妹と夏休み
「ドレス似合ってますよ。ねぇあなた」
公爵夫人が公爵に嬉しそうに話します。
「ああ、良く似合っているな」
その会話を聞いて、侯爵夫人が私を睨みながら言いました。
「そのドレスは学園の寮官の従姉妹がルナフを哀れんで貸した二束三文の安物ですよ」
侯爵夫人は悔しさに声が震えてその先を言えませんでした。
ですがそれが幸いでした。
「私が妻に贈ったドレスを安物だと言うのか」
公爵が声を落として侯爵夫人に聞き返しました。
「…え?」
理解できていない侯爵夫人は扇子で口許を隠す事もしないで公爵を見返します。
「あなた、無理よ。侯爵夫人は地方から嫁いだから知らないわ、侯爵ですらクラシックの名前で私の従姉妹とは分からなかったのよ」
公爵夫人は哀れむように侯爵を見ました。
「覚えてない?小さい頃良く一緒に遊んだわよね」
侯爵は記憶を手繰るような顔で暫く考えていて…、急に『あっ』と声を上げました。
「キーマンか」
「思い出したようで何より」
侯爵は公爵の声でハッとした顔を公爵夫妻に向けました。
「あなたがキーマンへの手紙に書いた言葉は夫と一緒に読ませていただいたわ。そのブルーのドレスをルナフに贈ってやるよう言ったのも夫よ」
侯爵が呆然と私の着ているドレスを見ました。
「見覚えが有るでしょう?社交界デビューの時に夫が私に贈ってくれた物だもの」
公爵夫人の言葉に固まってしまいました。
恐ろしさに震えがきます。
公爵夫人の思い出のドレスと知って、申し訳無さで一杯になりました。
「ごめんなさい…」
深く頭を下げて必死に謝りました。
「謝らなくて良いのよ。あなたに着て貰いたかったの。夫が懐かしがって同じ色のドレスを作ってくれたのよ」
公爵夫人は『今日に間に合わなかったけど今シーズンずっと着るつもりよ』と幸せそうに公爵の手に手を重ねていました。
「破談になったからには家へ戻ってこい。お前の婚家は改めて決めてやる」
お父様が当然な顔で言いました。
その視線は公爵夫人のドレスに釘付けでした。
公爵夫妻達と繋がりのある娘ならば多額な結納金を積んでも良いと思う貴族はいくらでも居ると思っている顔でした。
周囲の視線もドレスとお父様と公爵を忙しく見比べていました。
公爵は周りをチロリと見て、好戦的な笑みを浮かべました。
「この娘は学園で庇護する。この1年1度も面会に行かず授業料も払い渋った者に任せるほど学園は甘くない」
周囲の視線がお父様に集まりました。
「この中にも子供を学園の寮に預けたまま面会にも行かない愚か者が複数いる。年末に学園長から陛下に義務を怠る親への処罰を求めた書類が提出された」
周囲からどよめきが上がり一成に陛下を見ます。
陛下は穏やかな顔で諸外国の大使の新年の挨拶を受けていました。
20メートルほど離れてるのでお互いの会話は聞こえて来ません。
「数日後には対象者に処罰が決まる。虐げられた学生は国からの援助のもと学園が庇護する」
お父様の顔が真っ白になりました。
囲んでいる中の数人の顔色も変わっていました。
「義務を果たさない者の親の権利は認めない」
公爵は改めて囲んでいる顔を見渡し表情を消しました。
その表情から公爵が本気で怒っているのが伝わってきて、そそくさと逃げ出す者がかなりしました。
「が、学園を卒業したら」
お父様は一縷の望みを口にします。
侯爵が出し渋ると思っていたお父様は私を金策に使いたかったんだと思います。
「本人が望めば城で雇い入れる。親元には戻さぬと陛下が決められた」
お父様はぎょっとした顔を陛下に向けました。
「学園での庇護を決められたのは陛下だ」
お父様はガックリ肩を落として兄と下がっていきました。
「君の希望は妻の従姉妹から聞いている。叶う事を祈っているよ」
「ありがとうございました」
公爵夫妻に深く深く頭を下げました。
お父様から、お父様から離れられる。
ただただそれが嬉しくて、胸の前で両手を握りしめました。
パーティーが終わって、私は力尽きて寮に戻りました。
クラシック先生にあった事をそのまま話しました。
かの方の事は…言えませんでした。
