始まり2
ミラン様が初めて屋敷を訪ねて来られた時、お父様も仕事を切り上げ私と一緒にお迎えしました。
その時お母様は不機嫌そうでしたが、お父様の手前何も言いませんでした。
ぎこちなくて会話が続かない重い2時間が終わると、ミラン様はそそくさと帰られます。
そんな気まずい時間が2回、3回と続いて、秋の半ばになるとお父様は収穫のために領地へお戻りになりました。
毎年収穫の3ヶ月と苗付けの春の3ヶ月は領地へ移動して過ごしていましたが、私が婚約した事で今年からは都を離れる訳にはいかなくなりました。
お父様も帳簿付けを手伝う私が居ない不自由さを口にしていますが仕方ありません。
「お前が男なら兄の片腕として家に置くんだがな」
お父様は残念そうに言って領地へ戻っていきました。
まだ子供の私を1人では置いて行けないのでお母様と妹も都に留まる事になりました。
お父様の配慮がお母様には好都合でした。
お父様が不在な家にミラン様がいらっしゃるようになってからは、出迎えは私ではなく着飾った妹になりました。
週に1度訪ねてくるミラン様をもてなすのも手紙やプレゼントを受け取るのも全部妹に変わりました。
私は黙ってお母様に従いました。
それをミラン様も望まれたからです。
何と無く…幼い心で分かっていた気がします。
妹を見れば、誰もが心を奪われる、と。
ミラン様を恨む気持ちはありませんでした。
私の中に美しくない自分への引け目が強かったからだと思います。
初めから気持ちの無い婚約でしたので妹に変わるのならそれを受け入れるつもりでした。
私から言うのは言い付けるようで嫌だったので、ミラン様が侯爵夫妻に打ち明けるのを待つ事にしました。
1ヶ月過ぎても侯爵夫人の態度は変わりませんでした。
逆に嬉しそうに話して下さいます。
「最近は話も弾んでいるようね、ミランから私の前であなたと会うのは気恥ずかしいからお茶会に呼ばないで欲しいと言われたわ」
思ってもいない話に私は返事が出来ませんでした。
「あなたの勉強の成果は先生方から聞いてますよ。ミランと2人で未来のフレーバー家を支えていってくださいね」
お母様はお父様がお戻りになってから話すつもりなのかもしれません。
何も知らず私にミラン様の話を聞かせる侯爵夫人に申し訳無くて、お茶会が辛かったです。
「来週サロンで小さなパーティーを開くの、ルナフのダンスの腕を見たいからいらっしゃい」
「おの…ダンスは…」
侯爵夫人はため息を付いて頷くとダンスの先生を追加してきました。
「社交の季節が近いわ。少しでも上達してくださいね。パートナーが踊れなくて恥をかくのはミランですから」
正式な社交界デビューは中等部を卒業した15歳ですが、事前に慣らすため自宅で開くホームパーティーに出席させるのが常識だとこの時初めて知りました。
「…はい」
その翌日からダンスのレッスンが増えました。
お母様はそれを知ると妹にもダンスの先生を付けて、私を憎らしげに見るのでした。
あと数日でお父様がお帰りになると決まった時のお茶会で、侯爵夫人から叱られました。
「ミランはまだ12歳になったばかり。高価なおねだりは控えなさい」
聞いても何の事か分からなくて、おどおどしていると侯爵夫人が怪訝な顔で私を見ました。
「ミランからネックレスを受け取ったわよね?」
「…いえ」
「先週の花束は?」
答えられなくて下を向きました。
「お父様はご在宅?」
「…父はあと数日で領地から戻ってきます」
お父様が戻るのを待っていたように侯爵夫妻がミラン様を連れて訪ねて来られました。
早くお父様に話さなければ、と思ってもお母様が私をお父様に近付けさせませんでした。
そんな中、侯爵夫妻とミラン様が来られたのです。
侯爵夫妻の表情は硬くお母様を睨み付けています。
お父様も何かを感じられたのかお母様を見ました。
お父様は侯爵夫妻を応接間に通して、私に『部屋から出ないように』と言いました。
言いたい事がたくさんあるのに、と思っても言えなくて、私はしょんぼり自室に引き取りました。
応接間での話し合いは暗くなるまで続いたようです。
