帰国
今日の卒業式で祝辞を読むために来たと言うこの国の公爵はこの国の陛下と話したそうです。
「本決まりではないが国が所有している土地で試験的に桑を育てる事にした。桑が上手くいけば知恵を集めて蚕を飼うよ」
「桑を育てるなら…」
お茶や薬の話をしたらこの国の公爵が驚いていました、
「アールグレイは自分で考案したと言っていたがやはり君か」
お茶や薬の事が載っている本を見せるとこの国の公爵は苦笑いから呆れた顔になりました。
「他に何かあるかい」
「調べたいと思う物は無いので、これと言っては無いです」
「もしある時は手紙で知らせてきてくれないかい」
この国の公爵の口調は柔らかくてつい頷いてしまってました。
「代わりに君の希望も1つ叶えよう」
考えて届かない手紙の話をしました。
この国の公爵は公爵からも指摘されていると言って早急に善処すると約束してくれました。
「読まれて困る事は書いてないので読まれても構いませんが届かないのは困ります」
ストレートの名前は出さないで届いてない話をしました。
「確かに手紙の紛失の苦情が重なっている」
特に他国からの手紙に紛失が多く『慰謝料』と同じく『悪き習慣』だとこの国の公爵が言いました。
「フランソワーズ伯爵の話は向こうの国から届いているかい?」
「いいえ…」
私は緊張してこの国の公爵を見上げました。
「フランソワーズ伯爵は爵位を取り上げられ平民になった後妻子の里を頼って都から消えたそうだ」
…祖父の書斎を新しく領主になった人が使うと思うと胃が締め付けられます。
せめて祖父の日記だけでも手元に置きたい、と思う気持ちが強く沸き上がりました。
公爵にお願いすれば…浮かんだ思いを急いで頭から消しました。
平民になったら…公爵と話す事も叶わなくなるでしょう。
カラとも…分かっていた事ですがやはり堪えました。
お父様だけでなく私も名字の無い平民としてこれからは生きていかなくてはならないのです。
そう思うとどうしても体は震えました。
「そして君だ。君は1代だけの伯爵になる」
「…え?…」
思わず高い声が出てしまってこの国の公爵が顔をしかめます。
「小さいが領地を賜って静かに暮らすように、との事だ。後程正式な書類の形で送られて来るだろう」
…。
女性の伯爵は少ないですが居ます。
でもそれは未亡人だったり婿を貰って家を継いだ者だけです。
私が与えられるのは違和感がありました。
私の中に『何故』の不安が沸き上がってある可能性に体が震えました。
もしかの方に捕らわれた事を哀れんで陛下が授けた爵位なら…受ける事で事実だと社交界に肯定する事になってしまいます。
断りたくても…陛下の決定に否は許されないのです。
賜った領地で…哀れまれながらこの先の一生を…。
なんて…。
残酷な話に声が出ませんでした。
驚きが冷めない間に卒業式は終わりました。
そして戻った寮に待っていたのはカラからの1通の手紙でした。
この国より何日か早かった向こうの卒業式の様子が細かく書かれていて懐かしい顔が…覚えているつもりだったのにぼやけて思い出せない顔もある事にショックを受けました。
カラとはトラブルで間に2回会っていますが他の友人たちとは中等部の卒業以来会っていないのだと今更に気が付きます。
手紙の中には卒業を機に婚約したり結婚したりの驚くニュースも書かれていました。
貴族の令嬢の適齢期は高等部を卒業する18から20までです。
それを考えれば当然のニュースでした。
その中には…相手の名前は書かれていませんがカラの婚約の話もありました。
然り気無く書いてきていて…。
『私の相手がまさかの侯爵だと知って、お友だちに驚かれたわ』
普段のカラには似合わず遠回しに相手は侯爵だと書いてありました。
私に出席して貰いたいから結婚式は秋にする予定だとあります。
…お祝いは何が良いでしょうか。
カラとストレート…お似合いな2人です。
最後に、わざわざストレートの婚約の話が書いてあって…何故かその一行に傷付いた私がいるのでした。
みんなの結婚式に招待されているので秋から社交界が始まる冬まで結婚式のラッシュになりそうです。
