始まり3
今日のお茶会でしばらくカラと会えなくなると思ったら悲しかったです。
侯爵夫人からの馬車が来て、乗ろうとしたらお母様が着飾ったキャンディーを連れて来ました。
「キャンディーを一緒に連れていきなさい。あなただけ公爵様や侯爵様のお茶会に参加するなんて許されませんよ」
「そんなつもりじゃ…」
私はパニックになってしまってそれ以上言えませんでした。
その間にお母様は私を押し退けてキャンディーを乗せようとします。
「マダム、侯爵夫人がお呼びなのはルナフ様だけでございます」
御者の方がやんわり断ってもお母様は妹を馬車に乗せてしまいました。
「行けば分かります。連れていかなければ罰を受けるのはあなたですよ」
お母様の強い言葉に御者の方は諦めて引きました。
馬車の中で妹はご機嫌で早く着かないかとウキウキしています。
出迎えた侯爵家の執事に御者が耳打ちすると、執事は頷いて私と妹を応接間に案内しました。
「ここで暫くお待ちください」
執事はお茶の用意を使用人に命じて下がっていきました。
きっと侯爵夫人に知らせに行ったのでしょう。
「私を待たせるなんて」
妹はプリプリしてお茶を飲みました。
かなり怒ってる感じで乱暴にカップを受け皿に戻すので欠けそうな音にビクビクします。
まだ座って5分も経たないのに、妹は『遅っそーい』と席を立って応接間の出口へ行ってしまいました。
「今暫くお待ちください」
使用人の制止も聞かず妹は出ていってしまいます。
きっと怒って帰ってしまうのだと思っていたので、私は使用人の方に謝って椅子に戻りました。
ですが、妹は屋敷の奥へ侯爵夫人かミラン様を探しに行ったのでした。
奥まった部屋で先に到着していた夫人たちとお茶をしていた侯爵夫人が執事から話を聞いていた所に、妹はズカズカと入っていきました。
「お姉さまを待たせるのは当然だけど何で私まで待たせるの?」
居合わせた夫人たちがポカンとしている間に、妹は遅れてくる夫人のために用意されていた席に座ってしまいました。
突然の乱入者の信じられない行動に夫人たちは互いに見合います。
誰が連れてきたのか、とその目は互いに問い掛けていました。
次に執事の報告と妹が重なります。
夫人たちがあからさまに嫌悪の表情を浮かべても妹は平然としていました。
最初に立ち直ったのは侯爵夫人でした。
「誰がここまで案内してきたのかしら」
「1人で来たの。私ではなくお姉さまだけを招待するなんて信じられないわ」
プリプリ怒る妹に公爵夫人の1人が問います。
「お姉さまとはどなた?」
「ルナフお姉さまよ。私だけ呼ばれるなら分かるけど、お姉さまだけが呼ばれるなんてお母様も怒っていたわ」
そこでやっと妹が誰か夫人たちも理解しました。
「あなたを招待してませんよ。馬車を用意させます、お帰りなさい」
「嫌よ。私もお友達が欲しいもの」
甘えた口調でにっこり笑う妹に夫人たちは絶句しました。
「ねぇお友達は何処に居るの?」
妹は周りを見回して、庭にテーブルを出して話していたカラたちを見付けました。
「いたっ」
妹はピョンと椅子から立ち上がって庭へと走っていってしまいました。
「礼儀も何もない子ね。どんな育ち方をすればああなるのかしら」
侯爵夫人の1人が呆れたように言いました。
そこでやっと立ち直った執事が御者の話を侯爵夫人にしました。
「行けば分かると、連れて行かなければ御者が罰せられると伯爵夫人から言われたとか」
「罰せられる?」
侯爵夫人は扇子で口許を隠して眉を寄せました。
「ルナフが話したのかしら」
侯爵夫人の1人が呟きます。
「ルナフは冷遇されているから言うとは思えないわ」
「あの子のドレスを見ました?今年の最新デザインよ。姉にあれだけみすぼらしい装いをさせて、伯爵夫人の常識を疑いますよ」
「妹にはあれだけ着飾らせて呼ばれてもいないお茶会に寄越すなんて。あなたから伯爵夫人は父親似の姉を嫌っていると聞いてましたけど本当のようね」
お母様にそっくりな妹を見て夫人たちのお母様への低かった評価は最低になりました。
そんな会話を知らず、私が応接間に待っていた事を執事が気付いたのはそれから1時間も経ってからでした。
