カラの結婚
最後は残念な形になりましたが、今までどれだけ公爵夫妻に助けられて来たか…。
感謝の気持ちしかありません。
「お屋敷にある荷物をクラシック先生の所へ届けて頂けますか?」
私の荷物は少ないのでドレスをクラシック先生が預かって貰えたら直ぐに領地へと行く事が出来るのです。
「クラシックの所へ?」
怪訝な顔をする公爵に『ドレスを預かって貰う約束をした』と嘘を付きました。
公爵もドレスを貰った経緯は知っているので『それならば』と届けてくれる約束をしてくれました。
「先に戻るが」
公爵に頷いて、さっきから考えておいた話を公爵へ言いました。
「明日の馬車の時間などを聞きたいので先にお戻りください。遅くなると迷惑になりますので今夜もう一泊クラシック先生に泊めて頂こうとて思っています」
「明日領地に戻るのだな」
「はい、その予定です」
カラ可愛さに、公爵夫妻は早く私に立ち去って貰いたいのです。
寂しさが込み上げて泣きそうになりながら公爵夫妻に深く頭を下げました。
「ありがとう御座いました」
公爵との会話を聞いていた役人は明日の馬車をメイドに調べさせてくれました。
「馬車に乗客が居る事は伝達しておく、気を付けて行くように」
「ありがとうございます」
役人が渡してくれた書類には境界線に印が付いていました。
明日の手順を確かめてクラシック先生の元に戻ると荷物が先に届いてました。
持ってきてくれた執事から大まかには聞いていた先生は春まで預かってくれるそうです。
「今日はゆっくりお休みなさい」
先生の言葉に甘えて、その夜はゆっくりすごしました。
「領地に戻ったら気が変わりそうね」
「それは無いと思います。昔のままの領地なら迷ったかも…でも半分なら…」
続く『手に負えない』を飲み込みました。
「深くは聞かないわ。気を付けて行ってらっしゃい」
翌日の馬車で向かった故郷は僅かな間に様変わりしてしまっていました。
領地の境界に埋められた杭は埋め変えられ1対1で分けられたはずの領地が1対2になっていました。
もっと面倒な事にお父様とも畑や境界線でトラブルを起こしていた隣と畑側を選んだ伯爵がまた険悪になっている事でした。
こちらの境界線も杭を詰め変えた跡があると役人は怒った顔をしていました。
役人からどちらの領地を希望するか聞かれて、即座に屋敷側を選びました。
同行した役人は畑側を取らないのかと不機嫌でしたが春からは学園で暮らすのです、二兎を追う気持ちは初めからありませんでした。
きっと役人は私を口実に畑を選んだ伯爵をやり込めたかったんだと思います。
「屋敷を見て回っても良いですか?」
「お好きに、土地を計測し直して杭を打ち直すまであちこち行かないで下さい」
「分かりました」
言われた通りに屋敷の中だけを見て回ります。
まるで嵐の跡のように屋敷の中は荒れ果てていて、嵐でなければ大勢の盗賊が家捜しした跡のようにも見えました。
お父様が?それとも本当に盗賊?