最後の思い出にするにはこれ以上無いタイミングに思えました。
春休みは無気力で何かをする気持ちになれませんでした。
自分の未来に希望を持てなくて呆然と1日が過ぎていました。
熱望していた首席を逃したのも大きいと思います。
あんな事があって卒業出来るだけ幸運なのに、ぐだぐだで…。
気が付けば部屋で泣いていました。
首席を取れたらクラシック先生に報告出来たのですが…気落ちしている気持ちのままカラへのお祝いの手紙を書くのは辛かったです。
気持ちを持ち上げられないまま1学期は始まりました。
留年した形で新しい学校生活が始まりました。
3ヶ月だけと言っても学年下のクラスに馴染めるはずもありません。
浮いた存在の私にクラスの対応も冷たかったです。
その中の1人がニルギリの従兄弟でした。
初めは顔を合わせる度に嫌味を言われましたが半月もすると言わなくなって逆に絹の生産方法を聞いてくるようになりました。
アッサムやグレイに出来るのだから自分にも出来る、とニルギリは確信していてどんなに説明しても無意味でした。
しつこく生産方法を聞いてきたニルギリでしたが急にパタリと連絡が無くなって従兄弟の態度も最初に戻りました。
嫌な感じで居たら国が絹の生産を始めると何処からか聞いたらしく国と共同して始めると1人で決め込んでいるのでした。
この国の公爵の話では綿花の失敗からの負債が限界まで膨らんでいて、このままだと破産は避けられないだろう、との事でした。
何時もなら力になりたいとお節介を焼くのに、その時は全部の気力が尽きていて『破産』すると聞かされても何かをする気持ちにはなれなかったのでした。
ぼんやり時間を過ごしていたら公爵からの手紙で1代限りの伯爵の話が書かれてました。
やはり…予測していた通り…。
かの方との醜聞で結婚は望めないだろうと陛下が哀れんでの爵位と領地でした。
…受けるしか道はありません。
公爵からの手紙だと領地は都からかなり離れている草原で領民は100人ほどと少ないがのんびりした田舎だとありました。
生産は野菜などの作物が主で、暮らしは楽とは言えないそうです。
今までは隣の領主の大臣が助けてきたのだそうですが去年の天候不良で今年は厳しくて、出来れば私の力で…と手紙の最後にありました。
それでも動き出すエネルギーは生まれてきませんでした。
そんな私の背中を押したのはそれまで領地を任されていた老人からの手紙だと思います。
大臣からも『私なら…』、公爵からも重ねて頼まれてしまえば私に『断る』選択があるはずもありません。
自然に授業を受けながら領地を考える暮らしになって、帰国まで何回も手紙のやり取りしをしたのでした。
5月の半ばに1学期の終業式の日に卒業出来る事が決まり、私は緊張してクラシック先生に手紙を書きました。
先生の期待に添える首席を逃した話は本当に書くのが辛かったです。
頻繁に書けば就職の催促をする形になってしまう気がして…書けなかったのです。
その気持ちも正直に書きました。
失望させた申し訳無さで返事を貰えないかもと不安で、食事も喉を通りませんでした。
なので先生から返事が届いた時は飛び上がるほど嬉しかったです。
希望は城か学園かを聞かれて迷わず『学園』と書きました。
教師としての採用には年が若過ぎる気もして、先生の助手としての採用もあるかもしれないと思いました。
季節が夏に向かう頃、私は領地の要望をどうすれば良いのか正直迷っていました。
私は地形から羊を飼って『羊毛』を『特産』にと考えていましたが、領民は『絹』を希望するのでした。
領民だけでなく、領地が隣り合わせで今まで領民を助けてきた大臣も『絹』を押してくるのです。
桑は育つとしても、蚕を養うだけの桑の生産には土地が足りません。
羊なら土地が狭くて頭数を飼えなくても毛を毛糸にして乳をチーズにして今までの農作物の収入と合わせれば十分暮らしは成り立つのです。
ですが羊を説明する手紙には返事が来ないのに、絹の話は一方的に書いてきて…。
そうなると嫌でも過去にあった事が思い出されて…私は泣きそうな気分で公爵に手紙を書きました。
