衝撃の余波
「港にはカラが、カラメル・カルチェラタン令嬢がルナフを迎えに来ていたの」
その後の馬車の話しをしようとするとアッサムがカラを貶める話を始めてリゼに話させないようにしました。
リゼが睨んでもアッサムは止めようとしません。
「アッサムっ、黙って」
リゼの口調がきつかったのでアッサムも一瞬黙りましたが一瞬だけでした。
「お父様、私の話を聞いて」
「作り話で侯爵の時間を無駄にしてもつまらないと思わないのか。それほどルナフとあの田舎娘に洗脳されたのか」
「アッサム、黙れ」
リゼとアッサムの会話から侯爵もアッサムの話は信用できないのでは、と思い始めていました。
リゼはニルギリとアッサムが御者台に乗った経緯を話しました。
「ニルギリはフランソワーズ伯爵家の次女を気に入ったみたいだったのでそこで別れたの。それ以来ニルギルとは1度も会ってないわ。カラが調べてくれた乗客名簿だと夏休みの終わりに2人で予約を取り直しているそうよ」
「ニルギリとはその後1度も合わずじまいか」
「ええ、カラの事は伯爵も知っていたから必要があれば連絡してきたはずよ」
侯爵は納得した顔で頷きました。
「アッサムの話しは出てないが、本人が言うように捨ててきたのか?」
「そうです。ニルギリが抜けたから馬車に席は残ってたのに僕を乗せてくれなかった」
アッサムは半泣きで侯爵に訴えました。
「乗せられる訳無いでしょ。無理矢理船室に押し込もうとする人なんて国の恥を晒しそうだし万が一カルチェラタン家の令嬢を…と思ったら怖くて連れて行けないわ」
リゼは2回もルナフに助けれた話をしました。
かなり怒っているのかリゼの口調は日頃聞いた事がないほど辛辣でした。
「なんと」
侯爵が絶句してアッサムを睨み付けました。
「ほ、僕は2回だけだけどニルギリは3回もしたんだから」
自分より悪い奴が居る、みたいなアッサムの言い方に侯爵の表情が変わりました。
「僕も少し悪かったけど言葉も分からない場所に僕を置いて行ったのは酷すぎだよ」
「何で連れて行かなくちゃならないの?私はあなたを誘ってないし、ニルギリがクラスで旅行の自慢をしたからって勝手に着いて来たのはあなたじゃない」
「リゼが誘ったのでは無いのか」
侯爵はリゼに誘われた、とアッサムから聞かされていました。
不思議に思いましたがリゼから贈られたハンカチを見せられて納得したのでした。
「お父様は本当に私が誘ったとお思いですか。私をそんな娘だと」
侯爵を見るカラの表情は刺すように冷たい物でした。
「しかしお前が贈ったハンカチを持っていたが」
「私がハンカチを贈ったのは従兄弟の成人のお祝いだけです」
リゼはアッサムを睨んでいる侯爵に話を続けました。
「カルチェラタン家の執事がアッサムに辻馬車を拾って港へ戻るよう言いました。これもカラが調べたのですが翌日の船の乗客名簿にアッサムの名前がありました」
「アッサムともそこで別れたのか」
「そうです。フランソワーズ伯爵家に置き去りにされたんです。そしてリゼを取り返しに行ったら逆にやられて大怪我をして…死ぬ思いで帰ってきたんです」
アッサムは訴えるように侯爵に言いました。
「大怪我なのに翌日の船に乗れたの?」
返すリゼの一言にアッサムを見ていた侯爵の表情が固まりました。
「置き去りにされそうになって取り戻すために喧嘩をしたのではないのか?その喧嘩で大怪我をしてルナフの友人から力付くでリゼを連れ去られたと言ったのは嘘かっ」
「連れ去られました。だから別々に帰ってきたじゃないですか」
「連れ去ったのは誰だ」
侯爵は怒りを圧し殺してアッサムに尋ねました。
「陛下の前で証言したようにルナフの仲間です」
!
