領地とかの方と
寮へ戻る前に放牧の見学をしました。
領地のほとんどは平地でしたが地下に埋まっている岩が多くて畑や木を植えるには適さないように見えました。
収入元が羊毛だけだと病気が流行ったら終わりなのでもう1つあればと思いましたが、働きたくない彼らに可能な物が思い付きません。
私にそう思わせたのは羊の汚さも有りました。
こんなに汚れていては…私なら買いません。
暮らしの糧なのですからもっと大切に、清潔に飼育してあげたいと思ってしまいます。
買い取り価格の低さが気になっていましたが、問題は汚れだと確信してしまいました。
そして…羊の糞の臭いが離れていても臭います。
肉がくせがあるから糞も臭う?
調べる事がたくさんありそうです。
課題を持って寮に戻ると、新しい寮生との顔合わせがありました。
挨拶を交わしていたら急にこれが最後の1年間なんだ、って思いが膨らんできました。
しっかり勉強して叶うなら学園の教師になりたい。
そんな3年の始まりは衝撃的な動揺から始まりました。
教室にかの方の姿を見た時、私は驚き過ぎて入口から動けませんでした。
「隣国からの留学生だ、みんな仲良くするように」
かの方はこの春卒業したはずです。
なのに何故…分からないまま1学期が始まりました。
かの方は…私を覚えていませんでした。
再会を嬉しいと思う反面苦い思いも私の中に生まれました。
必死に見ないようにしても、ついかの方の姿を目が追ってしまいます。
かの方は変わらず傲慢な言動で、クラスでは1つ年上なのもあって更に命令口調になっていきました。
1ヶ月もすると自然にかの方を敬遠する人と友人になる人に別れます。
いえ、友人になる人3人と苦手にする人に別れたのでした。
カラからの手紙は心配していると書かれていて、『近付かないように』とありました。
誰になのか文字にしなくても分かります。
カラはかの方が留学して来たのを知っているのです。
同封されてるストレートからの手紙は不機嫌で直ぐにでも帰ってきて欲しいとありました。
手紙からリンゴ園が思い浮かびます。
きっとストレートは侯爵を継ぐのが決まって再生の助言が欲しいんだと思いました。
手紙に書くわけにもいかず困っていた所へ公爵からの使者がバニラ侯爵家へ来たのでした。
契約の調整に来た使者から侯爵家に呼ばれてカラからの手紙を手渡されました。
お礼を言って受け取った手紙にはかの方の留学した経緯が詳しく書かれていました。
王女様の婚約者は公爵子息に決まってしまいかの方は傲慢な言動からモンターニュブルー侯爵家の後継者からも外されてしまったのだそうです。
かの方はそれを不服として絹の買い付けに成功したら自分に侯爵家を継がせろ、と親族会議で言ったのですが国内にかの方と契約する所があるはずはなく、そこにアッサムが現れたのだとカラの手紙は教えてくれました。
留学は、ごり押しするかの方を遠ざける目的と白紙になったアッサムとの契約を再度結ぶ可能性を捨てきれないからだと書いてありました。
知った後も、やはりかの方の事は書けませんでした。
カラに呆れられるのは分かっていても追うのを止められないのです。
なので代わりに預けられた領地の話を書こうとしました。
羊毛は直ぐに虫が付くので手入れが大変な事とか気になる事を書き掛けて…書き直しました。
前回の手紙を愚痴みたいに書いてしまったのを思い出したら続けて弱音は書けませんでした。
考えてストレートが欲しがってるだろう間引きの話を細かく書きました。
ストレートなら上手に甦らせるでしょう。
そこで『ふっ』と気付いたのです。
ストレートのお土産を渡す相手はカラだったのかも、と。
きっと正解です。
知らずに笑っていました。
また1つストレートが遠くなりました。
かの方を身近で見ている空間に慣れてきた頃アッサムの話がかの方から出ました。
「この中でアッサムの領地に一番近いのはどいつだ」
誰も高飛車なかの方の声に答えません。
地図でしか知らない私も横を向きました。
「使い者にならん奴らだ」
かの方は怒った顔で言うと教室から出ていってしまいました。
