惰性
「もし聞かれたらこの前みたいに腕を掴んで捻れば痛さで何も言えなくなるさ」
「それはそうだろうが、端から見ればお前ら他人に見えるぞ。食わないから痩せてまるで病人みたいだし」
お兄さんは嫌そうに私を見ました。
「見えるだけだろ、俺が『愛人』だと言い張れば誰も言い返せないさ、心配するな」
私は顔を伏せて聞いていない振りをしました。
どう言い訳しても、どうせ誰も私の話を信用してくれないのです。
かの方からどんなに酷い言葉を投げ付けられても何も感じません。
叶うなら早く死にたい…。
「絹の量は増やしたんだろうな」
「まだだ」
「しっかりしてくれよ。俺はジョルジに将来を賭けているんだからな」
カラのお兄さんの言葉で、お兄さんが相続から外された事実を思い出しました。
お兄さんはモンターニュブルー侯爵家が持ち直したら金の力で公爵に圧力を掛け後継者の地位へ返り咲くつもりだったのでした。
「速くしないと従兄弟が公爵の地位に着いてしまうんだぞ」
「ああ、分かっている」
かの方は気の無い返事を返しました。
バニラ侯爵の威圧でオレンジの収入は白紙にさせられましたがアッサムとグレイの報酬は生きています。
かの方には10年後のオレンジより今の絹でした。
絹さえ手に入ればカラのお兄さんに用はありません。
「俺を切り捨てたらお前がどんな手を使ったか社交界でバラしてやるからな」
かの方の考えを読んだかのようにお兄さんが言いました。
「分かってるさ」
かの方はめんどくさそうに言いました。
内心お兄さんが社交界で何を言っても誰も耳を貸さないだろうと思っていたのです。
お兄さんの言うように1割の絹では全然足りません。
かの方は今年の分で受け取ってきた絹の質が悪いとクレームを付けて来年からの取り引きを優位に進めるつもりでした。
アッサムとグレイに直に会ってみて、押しに弱いと見抜いていたのです。
今年は間に合いませんが領地の1分を担保にして資金を作り、機織りの機械を増やして来年に備えるつもりでした。
最初の投資は痛いですが来年になれば作った服を売って回収出来ます。
それほど絹が不足しているのでした。
港にはモンターニュブルー侯爵家の馬車が迎えに来ていました。
その出迎え振りは周りが驚くほどでした。
侯爵家の屋敷に連れて行かれ、かの方に腕を掴まれて応接室に行きました。
「喋るなよ。喋ったらどうなるか分かるな」
かの方の脅しに力無く頷きました。
どうせ言っても無駄です。
応接室の真ん中にはかの方と良く似た夫妻が待っていてその周りを親族が囲んでいました。
きっとかの方のご両親でしょう。
「ただいま戻りました」
「うむ、それがフランソワーズ伯爵家の娘か」
「そうです」
かの方が私を前に押します。
「絹のためとは言え伯爵の娘を嫁にする日が来るとはな」
嫌そうな声にかの方が答えました。
「帰国してしまえば隣国の目も無い。こんな田舎臭い奴は『愛人』で十分だ」
かの方は私から権利を『剥奪』して自分の名義にすると言いました。
まるで自分が思い付いたような口振りでかの方は言います。
お兄さんはムッとした顔をしましたがこの場はかの方に任せる方が上手くと思ったようでした。
「まさか本気で言っているのか」
後ろの親族から『信じられない』と驚きの声が聞こえました。
手紙では私の報酬を結納金にしてモンターニュブルー家の嫁にするとあったのです。
ですがかの方の口振りでは『強奪』するように聞こえるのでした。
そこへモンターニュブルー家の執事が入ってきました。
「旦那様。話よりかなり少ないですが」
執事は当主に絹の量を耳打ちしました。
「今年は急だったので残っているだけ吐き出させて持ってきた」
かの方は言い訳のように言いました。
「足りない分は金で持ってきたのだろうな」
かの方のお父様はかの方を鋭く睨み付けました。
「もうこいつの学費になった後だ」
かの方の口からはさらさらと嘘が出てきてここにいる人たちも嫌悪の表情を浮かべつつもその嘘を信じてるようでした。
「取り戻せなかったのか」
当主が舌打ちして私を睨みました。
3年前のパーティーで会ったモンターニュブルー侯爵とは別人のようです。
