余波の続き
「アッサム。話しは終わったわ帰って」
リゼが冷淡に言いました。
アッサムを追い返してこれからの対策を練らなければなりません。
今はバニラ家の傷を最小限に抑える事が最優先でした。
「まだ終わってない。リゼとの婚約の日取りとか決める事はたくさんあるよ」
「罪人のアッサムと話す事なんて私には1つも無いわ」
リゼは『馬鹿らしい』とアッサムを嘲笑います。
その挑発に乗って掴み掛かろうとしたアッサムを騎士が取り押さえました。
「あなたは『偽証』したのよ。私が隣国の貴族に捕らえられたって。他国の高位貴族を罪人だと陛下の前で『偽証』したの。それにお父様も乗った。バニラ家が醜聞にまみれる理由がまだ分からないの」
アッサムは理解して無いようですが侯爵は『あ…』と声を漏らしました。
「お父様、アッサムが『告発』した相手はカルチェラタン家です。我がバニラ家の名前は無傷処か地に落ちるでしょう」
侯爵がアッサムを睨み付けました。
「お父様。港へルナフを迎えに来たのはカルチェラタン家のカラメル令嬢でした。カラメル嬢が今のルナフを見たらどう思うか理解していますか」
リゼは可能な限り怒りの感情を堪えて侯爵に言いました。
侯爵の動きがスローモーションでも見るようにゆっくり止まりました。
「隠蔽出来るか考えましたがカラメル嬢とルナフの交遊は周知の事実です。アッサムがルナフの友人に私が拐われたと証言した事はイコール私がカルチェラタン家に『拐われた』と証言した事になるのです」
侯爵はリゼを見て動きません。
「お父様。証言したのはアッサムだけですか?」
侯爵の目が揺れました。
「離せっ!僕はリゼの夫になるんだよ。お前たちみんな処罰するからな」
やかましいアッサムを見て侯爵はため息と同時に目を瞑りました。
愚かな証言の罪を全てアッサムに擦り付けても、『踊らされた男』の醜聞はこの先ずっとバニラ家当主の侯爵に付いて回るのです。
「侯爵っ!離すように言ってくださいっ」
話を理解していないアッサムを『監禁』して置くように命令してから、侯爵は私を『解放』するよう騎士に言いました。
「すまない」
それで済むはずはありませんが、『謝罪』に慣れていない侯爵に言える言葉はありませんでした。
「これはもう実現しないでしょうが…」
リゼは蝋にカルチェラタン公爵家の印が押されていている挨拶状を侯爵に手渡しました。
中にはバニラ侯爵家が留学中のルナフを擁護している事への感謝が綴られていました。
言葉の裏に互いに利のある商談が出来れば、とも匂わせてありました。
「…リゼ、良くやった」
読み終わった侯爵の顔がほころびました。
これがあればいくらかは醜聞も防げるからです。
「お父様。最初をもう1度お読みください。この事実を知れば…」
リゼに祈るように見返されても…誤魔化せる言葉は口から出ませんでした。
侯爵は息を吸い込んで、…静かに吐きました。
きっと…私への誤解は解けたはずです。
でもそれを平気でひっくり返すのも貴族なのです。
開放された腕を無意識に擦りながら侯爵とリゼを順番に見ました。
私が話さなくても『秘密』は何処からか漏れてしまいます。
例えばこの部屋に居る誰かの口から『秘密の話』として。
緊張しているメイドと騎士たちが目を合わせない様に侯爵とリゼから顔を背けました。
侯爵の視線は宙の一点を真剣に見据えています。
それは追い詰められた時のお父様の表情と良く似ていて、部屋の中を緊張と沈黙が包んでいました。
「最後の望みのクラシックに手紙を書こう…」
侯爵は力無く言って歩き出そうとしました。
侯爵の呟いたクラシックの名前で先生が思い出されます。
先生が侯爵夫妻と知り合いのような口振りだった事を思い出しました。
「クラシック伯爵は…きっと…」
港でのぎこちない空気を思い出したのかリゼが歯切れの悪い言い方をしました。
「いや、書くのは母親のキーマン・クラシックへだ」
「子爵が最後の望み何ですか」
リゼが吐き出すように言います。
その声がグサリと胸に刺さりました。
歩き掛けていた侯爵が足を止めて教えるようにリゼに言いました。