かの方の敵意に満ちた顔はミラン様と良く似ていて『見たくなかった』と思う自分がとても嫌でした。
「そう、婚約は破談になったのね」
「はい…何か…今も信じられなくて…」
今の気持ちを先生に話してたら…涙が止まらなくなりました。
「…あれ、何で…」
涙を何回ぬぐっても止まらなくて…。
「緊張してたからよ。終わって心も体もホッとしたから涙が出るのよ。頑張ったわね」
先生が背中を擦ってくれました。
学校が始まると手紙の話をカラに打ち明けました。
「任せておいて」
カラは簡単そうに言いましたが、侯爵夫人から『処分した』と返事が返ってきたそうです。
そう言われたら諦めるしかなくて、カラに『元気を出して』と慰められました。
それから直ぐミラン様の卒業式がありました。
4月になるとミラン様は高等部の1年に、私は3年になりました。
少ししてクラシック先生から話がありました。
「急だけど卒業したら私からのバイト代で隣国に留学してみる気持ちは無いかしら?」
突然の事で先生を見てしまいました。
「隣国で学生時代から仲の良い友人が高等部の教師をしているの。友人も助手を探していてね勉強しながら生活費が稼げるわよ」
留学に気持ちは引かれますが、生活する事を最優先で考えるべきだと現実が迫ります。
「成績が良かったら留学の後の就職先は学園ではなく私が紹介するわ。どうかしら」
「私で期待に添えるでしょうか…」
「あなたに妹さんが居るの?」
半月ほどしてクラシック先生が疑問符付きで聞いてきました。
「はい…ですが母方の里に居ると思います」
「そう、なら別人かしら。でも他にフランソワーズの名字は聞かないわ」
先生は首を傾げながら言いました。
「あの、その子の名前は?もしかして…キャンディーですか?」
「ええ、1年に入学してきたキャンディー・フランソワーズよ」
ああ、やっぱり…私は知らないうちにため息を付いていました。
お父様がお母様とキャンディーを連れ戻したのでしょう。
「先生…きっと妹です」
私はつかえながら妹の話をしました。
「そう、従姉妹から聞いた事があるわ。今年の1年は荒れるわね」
クラシック先生の予想は当たりました。
1年のクラスは妹を巡って喧嘩が耐えない、と先生が教えてくれました。
「ルナフの言う通り可愛いし綺麗だけど、あの子は不幸ね」
「…え」
意外すぎる先生の言葉についおかしな声を出してしまいました。
「勉強がほとんど出来ないの。クラスの男子が争って出来ない妹さんの課題をしてるそうよ」
お父様と執事の会話が思い出されて何も言えません。
それから1ヶ月位して、学園長から呼ばれました。
「君への一方的な婚約破棄の『慰謝料』がフレーバー侯爵家から届いています」
「…え?」
とても信じられませんでした。
侯爵夫妻はパーティー以来私に怒っているはずだからです。
「公爵が1番の被害者は君だからと少額だが渡すよう決めたそうです」
金額は留学の学費の半分でした。
「クラシック先生から君の留学の話は打診されています。残りはバイトしながらになりますが君が望むなら便宜を図りますよ」
「お願いします」
その時は留学よりお父様、お母様から少しでも離れたい気持ちが強かったのです。
妹が戻ってると聞いてお母様の顔が浮かびました。
妹だけが戻ってくるのは有り得ないので母も一緒のはずです。
私が家から出されたと知って、お母様はきっと喜んでるでしょう。
それから暫くして、先生が妹の入学した経緯を話してくれました。
「新年のパーティの後からフランソワーズ伯爵は下の娘の教育を疎かにしている、と言う噂が広がって、それで呼び戻したそうよ」
「でも誰が?妹は外に出ないので噂になるなんて…それに2年前からお母様の里にいたはずです」
先生は眉をしかめて怒った声で言いました。
「多分フレーバー侯爵夫人だわ」
「侯爵夫人が?」
妹とお母様はワンセットですからわざわざ侯爵夫人が猿犬の仲の相手を呼び戻すなんて有り得ないはずです。
「今までの融資と同じ額を返還させられたからその腹いせじゃないかしら」
「腹いせ?」
「妹さんトラブルメーカーなんでしょ?ミランは高等部だから火の粉は飛んで来ないと思っているのよ。それと病気だった後継者候補の方が回復したらしいわ」
