余波の続き3
案内してきた寮長はノックもしないで扉を開けました。
「全くっ、侯爵令嬢様に挨拶もないのっ」
づかづか入ってきて椅子に座っていた私の腕を掴んで立たせました。
「ルナフに何をするのっ!」
リゼが叫んで私から寮長を引き離しました。
「私のお友達になんて事を…まさか外の兵士もルナフの見張りなの」
リゼが震える声で確かめました。
「そうですよ。生意気な伯爵令嬢には躾をしないといけないからと大臣様の命令で来てるんですよ。私には『ルナフには手を出すな』って言ってましたが嘘だったんですね」
寮長の詰る言葉はリゼの耳を素通りしました。
「大臣が…私の使用人を呼んで来て」
慌ててる演技のリゼが可笑しくて2人のやり取りを後ろから見ていました。
「早くっ!」
寮長を追い出して、リゼは私を椅子に座らせました。
「ごめんなさい…こんな事になってるなんて知らなくて…」
泣きそうな顔のリゼから視線をそらしました。
もし何も知らないなら笑えます。
そんな事はあり得ませんが。
暫くすると寮長の後ろを見慣れたメイドが着いてきました。
「ルナフをお願い、私はお父様に話してまだ砦に居る大臣に会ってくるわ」
部屋を出ようとしたリゼが思い出したように寮長を振り向きました。
「ルナフへの郵便物はどこ?今日2通来てるはずよ」
机に2人からの手紙が無い事を不思議に思ったリゼは寮長か寮官が隠していると思っていました。
「今日は来ていません」
「嘘を付かないで、私に来てルナフに来ないはずは無いわ」
「それなら砦では?ルナフへの郵便物は砦の『検閲』を通さないと届きませんから」
心外だと言う顔で寮長が答えました。
「誰が『検閲』何て…」
動揺と驚きでリゼの声が震えていました。
「留学生への郵便物は砦で調べてからまとめて届きます」
「ルナフだけじゃないのね」
怒りの中に安堵を浮かべているリゼが見ていて不思議でした。
「他の留学生はそれを知っているの?」
「もちろん知ってます。封を戻すのが雑でずれてたり切れてたり普通ですから」
わざと雑にして気付かせるのが目的な気もしています。
リゼが複雑な視線を私に向けて直ぐに外しました。
「私が戻るまで誰もルナフの部屋に入れないで。それが大臣の命令でも」
「え…」
寮長が動揺したのを初めて見た気がします。
「私はこれから大臣と話を付けてきます。決まるまではバニラ侯爵家の名がルナフを守ります。良いわね」
「はいお嬢様、お任せ下さいませ」
寮長もリゼの後を追い掛けて出ていきました。
「お待ち下さい。私は大臣からの使者の言う通りに動いただけです」
形勢不利を悟った寮長はリゼに言い訳を始めました。
「片方の話だけ聞いても始まらないわ。話を聞きたい人が揃った時にして」
リゼは寮長を振り払って馬車に急ぎました。
急いで父の侯爵に話して大臣に会わなければなりません。
屋敷への馬車に揺られながら、リゼはあの晩の鞄を思い出していました。
ルナフへの扱いを知った今ならあれはこの国に絶望して帰国する支度だったと分かります。
「それを私は…」
そして追い討ちを掛ける『監禁』に…寮長のあの態度です。
リゼは背凭れに背中を付けて大きなため息を付きました。
書斎で執務をしていた侯爵を見付けるとリゼは今の私の状況を説明して大臣への面会を申し出ました。
「手紙などの『検閲』は何時からしていたんですか」
「私が学生の頃もしていた。クラシックも見られるのを嫌ったがそれがこの国の決まりだ」
侯爵は平然と言った。
「それを当事者に話しているんですか?」
「必要ない」
「政治問題になりますよ。『検閲』されていると分かったら誰も手紙を書きません」
必死に言うリゼを侯爵は笑いました。
「昔からみんな『検閲』されるのを分かって書いておる。リゼ、お前に来る海外からの手紙も『検閲』されていると分からないのか」
逆に侯爵は驚いていました。
知らなかったのは自分だけ、と気付いた時のリゼのショックは想像できます。
「ルナフも分かっている、と…?」
「分かっているから障り無い近況しか書かない。送る方もな」
