お父様の決断
お父様は家に戻るとお母様を呼びながら私の部屋へ向かいました。
止める執事や使用人を振り切り私の部屋のドアを押し開けて絶句していました。
何もない私の部屋に冷たい食事が置いてあります。
「これは何時の食事だ」
お父様が怒りに拳を作って使用人と執事に言いました。
「昨夜の夕食で御座います」
執事が青くなりながらお父様に言いました。
「嘘をつくな、昨夜は食堂に居たではないか」
執事は動揺して支離滅裂な返事をします。
「この部屋はどうした事だ」
お父様は私のクローゼットを開けたまま暫く動きませんでした。
呆然とした顔を部屋の入口にいる執事と使用人に向けます。
「ルナフの服はこれだけか」
掛かっている数着の服を見て、執事へとも使用人へとも分からない問い掛けをしました。
「あ、あの、あの」
執事は上手く誤魔化せなくておろおろとするばかりです。
「わしがルナフに買ってやった物はどうした」
年に1度、クリスマスに買い与えていた物の事をお父様は言っているのです。
「お前が捨てたのか、妻か」
「い、いえ、キャンディー様が欲しいとねだられて…」
言い淀む執事を見てお父様は言いました。
「妻がルナフから取り上げたんだな」
私は玄関でその騒ぎを聞いていました。
自分の部屋で欲しい物は何一つ有りません。
今さら何を捨てられても今日ほど悲しいとは思わないと思います。
騒ぎを聞き付けたお母様が廊下の上から私を睨み付けました。
そして直ぐお父様の元へと向かいました。
そんなお母様をボーッと見ていて、もうここでは暮らせないと感じていました。
また私を悪者にして収まるのは分かっていました。
12歳で働ける所は有るだろうか。
侯爵夫人に聞いてみよう、と玄関先でぼんやり思っていたのです。
「あなた」
私の部屋にいるお父様を見て、お母様が驚きの声を上げました。
「この部屋は何だ」
「ルナフの部屋ですよ」
お母様は平然と答えました。
「キャンディーとのこの違いは何だ」
「ルナフは大人ですからキャンディーのように飾り立てた部屋を嫌うんですよ」
「わしが買い与えた物はどこにある」
「子供っぽいからとルナフがキャンディーへあげたんですよ」
お母様の口からはすらすらと言葉が出てきます。
今までなら、お父様もそれを信用したのです。
「わしは今日ほど恥ずかしい思いをした事はない。お前はルナフの入学式用のドレスを作ってやらなかったのか」
「ルナフがいらないと言ったんですよ」
「言うわけないだろう。お前はわしに似ているからルナフにこんな惨めな暮らしをさせていたのか」
「そんな事無いわ」
お母様は動揺して救いを求める目を執事に向けた。
「そうやって他の男もたぶらかしたのか」
「そんな酷い…」
お母様は顔を隠して泣く真似をしました。
何時もなら、ここでお父様は追求を止めてしまうのですが今日は違いました。
「キャンディーの部屋と同じようにこの部屋を整えろ」
お父様は執事に命じましたが執事は動きませんでした。
「何をしておる早くしろっ!」
お父様が怒鳴っても執事は顔を背けて立っていました。
「おいっ!」
「…申し訳ございません。もう買える店が…」
執事が震えて顔を背けた。
「分かるように説明しろ」
お父様の低い声に執事は震えながら答えた。
「支払いを…まだ…」
「家には数年暮らせるだけの貯えは渡してあるはずだ。わしに見せた帳簿は偽りか」
「申し訳ございません…」
「帳簿を持ってこい。偽りの無い物でなければお前を解雇する。紹介状も書かんぞ」
執事は青くなって走って行きました。
「キャンディーに公爵も買わないドレスを買ったそうだな」
「そんなの嘘よ。あなたはルナフに騙されたのよ」
「わしはルナフから聞いたのではない。あれは口を閉ざして何も言わん。こんな扱いをされていれば当然か」