1学期の終わりに、私は校長室で季節外れの卒業証書を受け取りました。
同席したこの国の公爵へ手紙のお礼を言いました。
今までなら受け取れなかった内容の手紙も届くのはこの国の公爵の人力の賜物です。
お世話になった方々へお礼とお別れを言って、予定より1週間早い帰国の船に乗りました。
遠くなる港を見ながらやっぱりお土産を買えば良かったかも…と悩んでいました。
カラに買えばストレートに買わないわけにはいきません。
2人が結婚すると知ってしまってからはストレートにお土産を渡すのは抵抗がありました。
悩むのは…帰国する事に迷いがあるからです。
カラに帰国の予定を書き送ったので迎えに来てくれると思います。
きっとストレートも一緒に並んでいるでしょう。
私は…この先仲睦まじい2人の友人でいられる自信がありません。
心の中にあるのは『羨ましさ』『嫉妬』他にも醜い感情です。
願っても願っても手が届かない幸せが…自分を嫌悪する自分が嫌でした。
港に着いた日は雨でした。
「行き違いになってしまったわ」
カラは残念そうな顔で言いました。
意味が分からなくてカラを見ます。
「ルナフ・フランソワーズだな」
カラからの返事の前に横から男性の声で呼ばれました。
見返えす先には見覚えの無い50代の貴族の方が居たのでした。
「着いてくるように」
突然の事で命令口調の男性を見返したまま固まっていたら舌打ちされました。
「早くしろ」
後ろに控えている兵士らしい青年に顎で指図して、男性は向きを変えました。
多分、兵士に私を連れて来させようとしたのだと思います。
命令された兵士に手首を掴まれ掛けて思わず手を引いてしまいました。
もう1度掴まえに来た兵士と私の間にカラの警護の騎士が立ち塞がりました。
「私の友人を連れ去るなんて許しませんわ」
カラが男性に向けてきつい口調で言います。
命令された兵士は自分の雇い人と騎士とカラを忙しなく見比べているのでした。
カラにこれ以上言えないと思ったのか男性は兵士を急かしました。
「早くしろっ」
雨で人影は少なくてもこの騒ぎに足を止めます。
向き合っているのが大臣家の執事とカルチェラタン公爵令嬢のカラメルだと知っている人は立ち去らず遠巻きにして見守っているのでした。
「私が許さないと言っているの。下がりなさい」
兵士にもどちらが上か分かったのでしょう。
男性の後ろに戻らず人波の後ろへ消えたのでした。
「陛下には私から申し立てます。公爵家への侮辱と伝えますわ」
カラの言葉に男性が顔色を変えました。
「自分の領地の一部をルナに下げ渡して『絹』が成功したら取り上げるつもりでしょうけど、陛下は全てご存知よ」
カラの言葉に周りで何人かが頷きました。
そして…その頷いた視線が私に向きます。
私にも男性が誰なのか分かりました。
カラが何時もより多い騎士を連れて来ている理由も…。
帰ってきてはいけなかったのかも知れない…。
大臣の執事は真っ青な顔でその場を動けませんでした。
カラは周囲に見せ付けるよう私と手を繋ぎに来ました。
この年齢になっても手を繋ぐ不自然さをカラも十分分かって居るはずです。
それでも繋ぎに来るのは私を守ろうとするカラの強い気持ちからです。
…こんなカラだから…ストレートもカラを好きになったんだと思えました。
「ホントに、こんな肝心な時に居ないとかホント使えないんだから」
カラはプンプンと海に向かって文句を言いました。
「意味が分からない顔ね」
カラがからかう顔で言います。
頷くと可笑しそうに笑われて手を引かれました。
カラと歩く先にはカルチェラタン公爵家の馬車が待っていました。
「隣国の公爵から大臣と領民の手紙の写しがお父様の元へ送られてきていたの」
「え…」
驚きながらもカラの後から馬車に乗ります。
隣国の公爵らしい、とつい笑ってしまいました。
利用されたと分かっても不思議と腹も立ちませんでした。
「今日大臣が強硬手段に出なかったら陛下から話して貰う事になってたのよ。出来るなら穏便に済ませたかったもの」
カラと向かい合わせに座って少し経つと馬車はゆっくり走り出しました。




