諦め
最後の3学期が始まって、私の生活は何も変わりませんでした。
寮に教室に図書館、その空間だけが私の世界だったのです。
その生活を揺らしたのは妹でした。
何時ものように図書室で本を写していた時司書お姉さんが困った顔できました。
「この本何処にあるか知ってる?」
お姉さんが渡してきたメモにある本は去年読んだので場所はわかっていました。
場所を教えても困った顔のままなので仕方無く聞きました。
「受付けに届けましょうか?」
「助かるは、急いでね」
最近こんな会話が月に1度はあります。
微妙に命令口調なのが嫌でしたが困ってるのを思えば持っていくしかありませんでした。
本を探して受付に持っていけば、苛々して待っていたのはかの君でした。
「またお前か」
かの君の嫌そうな顔に傷付きながら本をカウンターに置きました。
一礼して席に戻ろうとした所にお姉さんから言われました。
「この本も探して持ってきて」
さすがにカチンときて一礼して戻ろうとしたらかの君が『探してこい』と言いました。
侯爵のかの君へ直に言葉を返すわけにはいかないのでお姉さんに『知らない』と首を振りました。
「本当に知らないの?」
疑う目に本当は知っていますが『知りません』と嘘を言いました。
一礼して戻ろうとした所に後ろから『お姉ちゃん』と可愛い声で呼ばれました。
心臓が跳ねました。
だくだくしてる胸を押さえて振り向けばそこに妹のキャンディーが居ました。
有り得ない状況にパニックになり掛けていた私はただ妹を見返してるだけでした。
「お姉ちゃんだけ狡いー、私にジョルジ先輩を紹介して」
ハートマークか音符マークが付いてると思うくらい甘えた声で言われても突然すぎて対応出来ません。
妹を見たまま動けない私に焦れたのか妹はかの君に向き直りました。
「私はキャンディー、お姉ちゃんの妹よ」
信じられませんが、妹はかの君の右腕に掴まりにいきます。
止める間もなくて、妹が掴まりにいくのとかの君が加減しないで振り払うのが同時でした。
「いったーい」
妹は転びはしませんでしたがよろけて受付のカウンターにぶつかりました。
「ジョルジ先輩ひっどーい、お友だちにしてあげないんだから」
妹はプンプンしてかの君に言いました。
「お前に直に話す許可は与えていない」
かの君は射殺しそうな目で妹を睨みました。
「お姉ちゃんと話してたの見たもん」
妹は私を指差してかの君に言い返します。
かの君は私にも氷点下の視線を向けてきました。
「有り得ない話をするなっ」
一方的に言われても言い返す事も出来ません。
「良いもん、…に叱って貰うもん」
妹が口にしたのは年明けの夜会で1度ご挨拶をした公爵の次男の名前でした。
「お前の名を言え」
かの君の声が低くなりました。
「私はキャンディー・フランソワーズよ」
妹の『どうだ』みたいな言い方にめまいを覚えます。
王女様の婚約者に失礼な口をきいたと知られれば大変な事になります。
対応を間違えたらフランソワーズ伯爵家は社交界から追放されかねません。
「伯爵のフランソワーズか」
見下したようなかの君の口調がグサリと胸に刺さりました。
痛みが私を現実に引き戻しました。
「キャンディー。私はこの方を知らないわ。頼まれた本を届けに来ただけよ」
妹に説明しても聞いてくれません。
「お父様に言い付けるからっ」
妹はプリプリして言います。
「妹が大変失礼致しました。お詫びは改めまして」
かの君に深くお辞儀をして、妹の手を引っ張って図書館の外に出ました。
「急いで帰ってお父様に図書館であった事を話しなさい。早く対応しないとお父様が困る事になるから」
「キャンディー悪い事してないもん。あんな意地悪な人なんて友達にしてあげないんだから」
怒る妹を引っ張って家の馬車を探すと御者に短く話を伝えてお父様に直ぐ知らせるよう言いました。
今日中に謝罪しないとお父様か不利な立場に立たされるのです。
「お姉ちゃんの意地悪っ、だからお父様から寮に入れられたりするんだよ」
妹の言葉がグサグサ突き刺さります。
妹に返事もしないで図書館へと戻りました。
受付にかの君は居ませんでした。