お父様は部屋に置かれた食事を指してお母様に言いました。
「あれは今夜のルナフの夕飯だろう。そんなにわしに似た娘が憎いか」
怒りを通り越して、お父様の声は低く冷静に聞こえました。
お母様が何か言い訳を言う前に執事が数冊の帳簿を抱えて戻って来たのでした。
お父様は私のベットに座って最初から帳簿の確認を始めました。
おかしな所を見付けたのは下の兄が産まれた頃からでした。
その年はお祖父様が亡くなった年でもあって、長くお祖父様に付いていた執事を領地の屋敷に置き今の執事を領地から都の屋敷の執事にした年でもありました。
「この出費は何だ」
お父様の指摘に執事はお母様を見ます。
「説明しろ」
「奥さまのご実家が資金難で…」
「それを家の家計から出したのか。お前の実家には『結納』としてまとまった金を渡したぞ」
お母様のご実家は領地の近くの男爵家でお母様の美しさにお父様が一目惚れして結婚したのでした。
その年から毎年お母様の実家へお金が渡っていました。
おそらく結納のお金を使い尽くしてお母様に無心したのでしょう。
お父様は帳簿を持って書斎に移動しました。
廊下の上から立っている私が見えたらしく、お父様は私に来るように手招きします。
私を書斎に入れてドアの鍵を掛けると小机の前に座らせました。
この机は私がお父様の仕事を手伝う時のために置かれた物です。
暫く待つとお父様は数字の書いたメモを渡してきました。
上に『1』『2』『3』と書かれてあるので、別々に計算して答えを書いて戻します。
お父様はそれを少し間隔を開けてテーブルに並べました。
待っているとまた上に同じ数字のメモが3枚流れてきます。
それを7回繰り返して、今度は数字事の合計を出すよう言われました。
全部の計算を終えてお父様に戻すと、お父様は合計の数を見て深いため息を付かれました。
お父様が執事に預けていたお金の大半はお母様と妹の服や宝石代に消えていました。
そして、私より数倍高いお金で雇った妹の家庭教師は半年も経たず解雇されたのですが、執事がお父様に見せていた帳簿には今年も妹の家庭教師の費用が書かれていました。
私の家庭教師は侯爵夫人からの強制だったので辞められなかったそうです。
お父様の脳裏に妹の顔が浮かびました。
とても半年でマナーが身に付いているとは思えません。
お父様はまたため息を付かれました。
その次の問題はお母様が毎年里に渡していたお金の金額でした。
年々額が増えて、去年は初めの倍近くになっていました。
幸い今年は家にお金が無くてまだ渡していませんでしたが有れば渡していたでしょう。
お父様を決断させたのはお母様の使い込んだお金の額の多さだと思います。
書斎の鍵を開けて、お父様は執事を呼びました。
「馬車の支度を、それから支払いが滞っている服屋と宝石商を呼べ」
「かしこまりました」
執事はホッとした顔で下がって行きました。
その顔はお父様が代金を払うと安心している顔でした。
それから少しして妹が書斎へ入って来ました。
その迷いの無い動きから妹は何時も伺いも立てず入っていたのだと分かりました。
良く分かりました…この家で、私だけが部外者なのです。
泣きたいのに、出るのは笑いでした。
「お父様、キャンディーねお母様とお揃いで新しいお洋服と靴が欲しいの。あとブローチと髪止めも買ってね」
ああ、何時ものこうしてねだってるんだ…もう笑う気持ちも無くなりました。
「お父様は仕事があるからお母様と待っていなさい」
「うん、分かった、お父様ありがとう。お父様はキャンディーの欲しい物みんな知ってるのね。だから洋服屋さんと宝石屋さんが来るんでしょ?お母様も喜んでいたよ」
妹は嬉しそうにお父様に抱き付いて、スキップしながら書斎を出ていきました。
?
