終わりの願望
「待たせおって」
お父様は苛立ちのまま侯爵に言葉を投げました。
それを役人も聞いていて言葉にはしませんが眉に皺が寄りました。
「早く済ませてここに金を積め」
侯爵はお父様を横目で見て役人に話せと促しました。
役人は焦れたお父様を前に5枚の書類をテーブルに並べて話始めました。
「まず陛下から拝領した爵位と領地だがルナフの返還の希望を認め陛下は頷かれた」
「まて、あいつはこの国の爵位と領地まで持って居るのか。それを返しただと、わしは許可しておらん無効だ。領地からの収益もフランソワーズ家の物だ」
お父様は早口で捲し立てました。
言いながらも領地からの収入を計算している顔でした。
「今返還しなくても卒業する来年の3月で権利は消失する事になっていた」
「馬鹿を言うな。消失するなど有り得ん、他国で法律に疎いと思うのは間違いだぞ」
「爵位も領地も最初から『卒業まで』と決まっていた話だ」
役人は書類の書かれている箇所を指しました。
金の亡者の顔をしているお父様に、役人もわざと爵位を与えられた経緯を話しません。
もし知ったら…お父様がどう出るか私でも想像出来ました。
「返還する時に賜りる金はどうした」
「この国にそんな習慣は無い」
役人はあっても『無い』で押し切ると決めていたのでした。
「今までの収益はどうした」
お父様が食い下がると予測していたのか役人は収益が出る土地ではないと偽の収支の書かれた書類を指しました。
お父様もそれを見せられれば何も言えなくなりました。
爵位のための形ばかりの土地だとお父様にも分かったからです。
「次はこの3件だな」
役人はアッサムの書類を指しました。
「まずロイヤルイングリッシュ伯爵家の収穫から受け取る利益はこの金額になる」
お父様は予定よりはるかに少ないに金額に舌打ちしました。
「次はブレックファースト伯爵家の収穫からの金額だ」
それは更に少額でした。
「こんなに少ないはずはない」
役人は地図を出して領地の広さと地質を話して高額の収益は望めない話をしました。
「土地の広さから考えればこれ以上の収益は期待できないだろう」
次に侯爵家のオレンジの話になりました。
「苗を植えたのが去年だ。収穫が期待出来るようになるまで10年は掛かるだろう」
宛が外れたお父様が深いため息を吐きました。
「この3件の収益はルナフ・フランソワーズの留学費用の1分になる」
「少額とはいえこれはフランソワーズ家の収入だ」
当然の顔で言うお父様に侯爵が冷静に言い返しました。
「それは学費を払ってから言うべきだ」
「義務は果たした」
お父様も言い返します。
公爵にやり込められた話を侯爵が知っているとは知らずお父様は強気でした。
「ここに公爵からの手紙がある。『懲りてなかったようだな』帰国したらそれなりの処罰が待っているだろう」
お父様はぎょっとして侯爵を見返しました。
侯爵は廊下に向けて2回手を鳴らしました。
呼ばれて応接屋に入ってきたのは城から来た騎士2人でした。
「この『報酬』はルナフの知識への礼だ。フランソワーズ家に受け取る権利は無い」
「娘の権利は親の権利だ」
お父様は不利を悟りましたがここで諦めれば帰国してから罰せられます。
それを考えれば言い負ける訳にはいかないのでした。
お父様は何かを思い付いたらしくにんまり笑って侯爵を見ました。
「良いだろう。娘は学校を辞めさせて連れて帰る」
お父様は私を言いくるめれば公爵も黙らせる事が出来る、と考えたのでした。
「ルナフは学園が保護すると国が決めたはずだが」
そこまで侯爵が知っているとは思わなかったお父様は言葉に詰まりました。
そのタイミングで役人が言います。
「その前に侯爵への『不敬罪』でこの国で裁かれる。この2人が城への移送を任された」
2人の騎士はお父様の両側に立ちました。
そんな展開になっているのも知らないで、私は侯爵邸のベルを鳴らしたのでした。
応対に出てきた執事は私を見ると驚いて奥に急ぎました。
残されたメイドは困って立ったままです。
応接室はどちらも使われていて私を何処に案内すれば良いのか分からなかったのでした。
「やっと来たか」
控えの応接室からかの方が出てきました。
かの方の後ろにはカラのお兄さんが居ます。
思わぬ取り合わせに驚いていたらかの方に二の腕を掴まれ奥へと引っ張られました。
かの方とカラのお兄さんは私が来るのを待っていたのです。
私に届いた侯爵からの手紙はかの方が出した偽物だったのでした。
かの方は初めての侯爵邸なのに迷わず応接室に向かいました。