衝撃でした。
陛下の前で証言してしまえば事実でなくても…きっと事実にされてしまう…。
何故『信書』と聞いて思い付かなかったのか…自分の愚かさを責めました。
「お父様。私はルナフの友人カラメル・カルチェラタン令嬢に招待されて屋敷に逗留していたのです。決して連れ去られたのではありません」
リゼは必死に侯爵へ事実を伝えます。
「リゼは無傷で帰って来た。それをどう説明する」
侯爵は再度アッサムに問い質しました。
「陛下から『信書』が届いたら罰せられるから慌てて解放したんです。リゼはどう言うか言い含められて戻されたに違いありません。奴らが逃げる前に早く陛下からの『信書』を送って捕らえてください」
アッサムは『間違いない』と真剣な顔で侯爵に訴えました。
断言したアッサムの顔を見る侯爵の顔には迷いがありました。
リゼとアッサムの話は全く違うのです。
結論を出せないまま侯爵は執事を呼んで『信書』は保留にするよう馬を走らせました。
「何故ですっ、こちらにはルナフと言う生きた証人が居るんですよっ!ルナフを尋問すれば拐った者たちを捕まえられます」
アッサムは怒りを込めて侯爵を見ます。
その言葉でリゼは跳ねるように私を見ました。
私へのこの扱いがカラからカルチェラタン公爵夫妻に知れたら…リゼは絶望した顔で侯爵を見て私を見ました。
「リゼ?どうした」
騎士に拘束されていた私は無表情で前を見ていました。
どう弁解しても侯爵に聞いて貰えるとは思えませんでした。
時々カラの名前が出るのを聞いて、2度と会えないかもしれないと思うと喉に熱い塊がつかえて塞ぎました。
「ルナフを離しなさい」
リゼの命令は無言の拒否に消されました。
当主の命令は絶対なのです。
リゼが謝罪を込めて私を見ますが私にリゼに応える言葉は残されてません。
なので微かに笑って見せました。
「ルナフ…ごめんなさい」
「何でこんな奴に謝るんだよ。親からも勘当されて学校を卒業したら平民になる奴なんだよ」
リゼはアッサムを見返して侯爵を見ました。
真実を確かめず私をリゼの誘拐の犯人だと決め付けたのはアッサムが言った私が平民に落ちるからでした。
短絡的ですが、侯爵の中でも平民に落ちる私の友人は伯爵の中でも地位の低い者だとの決め付けがあったのでした。
「ルナフは平民にはならないわ。でもそれで分かった、カルチェラタン夫妻はルナフが卒業してフランソワーズ家から抜けるのを待っているのね」
「リゼ、何を言っている」
侯爵は怪訝な顔をリゼに向けました。
「お父様、バニラ侯爵家はアッサムのせいで醜聞にまみれるかもしれません」
リゼは心の中で『軽率なお父様の行動で』と言い足していました。
「僕はこの家の救世主だよ。だから侯爵も僕にリゼをくれても良いって言ってるんだから」
リゼはアッサムを無視して侯爵を見ました。
アッサムの『救世主』に嫌な予感がするのはリゼもでしょう。
「説明して下さい」
リゼは射殺すほどきつい目で侯爵を見ています。
「まだ決めた話ではない」
侯爵は先を濁しました。
「侯爵、ハッキリ言ってください。僕が隣国との商談の道を開いたから褒美にリゼと結婚させるって」
思わずもう真珠の話が届いてるのかと驚きました。
「驚いているね。僕はお前たちに置き去りにされても仕事してたんだからね」
優越感からアッサムは胸を反らして威張って見せていました。
リゼが怯んだタイミングでアッサムは爆弾発言をしたのです。
「隣国のモンターニュブルー侯爵家と絹の売買契約を結んだんだ。勿論輸送はバニラ侯爵家を使う。だからリゼは僕の妻になるしかないんだよ」
リゼは驚きに目を見張っています。
…私は妙に冷静でした。
いえ、驚き過ぎて反応できませんでした。
ぼんやり『ああ、だからパーティーで笑ってたのか…』と思っていました。
アッサムと契約していたからかの方はあんなに余裕で…。
私は無意識に下を向いてしまいました。
アッサムは元々痩せた土地に肥料を撒いたのですから2年か3年は桑も育つと思いますが、その間に土も撒いて粘土質の土を少しでも水捌けの良い環境にしないと最後は根が肥料に負けて根腐れしてしまうでしょう。
そうなれば蚕の主食が無くなって絹の生産は絶望的です。
説明してもフレーバー侯爵と同じでアッサムも聞かないと思います。