その1時間で、令嬢たちの妹への評価ははっきり2分しました。
礼儀知らずでも妹の甘え方が可愛いと公爵令嬢の1人と侯爵令嬢の1人が妹を庇いました。
遅れてきた1人を含む他の令嬢たちは周りから好かれるのが当然の妹の言動を嫌いました。
特に公爵と侯爵令嬢には満面の笑顔を見せるのに相手が伯爵令嬢だと知ると途端にぞんざいな態度になる妹とは同席するのも嫌だ、と帰ろうとします。
そんな令嬢たちを侯爵夫人がなだめて別室に移した所に私が応接間で待っていた話が伝わったのです。
私は別室でカラたちと会う事が出来ました。
最初は妹を連れ来た不躾を侯爵令嬢の1人になじられましたが、連れてくるしかなかった話をすると許して貰えました。
その間、夫人たちは巧みに妹から話を聞き出していました。
「ミラン様が教えてくれたの。先週お会いした時に来週はみんな集まるから憂鬱だって」
「ミランが」
侯爵夫人の顔色が変わったのを他の夫人たちは見逃しません。
「ミランと頻繁に会っているの?」
公爵夫人の1人が然り気無く妹に尋ねます。
「お姉さまがここへお勉強に来る時は毎週来てくださるわ。このブローチもミラン様が私にってくれたのよ」
侯爵夫人は扇子をぎゅっと握りしめました。
それはもうすぐ学園の入学で会えなくなるからと、ミラン様から私に贈るよう侯爵夫人がミラン様に言っていた物だからです。
残っていた2人の令嬢も不穏な空気に口を閉じて黙りました。
年末に妹との事を知ってから、侯爵夫人はミラン様と子供を望めない妹との交際を固く禁じました。
侯爵家の財政をこんこんと話して聞かせ、ルナフと結婚しなければフレーバー侯爵家は破産するとまで脅しました。
ミラン様が自分の浅はかさを謝罪したので侯爵夫妻も1度は許したのです。
このトラブルを私も知っていると思っていた侯爵夫人は、ミラン様と会わせるのは少し時間を空けてから思っていたのでした。
そして、あれから3ヶ月近く過ぎたしもうすぐ学園も始まるので、侯爵夫人はそろそろ頃合いだと思って行動に出たのでした。
「デザインと贈るのをミランに任せていたのが間違いね」
侯爵夫人が落胆の声で呟きました。
ミラン様がフレーバー家の馬車を使わなかったので侯爵夫人はミラン様のお出掛けを知りませんでした。
「どうして連絡していたの?」
侯爵夫人の1人が尋ねます。
「お母様が執事に言って、この屋敷の使用人に手紙を届けて貰ったの。あ、届けてくれた使用人を怒っては嫌よ」
「そう、お母さんがあなたとミランを会わせていたのね」
公爵夫人の1人が確認します。
お母様の狙いはここでした。
侯爵夫人の選んだ私より妹の方が相応しいと夫人たちに見せ付けて仕返しに侯爵夫人を嘲笑いたかったのです。
「ええ、侯爵夫人にはブスな姉より私がふさわしいって言うの。当然よね。それでね、上手くお姉様たちとお友だちになれたらそのお兄様たちを紹介して貰いなさいって。侯爵夫人より公爵夫人の方が私には似合うからって」
夫人たちの視線がそこに残った2人の令嬢に刺さります。
2人は妹にせがまれて会わせる約束をしていたので慌てて目をそらしました。
「お母様がね。私くらい美しければ王妃も夢じゃないって言うの、お姉さまたちに頼めば王子さまにも会わせてくれるわよね」
妹は無邪気な顔を2人の令嬢に向けました。
「そう」
夫人たちの冷たい視線に2人が真っ青になっているのも知らず、妹は2人の手を掴んで振っていました。
令嬢たちは自分の母親を怯えた顔で見ていましたが、夫人たちの顔は厳しい物でした。
子供の産めない嫁など王族の王女でない限り許されるわけありません。
お茶会を終えて、取り敢えず妹を連れ帰るように私に言った侯爵夫人ですが、お父様の在宅の日を確かめてきました。
妹は帰りの馬車でもご機嫌でした。
楽しかったとはしゃぐ妹は、来週も行くと言います。
令嬢たちは領地に戻るので冬まで会えないと言っても妹は信じようとしませんでした。
出迎えたお母様は妹からの話を聞いて、私を目を細めて見てきました。
