夏休み
それからは先輩と会っても挨拶の会釈に止めました。
先輩も話し掛けては来なかったので最初と同じく目礼する関係で落ち着きました。
もうすぐ夏休み、何時もなら国に帰るはずの寮生が半分近く残ってます。
彼女も残っていました。
土砂崩れで道が封鎖されて、私もですが彼女も帰っても直ぐ船に乗るようなのです。
往復する時間を考えたら卒業するまで我慢するのが得策だと思いました。
夏休みも図書館は空いているので2学期が始まるまでバイトと読書になりそうです。
予定外だったのは夏休み前の試験が全教科だった事でした。
貼り出された結果で私は8位でした。
女子だと3位でした。
女子の1位はリゼでした。
「ごきげんよう。留学生の方だそうね」
順位が発表されると直ぐリゼが来ました。
「はい」
「解答を見せていただきましたが、国語を除けば私を上回っていてよ」
リゼは悔しがるでもなく嬉しそうに言いました。
「お友達になりましょう。私はリゼ・グランボアシェリ・バニラ、侯爵令嬢よ」
リゼは当然の顔で微笑み掛けて来ました。
勿論断る選択肢は許されません。
「ルナフ・フランソワーズと申します」
リゼに淑女の礼を返しました。
「良いお友達が出来そうだわ」
リゼは嬉しそうに私をお茶会に誘ってきました。
「寮まで迎えをやってよ。普段着でいらしてね」
バニラ侯爵家でもカラの時と同様リゼの友達に相応しいか見定められました。
「国を離れて寂しいでしょうね。お友達とは連絡しているの?」
「はい2ヶ月に1度手紙を交換しています」
笑顔で答えますが内心は警戒していまさした。
この国は他国からの郵便物を検疫しています。
それはクラシック先生から最初に聞いているので味気ないですがカラも私も形だけの手紙のやり取りで我慢していました。
「お友達は出来て?」
「いえ、言葉の壁が高くて…」
わざと最後は濁しました。
「国語の点だけ他より悪かったそうね」
「…はい」
それからはたまにお茶に呼ばたりリゼの方から寮に遊びに来たりしました。
侯爵令嬢が遊びに来るのですから寮の中は大騒ぎです。
リゼに取り入りたくて私に近付く人もいて、不愉快な思いもたくさんしましたがそれが縁で友達も増えました。
「夏休みの後半は領地の別荘へ避暑に戻るの。ルナも来ない?」
「私はバイトがあるから…」
本当は話したくはありませんでしたが、誘いを断るためにバイトで授業料を賄っている話をリゼにしました。
バイトの話をすれば、今度は何故バイトをするのか話さなければならなくなります。
理由を話せば、嫌でも家族の話もしなければならなくなるのでした。
「…そう、大変だったのね」
リゼは大きく息を吸ってから言いました。
「綿のフランソワーズ伯爵家の話は聞いた事があるわ。私の婚約者候補のニルギリ・バイカルの家とは交流があるはずよ」
船で聞いた名前がリゼの口から出て思わず固くなりました。
「候補、なの?」
「そうよ」
深く聞きすぎると思いましたが聞いてしまいました。
「他にもいるの?」
「従兄弟の公爵長男と第3王子よ」
他の方を知ればニルギリが1番不利に思えました。
「第3王子は絶対に嫌」
自分は王子だと周りを見下す第3王子には絶対嫁ぎたくない、リゼは怒った顔で親にもはっきり言ってあると言いました。
「従兄弟は第2王女が好きなの。残るのはニルギリなんだけど、身勝手で我儘だから考えてるの。バイカル家は麻で有名だけど、最近は服の素材に使われなくなったわ」
織物の技術が発達して、ごわごわの麻を着なくなったのがバイカル家の衰退に拍車を掛けていました。
衣服に使われなくなると麻の用途は限られます。
衣服と違って縄や保存の麻袋は取り引き価格がガクンと低くなって同じ生産量でもバイカル家の収入は激減してしまったのでした。
「フランソワーズ伯爵家とバイカル家は繋がりがあるんでしょ?」
「祖父の代には親しいと聞いてました。今は…名前を聞きません」
「それが正解かも」
リゼは眉根にシワを寄せて話し始めます。
バイカル家から縁続きになるんだから安く運搬しろと言われてる、と言いました。
