侵す彼女と侵された僕
屋上のコンクリートの上に寝転がって目を閉じる。良い天気だ。
僕は全身で光を受け止めて、その向こうにある空を創造する。
吸い込まれそうだ、と思う。吸い込まれて、圧縮されて、解放されて、緩んで、それからバラバラになって、拡散して。
綺麗なまま、消えてしまえればいいのに。
「また、こんなところで寝てる。風邪ひくよ」
顔の上にひんやりとした影が落ちて、僕は瞼を持ち上げた。さかさまに覗き込んでくる顔に、世界が反転しているかのような錯覚を覚える。
僕と同じ高校の制服を着た少女をぼんやりと見つめる。彼女はもうすっかりこの屋上の常連だった。
彼女は変人だ。時々とんでもないことをしようとするし(例えば、ゆで卵にケチャップをかけたり)、変なものを集めてたりするし(子供向けのお菓子のちゃちなおまけとか)、かっこ悪くかっこつけてたりする(短すぎるスカートも明るすぎる髪も、彼女には似合わない)。
そんな彼女の一番おかしなところは、僕を好きだということだ。
「すきだよ」
彼女はいつものように勝手に僕の隣に座る。すきだよ。毎日飽きもせず繰り返されるセリフに、僕が返事をしたことは一度もない。
それでも彼女は、毎日僕の隣に座っている。そして僕は、この距離が僕らには最適なのではないかと思っているのだ。
もしかしたら真剣に僕を好きだと言ってくれているつもりなのかもしれない彼女には悪いが、僕はこの関係を自分から変えるつもりは欠片もない。そしてそれに罪悪感を感じることも、ない。恋の病。そんなものに、僕等は侵されているだけなのだから。
過ぎ去ればきっとこの熱も忘れてしまうのだ。
彼女は何がしたいのだろう。きっと彼女自身にも、それは明確にはわかっていない。ただ、微かに見えるものにむかって溺れるように手を伸ばしている。きっと僕には、そんなことはできない。
転落防止のフェンスに囲まれたこの世界には何もなくて、ただ僕等がいた。
なんとなく、何もしたくないなあと思う。だけど、何かをやってみたい、そんな理想みたいなものも、ある。それでも、僕はただぼーっと日々をやり過ごしているだけだった。
空は今日も手が届かないほどに青い。
僕と彼女の間には越えられない境界があった。それは黒板に引かれた白いチョークと同じで、ただの力ない平面であるのに、その向こうへはみだすことをためらわせる。
流されていく薄い雲を見上げる。
雨が降ればいい。とびきり冷たいやつが。この身体中持て余す熱を冷ますほどの。
綺麗なまま、消えてしまいたいと思う。
彼女の茶色に染められた髪が風に靡く。僕はそこに黒髪の少女を透かし見た。少女は物憂げに瞳を伏せる。
彼女の瞳は、空のように澄んでいて、海のように深く豊かな色彩を湛えている。
その瞳の前で、綺麗なままでいたいと願うのは、いつかその瞳が汚れてしまうことを知っているからだ。彼女は純粋な人だ。大人へと変わっていこうとするこの頃特有の危うさと、大胆さと、繊細過ぎる潔癖さを持ち合わせている。
僕は彼女が好きだ、と思う。そんな病に侵されている。彼女は、僕と似ているようで、その実全く違う病に侵されている。
彼女はまだ、恋に恋していた。
すきだよ。声に出さずにそっと囁く。彼女は気づかない。気づかなくていい。少女ははにかんで、それからぐしゃりと歪んで消えた。
想いなんて本当は、人様に見せられるほど綺麗な色なんてしちゃいないのだ。
だから僕は、消えてしまいたいと思っている。君と。
吸い込まれて、圧縮されて、ばらばらになって、混ざり合って、拡散して。どちらがどちらなのかわからないぐらいに一体化して、離れられなくなってしまえばいいと思うのだ。