「抜け駆けするなんて、本当に浅ましい子ね。お父様にきつく叱って貰いますから覚悟するのね」
1度お父様に叱られているので、今度は計画が成功するまで言わず我慢していたのです。
お父様にどう話すのか、お母様の言葉に傷付いていた私はどうでも良くなっていました。
その頃、侯爵邸ではまだ話は終わってませんでした。
「お子様が不出来だと家が傾く見本ね」
公爵夫人の1人が言いました。
侯爵夫人の顔にはミラン様への怒りが滲んでいました。
例え誘き出されたのであっても、軽率すぎるミラン様の行いは侯爵家を危うくします。
対面を何より重んじる貴族社会で、ミラン様の行いは決してしてはならない事でした。
「そうそう、そちらの分家のストレート・アフタヌーン伯爵子息はたいそう利発だとか」
「そうね、御養子に最適かしらね」
「先日の夜会で少し話しましたけど、伯爵家を継ぐ意思をしっかり持ってらして、11歳なのに頼もしかったですよ」
「成人して下級貴族の娘を嫁にしたら面倒なのでは?」
帰りしなの公爵夫人2人に責められて、侯爵夫人は悔しい思いで送り出しました。
翌日の夜、我が家を侯爵夫妻とミラン様が訪ねて来られました。
朝に侯爵から夜に訪ねたいと連絡を貰っていたお父様は上機嫌でした。
昨夜お母様の話を聞いて、公爵と近付きになれば昨年の不作を『盛り返せる』とお父様は思っていたのです。
これで妹が公爵に嫁ぐ事になれば、フランソワーズ家は安泰です。
信じられませんが、お父様は妹が子供を産めない現実を忘れていたのです。
お父様は朝出掛けるとき私を睨むと舌打ちしました。
その時、お父様の中での私は公爵との繋がりを隠していた余計物でした。
早く家を出たい。
実現しない願いが膨れあがりました。
そして、夜に侯爵夫妻とミラン様が来られました。
私は今回も『部屋から出てくるな』とお父様に言われていました。
妹は着飾ってお父様とお母様と応接間に向かいました。
そこでどんな話になったのか、私は知りません。
ですが、翌朝泣き腫らした顔のお母様と不思議そうな顔の妹は領地に旅立ちました。
執事は青い顔でお父様に接しています。
お父様も侯爵夫人も私には何も無かった顔をしていました。
何があったのか分からぬままに、ミラン様の入学式は終わり、お父様と私の静かな暮らしはその年の冬まで続きました。
その間もカラからの手紙は侯爵夫人経由で私に届けられます。
お母様が居なくても、執事は居るのですから家に送って貰う棄権は避けていました。
春が来て、暑い夏が来て、秋になるとお父様は領地へ戻って行かれました。
その時も、私はまだ領地が不作で苦しんでいたのを知らされていません。
もっと早く知っていれば…と後で悔やみました。
領地の不作の原因は土が痩せたからでした。
祖父の代までは1年おきに肥料を蒔いていたのですが、蒔いてから2ヶ月は臭いがきついのでお父様は止めてしまっていたのです。
本からの知識で何度か言って去年からまた肥料を撒く事になっていたのですが私が行かなかったのでお父様は取り止めてしまったのでした。
逆に私の話を聞いて農地に肥料を撒いたのは侯爵家でした。
侯爵家の収入源はりんごと葡萄です。
お酒にするのが主ですが、早もぎにすれば距離を運べる話と、焼き菓子にすれば日にちが保つ話をすると侯爵夫人は侯爵と相談すると目を輝かせていました。
「去年、収穫の後に肥料を撒いてみたのよ。ルナフの言うように10本づつ少な目に撒いた所と多目に撒いた所を作ったの。秋の結果が楽しみだわ」
肥料の話を終えると侯爵夫人が話を変えてきました。
「お父様の領地は去年も不作のようだけど。今年も不作なら経済的に苦しくなるとお友だちが知らせてくれたの。あなたがいてそんな事は無いわよね?」
侯爵夫人の話は衝撃でした。
心配した通り、領地の綿畑は不作でした。
天候には恵まれていたのですが土が痩せていてひょろひょろの木に半分以下の花しか咲きません。
乏しい収穫を終えた後、お父様は痩せた土地に何時もの3倍の肥料を撒いてしまったのです。
そして来年の収穫まで我慢だ、とお父様は今年を乗りきるために密かにお金を借りました。