学園生活の始まり
お父様は都の屋敷のやりくりをこれまで全て執事に任せてきました。
それほど信頼して来たのです。
それがお母様に懐柔され、執事はお母様の言うまま今まで望みを敵えてきました。
なのでお父様の怒りも深かったのでしょう。
全て片付けて、お父様は使用人を食堂に集めました。
料理長と古くから居る2人と執事を残して当日の解雇を申し渡しました。
紹介状も書かないと冷たく言って、今日中に出ていくよう言いました。
「お前たちは妻の言いなりで私の言い付けを破った。紹介状は出さん、今すぐ出ていけ」
「お、奥様は」
1人が泣きそうな顔でお父様に聞きました。
「あれは里に戻した」
「何時お戻りになられるんですか」
必死な使用人にお父様は冷淡でした。
「今まで使い込んだ金を返すまで戻さない」
「そんなぁ…」
「諦めるんだな。お前たちは付く側を間違えた」
お父様は古株の使用人2人と執事にも言った。
「1ヶ月3人の仕事振りを見せて貰う。及第点が取れたら『紹介状』を書いてやる」
「何故3人だけ優遇するんですか」
使用人の食って掛かるような言い方にお父様は淡々と言い返します。
「あれが雇ったお前たちと違い、わしが選んで雇い入れた者だからだ」
今日の騒ぎは必ず直ぐに何処かから漏れる、お父様はそう考えていました。
お母様を敵にして周りの同情を引こうと考えたのです。
お父様にとって入学式で聞いた話の内容は驚きでした。
お母様が周りにどう思われていたか、聞いた時は怒りに刈られましたが直ぐに現実が見えて来たのです。
長兄の縁談がお母様のせいで破談になるわけではないと私は思いましたが、お父様は固執しました。
婚期を逃そうとしている長兄に子がなくてはフランソワーズ伯爵家が途絶えてしまいます。
お父様は何よりそこを懸念したのでした。
幸か不幸かお母様と妹の持ち物を売ったら2年は暮らせるお金が出来ました。
お父様は借り入れを返済されて家を任せられる人材を探しました。
お父様は仕事で関わりのある方たちに信頼の出来る雇い人は居ないか、目立つように聞いて回りました。
特に私のマナーをキチンと躾てくれる事が重要でした。
入学式で聞こえた話はお父様の高いプライドを打ち砕くのに充分だったのです。
結婚した時にお祖父様より先に亡くなったお婆様がお母様を躾ようとしましたが、それを庇って受けさせなかったのはお父様なのにそれを忘れて、お父様は私を厳しく躾ようと考えたのでした。
翌日からの私の生活は一変しました。
執事からも使用人からも親身ではありませんが悪意は感じ無くなりました。
今朝の食事も、私1人でしたが食堂に用意されていたのです。
極端な変わり様を警戒しながら私の学園生活がスタートしました。
困ったのは勉強の文房具が無い事でした。
ペンは書斎にたくさん有りますがノートが有りません。
入れる通学用の鞄さえ無いのです。
一瞬だけお父様にお願いしてみようか、と思いましたが甘え上手な妹を思い出してしまったらもっと言えなくなってしまいました。
それに、服や身の回りの物で散財させているのでこれ以上は言えません。
翌日は家からポケットに入れてきた小振りなペンで教科書の空欄に書き込みました。
家庭教師の先生のお陰で勉強に困る事が無かったのが唯一の救いでした。
そんな時にカラから荷物の事を聞かれました。
私はカラに正直に話しました。
学校が始まる少し前からお茶のお誘いが無くなってしまったので聞ける人が居なかったからです。
「侯爵夫人は私たちが学園に慣れるまでお茶会はお休みにすると言っていたわ」
「そうなの…」
がっかりしてる私にカラが言いました。
「私のお茶会に来ない?良い知恵が浮かぶかも知れなくてよ」
カラはこっそりお揃いの鞄やノート、筆箱などを私のために用意してくれていました。
カラのお誘いの手紙が私の手に届かなかったらまた方法を考えようと話し合っていましたが、すんなり執事が渡してくれてお土産まで用意されてありました。
「ありがとうございます」
私は思わず執事にお礼を言いました。
それを聞いていた執事は驚いた顔を伏せて送り出してくれました。
