パーティーにて
「俺は次期フレーバー侯爵家の当主になるんだから相手を選べと言ったのはお父様です」
どちらの公爵家かミラン様は名前を出しませんでしたが、3家の当主の方々は冷たく侯爵夫妻を一瞥して明らかに一線を引きました。
「ミランっ!」
止めてももう遅いと侯爵も悟っていたはずですが、それでも止めずには居られない感じでした。
今回の公爵家との縁談は白紙になるでしょう。
そればかりか今の失言で次期侯爵家当主の座を失ったのですが、ミラン様は分かっていないと思います。
侯爵夫妻はフレーバー侯爵家の対面を保つため急いで親族から後継者を探すしかなくなりました。
でも私との婚約は…お父様が払わない限り破談にはならない気がします。
侯爵夫人は真っ青な顔で椅子に座りました。
王室のパーティーでは帰りたくても帰る事も出来ません。
侯爵は今にも射殺しそうな目でミラン様を見て、改めて周りを見ました。
誰とも視線が合わない事実が侯爵の怒りを膨らませミラン様に向けさせました。
「2度と話すな」
ミラン様は何を言われたのか分からずきょとんとしていましたが侯爵の怒りの表情にその時は口を閉ざしました。
その場に流れている重苦しい空気は侯爵夫妻に注がれていて、動けない私には哀れみの視線が刺さります。
ミラン様は何かを感じたのか怒った顔を私に向けて舌打ちしました。
その音に周りの視線は更に冷たくなり侯爵夫妻に刺さるのです。
ミラン様は私を怒りの顔で睨み付けます。
それも侯爵夫妻へ視線で跳ね返ります。
「ミランっ」
侯爵が嗜めても怒られる理由を理解していないミラン様は八つ当たりのように私を睨むのです。
次期侯爵からミラン様を外すには次の後継者を決めてからでないと外せません。
侯爵夫妻は我が子のミラン様に憎しみの籠った目を向けますがミラン様は気付いてません。
逆に私のせいで侯爵夫妻に睨まれていると思ってる顔でした。
悪循環に居たたまれない私を救ったのは始まりを知らせる声でした。
公爵から順に控えの間を後にして会場に向かいます。
私をエスコートしようとしないミラン様に周囲は非難の目を向けますがミラン様は平然と見返して私に『みっともないから離れて歩け』と怒った声で言いました。
ミラン様が、後継ぎは自分しか居ないから多少の我儘は許される、と思っているのがその態度から伝わってきます。
私は逆に一歩下がってしまいました。
ミラン様の腕に手を置いたらどれ程酷い言葉をぶつけられるか、想像するまでもありません。
周囲の冷たい目はミラン様を素通りしてミラン様をこう育てた侯爵夫妻をその視線は嘲っているのでした。
公の場でミラン様を怒る事は出来ないので侯爵は名前を呼ぶ事で黙らせようとします。
ですがそれが気に入らないミラン様は私のせいだとばかりに睨み付けて舌打ちします。
会場が近付いてくると大勢の人の声が聞こえてきました。
私は知りませんでしたが地位の低い方から入場して1番最後に陛下が入場するそうです。
逆に退場する時は陛下からだそうです。
順番から侯爵から入場します。
「フレーバー侯爵夫妻、そのご子息と婚約者様」
会場の入口に立っていた若い男性が大きな声を張り上げました。
侯爵夫妻の後からミラン様が歩いてその後ろを下を向いた私が歩きます。
会場の視線がミラン様に集まり、その後ろをエスコートも無しに歩く私に止まりました。
お父様と私は悪目立ちしてるので、ミラン様がエスコートするのは誰か会場に居る人たちは知っているのです。
会場の反応を見て侯爵夫妻の顔が引き吊ります。
その肩が怒りでわなわな震えているのが後ろからでも良く分かりました。
侯爵の立場から隅に居る事は許されません。
こっそり会場に居るはずのお父様を探しましたが、顔を上げるのも躊躇われて見付けられませんでした。
侯爵5人の入場が終わると挨拶に行く伯爵や子爵の会話が聞こえます。
何も知らない伯爵や子爵もフレーバー侯爵夫妻とミラン様には近付いてきませんでした。
それだけミラン様と私の入場は異様だったのです。
間を開けて公爵が夫人をエスコートして入場してきます。
3人の公爵に意味有り気に見られて、ミラン様はやっと自分の失敗に気付いた様でした。
「お前がさっさと腕を組まないから俺が恥を掻いただろっ!お前の落ち度なんだから今すぐ謝って来いっ!」
ミラン様の怒る声が大きくて、公爵だけでなく周りの伯爵や子爵も嫌な顔を隠しません。
目線でミラン様を指しながらヒソヒソと話す声に侯爵の顔が歪みました。
ざわざわしている会場に陛下の入場を知らせる声が響き渡りしんと静まります。
初めて見る陛下は凛とした方で、美しい皇后様をエスコートしての入場でした。
その後ろに皇太子が婚約者をエスコートして続きます。
!