侯爵夫妻とミラン様がいつお帰りになったのか、私はお見送りに呼ばれなかったので知りませんでした。
ですのでその時の話は私には分かりません。
分かっているのは、その後のお父様は酷く不機嫌でお母様が泣き腫らした顔で部屋へ閉じ籠った事だけでした。
その翌日はミラン様の来られる日でしたが、ミラン様は午後になっても来られませんでした。
お母様も部屋から出て来なくて、妹だけがミラン様を待って家の中を歩き回っていました。
妹を宥める執事は青白い顔をしていて、仕事を終えて戻ったお父様を怯えた顔で見ていたのは不思議でした。
結局お父様には何もお話し出来ませんでした。
お父様の感じから言えば怒られる気がして、言葉が声にならなかったのです。
破談になったはずなのに翌週お茶会の馬車が来て、執事に行くように促されました。
侯爵夫人は何も無かったように私を迎えて、侯爵家のパーティーの話をしてきました。
冬の社交界の始まりは王室の開く大規模な夜会です。
その前に先日話に出ていたホームパーティーに私を招きたいのだそうです。
「お茶会のお友達も誘ってみてはどうかしら?」
侯爵夫人は笑顔で聞いてきます。
侯爵夫人のお茶会が初めてで他は知らない、と答えると驚かれました。
「自宅でお茶会はしないの?お母様も?」
「母は…分かりません。何時も妹に掛かり切りなので」
私の話をもどかしく感じたのか侯爵夫人はそれ以上誘って来ませんでした。
そして、社交の季節が始まりました。
王室主催のパーティーが終わると、ほとんど毎日あちこちで大小の夜会が開かれます。
ただ楽しんでいるだけでなくお父様たちには情報交換の場でもあるのです。
今年の収穫の話や国内の話、隣り合わせる他国の話と話す事はたくさんあります。
その中に我がフランソワーズ伯爵家とフレーバー侯爵家の縁組みの話もありました。
出席した方たちも婚約の内情は薄々感づいているので深くは聞きません。
本当ならフランソワーズ家でもお客様を招いて夜会を開くのですが、臥せっている妹が居るから、とお母様は家でパーティーを開くのを嫌がります。
ですから毎回お父様と2人で出掛けていくのが常でした。
でも今年は少し違いました。
パーティーで何があったのか分かりませんが、お母様は怒って帰ってきて、以来お父様だけで出掛けるようになりました。
ですが、年越しの王室主催のパーティーだけは欠席は許されません。
お母様は顔をひきつらせてお父様と出掛けて行きました。
年越しのパーティー以来、お母様は更に塞ぎがちになってしまいお父様も心配していました。
お父様にもお母様が不機嫌な理由は分からないようでした。
年が明けて、年末年始だけお休みしていたお茶会が再開されました。
「ルナフは親しく出来るお友達が少ないみたいね」
「…はい」
侯爵夫人に『皆無』とは言えません。
「これからは月に1度小さなレディのためのお茶会を開くわ」
侯爵夫人の笑い方が凄く怖くてお断り出来ませんでした。
「親類の女の子が居る家からドレスを貰い受けたのよ。寸法を直させるから着てみてね」
社交界デビュー前なので華美な装いはしなくても、私の服では恥ずかしい。
暗に言われているのを私は気付きませんでした。
侯爵夫人は冬の社交界が始まる前に顔見知りの夫人たちにお母様の事を手紙で知らせていたのでした。
お母様が怒って帰ってきたのは常識の無さを周囲からチクチク言われたからなのですが、お父様も私もそれを知りませんでした。
お母様がこの事で侯爵夫人を恨んでいたのも気付かなかったのです。
侯爵夫人がお茶会に招いたのは日頃親しくしている方々とその女のお子様方でした。
子供は妹しか知らなかった私にとって、このお茶会は転機だったと思います。
怯えながら参加したお茶会は勉強する事が沢山ありましたが、楽しい事も沢山ありました。
集まった夫人たちの前での最初の挨拶は手が冷たくなるくらい緊張しました。
お父様が日頃近付きたいと思ってる公爵家、侯爵家の夫人たちもその中に揃っていたからです。
「あなたがルナフさんね」
公爵夫人の1人が優しく声を掛けてくれたのを切っ掛けに、夫人たちは『直に話す』許しを下さいました。