公爵家のお屋敷でのお茶会は緊張しました。
公爵様もご一緒されて楽しくても気の抜けない物になりました。
「ルナフ、お茶のお代わりをお願いできる?」
「はい、ただいま」
高価な茶器で緊張しますが侯爵家では何時も私の役目なので何時ものように煎れて配りました。
公爵夫妻は私がカラの友人に相応しいか見定められていたのですが、私はそれをまるで気付きませんでした。
「ルナフは勉強が出来るそうだね」
公爵がお茶を飲みながら聞いてきます。
「侯爵夫人の提案で父から家庭教師を付けて貰えたので学園の勉強に付いていけてます」
「その前は我流だと聞いたが?」
「祖父が本を沢山残してくれたので毎日読んでいました」
公爵夫妻が目配せし合っているのをカラとお喋りしていた私は気付きませんでした。
「ねぇルナフ、試験前はカラメルとお勉強会をしてみない?」
「まぁお母様凄く良い提案をしてくださるわ。私昨日もルナに教えて貰ったの、その前からのお礼を込めてこれを受け取ってね、私とお揃いなのよ」
カラは綺麗な水色の鞄と筆箱、ノートを渡してきて、『自分用』とピンクを見せてきました。
「赤もあったのよ。でもルナは水色が似合うからこれにしたの。私と色違いのお揃いよ」
驚いて公爵夫妻を見てしまいます。
カラに散財させたと怒られるのではないかと思うとぎゅーっと胃が痛くなって気持ち悪くなってきました。
「そうね、ルナフには水色が似合うわ」
公爵婦人は私を見て微笑みます。
それでも受け取る理由が無いのです。
「ただ貰うのが嫌なら、たまにカラメルの勉強を見てやって欲しい」
公爵は『どうかな』と穏やかに聞いてきます。
断れる空気ではなくなってしまいお礼を言って受け取りました。
両手で胸の前で抱えて見ると、カラとお揃いの嬉しさで顔がほころびます。
「早速明日までの宿題教えて」
カラはにこにこと宿題を持ってきました。
「ルナもこれからするの?」
「私は貰った時に書いたの」
「この問題を?」
カラが驚く顔をします。
公爵がカラの後ろに回ってプリントを覗き込みました。
「1年でこんな計算をするのか」
見ている侯爵の邪魔にならないよう気にしながら説明を始めました。
「家庭教師の先生は『学園に通うのは将来の人脈を作るのが目的だから勉強は自宅で完璧にしましょう』と言ってました」
「それは良い先生だね」
「はい。侯爵夫人が父に勧めて下さって、今も習っています」
「家もお願いしようかしら」
「ルナも一緒に習いましょ」
「勉強はマンツーマンでしないと効率良くないよ。先生凄く教えるの上手で、2時間があっという間なの。カラにも絶対合うと思う」
「えー」
両親の前で見せるカラの顔は学園で見せる顔と全然別で、甘えられるカラが羨ましくて嫉妬してしまいそうでした。
「他に何を習っているの?」
公爵夫人が聞いてきます。
「ダンスとピアノと、バイオリンは少し…」
「バイオリンは苦手なのね」
公爵夫人が可笑しそうに扇子で口許を隠して笑いました。
優雅なその仕種に視線が吸い寄せられます。
侯爵夫人も流れるようで綺麗でしたが、公爵夫人の手は魔法のように見えました。
「ルナフ。良ければピアノを聞かせておくれ。カラメルはヴァイオリンが良いだろうね」
「え…」
軽く言われて言ったのを後悔してしまいました。
威張れるほど上手じゃないのに…、取り消そうとしたらカラに手を引かれて引っ張られました。
「こっちよ」
引かれて着いた舞踏会が出来そうな広間に白いピアノがありました。
「…綺麗」
「好きなの弾いてみて」
カラの言葉に甘えて好きな曲を2曲弾いてから、カラに聞きました。
「カラはどんな曲が好きなの?」
「私はね」
カラのバイオリンは上手でそれに合わせて伴奏しました。
「カラ上手」
「ルナもだよ」
離れて見ていた公爵夫妻は2人を見ながら話していた。
「そつなくこなすな」
「ええ、それに上手にカラを立てて」
「ルナフの頭の中に仲の良い友達でも相手は公爵令嬢だと言う意識が何時もあるからだ。もっとのびのび育っていれば素晴らしいピアニストにもなれただろうがな」
「ルナフはまだ子供ですもの、これからいくらでも道は開けるでしょう」