「お前には話してなかったか、キーマンの里は侯爵家だ。今のカルチェラタン公爵はキーマンの従兄弟になる」
国の中での公爵、侯爵家の役割は王室の補佐は勿論ですが濃くなりすぎた王家の血を薄める役割も有るのです。
逆に薄まった血を戻すのも公爵、侯爵家の役割でした。
伯爵以上の地位にありこれと思った才能の者を嫁に迎え王家の血に取り込んでいく、その行程を何百年も担ってきたのが公爵、侯爵家でした。
それはどこの国も同じです。
侯爵もリゼを外に嫁がせるならその子供の女の子を他の公爵か侯爵へ嫁がせるつもりです。
リゼはクラシック伯爵が男子の居ない侯爵家へ婿入りし次の侯爵を名乗ると決まっている事を知りませんでした。
「そんな…あの人が…」
リゼが呆然として呟きました。
「キーマンに会ったのか」
侯爵の顔に希望の光がさしました。
「ルナフが向こうで通っていた学園の寮官だと紹介されました…何で公爵に繋がる者が教師になんて…」
リゼの声には不平がこもっていて苛立ちを押さえるのが苦しかったです。
「夫婦で教師をしていたはずだか」
私が口を挟むのは違うと思いましたが、クラシック先生を貶められるのは堪らなくて…。
クラシック先生が寮にいる理由を短く話してしまいました。
声を出した事で動ける自分に気付いておずおずと後ろへ後ずさり、がくがくと転げそうな体を部屋の外へ追い出しました。
侯爵もリゼもそんな私を見ているだけで『捕らえよ』とはもう言いませんでした。
騎士も『早く立ち去れ』と廊下への扉を指します。
ビクビク廊下に出て走るように玄関に急ぐ間も捕まる恐怖は消えなくて、後ろを振り向きながら小走りになりました。
侯爵邸を出て、何処へ行けば良いのか迷いました。
港へ言ってもすんなり船に乗せて貰えない気がして、それに祖国へ戻るなら公爵と先生に頂いたドレスを持ち帰りたい、と呪文みたいに思い込んでいました。
迷って向かった先は学校の寮で着くと寮長が待っていてくれました。
外泊の帰宅予定を今日と書いて提出してあったからだと思います。
「母国はどうだった?ご両親には一杯甘えられたの?」
「…はい」
「良い御身分ね。侯爵家のお金で里帰りなんて、羨ましいわ」
寮官の後ろに居た寮長がチクリと言ってくる嫌味に上手に嘘は付けなくて、部屋へと逃げ帰りました。
明日の朝港へ行けるよう荷物をまとめます。
何時城の兵士が捕まえに来るかビクビクしながら長い一晩を過ごしました。
やはり、私は早朝に来た騎士から外出禁止を命じられました。
「陛下の決断があるまで校内は許可するが外には出ないように」
侯爵とリゼはアッサムを連れて王都へ走ったそうです。
幸い寮官室での話だったので知っているのは呼びに来てくれた寮長と同席した寮官だけでした。
寮長は理由を知りたそうでしたが話せるはずありません。
後からリゼに同行した旅で不始末をして罰せられたらしい、と根拠の無い噂が流れました。
寮長が流したその噂を必死に消そうと動いたのはリゼでした。
噂が『らしい』で止まったのはお喋りなアッサムが陛下の判決が下るまでお城の牢に入れられていてこれ以上の詳報が港で流れなかったからでした。
その3日間で、国は異例の早さで侯爵とアッサムの処罰を決めました。
翌日の夜に侯爵からの報告を聞いた陛下の決断は早い物でした。
侯爵には半分の領地の没収と私への謝罪と慰謝料の支払いを決め、アッサムには領地と爵位を取り上げる処罰を決めました。
侯爵はその場で処罰を受け入れました。
ですがアッサムは理解できず処罰されるべきなのは私だと退きませんでした。
「私より他国の田舎伯爵を信じるのですか」
カラを田舎の伯爵令嬢と決め付けていたアッサムの言葉に今度は誰も惑わされません。
ですが、去年の絹の出来と今年は更に収穫が望める事が処罰を軽減させました。
国にとっても絹の生産は大きな利益になるからです。
その生産者のアッサムから領地を取り上げるのは『愚策』だとの声が大臣や他の王族から上がったのでした。
それに…本契約はまだでも隣国の侯爵家と商談か決まっているのがアッサムを大きく有利にしました。