言われてカラからの文面を思い出せば隣国であった事には一切触れず『会えて嬉しかった』と『また機会が…』に終始していたのでした。
「こんな意味もない事をしても長期の休みには帰るじゃないですか」
「危険分子は帰さなければ良い。不慮の事故はざらにある」
背中をはい上る恐怖からリゼは父の侯爵の顔を見られませんでした。
今まで知らなかった父親の顔が『国を治める』意味を教えてるように見えたのでした。
「綺麗事で国は成り立たぬ」
大臣との面会は話が噛み合わず理解できるまで無駄に時間を費やしました。
大臣は差し向けた役人から私の態度を聞いて怒っていました。
ですが『監禁』までは命じていないと言います。
では誰が命じたのかの話になるとのらりくらり話が二転三転して首謀者には辿り着きませんでした。
「書類にサインを貰わなければ仕事が終わらない」
寮へ来た役人が大臣に苦情を言います。
それを聞いたリゼが笑って言い返しました。
「それでしたら私が立ち会いましょう。ここへ『慰謝料』の金貨とサインする『書類』を揃えて下さい」
役人は驚いた顔を隠してモゾモゾと『置いてきた』と言いました。
「何処へ?ルナフの部屋には無かったわ。説明を聞いた部屋でも書類も金貨の袋も見てなくてよ」
挙動不審に言葉を吐き出す役人を見て侯爵が低く言いました。
「お前たちで『着服』したのか」
「ちち、違いますっ!」
「どう違う、説明せよ」
大臣の低い声に役人は震えていました。
今回のように国から渡すはずの金貨は、半分は役人たちで分けて残りの半分を当事者に渡すのが昔からの習わしだと役人が言うのを聞いて大臣は苦い顔をしました。
それは大臣が就任した年に絶ち切った悪習が未だ根強く残っていた事に対する怒りでした。
役人の態度から寮長の話を思い出したリゼが問い詰めます。
「俺たちだけじゃない騎士だって兵士だって卒業したら平民に落ちるあの女を見下してたじゃないかっ!」
役人の叫びにリゼは突かれたように後ずさります。
私がフランソワーズ伯爵家から追われるのを知っているのはほんの数人のはずなのです。
「その様な出任せを流したのは誰だ」
大臣の硬い声が役人を問い質します。
公爵からの返信があるまでは私の扱いは侯爵に一任されていました。
大臣の疑う目は侯爵に向いていました。
「城の牢にいたアッサムです」
役人から飛び出した名前に3人は互いの顔を見合わせました。
怯えた役人はアッサムが牢で牢番相手に話した事を残らず大臣に伝えました。
それは大臣も騙された話に尾ひれが付いた物でした。
それが牢番の口から城の下働きに伝わり役人や兵士に伝わったのでした。
今頃は騎士にも聞こえているかもしれません。
アッサムの無神経な言葉が城の中を『公然な秘密』として独り歩きしていたのでした。
罪を逃れるための役人の言葉から私に与えた爵位と領地の話もリゼは知ったのでした。
私が『辞退した』話も遅れて出て大臣が疲れた顔で息を吐きました。
「帰国する時取り上げるのなら何故陛下は与えたんですか」
「陛下は知らぬ」
「え?」
大臣の言葉の意味が分からないリゼは侯爵を見ました。
「陛下が年に何回爵位と領地を与えているのか分かれば答えは自ずと出る」
「それも昔からですか」
「そうだ」
継ぐ者が居なかったり1代限りで賜った爵位や領地を戻す話はリゼもたまに聞いた事がありました。
実際は『強制返還』ですがリゼには知らされませんでした。
考えてみたら爵位を与えるのは簡単でも領地には限りがあるので大臣の考えも間違いとは言えないのでした。
「金貨の半分を城の役人たちが着服したのなら残った半分はどうなったの?それが分からないとルナフに謝罪も出来ないわ」
大臣と侯爵が不思議そうにリゼを見返します。
「この話をルナフの『不慮の事故』で揉み消せるとお思いですか?」
「そこまでは考えておらぬ」
大臣がリゼを見て苦々しげに言います。
「ルナフが消えたら、隣国を敵に回すでしょう」
「たかが伯爵令嬢1人、いくらカルチェラタン公爵家の令嬢と親しかろうが話しはどうにでも作れる」
嘯く大臣にリゼが言いました。
「ルナフは、帰国したらカルチェラタン公爵家の人間になります。この留学をルナフに進めた学園の先生はカルチェラタン公爵の従姉妹です」