その時は知らなかったのですが目の前の私が当主と思った方はパーティーで会った方の弟に当たる方でかの方のお父様でした。
本当の侯爵は2年前に体を壊され療養しています。
親族で相談して侯爵が治癒するまでの間はかの方のお父様を代理に立てたのでした。
本当なら後継者を立てるのですが、侯爵夫妻のお子は女の子と病弱な男の子なので幼い時に親族で話し合って後継ぎは弟の子のかの方に決まっていたのです。
その事もあってかの方のお父様を治るまでの代理に選んだのですが、代わってから今回のような不愉快な話が度々出て来るようになったのでした。
親族の間で『当主を入れ替えてはどうか』と話題に上るほどかの方のお父様の言動は目に余る物だったのでした。
「役立たずは『愛人』の価値も無い。暫く奥の部屋に閉じ込めておけ」
話し方からかの方にそっくりで、かの方も大人になれば…つい笑いそうでした。
これも外見で人を『好き』になった報いです。
かの方は笑いなから機織りの機械を増やす話を親族の前でしました。
候補の従兄弟を蹴落として後継者の地位に返り咲くにはここで親族に認めさせなくてはなりません。
「これ以上負債を抱えるのは得策ではない」
慎重派が反対します。
「今決断しないと来年に対応出来ない」
「今年の出来を見てからでも遅くない」
「絹を仕入れたのは俺だ」
かの方の言葉に慎重派は黙るしかありませんでした。
私は黙って聞いていました。
アッサムの桑畑が駄目になるのはそう遠い未来では無いはずです。
そうなれば絹は作れません。
私の中の悪魔な私はかの方が困れば良いと半分思っていたのでした。
「妻じゃないなら下働きにすればどうだ」
かの方のお父様が言いました。
「使用人の口から外に漏れたら面倒だ」
かの方の反対に頷いてかの方のお父様は私を閉じ込めるよう執事に言いました。
執事に連れて来られたのは奥庭の更に奥の伝染病の病人を隔離する牢屋でした。
窓には柵が取り付けられていて入口には頑丈な鍵が付いていました。
「気が狂えば後の始末も楽なんだがな」
執事が何を考えいるのか、分かったら笑えました。
それから何日過ぎたのか、時間の感覚が無くなった私には分かりません。
後から10日ほどだと教えられましたがもっと長い感じがしました。
その日は外が騒がしくて扉の前で執事と誰か複数が言い争っていました。
食事を運んでくる執事以外の声を聞くのはここへ閉じ込められて初めてでした。
ぼんやり外の声を聞いていたら突然扉が開いたのです。
部屋に入ってきたのは城の騎士でした。
声も出せずに震えていると騎士の後ろから公爵の執事が入ってきました。
「助けに参りました」
公爵の執事は痛ましそうに私を見て『もう大丈夫ですよ』と背中を撫でました。
聞きたい事はたくさんあるはずなのに、どれも言葉になりません。
私は執事から公爵の屋敷へ連れて行かれました。
応接室にはカラの姿があって私の顔を見ると走って来てぎゅっと抱き締めてくれました。
嬉しいのに…カラからの言葉が怖くて下を向くしか出来ません。
「兄がごめんなさい…」
カラは泣きながら謝ってきます。
座っていた公爵も立ち上がって近付いてきました。
「すまなかった。ルナフにどう謝ればいいか言葉がない。妻は倒れてしまってここには居ないがルナフに謝って欲しいと言っていた」
私は何が起こったのか分からずカラと公爵を控え目に見ました。
「戻った執事から話を聞いたが信じられなくて領地に人をやったら息子は居なかった」
公爵の怒りで震える声に顔を伏せるしか出来ませんでした。
「港を調べさせると息子はモンターニュブルー家のジョルジと一緒に海を渡ったと記録が残っていた」
かの方と一緒なら半年以上前です。
その間お兄さんは何処で暮らしていたのでしょうか。
かの方の部屋に住んでいたのかも知れません。
「奴はジョルジを利用して公爵家の後継者に戻ろうとしたんだろう」
船で聞いた話が浮かびましたが口にする気持ちにはなりませんでした。
「ジョルジに入れ知恵を付けたのは息子だ」
「ごめんなさい…私がリゼに話していたのを聞かれていたらしいの」