「そうなんですか」
「万一の保険が復活したのも侯爵夫人を動かしたと思うわ。ミランはあなたの妹さんに人生を狂わされたと恨んでいるそうだから」
確かにそう思ってる気がしました。
妹より手引きしたお母様の事を1番憎んでる気がしますが。
夏休み前に今年はカルチェラタン公爵家の領地で夏を過ごさない?、とカラからお誘いが来ました。
1度は遠慮しましたがカラの『お願い』に負けてお邪魔する約束をしました。
「公爵様はお許しになってるの?」
心配してる事を控え目に聞いてみました。
「誘うように言ったのはお父様よ」
カラの話し方から本当のようでした。
「ねぇルナ、また背が伸びた?」
「そう思う?困ったわ…」
寮に入って規則正しく3食食べるようになってからそれまで前から2番目か3番目だった身長がぐんぐん伸びて、今は真ん中より後ろです。
「年が明けてから急に背が伸びたよね、スリムになって目も一重だったのが二重になって可愛くなったよ」
「お世辞でも嬉しい」
「自信を持ちなさいよ。知り合った頃と今を比べたら全然違うんだから」
身贔屓のカラには逆らいませんでした。
クラシック先生へカラから夏休みにカルチェラタン公爵領に誘われている話をしました。
「行ってきなさいな。ただし、高等部は留学して隣国に行くとはっきり言ってね」
「はい」
この時は先生の言っている意図が掴めませんでした。
「お呼ばれするなら服を買わないとね。あなたに渡すバイト代の中から服のお金を出すわね」
先生は寮に洋服屋を呼んで作らせようとしてくれました。
それをお断りしてゆったりした出来上がってる服を5着選びました。
「本当に良いの?1着作るより安いのよ?」
「まだ身長が伸びるみたいなので暫くは作ってある服で」
「確かに理にかなってるけど…本当にそう思っているの?値段を気にしてない?」
「身長が止まって数年着られるようになったら作ろうと思います」
嘘じゃない。
きっと学生を終わったら作るなんて贅沢出来ないと思う。
今日買った服も買えない生活になるかもしれない。
それでも家での暮らしより寮で暮らした約2年間の方が暮らし易かったし精神的にも楽だったから迷いはありません。
家に居た時は何時もビクビクして人の目に怯えて、その暮らしに比べたら寮でも気は使うけど家の中みたいな悪意は飛んて来ないので気持ちは平安でした。
夏休みは楽しい2ヶ月でした。
最初公爵邸がお城みたいで驚いていたら、招待のお客様も一杯で凄く緊張しました。
同年代の男性が多いのはカラの婿選びも兼ねて居るのかもしれません。
そんな中カラのお兄様に紹介されました。
互いに『あっ』と驚き合いました。
図書館で黙礼を交わす1人がカラのお兄様と知って…記憶が呼び起こされます。
お兄様はかの方の肩を叩いた方でした。
カラのお兄様はミラン様とは同じ学年だそうです。
かの方も…?
思ったら胸がドキンとしました。
かの方とミラン様が似ていると知った後も、やはり思うのはかの方でした。
これを『一目惚れ』と言うのかもしれません。
かの方には婚約者の王女様が居るのに…。
カラのお兄様にかの方の事を聞く勇気は有りませんでした。
もし幸運な偶然でかの方と話せても…ミラン様のようなきつい言葉を掛けられたら…想像しただけで体が震えてしまいます。
その前に話せる奇跡が生まれるはずありません。
「今夜は到着のパーティーだけどパートナーは決めたの?」
カラのお兄様に言われて固まりました。
念のためドレスは持ってきてますがパーティーの話はカラから聞いてませんでした。
「招待客が集まったらパーティーなのが昔からの習わしだから」
カラのお兄様はさらりと言います。
「今夜は従兄弟に君のパートナーを頼んで置くよ」
「あの、あのカラは?」
「カラは婚約者候補の誰かが誘ってるんじゃないかな」
当然の事を聞いてしまった気がして気まずくなりました。
「知らない人が嫌なら僕がエスコートしようか?」
「あの…欠席は…」
「それは無理かな」
「…どうしても」
「うん、どうしても無理だね」