子高生は。先輩もういい歳じゃない。マジで捕まるから、ヤバいから。
しかもドSって……
「フフゥ……コムギちゃんも良い感じに私を責めてくれるね……もっと罵ってもいいのよ……」
何言ってんのこの人。
まさか……まさかとは思うが……ドM?
いやいや、そんな馬鹿な。
甘酒を一気に飲み干し、マスターへ口直しと焼酎ロックを注文。
ちなみに先輩は甘酒をちびちびと飲んでいるのに、既に殿水状態。おかしい、何かがおかしい。
そんな空気に耐えれなくなったのか、私はカウンターの隅にあった灰皿を引き寄せ煙草を吸い始める。
「ん……ぁ、コムギちゃん……そういえばタバコ吸うんだったねぇ……初めてコムギちゃんが煙草吸ってるとこ見て……ちょっとグっと来るものが……」
何言ってんのこの人(二回目)
私が煙草吸っててなんでグっとくるんだ。
「先輩……おかしいですよ。女が煙草吸ってたら大抵男はドン引きするじゃないですか」
「えー? そうかなぁ……まあ、煙草は体に悪いから早めに止める事をオススメするけど……私はどちらかと言えば……コムギちゃんみたいな子が煙草吸ってたら……カッコイイって思っちゃうかなぁ」
何故だ、どうしてカッコイイになる。
私は五十代後半の男子では無い。私が思う煙草が似合う世代は間違いなくその辺りだ。
若い奴が吸ってても痛いだけだ。私が吸ってて言うのもおかしいが。
「でも最初はビックリしたよぉ……コムギちゃんが喫煙室に入っていくもんだから……何かあったのかと思って……色々と調べちゃって……」
「はい?」
色々と調べたって……何をだ! 何をした!
「コムギちゃん……ごめんね……あんな刺激的なプレイの邪魔して……でも私は、会社であんなプレイが出来るなんてうらやましくて……」
何いってんのこの人(三回目)
刺激的なプレイ? 私は会社でそんなデンジャラスな行為に至った事は当然ない。
「あの、先輩? 何のことを……」
「えー? ほら、二課の子がコムギちゃんのロッカーにゴミ詰めてた奴だよぉ……コムギちゃんの周囲を軽く調べてる時に偶然見ちゃって……あぁ、いいなぁって思っちゃって……」
おいいいいい! 私のロッカールームは当然女子更衣室!
男子禁制! そこを見たってどういうことだ! もうこの人犯罪行為に至ってる!
「な、なにしたんすか! 一体なにしたんすか!」
「え? 羨ましくて……我慢できなくて……二課の子達に、こう言ったんだ。是非僕のロッカーにもお願いします! って……そしたら逃げて行っちゃって……」
何いってんのこの人!(四回目)
いや待て、まさか……あの嫌がらせがパッタリと止んだのって……
(この人が……二課の子達にドン引きされたから?)
そうだ、絶対そうだ……ヤバい……震えが止まらない……
私は今、未知との遭遇を……
「お待たせしました、焼酎ロックです」
マスターにお礼を言いつつ、焼酎を一気に半分程まで飲む。
しかし全く酔えない。衝撃的な告白から全く気を逸らす事が出来ない。
完璧超人の先輩に恋人の一人も居ないのは……こういう事だったのか。
先輩はドMだから……その趣向のせいで……
「はぁ……でも最近、コムギちゃんの視線も気になってたんだ……まるで害虫を見るかのようなあの視線……ゾクゾクしてたんだ……」
怖い怖い怖い! そんな目で見ていた記憶は一切ない! 今後は分からないけど! もしかしたら見ちゃうかもしれないけど!
「せん、先輩……飲みすぎ? ですよ。今日はもう帰りましょう」
「……ねえ、コムギちゃん……お願いがあるんだけど……」
え、何……嫌な予感しかしない。
「こんな僕を思い切り罵って……」
何言ってんのこの人……(五回目)
駄目だ、この人……残念すぎる。そうか、会社であんなにバリバリ働いていたのも、ドMだからか。
誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰る。正直いつ寝てるのか分からないくらいだったけど……。
「先輩……バカじゃないですか……」
「あぁ! ありがとう! もっと……もっとお願いします……」
あぁ、本当に何いってんのこの人……(六回目)【注意:くどい】
でも良く考えてみれば……結果的にこの人は私を助けてくれたんだよな……。
理由は最悪だけど……本人は助けたなんて思ってもないだろうけど……結果的には……。
この人だけだ……今まで出会ったイケメンの中で、私を助けてくれた人は……。
「先輩の……変態」
「あぁっ……」
「ミジンコ……」
「あぁっ!」
「いや、ミジンコに失礼でした」
「ごふぅっ!」
「私にとって先輩は、最優先で駆除する類の生き物です」
「あぁふぅ!」
「でも……今は勘弁してあげます」
「あぁ……っ、焦らし……」
違う違う、断じて違う。
でも、なんだろう。
ようかく酒が回ってきたのだろうか。
こんな先輩が……何故か……カッコよく見える……。
理由はどうあれ、唯一私を助けてくれた人だから?
それとも……もしかして私はドSなんだろうか。
先輩と相性のいい類の人間なんだろうか。
「先輩って……結婚しないんですか?」
「あぁ、中々理想の女王様が見つからないから……」
女王様って……正直私はそんな存在とは程遠い。
スプラッタな事も、グロテスクな事も苦手だ。鞭で打つなんて以ての外。罵倒する事すら難しい。
でも……私が先輩を満足させられる方法が、一つだけある。
それは……
「先輩、じゃあ私がコキ使ってあげますよ。先輩を」
「へ?」
そっと先輩の目を見つめてみる。
甘いマスクが甘酒のせいで、無防備な少年のような顔になっている。
そんな先輩の顔を見つめ、私は……
「明日から……私が先輩をとことんコキ使います。ボロ雑巾になるまで……ずっと……ずっと……」
あれ、やばい。
これって捉え方によっては……プロポーズ……
「あ、あぁ! 女王様! か、畏まりましたぁ! 私を存分にお使いくださぃ!」
こうして私は職場の先輩を下僕にした。
こんな先輩と今後婚約し、共に過ごしていくのだが……
それはまた随分先の話になる……かもしれない。