かの方とカラのお兄さんの後を公爵の執事が気付かれないよう音も無く追いました。
メイドが慌てて止めるのを払い除けてかの方は応接室の扉をあけました。
さすがのかの方も騎士に両側を固められているお父様を見たら立ち止まってしまいました。
「応接室で待つように言ったはずだが」
侯爵はいち早く私を捕まえているかの方に気付いて詰る視線を向けます。
「これが来れば待つ必要を感じない」
かの方は目で私を指しました。
「フランソワーズ伯爵。モンターニュブルー侯爵家からの申し出を断ったそうだな」
かの方は冷たい視線をお父様へ向けました。
お父様は真っ青な顔で言い返します。
「没落侯爵に嫁がせる馬鹿がいるか」
吐き捨てるようなお父様の言葉にかの方は怒りで顔色を変えました。
「お前の娘は俺が好きなんだぞ。留学先に俺を追ってきたくらいにな」
驚いているお父様と侯爵は確かめる視線を私に投げてきます。
見られても私は驚きで動けませんでした。
誰にも知られたくない秘密だったのです。
私だけでなく侯爵も驚きで私が先に留学していた事実が頭から飛んでいたのでした。
「こいつらに教えてやれ。お前は財産を俺に捧げるほど俺を『愛している』とな」
かの方の言葉に体から力が抜けました。
心の奥に秘めていた気持ちを…かの方に知られてしまった…。
かの方だけじゃなくお父様にも…。
腕を掴まれて居なければその場にしゃがみこんでしまったでしょう。
私の気持ちをかの方に話したのはカラのお兄さんです。
あのパーティーの時腹立ち紛れについ口にしたカラの一言をお兄さんは聞いていたのでした。
公爵から後継ぎの座を追われ伯爵の地位に甘んじる屈辱が許せなくて、かの方を利用して公爵の地位を取り戻そうと暗躍していたのです。
絶望に飲まれていた私はかの方の言葉を聞いていませんでした。
それがかの方とカラのお兄さんの企みだと後から分かってももう取消しは出来なかったのでした。
「わしは娘の結婚を許してないっ」
かの方の言い方に腹を立てたお父様が公爵との約束を忘れて言い返します。
「親だと言うならこいつの誕生日を言ってみろ」
「誕生日だと」
お父様が怯んだのを見てかの方が言いました。
「虐げてきた娘の産まれた日だ、覚えてるわけないか」
かの方は決め付けたように言います。
「俺は言える」
かの方はお父様を横目で見て数字を言いました。
「これが俺に祝って欲しくて教えてきたんだ」
この時のために私の誕生日を聞いたのかと思ったら可笑しくて泣きたくなりました。
かの方の口からはスラスラと嘘が出て来て…もう悲しいとすら感じません。
感情が麻痺するとはこんな事を指す言葉なのかも知れません。
「こっちは傷物にした責任を取ってやろうと言うんだ、いい加減ありがたく思えっ」
かの方の返しに応接室の空気が固まりました。
その時の私にはかの方が言った意味が分かりませんでした。
「本当なのか」
侯爵が疑う視線で聞いてきます。
返事をしたくても腕をグッと掴まれていて痛さにかの方を見上げてしまうのが先でした。
「…本当なのか」
何が本当なのか私には分かりませんでした。
かの方は勝ち誇ったように笑って侯爵に言いました。
「これの資産はこの時より夫の俺が管理する」
かの方が何を言っているのか分かりませんでした。
なのに、侯爵もお父様もまるで汚い物を見るように私を見るのでした。
「好きにするがいい。公爵もがっかりするだろう」
何が起こったのか、私には分かりませんでした。
急に突き放された感じに戸惑いしかありません。
かの方は私をカラのお兄さんに任せて侯爵と何処かへ行ってしまいます。
何が起こったのか分からないまま、私はかの方の借りている部屋へ連れて行かれました。
公爵の執事が後ろから付けている事をかの方もカラのお兄さんも気付いていませんでした。
「明日の船で国に戻る、良いな」
「あの…学校は…」
「退学に決まっている」
「え、な、何で…何でですか」
混乱して聞き返します。
「奴らはお前が傷物になったと思ったからお前を見放したんだ」
カラのお兄さんの悪意しかない視線にかの方が満足気に笑いました。
「それにしても良く喋らなかったな」
お兄さんは動転している私を見ながらかの方に聞きました。
「簡単な話だ。こう掴めば女は誰も痛さに息を詰める」
かの方はまた私の二の腕をグッと掴んで見せたのでした。
痛さに涙が出そうになります。
「馬鹿な女だ。分かるか、お前はこいつに『傷物』にされたと侯爵に頷いたんだ」
私には『傷物』の意味が分かりませんでした。
「その顔は分かってないな。お前は結婚前にこいつに『純潔』を捧げたんだよ」
!!