テーブルにも居ないので帰ったのでしょう。
ホッと胸を撫でおろしました。
後はお父様の対応に任せるしかありません。
「なにあの失礼な子。あなたの妹なの?もう図書館に来させないようにしてよ」
責めるように言ってくるお姉さんに返事をしないで本を棚に戻すと急いで寮に走りました。
クラシック先生を探して今さっきあった事を話しました。
御者には話しましたがちゃんとお父様に伝わるか心配になってしまったからです。
「妹さんは本が好きなの?」
「私が家に居た頃は一冊も読んでなかったと思います」
言いながら、図書館の入口にミラン様の姿を見たような…気がしたのを思い出しました。
後から知ったのですが、図書館へ妹を連れて来たのは見間違いじゃなくミラン様でした。
妹のクラスの男子が勉強を口実に妹へ近付くのが許せなかったそうです。
ならば自分が教える、とミラン様が悔しがってる所に学園内で学年も身分も関係無く会えるのは図書館だけだと、面白がった誰かが知恵を付けたのでした。
ミラン様は今まで1度も図書館を利用した事がないので私が通っているのを知りませんでした。
知っていれば選ばなかったでしょう。
それに…叱られるのが嫌で侯爵夫妻に内緒にしていたので、知られたくない一心から妹を置いて逃げたのでした。
「兎に角図書館で確認を取った後あなたのお父様には『伝達』の形で連絡を入れます」
先生はかの君が怒ってないなら流すと言っていましたが、お姉さんにもかなり怒っていたそうです。
先生は図書館の司書の話としてお父様に状況説明の書類を送りました。
司書のお姉さんから事情を聞いた先生はお姉さんの責任を私に擦り付ける言葉を黙って聞いたそうです。
「さっさと探して持って来ないからあんな事になるのよ」
お父様へ『伝達』した後、先生が学園長とお姉さんの処分の話をした事は私に知らせませんでした。
「学園は人材を選ばなかったようですね。彼女は職員として落第ですよ」
翌日のお昼にお父様が学園を訪ねてきました。
授業中にクラシック先生が私を呼びにきて学園長室に行くと怒った顔のお父様が居ました。
何を言われるのか…話す前から想像出来ます。
「昨日の話を君から聞きたいそうだ」
「昨日クラシック先生が知らせた内容の他は言える事はありません」
緊張して言いました。
「お前がキャンディーをそそのかしたんだろうっ!キャンディーがお前が話していたから自分も仲間に入れて貰おうとしたら怒られたと泣いておったぞっ」
掴み掛かって来ようとするお父様を後ろにいた男の先生が羽交い締めにしました。
学園長が念のためお父様を止められる先生を呼んでおいてくれたのでした。
「怒鳴らないと約束したから会わせたが、間違いだったようですね」
「お前のせいでっ、フランソワーズ伯爵家は大恥をかいたんだぞっ!責任を取れっ!」
私は…怒りに任せて怒鳴るお父様の声に飲まれて動けませんでした。
クラシック先生が倒れそうな私の肩を抱いて外に連れ出してくれました。
前から司書のお姉さんが先生と歩いてきます。
「お父様への説明に学園長が呼んだのよ」
先生の説明も私には聞こえていませんでした。
私の心の中は悲しみより消えてしまいたい思いが強く占めていて『死にたい』そればかりがぐるぐる回っていました。
「ごめんなさい。あなたのお父様が冷静に話すと約束したから学園長があなたと会わせたの。本心じゃ無かったのね」
どうやって寮の部屋に戻ったのか記憶にありません。
夕飯も食べないで気が付けば次の日でした。
辛い現実を受け止められなくて私が現実逃避している間に話は進んで終わっていました。
司書のお姉さんの説明をお父様は初め否定していたそうです。
お父様は私が妹をそそのかしてお父様を困らせようとしている、と思い込んでいました。
そう吹き込んだのはお母様です。
お父様が帰ってくる前に妹の話を聞いて私を悪者にする話を作ったのでした。
「モンターニュブルー侯爵家のジョルジ君に謝罪に行った時、状況を確かめなかったのですか」
「謝罪すべきはルナフだ。ルナフに責任を取らせて謝罪させろっ」
「もしや謝罪に動かなかったのか」