クラスの冷たい視線がかの方の背中に刺さりますがかの方は気付きもしません。
翌日誰から聞いたのかクラスの男子生徒の1人に向かって言ったのでした。
「俺を連れて行かせてやる」
「断る。領地は隣だが家とロイヤルイングリッシュ伯爵家とは交流が無い」
「この国では隣国の侯爵の命令に逆らうのか」
「自分で馬車を仕立てて行くが良い」
結局誰が馬車を仕立てたのか分かりませんが、半月過ぎたくらいにかの方は学校から姿を消してしまったのでした。
憶測でアッサムの領地へ行ったと噂になりました。
噂が真実味を帯びた感じになった頃ニルギリの話がクラスに流れました。
綿花の苗付けが遅れて苗が育たないとか聞こえてくる話は噂ばかりで真実の話はかの方もニルギリも伝わって来ません。
何も分からず1ヶ月が過ぎる頃再び公爵からの使者が侯爵家へ着いたのでした。
使いの人は公爵とカラから2通の手紙を運んできたのでした。
どちらもフランソワーズ伯爵家の話で、カラからは妹の話で公爵からは領地の変更とその後のお父様を知らせてきたのでした。
カラの手紙だとミラン様は高等部の卒業パーティーに妹を同伴したそうです。
ストレートが頑固に侯爵家を継ぐのを拒否しているので親族の中ではミラン様に当主の権限は与えないでこれはと思う者が現れるまで繋ぎにする話が出ていたそうです。
二転三転する後継者の話にミラン様は焦りを覚えて強行手段に出たのでした。
それにはニルギリの存在も大きかったと思います。
ニルギリに奪われる前に既成事実を周囲に知らしめたかったのではないかしら、とカラは書いてました。
ミラン様はこれで妹を妻にして侯爵家を継げると思っていました。
ですが、子を産めない妹を侯爵夫人と認める親族が居るはずはなくミラン様はフレーバー侯爵家から勘当されてしまったのでした。
カラの手紙には妹と2人で伯爵領に押し込められた、とありました。
そして、卒業を待って妹を迎えに行ったニルギリは『寝取られた間抜けな男』と馬鹿にされ逃げるように帰路に着きました。
黒魔法が解けたように、現実がニルギリを襲います。
目が覚めたニルギリには『純潔』を失った妹より自分のプライドを守る方が大切でした。
幸い妹との事は親族に反対されていたのもあって公にしていません。
急いで国へ戻って、何もなかったように手頃な相手と婚約しようと思っていたのでした。
そんなニルギリを待っていたのは綿花の苗の失敗でした。
新しい苗を調達するにも陸路が使えないので1ヶ月以上掛かります。
困窮したニルギリから手紙が来ましたが苗が無いのでは力になれませんでした。
公爵からの手紙は短くフランソワーズ伯爵家の社交界からの追放と後継ぎの変更が書かれていました。
ミラン様の暴挙がお母様の策略だと思った侯爵夫人は恐ろしい噂を流しました。
そして…それは事実だったのです。
侯爵夫人は兄の誕生日がおかしいと、次兄も妹もお父様が留守にして居る時の子だと暴露したのでした。
噂は瞬く間に社交界を駆け巡りました。
城から確かめるための役人まで派遣されたほど貴族社会での『不実』は重罪なのでした。
最初お母様は否定しましたが、役人に理詰めで追い込まれて最後は告白しました。
兄と妹の父親はお母様の里の美しい従兄弟でした。
「私の子供があの男のように醜いなんて許せなかったのよっ!」
お母様の里は男爵の爵位と領地を取り上げられ罪人の平民に落とされました。
それはお母様も同じで、お父様と離別した後罪人を集めた場所で死ぬまで投獄されると決まったのだそうです。
お母様を愛人にしようとしていた裕福な伯爵はお母様を助けようとしました。
公爵はお母様を野放しにしてこれ以上社交界の風紀が乱れる事を懸念して、モラルを無視した伯爵にも厳しい処罰を与えたのだそうです。
そして…上の兄は爵位を返上して騎士になりました。
下の兄は今まで同様静かに暮らしています。
最後にお父様ですが…領地が変わって、正式に後妻を迎えたのだそうです。
後妻との間に2歳になる男の子がいて、その子が後取りとして城に届けられました。