驚きに思わず痛みも忘れてかの方を見上げてしまいました。
「お前の財産はお前が愛する俺の物だ。感謝するんだな」
かの方は私を押し潰すように上から見下ろして来ました。
お父様と侯爵のあの侮蔑の視線の意味は…。
気付いたら叫んでいました。
かの方に取り押さえられても叫ぶことを止められませんでした。
暫くは押さえ付けようとしていたかの方でしたが諦めたのか麻縄を持ってきて私を縛り猿ぐつわを噛ませて使ってない部屋に押し込みました。
どれくらい経ってからなのか、頭の中に現実が返って来ました。
真っ暗な部屋の中で侯爵邸での事が浮かび上がります。
全てが分かって…絶望に体が震えました。
死ぬより最悪な事があるんだと、その時初めて知りました。
この先、私が何をどう言っても誰も信用してくれないでしょう…。
誰にも信用されなくても…カラにだけは信じて貰いたい…。
…カラに知らせる方法は…。
きっと侯爵から公爵に手紙が書かれて…私の手紙はカラには届かない…。
絶望が私から希望も気力も奪いました。
朝になって、かの方は静かにするならと条件を付けて私の縄を解きました。
かの方の手にある縄を無意識に目が追います。
あの縄で…思っても実行する勇気は…。
寮に荷物を取りに行く事も許されず何も持たずに船に乗せられました。
部屋は個室と2人部屋でした。
初めかの方と私で1部屋でしたが、かの方が『棒を抱くのは嫌だ』と言うのでかの方とカラのお兄さんで2人部屋になって残った個室は私なりました。
カラに手紙を出そうとしましたがかの方かカラのお兄さんが何時も見張っていて書く事もままになりませんでした。
部屋が隣り合わせなのでこっそり抜け出そうとしてもドアを開けるだけで気付かれてしまうのです。
もし…もし逃げ出せても、私には行ける場所が無いのだと気付いたら逃げる勇気も無くなってしまいました。
そんな時食堂で公爵の執事を見ました。
でもかの方とカラのお兄さんは気付いてません。
執事は目を細めてかの方とお兄さんを見ていて私に問う視線を向けてきます。
何かを言いたそうでしたが私は侯爵から話を聞いていると勝手に決め付けて近付きませんでした。
これ以上傷付きたくなかったのです。
息の詰まる半月でした。
最初はピリピリして見張っていたかの方とお兄さんでしたが海の上で逃げられないのもあって5日もすると私を気にも留めなくなりました。
明後日には港に着く日の夕食でカラのお兄さんが『名案』だと驚く事を言い出しました。
「何も結婚しなくても良いんだよな」
「どういう意味だ?」
かの方がお兄さんに訪ねます。
「こいつ言いなりじゃん、愛人にして旨味だけ吸い上げて正妻は別に貰えば良いんだよ」
「なるほどな」
かの方もお兄さんに同意しました。
いくら声を落としていてもここは食堂です。
チラチラ見て来る視線に顔を伏せました。
その中には公爵の執事の姿もあって私が『愛人』だと聞こえてる事でしょう。
「ジョルジ。万一を考えて『既成事実』は作っておくべきだ」
「止めてくれ。こんな田舎臭い女抱けるか」
かの方はさも嫌そうに言いました。