学園長がわざとらしくため息を付きました。
「これは昨夜侯爵家から学園に届いた抗議文です。読んで今後の対処を急がれるんですな。もう遅いだろうが」
それはモンターニュブルー侯爵家から妹へ厳しい処罰を求める物でした。
文の中に本を探すよう命令した者の妹を名乗る者の振る舞いが不愉快だった、と書かれていました。
妹は自分から名乗ったので苦情は名指しで来ていました。
「嘘だ…娘は、キャンディーはそんな事一言も言わなかった」
お父様は混乱した表情で何度も否定しました。
「実際そこの司書が全てを見ておる。そちらは長女のせいにしたいのだろうが侯爵家はそれでは許さないでしょうな」
お父様は悔しそうに立ち上がりました。
早く動かないとフランソワーズ伯爵家が笑い者になります。
私に全てを被せて終わると思っていたお父様は昨夜何の対処もしていませんでした。
今からでは遅すぎますが動くしかお父様に残された道は無いのです。
そんなお父様を学園長が止めました。
「良い機会なので学園として『警告』します」
学園長は妹のせいで1年の風紀が乱れている事、未亡人のサロンに入り浸って未成年で飲酒をしている事、不特定多数の男性と限度を超えた交際をしている事を告げました。
「本人の反省がなければ『退学処分』になると思ってください。最近は細君もサロンに同行していると聞くが」
お父様には寝耳に水の話でした。
学園長は調べてあった資料をお父様に見せました。
未亡人のサロンに集まっているメンバーにミラン様の名前もあってお父様の目は釘付けになりました。
「またこいつか」
お父様は苦々しげに口にしました。
あの婚約解消以来フランソワーズ伯爵家とフレーバー侯爵家は犬猿の仲だったからです。
「こいつがキャンディーをそそのかしたのか」
お父様の中でモンターニュブルー侯爵家とのトラブルは侯爵夫妻がミラン様を使った画策に変わっていました。
「思い知らせてやる」
お父様は学園長の話を途中で遮り帰ってしまったそうです。
「さて、君の処罰だが」
お父様が退室してから、学園長は司書のお姉さんに視線を向けました。
「え?私の?え…処罰って」
お姉さんはポカンと学園長を見返しました。
「君の仕事は何ですか」
学園長は冷静な声でお姉さんに聞きました。
「図書館の司書です」
「仕事の内容は何ですか」
「本の整理です」
お姉さんは学園長が何を言いたいのか分かりませんでした。
「君は先程も言いましたが『さっさと探して持って来ないからあんな事になるのよ』これは誰に向けた言葉ですか」
「それはルナフ・フランソワーズにです」
お姉さんは何を聞かれているのか分からない顔で答えました。
「何故ルナフ・フランソワーズが本を持って来なければならないのですか」
学園長は淡々と質問します。
「ルナフが何処にあるか良く知っているからです」
お姉さんは不思議そうに答えました。
「もう1度聞きます。あなたの仕事は何ですか」
お姉さんは焦りの浮かんだ顔で学園長を見ました。
「生徒の中から君がルナフ・フランソワーズに命令する行為が不愉快だ、と苦情が出ています」
「…そんな」
お姉さんが怒った顔を向けました。
「忘れているようですが。君が呼び捨てにしたルナフ・フランソワーズは伯爵令嬢です」
「あ…」
お姉さんにも学園長が何を言いたいのか分かったのでしょう。
「君は不遇なルナフ・フランソワーズなら下僕のように使っても良いと思ったようですがそれを見せられている生徒は不愉快でした」
「ごめんなさい、これからは注意します」
お姉さんは真っ青になって謝罪の言葉を並べました。
「君には今日限りで辞めて貰います。昨日のあらましを見ていた生徒から君がルナフに探すよう無理強いしなければ避けられたトラブルだったと、不愉快だった、と親御さんを通して『善処』するよう要望がありました」
お姉さんはすがる目で学園長に訴えます。
「司書の君が本の場所を把握しているべきなのに、職務怠慢だと書かれてありました」
お姉さんは泣きながら下を向きました。
「紹介状は書きます、が退職理由は正確に書きます」
「そんな…」