後妻の義母にその後会う機会がありませんでしたが、もし私が後妻の人を見たら…驚いたと思います。
義母は新しい執事と同時に雇われた田舎伯爵の娘でした。
私が領地でピクルスを作っていた時、お父様は…。
お母様と妹が戻ると決まった時、お父様は外に家を借りて親子を住まわせていたのでした。
きっと、その頃のお父様はお兄様も可愛いですが幼くて自分にそっくりな息子はもっと可愛かったのでしょう。
ですからお母様が好きにしていても気付かなかったのでは無いでしょうか。
私が去年の夏に家を見て感じた物はこれかも知れないと思いました。
帰れる家では無かったけれど…気が付けば泣き笑いの顔をしていたのでした。
気落ちしてカラからの手紙も同封のストレートからの手紙も虚しくて、ぼんやり1日を過ごしていた私の元にストレートからガラスの髪飾りが届いたのでした。
花びらを模した造りで『ルナフに似合うよ』とカードが添えられていました。
付ける勇気も無くて、前に貰った木彫りの髪飾りが入ってる机の引き出しにカード事しまいました。
きっと、カラにも贈ったのでしょう。
カラには本物の宝石かもしれません。
鬱々としていた所にかの方が戻ってきたのでした。
「ルナフ・フランソワーズはどいつだ」
その冷たい視線に背筋が寒くなります。
かの方の口から飛び出てきた自分の名前に驚きました。
クラスの数人が私を指したのでかの方はずんずんと近付いて来るのでした。
「お前がルナフか」
逃げたくても現実は動けないので頷くしか出来ません。
かの方はじろじろと私を見て肩をすくめました。
残念な者を見る目のかの方は吐き出すように言ったのでした。
「お前はアッサムと知り合いだそうだな」
私は『違う』と首を振りました。
「嘘を言うな、俺はアッサムから聞いてきたんだぞ」
それでも『違う』と首を振りました。
かの方は冷たい横目で私を見て『ちっ』と舌打ちして言いました。
「同じ国からの留学生だ。俺に仕えさせてやるから感謝しろ」
かの方は信じられない言葉を残して教室から出ていってしまいました。
言われた事が理解出来ませんでした。
周囲の視線に哀れみが見えて『下僕』と言われてる気がしました。
現実に、その日からの私はかの方の『使用人』の扱いでした。
授業のノートを取るのも資料を作るのも全て私で口答えは許されませんでした。
拒みたくてもかの方の突き刺さる視線に見られたら動けなくなって、言いたくても『否』とは言えませんでした。
そんな関係が1週間にもなると私の中に『諦め』が生まれて次第に投げ遣りになりなっていきました。
家族を、帰る場所が本当に無くなった現実が受け入れられなくて、苦しくてもがいてた私にかの方の言葉は辛すぎました。
言われた事だけを淡々とこなして、後は部屋のベッドで天井を見て過ごしました。
小さい頃からの記憶が際限無く浮かんできて『いらない子』だった事実が容赦無く私の存在を否定してきました。
私に『死ぬ勇気』があったら惨めに生きてなかったと思います。
そんな私に今を見せたのはバイトの資料集めでした。
タイミングが悪くて先生の資料の注文と教科の課題が同時に出て、私は提出期限に時間がある課題を後回しにして図書館で資料を書き写していました。
それを知ったかの方は図書館で私を怒鳴り付けました。
「俺の命令が聞けないのかっ!たかが伯爵の娘を使ってやって居るんだぞ」
もっと酷い事を言われましたが脳が理解するのを拒んで記憶に無いです。
きっと、私の中の限界を超えたんだと思います。
それが『我慢』なのか『忍耐』なのか自分でも良く分かりません。
分からないけど、全部が『嫌』に振り切れてしまったのです。
「これは私の仕事です」
言った記憶も私には無かったです。
でも口答えしないと決め付けていた私が無表情で言い返したのでかの方は怒っていました。
一拍開けて手を振り上げたかの方に近くに居た女子生徒が悲鳴を上げました。
それが止まっていた図書館の中の時間を動かしたのでした。
「止めないかっ」
叱責する声がかの方に飛びました。
かの方が声の方へ振り向くのと先生の1人が走ってくるのが見えました。