自分の目を疑いました。
かの方が王女様をエスコートして入場してきたのです。
見ているだけで幸せだと思って居ましたが、こうして王女様の手を取っているかの方を見るとショックで息が出来ないほど苦しかったです。
「何でジョルジ・モンターニュブルーが」
ミラン様が驚いた口調で言いました。
「黙れっ」
侯爵の低い叱責の声がミラン様に飛びました。
かの方は…モンターニュブルー侯爵家の方なのだとミラン様の言葉で知りました。
そして…王女様の手を取って…。
「ですがお父さっ」
侯爵がミラン様の二の腕をぎゅっと掴みました。
私の世界からは音も色も消えていました。
かの方は…かの方は…。
絶望で立っているのが不思議なくらい力の全てが抜け落ちてしまって叫ぶ気力もありません。
「陛下の御前だと分からないのかっ」
侯爵の怒りを抑えた声に痛みで顔を歪ませたミラン様が頷きました。
その顔には腕を掴まれた驚きとショックも見え隠れしていました。
かなり痛かったのかミラン様は侯爵夫人に訴える顔を向けますが逆に睨み返されて口をパクパク開けていました。
「みな新年の宴を存分に楽しむがよい」
陛下の挨拶でパーティーは始まりました。
公爵から順番に陛下へ挨拶します。
侯爵夫妻は最後に挨拶に向かいました。
「フレーバー侯爵家の後取りか、勉学に励めよ」
私はミラン様の後ろで淑女の礼をしました。
陛下は頷いて次の人に視線を移します。
移動しながら…王女様と話しているかの方にひっそりとお別れを言いました。
婚約者のいる方を思うのはいけない事だと自分に言い聞かせミラン様の後に続きました。
陛下から離れると、ミラン様は怒った口調で侯爵に尋ねました。
「何で王女の横に生意気な奴が居るんですか、奴より俺の方が似合うのに。お父様今からでも俺を…」
「黙れっ」
ミラン様は驚いた顔で侯爵を見返しました。
そのタイミングで音楽が流れ、中央に皇太子とその婚約者が進み出てファーストダンスを踊り始めました。
「お父様」
さっきの腕を掴まれた事から許せないと思っていたミラン様は侯爵に言い返します。
「経営不振のモンターニュブルー家よりりんごで裕福な家の方が格は上です」
「止めないか
ミラン様は私を指して更に言いました。
「こんなブスと婚約しているから学園で笑われている私の事も考えてください」
ずかずか言われても傷付き過ぎていて何も感じなくなっていました。
私は下を向いて、早く終わって欲しいと願いました。
「それなら婚約破棄なさいな」
声のする方を向くと少しふくよかな公爵夫人が公爵にエスコートされて居ました。
「あなた、控えの間からずっと彼女を貶めていましたけど、それだけ言うのは破棄する意思があるからよね」
公爵夫人は笑顔を浮かべて口許を扇子で隠しながらミラン様に言うと、笑ってない目で侯爵夫妻を見ました。
ミラン様は話を途中で遮られて不機嫌な顔を隠しません。
「ミランっ!公爵夫人ですよっ」
侯爵夫人が必死にミラン様を叱りますがミラン様は『だから?』と言う顔をしていました。
皇太子たちが踊り終わって戻ると、王女様とかの方と他にも若い王族が数組中央に出てきました。
「あなたが『男の子だから』とお茶会に連れて来なかったから上下関係も分からない子に育ったようね」
侯爵夫人は赤くなってミラン様を睨みました。
かの方は王女様の手を引いて踊りなから楽しそうに話していました。
「あら、楽しそうね」
公爵夫人の後ろからもう1人の公爵夫人が公爵にエスコートされて加わりました。
公爵夫妻も控えの間でのミラン様に不愉快な思いをしたので顔は笑顔でも目は笑っていません。
カラのご両親の公爵夫妻は少し離れてこちらを見守っていました。
私とカラが仲良しなのは外にも聞こえているので、中立の立場を取るのだと思います。