リゼの話を聞いていた侯爵ですらかの方から常識をわきまえた金額が提示されると思っていたのでした。
それを踏まえればアッサムだけを処罰から外すわけにはいかないので侯爵の処分も軽減されました。
契約が成立しても運ぶのは侯爵の船しかないのも加味されました。
結果として、侯爵とアッサムは陛下からの叱責と年明けまでの謹慎、私への慰謝料の支払いを言い渡され、次に何かあれば爵位を取り上げる事を承知させられました。
「アッサム。お前は口が軽すぎる、2度とこのような行いはしないように。次は今回の罰も含めた重い物を与えられると思え」
役人の言葉に頭を下げたアッサムですが本心は悔しさで爆発寸前でした。
口の軽さを懸念してカラの爵位をアッサムに教えなかったので恨みは一方的にカルチェラタン家に向きました。
2人の処罰を決めてから陛下はカルチェラタン家へ謝罪の使者を立てました。
今下手に隠しても、噂は驚くべき速さでカルチェラタン公爵の耳に届くでしょう。
後手に回って知られてから謝罪する愚行を犯さないようこの段階で謝罪する懸命な選択をしたのでした。
公爵が知りたいだろう情報をリゼの無事な帰宅まで余さす書いたはずでした。
ですが、その中に処罰しようとした私の情報は1つも無い事が公爵を警戒させ行動に移させたのでした。
そうとは知らない侯爵とリゼは3日で全てを終え大臣を案内して港へ戻って来ました。
私は教えられるまで知りませんでしたが港には戦争時は拠点になる砦ありました。
大臣はニルギリの取り調べとかの方からの書類が来るまでこの砦に滞在する予定です。
その間に一緒に連れてきた城の書類係と金庫係に私への『慰謝料』の支払いを終えるよう命令していました。
大臣の到着で砦の空気は緊張しました。
砦には万一の時の騎士と兵士が常駐していて港の治安を守るのも彼らの仕事でした。
先日寮に知らせに来た騎士は砦から来たのでした。
翌日私は砦で大臣と面会しました。
「ルナフ。陛下から伯爵の爵位と領地を授ける」
卒業して国に戻る気持ちに傾いている私には爵位も領地も重荷にしかなりません。
それでも断る選択肢があるはずはなく更に頭を下げて受けるしかありませんでした。
幸いと言うか…後を追ってきた騎士から『大臣からの申し渡し』を聞きました。
「今賜った爵位と領地は留学が終わるまでと心得るように」
「…はい、ありがとうございます」
嬉しそうに返した私に騎士が疑いの視線を向けてくるので『困惑していた』と話しました。
「何故だ」
「国へ戻れば再びこの国を訪れられる機会が生まれるとは思えないので…」
「確かにそうだな。謙虚でよろしい」
騎士は頷きながら持ち場へ戻って行き掛けて何かを思い出した様子で戻ってきました。
「お前に対して『慰謝料』が用意されている。着いてくるように」
騎士の背中を見てつい笑いそうになりました。
この時代の騎士のほとんどは男爵の子息や平民です。
その騎士に『お前』と呼ばれる自分に笑いしか出ません。
実際後1年と少しで平民になるので今から呼ばれても違和感もないのですが、私の中に少しだけ反発する気持ちもありました。
騎士に案内された部屋には大臣が城から連れて来ていた不機嫌な2人の役人が机に向かっていました。
2人は運悪く窓口の当番だっただけで砦まで出張させられたのでした。
「大臣からの指示で連れてきた」
騎士は顎で私を指しました。
帰りたいけど卒業したらどれだけでもお金は必要だからじっと後ろで待っていました。
「大臣が?大臣からの聞いているのはルナフ・フランソワーズ伯爵令嬢への支払いだぞ。それが伯爵令嬢の格好か?」
手前の机に居た人が嫌そうに私に言いました。
ドレスではないので貴族に見えないのかもしれません、それでも…気持ちのどこかがギシギシと軋みました。
これが妹なら…みんな我先に手を差し出すのです。
そんな事を考えてしまう自分が嫌になって頭を下げて出口に向かいました。
自分の勝手な想像に傷付いていた私はその後の役人と騎士の会話を聞いていませんでした。