「ルナは知らないと思うけどバニラ家は船の輸送で収入を得ているの」
「商いで手を組もうと?」
「そう。手を組むならもっと利益を生む所と組むわ」
「何でバイカル家が候補に?」
「お父様がごり押しに負けたの。お祖父様とバイカル家のお祖父様が軍で一時一緒で家同士の親交があったから」
リゼは怒った顔でもっと続けた。
「万が一船が転覆しても麻のお陰で生き延びられるとか失礼な事平気で言うのよ」
「副業は考えてないの?」
バイカル家の言っている事は正解だと思えます。
万一の保険は必要だと控え目にリゼに言ってみました。
「海に近いの、作物は海風で枯れてしまうわ」
「どんな土地か聞いても良い?」
「言葉で言うのは難しいわ。なら一緒にいらっしゃいよ」
それからはあっという間でした。
リゼの両親の侯爵夫妻が先生にバイトのお休みを申し出ると直ぐに了承されました。
「夏のパーティードレスを持ってきてないから…」
逃げ腰でリゼに断ると、侯爵から軽くあしらわれてしまいました。
「正装のパーティーはしないから気楽にいらっしゃい」
断る口実を断たれて、私はリゼの友達としてバニラ侯爵家の海辺の領地を訪ねました。
美しい港町でした。
カラの領地と違うのは海の後ろに平地が少なく山な事です。
地形を見て思い付きました。
「リゼ。山の山腹にオレンジを栽培する気は無い?」
「オレンジ?」
リゼも両親の侯爵夫妻も怪訝な顔をしました。
「オレンジは海が近くても育ちます」
「何故山腹に植える?」
紙に段々畑を書いて見せました。
「こう植えれば効率的に全部に日が当たり山の斜面を有効に使えます。土地を確保するのに山の木を切り過ぎると国境の土砂崩れの二の舞になりますから気を付けて下さい」
「早速伐採して苗木を植えよう」
侯爵は執事に「可能な限り市民を雇え」と指示していました。
疑問に思っていた私に侯爵が教えてくれました。
「金は貯めれば良い物ではない。回さねばその国は滅びる。それは領地にも言える」
侯爵が労働に見合う賃金を払えば、それが市場に流れる。
それが大切だと侯爵は言いました。
言われてみて改めて納得しました。
カラのご両親の公爵夫妻も口にはしなかったけどきっと同じ事を考えてる気がします。
潮風に吹かれた日光浴と読書、そしてお茶会が海にいる間の日課になりました。
「明日お兄様と弟が来るそうよ」
「兄弟がいるの?」
嫌でも妹や数年振りに見た兄の顔が浮かんで怯えから背中が冷たくなりました。
「4つ上に居るわよ。3つ下に弟も」
普段は王都の学園にいると教えてくれました。
「ルナにも兄妹が居るんでしょ?」
話す気にはなれなくて…笑って誤魔化してしまいました。
「話したくないのね。聞かないわ」
リゼは笑顔で話題を変えてくれました。
翌日到着したリゼのお兄さんは侯爵と良く似ていて、弟は侯爵夫人に良く似ていました。
そう思ってリゼを見ると、侯爵と侯爵婦人の良い所だけを貰ってきた顔でした。
「私だけ似てないでしょ」
リゼは開き直ったように言いました。
否定して貰いたがってるのがその表情から伝わってきます。
「似てるよ」
リゼに手鏡を持たせて教えました。
「眉毛お母様と同じでしょ。目の形は侯爵様で目の色はお母様。鼻はお母様で口は侯爵様でしょ。輪郭はお母様で髪の色は侯爵様」
「…あ」
リゼが驚いた顔を私に向けました。
「誰が見ても親子でしょ」
「気付かなかった…」
涙の滲む目で鏡を覗き込んだリゼは泣き笑いの顔をしました。
翌日リゼとのんびり日光浴している所に手紙が来ました。
送り主はニルギリ・バイカルとありました。
リゼはうんざりした顔で手紙の封を切りました。
様子から歓迎してない感じでした。
中には早く婚約の発表をしたいとあります。
「まさか私に確かめないで承知したの?」
リゼは私の手を掴んで侯爵の元へ行きました。
「お父様」
リゼはニルギリからの手紙を渡しながら侯爵に非難する視線を向けました。
「私は承諾していないが」
侯爵はきつい目をして手紙を睨んでいます。
「学校でふれ回られたら不愉快だわ」
「バイカル伯爵にはキチンと釘を刺す。それでも改めないなら候補からも外そう」