たった今まで妹に笑っていたお父様が無表情で書斎のドアを睨んでいます。
「お前は暫くここに居ろ」
「はい」
お父様は机に向かい直すと怖い顔で手紙を書き始めました。
途中メモを見ながら数字を書いて、その後はまるで怒りに任せて書き殴っているようでした。
それなのに正式な手紙らしく、お父様はフランソワーズ伯爵家の蝋印を押しています。
暫く待っていると、執事が馬車の仕度が出来たと知らせてきました。
「お前はあれに服屋と宝石屋が来ると教えたのか」
お父様は事務的な声で執事に尋ねました。
「はい、心配なさっておられましたので」
「そうか。妻にこれを持ってキャンディーと里に行くように言え。話は全て書いてある」
「旦那様?」
「何も持たせるな。着のみ着のまま返せ。何か1つでも持たせたらこの都で一生働けなくするぞ」
お父様が何を考えて居るのか執事も察したのでしょう。
白い顔でよろけながら書斎を出ていきました。
それからの30分ほどはお母様と執事の攻防でした。
荷造りをすると言うお母様を執事が言いくるめて馬車に何とか乗せました。
「旦那様はこれから支払いの話をするので奥さまに聞かれたくないとの事で、話が付くまでご実家に戻られるようにとおっしゃっています」
「支払い?」
お母様は眉間にしわを寄せました。
散財した自覚はあるらしく、お父様のご機嫌が治るまで里に戻るのを了承しました。
「もうすぐ店の者が見えるのでお急ぎください」
「でも仕度がまだだわ」
「旦那様のお気持ちが変わらないうちにお早く」
「必ず今日中に荷造りをさせなさい。私より到着が遅れたら許しませんよ」
「承知いたしております。必ず今日中に」
「あの人がルナフにそそのかされないようにキチンと見張るのよ。前みたいに甘くしたら今度は許しませんよ」
「お母様、キャンディーのお洋服は?お父様が買ってくれると言ったのよ」
「ちゃんと買ってくれますよ」
お母様が妹をなだめます。
「今度の服は少し高いからお父様も直ぐには買えないのよ。おばあさまのお家でお迎えを待ちましょうね」
「お迎えの時に持ってきてくれる?」
「勿論よ。品は分かってるわね。宝石の色も私が選んだ色で押し切りなさい」
執事は恭しく頭を下げて、お父様の手紙をお母様に持たせました。
「これは何?」
「急な里帰りなのであちらが心配しないよう持たせるのだと伺いました」
「そう父に渡せば良いのね」
「お気を付けて、お早いお戻りをお待ちしております」
執事はお母様を送り出すと書斎に戻ってきました。
「店屋が来たら知らせてくれ。終わったらみんなに話がある。使用人は終わるまで部屋から出すな」
「承知しました」
下がろうとする執事を、思い出したようにお父様が引き留めました。
「キャンディーの家庭教師は半年も頼まなかった様だが」
「キャンディー様がお勉強を嫌われまして…」
執事は語尾を濁しました。
お父様が執事をじっと見て先を促すと、無言の威圧に負けた執事が話始めましま。
「奥さまは嫌がるキャンディー様を庇われ、『美しければマナーなどいらない』と申されまして…ご自分も旦那様が庇われて習わなかった、と…」
お父様が3度目のため息を付いて執事に下がるよう手を振ると、執事は青い顔で下がっていきました。
この時代は転職するにも前の勤め先から『紹介状』を貰わないと新しい所には勤められませんでした。
もし紹介状も無しに解雇されれば、前の勤め先をしくじったと思われ条件の良い勤め先は望めないのです。
お父様は洋服屋と宝石商にお母様と妹の服や宝石を大半売り払いました。
お母様の部屋と妹の部屋のドレスの数を見てお父様は憎らし気に舌打ちをしました。
執事をギロリと睨んで下取り価格の交渉です。
どちらの店も思ったより高値を提示しました。
それは私が公爵や侯爵と親しいと知っているからです。
ここで買い叩いて、後々上位貴族の足が店から遠退くのを懸念したのです。
お父様は私に似合う色の宝石はカットを変えてネックレスとブローチにしました。
「イヤリングと指輪は15になってからで十分だ」
それから私の服も作らせました。
パーティー用のドレスが2着と通学とお茶会にお呼ばれした時の服を5着です。
本当はそれだけでは全然足りないのですがお父様に女性の服が分かるはずもなく数着買って貰えただけ幸運でした。
靴やバック、細かい物も3組買いました。
採寸して作るので仕上がりに1週間は掛かると言われ、お父様は『それでは駄目だ』急かしました。
絶対明日から着せると言って譲りません。
「どうしても明日から着せろ」
苦肉の策で仕上がるまでは吊しに近い服で誤魔化す事になりました。
吊るしでも今までとは雲泥の差です。
お父様に吊るしで十分だと言ったらお店の人が笑って言いました。
「これ全部でも妹様の1着よりお安いですよ」
その言葉にお父様は隅で震えている執事を睨み付けました。