「気楽にしてね」
「ありがとうございます」
身分が絶対のこの世界で、王家と縁続きの公爵家3家と、それに連なる5家の侯爵家と縁を結べるのはとても大切な事なのです。
お父様が援助してまでフレーバー侯爵家との縁を望んだのもその見えない利益の恩恵が大きいからでした。
私の借り物のドレスの理由を侯爵夫人からの手紙で知っていたので、私1人その場で浮いていてもどなたも触れませんでした。
私は自分が『頭の良い可哀想な伯爵令嬢』と思われていたのを知りませんでした。
侯爵夫人が領地経営にも明るいと私を誉めてくれていたのがこの時は幸いしました。
「娘たちに引き合わせましょうね」
改めて初めの挨拶を繰り返します。
子供同士でも親の地位が大きく影響するので緊張は増しました。
3時間ほどのお茶会でしたが大人社会をぎゅっと凝縮した子供社会を私に教えてくれたのでした。
同席した令嬢の中には同じ伯爵令嬢の方も居たので、その方を真似して令嬢方との距離の取り方を習いました。
10人ほどの歳の近い女の子の集団はかしましくて、最初の緊張が嘘のように楽しい時間はあっという間に過ぎました。
それでも頭の隅に相手と自分の身分の違いはずっとあります。
言葉を選びながらでしたが、初めて『楽しい』と思えたひとときでした。
「残念だわ。ルナフに会えるのがあと2回しか無いなんて」
お茶会で特に仲良くなった同じ年の公爵令嬢カラメル・カルチェラタンは私の手を握ってそう言いました。
「何で2回なの?」
不思議に思って聞くと残念な返事が返ってきました。
「春には領地に戻らなければならないの。でも冬になればまた会えるわ」
2人で冬の再会を約束していたら侯爵夫人が言います。
「会えなくてもお手紙があるじゃない」
それを聞いて顔が曇ります。
きっと、多分、手紙は私の元に届かないと思ったからです。
お母様か執事の所で破かれて、暖炉で燃やされる光景が目に浮かびました。
「ルナフは手紙が届かない心配をしているの?」
思っていた事を指摘されて、驚いた顔で侯爵夫人を見上げてしまいました。
それだけではなく、この事を知ったらお父様がどうするか、その方が心配でした。
「あなたのお母様がそこまで非常識とは思いたくありませんが、もしそうなら私が手紙の窓口をしてあげるわね」
「それは良いわね。カラ、早速お書きなさいな」
カラメル様のお母様がいたずらを見付けた子供のように言いました。
「ルナフ。あなたも私をカラと呼んでね。私もおなたをルナと呼ぶわ」
はしゃいでる子供たちの後ろで、夫人たちは目配せして居ました。
次のお茶会の日まで待っていたカラからの手紙は来ませんでした。
あの時は書くと言ってくれたけど、気持ちが変わって書かなかったのかも…。
期待して待っていただけに、次の週のお茶会へ向かう馬車に乗るのは気持ちが重かったです。
侯爵夫人の顔を見ると申し訳なくなって泣きそうでした。
「カラは2通も出したそうですよ」
「え、あ…」
それ以上言葉になりませんでした。
「2通目には公爵家の家紋も押してあったそうですよ」
侯爵夫人に何も言えません。
「あなたからお書きなさいな。私が届けてあげますよ」
「はい…」
それからは週に1度侯爵夫人の計らいで手紙を交わし合いました。
家に持って帰る訳にも行かず、侯爵夫人に甘えてドレスと一緒に手紙も預かって貰いました。
それからは月に1度のカラに会えるお茶会が私の楽しみになりました。
「早く来年にならないかしら。そうしたら毎日会えるのにね」
「私も、初めての大切なお友達と毎日会いたい…」
自分の気持ちを言葉にしたのは初めてでした。
今が幸せすぎて私はミラン様の存在をすっかり忘れていました。
私が侯爵夫人のお茶会に出掛けてる間にミラン様が執事の手引きで訪ねて来られてる事を知らなかったのです。
侯爵夫人もお灸が効いてミラン様が大人しくしていると思い込んでいました。
それはお父様も同じで、お母様は懲りたと思っていたので気付きませんでした。
そんな中、密かにお母様の侯爵夫人を困らせる計画は進んでいたのです。