「絶対よ」
リゼはプリプリと侯爵に怒っていました。
「同じクラスのロイヤルイングリッシュ伯爵家のアッサムからも申し込まれてるけど、ひ弱いし内気だし断りたいんだけど理由が無いから返事は保留にしているわ」
思わぬ名前が出てお茶を溢しそうでした。
リゼの言う通りアッサムはひょろひょろで頼りない感じがします。
「2人とも2年なの?同じクラス?」
「そうよ」
この国でも上位貴族と下位貴族でクラスが分けられていて、上位の2人は同じクラスだそうです。
その時船で一緒だった彼女の顔が浮かびました。
「リゼは2年のアップル・ブレンドと言う他国の侯爵令嬢を知ってる?」
「知ってるわ。食堂でたまに見掛けるわよ」
言いながらリゼが嫌そうな顔をしました。
「彼女ね、話した事も無いのに会う度に睨んでくるのよ」
「そうなの…」
船での態度を考えれば有り得そうでした。
「彼女を知ってるの?」
「知らないよ」
聞かれてもリゼに話せる話ではありません。
「嘘、知ってるでしょ」
リゼはジッと私を見て言うまで諦めない雰囲気でした。
仕方無く船での事を話しました。
「彼女がニルギリを、かぁ」
リゼは信じられない顔で宙を見ていました。
「それで睨まれた理由が分かったわ」
リゼは宙を見たままうんうん頷いていました。
「少しなら仕返ししても良いわよね」
リゼは宙を見ながら意地悪な笑いを浮かべます。
そんなリゼを見て、自分の軽率な言動を後悔しました。
リゼはその夜の食卓で思い付いた計画を侯爵に話して聞かせました。
「ほどほどにするように」
侯爵は苦笑しつつもリゼを止めません。
「バイカル伯爵家には候補から外す通達をしておこう」
「ふふふ…」
リゼは楽しそうに笑うとその夜何通か手紙を書いていました。
「今年の夏休みは楽しくてあっという間だったわ。ルナフが居てくれたお陰よ」
手のひらに海辺で拾った貝を乗せてリゼが言います。
「私も楽しかった。綺麗な海を見ていたら気持ちがすぅーって軽くなった気がする」
私も貝を摘まんで言いました。
カラに会えないのは辛いけどお父様やお母様に怯えない暮らしは私の心に平穏で満たしてくれていました。
夏休みが終わって、また規則正しい生活が戻ってきました。
少し違うのは何も無かったようにアッサムが話し掛けて来る事でした。
「君はリザと仲良しなんだってね」
私は書き写す手を止めず返事をしませんでした。
更に続けようとしていたアッサムでしたが、周りの視線に押されてその先は言えませんでした。
それで諦めたと思ったのに、数日後また図書館で繰り返しました。
「お願い。僕にリザを紹介してよ」
アッサムは拝むように手を合わせました。
自分の事しか考えていないアッサムの言動はお父様と重なりました。
「会ってくれないリザも僕を見れば絶対婚約を承知するよ」
確信してるアッサムの言い方に周囲から失笑が起きました。
「呼び捨てにして良いって侯爵令嬢は言ったのか?」
アッサムに聞く声が後ろから掛かりました。
「え?それは…でも友達の友達は友達だから、リゼも僕の友達だよ」
アッサムのこじつけに呆れたため息が漏れます。
「何時留学生の友人になったんだ?わざとらしく避けてたのは君だろ」
「避けてないよ。ずっと友達だったよね」
思わぬ反撃にアッサムの顔がひきつります。
アッサムはすがるように私に同意を求めてきました。
「ね?」
重ねて聞いてくるアッサムには答えないで視線を本に戻しました。
ここで私が何を言っても無駄だと思います。
また周囲から笑いが起きました。
さっきより大きくてアッサムの顔が怒りで歪みました。
「笑わないでよっ」
アッサムの怒った声が図書館に響きました。
「侯爵家のパーティーに招待されてない留学生に頼むのが間違いだとまだ分からないの?」
斜め前で本を読んでいた女性がアッサムに言いました。
彼女の言っている意味が分からなくて、無意識にじっと見てしまいました。
「リゼに言っておくわ。『ロイヤルイングリッシュ家の子息は侯爵令嬢のリゼを呼び捨てにする』ってね」
アッサムはグッと両手を握って図書館から出ていってしまいました。