「婚約破棄と聞こえたが?」
「ええ、侯爵夫妻も止めないで言わせてますからね」
「さっき『ブス』とか聞こえましたけど、それは彼女に向けた言葉なのかしら?」
かの方たちのダンスが終わると、待っていたように数組が中央に出ます。
王女様はお相手を変えて踊り続けていました。
かの方はきつい眼差しでバトンタッチした方を睨んでいました。
夫と公爵夫人の会話を聞いていた夫人が侯爵夫妻に視線を流します。
侯爵夫妻は緊張した顔を2人の公爵に向けました。
侯爵でも公爵に睨まれては社交界で肩身の狭い思いをします。
廃摘にする息子を捨て保身に走ろうとした侯爵夫妻の先手を打って公爵が言いました。
「見苦しい真似を晒したいようだが」
公爵が周りを見ます。
その目には怒りが見えました。
もしかしたら…婚約を打診された…。
周囲の視線が自分たちに集まって居るのを見て、侯爵が歯軋りをしました。
公爵2人が侯爵を囲んでる姿は周囲の注目を集めていて、何時しか子爵や伯爵がその周りを遠巻きに囲んでいたのです。
「丁度あちらにフランソワーズ伯爵がいらしてよ。私たちが証人になってあげますから婚約の破棄をなさいな」
有無を言わせない公爵夫人の口調に侯爵夫妻は悔しい顔をお父様に向けました。
人波の中からお父様が歩いてきます。
その目は憎しみを隠さず私に向けられて居ました。
お父様の後ろにはお母様に良く似た青年が居ました。
もう何年もお会いして居ませんが、秋に手紙のやり取りをした上の兄でしょう。
この場の形勢不利を感じていた侯爵夫妻が思っても口にしなかった事をミラン様は平気で口にします。
「破棄したいなら借金を返せっ」
「ミランっ」
侯爵がミラン様の腕を掴みました。
公然の秘密でもここで公表されては侯爵家の威信は地に落ちてしまいます。
侯爵が『喋るな』とミラン様を睨んでいるのに公爵はさらりと言いました。
「まさかここまで婚約者を貶めておいて『融資』を受け続けるほど厚顔無恥でもあるまい」
侯爵がグッと言葉に詰まりました。
侯爵夫妻がギロリとお父様を睨みました。
お父様も聞こえてきた会話から朧気に状況が分かっていたので睨み返します。
「婚約は破棄でよろしいわよね」
「承知した」
侯爵は吐き出すように言って頷きました。
「あなた方からの一方的な婚約破棄ですから、違約金を払いなさいな」
公爵夫人が言うと公爵が頷いた。
「恥ずかし気もなく子供を寮に押し込められる親だ。侯爵からの違約金を娘との手切れ金と思うのだな」
お父様は驚いた顔をしましたが年の始めにやり込めれた苦い経験があるだけに大人しく頷きました。
「ここにいる皆さんが証人ですからね。後から意義は認めませんよ」
そう公爵夫人が締めました。
それで話は終わったと誰もが思ったのです。
ですが公爵は終わりませんでした。
「違約金が金貨1枚では間に入った私の顔が潰れる」
侯爵が悔しそうな顔を背けたのを見て、周囲も侯爵に軽蔑の目を向けました。
金貨1枚とは思いませんが、少額を提示するつもりだったのは確かだと思います。
「城から証文に明るい者を差し向ける。双方読んで署名するように」
公爵は区切って言い足しました。
公爵の『証文』の言葉からカラからの手紙を思い出しましたが言える雰囲気ではありません。
諦めるしかないと思ったら辛くて体が震えました。
かの君の笑顔とカラの手紙の文面が頭の中をぐるぐる回って我慢しても涙になって溢れました。
「証文は兄に預けるから従うように」
後から一言添えた公爵の兄とは陛下です。
これで侯爵もお父様もこの事で何も言えなくなりました。
「良かったわね」
公爵夫人に顔を覗き込まれて、思わず泣いている顔を背けました。
「泣いているのね…可哀想に」
公爵夫人が優しく背中を擦ってくれました。