カラは泣きながら謝りました。
私が最低なかの方を好きな事が我慢出来なくてついリゼに言ってしまったそうです。
「それがこんな事になるなんて…」
もしカラが話してなかったら…きっとかの方は他の口実を付けたでしょう。
その時は気付きませんでしたが、何故リゼは仲直りの切っ掛けにかの方を選ばなかったのでしょうか。
どうしてなのか今でも分からないままです。
公爵は人を使ってモンターニュブルー邸を調べたそうです。
そして、お兄さんが滞在しているのと私が囚われているのを知ったのだそうです。
「執事の話を聞いた時は直ぐには信じられなかった。だが調べるにつれ分かってきたのだ」
公爵は苦しそうに言いました。
「隣国の公爵とバニラ侯爵家にはこの度の事のあらましを書いた手紙を出した。執事の話を聞く限りバニラ侯爵はジョルジの嘘を鵜呑みにして動いたようだな。侯爵にはそれなりの謝罪をさせる」
公爵の話を聞いて『必要無い』と首を振りました。
謝罪されても無かった事には出来ないのです。
「ルナ…何で笑ってるの…」
カラが泣きながら私の顔を見てきます。
私はカラに微笑んで見せました。
今の私には笑うしか無いのです。
私は処罰されるのでしょうか…それならこれからを考えずに済みます。
「ストレートがこっちに向かっているわ」
…だから?
笑顔を消さないでカラを見ました。
「ルナ…」
カラに笑って見せてから公爵に聞きました。
「…私は処罰されるのでしょうか」
期待する口調になっていたらしく公爵の顔が歪みました。
「君は処罰されないよ。されるべきなのは大人たちだ」
つい声を出して笑いそうになりました。
公爵を見てはっきり首を振ります。
「1つだけお願いしても良いですか」
「何でも言ってくれ、全て叶える」
気負っている公爵に寮に残したドレスを取りに行って欲しいとお願いしました。
「机の引き出しに金貨を20枚入れてあるので旅費にしてください。クラシック先生が受け取って下さるか分かりませんがドレスを届けていたたければ嬉しいです」
クラシック先生に2度とお会いできないと思ったら胸が熱くなりました。
「ルナ…」
カラの手を握って言います。
「色々あったから…少しの時間1人になりたいの」
「私も一緒に行くわ」
「お願い、少しの時間だけ独りになりたいの」
公爵は私の気持ちを分かっているはずです。
「1週間待ってくれないか。息子とジョルジが裁かれる」
グズリ、と心臓が揺れました。
「…私は望んでいません」
「分かっている」
無意識に笑っていました。
私が何を言っても願いは叶えられないのです。
「部屋を用意させよう。今日はゆっくり休んでくれ。カラメルも行かないように」
「でもお父様」
カラは公爵に訴える視線を向けました。
「カラメル。ルナフを見て休ませてやりたいとは思わないのかい」
「でも…」
更に言おうとしたカラを公爵が止めました。
「大人になれ。相手の気持ちになって考える事を覚えても良い頃だ」
口を閉じたカラを見て公爵は執事を呼びます。
「ルナフを部屋へ」
「承知いたしました。此方へ」
執事に案内されて応接室を出ようとしたら、背中から公爵の声がしました。
「フランソワーズ伯爵はバニラ侯爵への『不敬罪』で隣国へ囚われ処罰されるだろう」
執事はお父様が騎士に連行される所を見ていたのでした。
「…お父様が…」
「帰国すればこの国でも裁かれる」
公爵は他国の侯爵への無礼は見過しに出来ない、と言いました。
「後から知るより今話しておこう。フランソワーズ家は爵位と領地を取り上げられ『平民』になる」
公爵に頷いて待っていた執事の後に続きました。
「隣国の侯爵から返事が来るまで気落ちしないよう」
どんなに執事から説明されてももう高等部の卒業証書も城で働く事も学園で教師として働く事も出来ないのです。
もっと私を絶望させたのは囚われた女性を社会がどう見るか、真実は違ってもかの方が侯爵に言った事が現実として囁かれるのです。
『あの娘は男に囚われ純潔を失った』
その言葉がこれから一生私に付いて回ると思えば地獄より苦しい未来しかありません。