言葉が無い部屋に大臣の呻く声が流れました。
「アッサムの言った嘘を、城の者たちは信じてルナフを見下していた。そしてその話を城から持って来たお前から聞いて砦の者も寮の者もアッサムの作り話を信じたのね」
誰も言葉が出ません。
「でも公爵はそのルナフの知識が欲しかった。だからルナフを留学させたのに…」
リゼの考えは外れです。
公爵は私が本で得た知識を自分の領地に活用出来たら良いなくらいには想ってるでしょうが私の知識は本の中だけだと理解しているのでそれを応用するのは大人の自分たちだと思っていました。
「何が言いたいっ!」
大臣が焦れて怒鳴りました。
「ルナフに全て話して『謝罪』するべきです」
「何を馬鹿な」
真剣なリゼの話を大臣は声を立てて笑い飛ばしました。
「あと数日で陛下からの手紙がカルチェラタン公爵の元へ届きます」
大臣は笑った顔を貼り付けたまま固まりました。
「公爵は両国のこれからを考えてルナフが無事なら今回は目を瞑ると思います」
詰めていた息をゆっくり吐き出す大臣にリゼは爆弾を落としたのでした。
「1度は我慢しても2度目は、大臣なら許せますか?それも自分が擁護している者を見下されてこんな扱いをされていたと知ったら…私なら最初目を瞑った顔に泥を塗られたと受け止めると思います」
大臣が天井をぎっと睨み付けて何かを騎士に言い付けようとした時リゼが先手を打ちました。
「もしルナフが『不慮の事故』にあったら、隣国との関係は『断絶』です」
自分の短慮を知られたくなくて侯爵が隠していた公爵からの『挨拶状』の話をリゼは大臣にしました。
侯爵が慎重に動いていれば…この国にも良質の真珠が出回ったのです。
「ルナフがこの国で暮らしやすいように、そう願ったから私に携えた手紙だったのに…」
「今では手遅れだ」
大臣は目の前で震えている役人を睨み付けて言いました。
「まだ間に合います。ルナフが公爵と連絡する前に今の状況から助け出す事です。訴える事が消えたら問題は無くなります。兎に角謝罪を」
「いや、謝罪は陛下の手紙への公爵の出方を見てからでも遅くない。向こうも一国と争うには覚悟もいる。それまでは『言質』を取られる話は伯爵令嬢とするな」
「それまで『拘束』しておけとでも?みすみす公爵に口実を与える事になる」
大臣に侯爵が言い返します。
「まず金貨の半分の在りかを調べてください。ルナフは体の自由だけじゃなくてこの国で得たはずの爵位も領地も金貨さえ奪われた形なのですから」
リゼの言葉に大臣が役人を睨み付けると、役人は狂人のように震えて両手を顔の前で振り続けました。
払い出しの当番に当たった自分の不運を呪いながら役人は全部喋りました。
「私と…同行した者で半分を…、残りの半分は兵士を動かすのに半分残りを寮官と寮長が寮生をまとめるのに…」
「何故ルナフに見張りを付けたの?」
「平民になるくせに生意気な態度を取った事を悔やませてやりたかった…」
役人は私が言った言葉をリゼに聞かせました。
「それならお前もルナフと同じ思いをすると良いわ」
リゼの怒りの声に役人は必死に言い訳しました。
「やったのは俺だけじゃないっ、寮のあの女だって寮生に無視させたり食事を食べさせなかったり俺よりえげつない事やってたんだからな」
「あの女ってどちらを指しているの?寮官?それとも寮長?」
「学生の方だ」
寮長の方だと聞いても意地悪される理由が分かりません。
「自分より先に侯爵令嬢に取り入ったのが許せなかったそうだ」
大臣は役人の話を聞き終わると城に早馬を走らせました。
この話が回り回って公爵に伝わったらリゼの言った通りの結果になる可能性が大きいと思ったからです。
城に残った者にアッサムの処罰を指示し、牢番を取り押さえる命令を出しました。
罪人は助かりたいがためにどんな嘘も平然と付きます。
そんな戯れ言を聞いても沈黙を守るのが牢番の仕事でした。
その牢番の迂闊な行動が国を危うくしたのだと理解した大臣は『厳罰』にすると決め、最後に状況を把握出来るまで陛下には内分にするよう書き足したのでした。