ですから公爵からフレーバー侯爵家のリンゴの話を聞いた時『やはり』と思ったのでした。
「新種の病気だと思うが理由も無く木が腐るらしい。ルナフに対処は思い付くかい?」
「いえ、リンゴの病気には詳しくないので、新種ならなお分からないです」
暑くなる頃からこばえが増えて甘い匂いが広がった、使用人たちがそう証言している、と公爵が教えてくれました。
どんな匂いか聞いたらもものような熟した匂いと返ってきたそうです。
多分ですが、日のささない湿った土地に枯れ葉が積もって腐葉土に変わったので蒸れ過ぎて根腐れを起こしたのでしょう。
間引きをすれば日も風も通って甦る可能性はまだあるはず…、と思っても関わりたくなくて…どうしても言えませんでした。
誰にも言えない事はもっとありました。
お父様と上の兄が仕事で不在のおり、お母様は度々妹とサロンを訪ねているのでした。
公爵夫人からその事実を知らされて、なるべく早い時期にフランソワーズ家から離れるよう言われました。
お母様と妹の醜聞は陛下の耳にも入っていてフランソワーズ伯爵家を潰す事はしなくても、都へ置くと風紀が乱れるからと僻地へ領地替えになるそうです。
それは…明らかに社交界からの追放でした。
真っ先に思ったのは領民の暮らしです。
言葉にならない思いは私の中でお母様と妹への怒りに変わりました。
「お父様。アッサムと運送の契約は交わしたのですか」
リゼの声が私を現実に引き戻してくれました。
リゼが能面のような表情で確認します。
怒りが振り切れたようなリゼの顔は怖くもありました。
「いやまだだ。モンターニュブルー家からの書類がまだ届いていない」
それを聞いて、リゼが大きく深呼吸をして話し始めました。
パーティーでのかの方の態度、その後のカラからの情報を淡々と告げました。
1番契約したくない相手だとアッサムを見て締め括りました。
「そんなはず無いっ!こっちの言い値で買うって言ってるんだよ」
訴えるように言うアッサムにリゼは冷静に返しました。
「来たら分かるわ」
「見て泣き付いても知らないからっ!」
「隣国には1日しか居なかったあなたと契約するなんて、モンターニュブルー家は余程切羽詰まっていたのね」
リゼの言葉に表情を固くしたのは侯爵です。
契約する利益に目を奪われて後ろに潜む危険が見えてなかった事に今初めて気付いたのでした。
「契約した経緯を話してみろ」
アッサムは急に不機嫌になった侯爵を不思議そうに見ながら話し始めました。
「港の宿に彼も泊まっていて、僕が宿の主人相手に絹がどれだけ儲かるか話していたら彼が急に『契約したい』って言ってきて。僕の言い値で買うからって言うから仮契約をしたんだ。そして持ってくる方法は無いかって聞かれたから婚約者の里が船の輸送をしてるって教えたんだ」
アッサムは確定した話のように侯爵へ言っていましたが本当はまだ売値も決まっていない段階だったのです。
「モンターニュブルー家の誰と契約をしたの?」
「次期当主のジョルジだよ」
リゼの問い掛けにアッサムはさらりと答えました。
…やはりかの方とです。
かの方がアッサムの言い値で買うとは思えなくて、気持ちがざらつきます。
きっとリゼも同じ事を考えていたと思います。
「何で港になんて居たのかしら?」
リゼが首を傾げて呟きました。
「夏休みを利用してこの国へ絹の買い付けに来るはずだったんだ。でも港で僕に会ったから来るの止めたんだよ」
「それでパーティーに居たのね」
リゼは納得したように頷いて、きつい視線をアッサムに再度向けました。
「家の事を知っていたわ。私に『仕事をさせてやる』と言ったのよ。あの男にどこまで話したの」
「困る事は言ってないよ」
アッサムの言葉が信用できるはずはありません。
その時リゼが何かに気が付いた感じでアッサムを見ました。
「宿の主人と話してたらジョルジが話し掛けて来たって言ったわよね。何処で話してたの?部屋?」
「食堂で話してたらジョルジが食事に降りて来たんだ」
「大怪我してる人が食堂で話せたの?大怪我は嘘?」
「え?あ、痛くて食堂に行ったんだよ。ホントだよっ!」
「痛いのに食堂で絹の自慢をしたの?ジョルジが降りてくるまで?」
何かを察した侯爵は震える両手を握り締めてアッサムを見ました。
その表情はアッサムの作り話に惑わされていた自分にようやく気が付いたように見えました。