もう夕方なので急いで2階の祖父の書斎へ走りました。
書斎の机は荒らされていましたが本棚は無事でした。
日記を抱えて1階に降りました。
これさえあればもうここに用事はありません。
祖父の日記を荷物に閉まって屋敷の外に出ると玄関に見覚えのある領民が中を覗いていました。
「あ、お嬢様」
走り寄ってきたおじさんは希望を宿した目で私を見てくるのでした。
「もうお嬢様では無いわ」
「よくぞお戻りに、みんな待っておりました」
「何があったの?」
屋敷を振り返りながらおじさんに聞きました。
「旦那様と後妻の小娘が何もかも持って逃げてしまったですだ」
お父様が再婚した事は聞いていたので言われて納得しました。
「今から畑を奪い返しに行きましょう」
勢いで話す領民を止めて事情を聞きました。
おじさんの話では新しく来た伯爵が綿花を独り占めしていて領民も近付けないらしいです。
「私はもうここの領主の娘ではないの。畑を取り返しに行く権利は無いわ」
「畑に居座ってる伯爵とこの領地を半分にしたんでしょう。なら半分はお嬢様の物です」
おじさんの言い分も分かりますが…。
春から学園の先生になる私にはおじさんの期待に応える力はありません。
そう断る前におじさんが話し出してしまいました。
「これでじいさんも家族連れて帰ってくるぞ」
「じいさん?じいさん、って畑を預けてるおじいさんの事?家族って?」
分からない事ばかりです。
興奮している領民の話を整理すると、新しい領主は綿花を独り占めしようと他から領民を連れて乗り込んで来たのだそうです。
ですが綿花の畑を手に入れた領主の不幸はお父様が畑を任せているおじいさんを家族ごと新たな土地へ連れて行ってしまった事でした。
お父様や私が綿花を作っていると言っても本当に苗から育てているのは領民です。
それもおじいさん家族の指示で領民が働いていたのでおじいさんが居なくなっては売れる綿花を育てるのは困難でした。
綿花の畑を選んだ伯爵は隣の領主との境界争いとお父様の所からおじいさん家族を呼び返すために必死だそうです。
「お嬢様が言えばじいさんは必ず帰ってくる。そうすればまた綿花を育てて平穏に暮らせるだ」
「ごめんなさい…私の頼みだと知ったらお父様は絶対来させないわ…」
おじさんは大袈裟にがっくりした動作をしました。
町にはお父様から見捨てられた領民が集まって暮らしているのだそうです。
「じゃあ何のために戻って来たですか」
嫌味に聞こえる声がグサリと刺さりました。
「陛下に見て来るように言われたの…」
かすれた声でやっとこたえました。
嘘ですがそうとしか答えられませんでした。
ぎくしゃくしたままおじさんと別れ暗闇の屋敷に戻りました。
明日には王都へ帰るつもりで、今夜の寝場所を作ろうと荒れた居間に戻りました。
月明かりでぼんやり居間の中が見えます。
家具に布を掛ける事もしないで行ってしまったらしく埃だらけでソファーも使えません。
町に宿屋はあったでしょうか?
なければここで鞄の上に座って寝るようでした。
町へ行けば…嫌でもまたおじさんに会いそうです。
どうしようか迷って、町へ行かないで鞄に座ってうたた寝しました。
夢の中にはお祖父様が居て書斎で本を読んでいました。
『ルナフ。もし領地が変わってここを出て行く時はこれだけ持って行きなさい』
幼い私は本の形をした木箱を不思議そうに見上げているのでした。
起きたら身体中が痛かったです。
あれは…急いで2階の書斎に行けば、あるはずの木箱は棚から無くなっていました。
お父様が?
確かめたくても今は方法もありません。
祖父を思い出しながら書斎をゆっくり見回しました。
祖父が生きていてここで過ごした時間だけが私の幸せだったんだと今更に思います。
もうあの時間は…戻らないのです。
窓から町が見えました。
祖父はここからこうして町を見て何を考えていたのでしょうか?
大きく深呼吸をして役人が寝泊まりしてる馬車に向かいました。
王都へ戻ると話したら『帰る前に見てくれ』と地図を渡されました。
「杭の場所を覚えてないか?」
双方で移し合っていたので最初の場所が分からなくなったのでした。
役人は余りの悪質さに王都から応援を呼ぶと決めたそうです。
「宿泊施設に屋敷を貸して貰いたいが」
「掃除がしてなくて汚くても良いなら…」
泊まる料金は取りませんでした。
祖父の屋敷をお金儲けに使うのは違うと思ったからです。
祖父の書斎は立ち入らないで欲しいと言い掛けて止めました。
きっと祖父なら屋敷全部を役人に貸して自分は町に住むくらい平気でする人だから。
「もしかしたら…」
祖父の書斎で領地の地図を昔見たような…。
見付けた地図はかなり古くてもしかしたら…木箱の中身は地図?