「カラの友人としては合格だ」
娘の友人は慎重に選ぶ、それは公爵家として当然の事でした。
「フレーバー侯爵家のりんごの話、あなたはどう思われました?」
「知識があれば十分出てくる方法だ。結論はこの先どう化けるか見てからにしよう。それまではカラメルの友人として」
「ええ、そうね。侯爵夫人の手前もあるし、それからでも遅くないわね」
入学から半月経つ頃侯爵夫人からお茶会のお誘いが来ました
侯爵夫人に仕事の話を聞こうとしたのですが、夫人からは栽培が成功した話が帰る時までずっと続いてとうとう聞けませんでした。
「来週から暫く領地に戻るの、こちらに戻るのは秋の終わりか社交の季節になると思うわ。ルナフも元気で居てね」
侯爵夫人は『ルナフのお陰よ』と繰り返して私を家まで送り届けてくれました。
馬車を降りる時に侯爵夫人が聞いてきました。
「お父様は種付けにいらしたの?」
「いえ、まだ今年は…」
「そう…頑張るのよ」
侯爵夫人はそれ以上言わずに帰っていきました。
やっと生活のリズムが出来た頃に執事と使用人2人が続けて辞めました。
後継として来た執事はまだ30位と若くて、使用人は髪をひっつめにした50代の婦人と2人の若いメイドでした。
メイドは没落しそうな地方の伯爵家の娘だと執事が教えてくれました。
「彼女たちはいくつですか?」
「15歳ですよ」
「15歳…」
「法律で15歳以下の労働は禁じられています」
「え…」
思わず執事を見上げてしまった。
「どうされました?」
「彼女たちは学園の中等部を終えて直ぐに働きに来たのですか?」
「地方の中等部を出て都に来たのですよ」
私の中に15歳になれば家を出て働ける、と強く刻み込まれた時でした。
お父様は例年よりかなり遅れて領地へ戻りました。
心配でしたが学園は休めないので着いていくのは諦めました。
お父様が居なくなると、お父様が雇い入れた年配の女性は私の行動を重箱の隅をつつくように指摘してダメ出しをしてくるようになりました。
私の躾を頼まれていると公言します。
うんざりしていたら、週に1回の家庭教師の先生を見て、慌てその日に辞めてしまいました。
「彼女とは同じ先生の元で習ったんですよ」
先生は多くを語りませんでしたが過去に何かあった感じでした。
ですが突然辞められては家の中が回らなくなります。
怒られるのを覚悟してお父様に手紙を書こうとしたら執事に止められました。
あの女性は私の躾だけに雇われていたので辞めても家事に支障は無いと言います。
「契約は2ヶ月でしたので、少し早まっただけです」
執事はお父様が妹を教訓にして私の躾を厳しくするつもりだった、と教えてくれました。
平穏に2ヶ月が過ぎ、学校にも慣れ家にも慣れ、生活のリズムが出来た夏休み前に突然問題が起こりました。
突然戻ってきたお父様は私を書斎に呼び付けて怒りました。
綿の木が根腐れして半分以上が駄目になったと言うのです。
「お前の言う通り肥料をやったらこの様だっ」
信じられませんでした。
お祖父様がやっていた方法で間違うとは思えませんでした。
「夏休みになったら領地へ行って良いですか」
「良いが今年の収穫分はお前に稼がせるぞ」
お父様の言っている意味が分かりませんでした。
この時、お父様はフレーバー侯爵領のりんごの成功を隣の領主から聞かされたばかりでした。
苦しい自領を助けず侯爵領を助けた私をお父様は憎んでいたのでした。
「何を言って…」
「この前は手紙で失敗したが、2度は失敗しない。カルチェラタン公爵とわしを直に引き合わせろ。それで許してやる」
頭をガンと殴られたような衝撃でした。
家の経済が厳しいのは分かっていましたが、だからと言ってカラを利用する事は私には出来ませんでした。
「無理です…」
「お前は自分の失敗の責めを負わないつもりか」
言われてもお祖父様の方法で根腐れが起こるはずが無いのです。
「畑を見せてください」
必死にお父様に頼みました。
「引き合わせてからなら行っても良い。公爵令嬢に会って話せるよう交渉しろ」
大切なお友達を巻き込むくらいなら、お友達をやめるしかない。
そう思い込んでカラに手紙を書きました。