増援を呼びに行く馬車に乗せて貰って私は王都へと戻りました。
クラシック先生は春までここへ住めば良いと言って下さいますが甘えるわけにはいなかいので、学園の近くに小さい部屋を借りました。
する事のない半年は苦痛になるかも知れませんが今はのんびりと暮らしたいです。
もう1つ部屋を借りた理由はクラシック先生の他は寮に住んでる教師が居ないからです。
私も学園に勤めるようになったら部屋を借りるのだから…の気持ちもありました。
暮らし始めて1番苦戦したのが炊事でした。
初めての自炊は考えたくないほど大変で、働き始めたら下女を雇おうと真剣に思いました。
年末までの私の1日は『図書館、部屋』か『学園、部屋』のどちらかで勉強に埋もれた生活を社交の季節になるまで続けました。
帰国したのを知っている友人から社交界のパーティーに誘われますがお断りしています。
私とパーティーは似合わないです。
それに…カラに会うのは嫌でした。
なのでお茶の誘いもカラの居ない集まりへ7、8回に1度顔を忘れられない程度の間隔で参加するだけにしていました。
近くに居ると色々な話が聞こえてきて、顔は見えなくても頭から離れませんでした。
そんな所にカラから直接手紙が来たのです。
カラとモンタニューブルー侯爵との結婚は予定の通り執り行われました。
私は王都に居ましたが…呼ばれませんでした。
公爵がカラを気遣って呼ばなかったのです。
カラは夫になるモンターニュブルー侯爵の話に納得していませんでしたが、公爵の考えにも納得出来てませんでした。
出来なくてもこれ以上掘り返せば結婚が壊れる可能性が高くて口を閉じたのでした。
正式に結婚が決まって、結婚式までの時間は2人とも多忙でした。
それでも結婚の障害になっていたストレートと私の話を侯爵が口にしなかったので、忙しい中にも恋人同士の優しい空気が2人に戻ってきていて、僅かな時間も惜しんで2人だけの時間を作っていたほどでした。
そうして迎えた結婚式のカラはとても綺麗だったそうです。
最初私が招待されて居ないと知って友人たちは驚いていましたが、何かを察した感じでさらりと話題を変えました。
式の後、招待されて参加してきた友人たちから話を聞いて私もカラの幸せを祈りました。
正式に侯爵夫婦になった若い2人が侯爵領を治める事は大変でした。
若いだけに小さな不正も許せなくて、嫌でも全てが2人の肩に掛かってくるのでした。
カラは表面上は理解したように装いましたが結婚前の公爵令嬢の立場と結婚してからの侯爵夫人としての立場の違いを本当は理解して居なかったのです。
その意識の食い違いとモンタニューブルー侯爵家の親族たちの対応の不味さが更に溝を広げてしまったのでした。
夫になったモンタニューブルー侯爵は当主の座を退いたご両親と同じで領民に気配りの出来る方でしたが親族の中にはやはりかの方のご両親と似ている方も居て人の表しか知らないカラとの関係はトラブルばかりでした。
カラがそれに疲れたのも当然かもしれません。
公爵令嬢でも侯爵家に嫁いだのだから親族の言う事に従え、の声をカラは正面から否定して侯爵家の当主は『夫』だと応戦したのです。
公爵が気付いた時には確執のようになっていて和解させるのは不可能だったそうです。
カラからすれば信じられない早さで自分を囲む環境か変わるのですから受け止めるだけで精一杯だったと思います。
これまでなら公爵夫妻が側にいて困ったら手を差し伸べてくれたのに、モンターニュブルー侯爵家に嫁いでからは全てが変わってしまったのでした。
他家へ嫁いだのですから風習も習慣も違うのが当然でそこに馴染んでいくとか慣れていくとかして嫁ぎ先の家族と徐々に繋がっていくのが普通だと思います。
でもカラにはその意識がありませんでした。
小さないさかいが少しずつモンターニュブルー侯爵家の親族とカラの間の亀裂を大きくしていきました。
じわじわ伝わってくるモンターニュブルー侯爵家の息苦しさがカラに私への手紙を書かせたのだと思います。
私がストレートとの婚姻を白紙にした事でストレートの友人であり夫のモンタニューブルー侯爵からカラは諭すように叱られたのでした。
カラはもっと私が親身になって力になってくれると信じていたので知らされた結果に私から裏切られたと思ったのだそうです。
モンタニューブルー侯爵はカラと自分がストレートと私の事をもっと気遣っていればこんな結果にはならなかった、と後悔していました。
ストレートがカラの婚約者候補になった時ストレートの意見のように私に話していれば…こんなに感情がもつれなかった、とモンタニューブルー侯爵は考えていたのでした。




