バイトの話と初めてのパーティー
フレーバー侯爵家の領地から戻って来ると、寮の中はガランとしていて年末と変わらないメンバーが残っていました。
やはり侯爵は間引きの話しに耳を傾けませんでした。
侯爵夫妻の顔には『有能だと思ったのは間違いか?』『やはり伯爵の娘を超えられないか』と書かれていて、それを隠しもしてませんでした。
侯爵夫妻は急に予定が変わって忙しいからと言って私だけ先に帰るよう言いました。
私を先に返して、侯爵夫妻はミラン様とじっくり話し合うつもりでしょう。
可能な限り自分の息子に領地を継がせたいのが親心だと思います。
授業も無くて時間をもて余していた私は毎日図書館に通いました。
祖父の書斎で見た本を見付けて、懐かしさより家庭教師の先生が思い出されました。
急に辞めたお詫びを…ですが手紙を書く事はしませんでした。
忘れられてる事が怖くてもっと勉強に力をいれました。
その様子を見ていたクラシック先生からバイトをしないか、と誘われました。
バイトの内容は先生が纏めている論文の資料集めでした。
図書館から該当する本を探し出して必要な箇所を書き写してくるのが仕事です。
「15歳以下の労働は罰せられるから、お給料は中等部を卒業する時に渡すわね」
クラシック先生は小声で言いました。
中等部を終えたら自立するつもりの私に、少しでもお金を持たせたい先生の温情でした。
その日から私の図書館通いは仕事になりました。
先生の調べ物が無い日は好きな本を読みます。
私が何時も読む本とはジャンルが違うので最初はまごつきました。
でも次第に慣れてきて、先生が必要とする資料の傾向が掴めると慌てなくなりました。
そんな中2学期が始まって、私の生活は授業とバイトとカラとの月に2回のお茶会と冬になるまで穏やかでした。
冬の始まりにクラシック先生から2つの話を聞きました。
1つはお父様のピクルスが失敗した話でした。
もう1つは侯爵夫妻がミラン様の代わりにと考えていたストレート・アフタヌーン様の急病でした。
夏の初めまでは野菜の収穫も順調でお父様も周囲に『どうだ』と見せ付けていたそうです。
それが夏を過ぎたくらいから収穫が激減して最終的には負債を抱えるまでになったそうです。
聞いていて、フレーバー侯爵家への援助は出来たのか心配になりました。
りんごの収益で財政は潤っているのに、侯爵は約束だからと負債を増やしても支払えとお父様に迫ると思います。
侯爵の中で肥料を思い付いたのは自分だ、と記憶が改竄されたように。
それで婚約が白紙になれば私は自由になれます。
そう思っている裏側で侯爵のやり方に苛立っている私もいるのです。
そして、ミラン様の代わりに名前が上がっていたストレート・アフタヌーン伯爵子息は急な病で命も危ぶまれているそうです。
「ミランは自分が優位に立ったと思っているの。これでフレーバー侯爵家を継ぐのは自分だけになったとクラスで話してるそうよ」
私は頷けませんでした。
侯爵夫妻なら他に誰かを選んでると思えたからです。
「3年生の中に未来のフレーバー侯爵家の当主に取り入ろうとする動きがあるの」
「伯爵家の方々ですか?」
お父様を見てきたので直ぐに理解できました。
「ええ、今年の収穫は去年の3倍だったそうよ。来年は更に収穫が増えるそうだから取り入るよう親御さんに指示されてるらしいわ」
私はクラシック先生にも間引きの話をしませんでした。
病気や根腐れを危惧していても本当にそうなるとは言えないからです。
「お父様の方は深刻らしいわ。辛うじて農地は売らずに済んだようですけど来年が危ぶまれているわ」
いくら聞かされても私にはどうにも出来ません。
お父様は私が何を言っても耳を傾けないと思うからです。
そんな時上の兄から手紙が着ました。
「来年の知恵を出すように」
命令形の文章にため息が出ました。
私にカラへ書かせた時のように上の兄に書かせたのはお父様だと思います。
乱雑な筆跡が物語っているように。兄は書きたく無かったのでしょう。
今年は例年通りに肥料を撒いて来年は綿花を植えるよう書きました。
何回も野菜を植えて土が痩せているから来年も肥料を撒いて再来年は撒かない、次の年からはお祖父様の教えを守り1年おきに肥料を撒くことを進めます。
聞いてくれる可能性は低いですが、僅かな可能性が残っているのでそれに賭けました。
兄からの返信にピクルスの話しがあったので、前年お父様が3倍の肥料を撒いた話から書いて過剰な肥料を土から抜くために野菜を育ててピクルスにした経緯も書きました。
お父様の暴言は書きませんでした。
この手紙を最初に見るのは兄ではなくお父様だと思ったからです。
必要な事は全部聞いた、とお父様は思ったのでしょう、その後はパタリと手紙が来なくなりました。
お父様らしくてつい笑ってしまいます。
冬の社交の季節になったら侯爵夫人から手紙が着ました。
夏休みにフレーバー侯爵家の領地に招かれた後から手紙は途絶えていたので、また何かが起こったのでしょうか。
手紙には『新年のパーティーに出るように』と書かれていました。
年が明ければミラン様は15歳で春からは高等部になります。
社交のデビューを来年に控えた夜会になるので新年の王室のパーティーは目ぼしい貴族への事前の顔見せになるのだそうです。
パーティーにはパートナーを同伴するのが決まりだそうで私に婚約者として出席するように、とありました。
私が出席出来るとは思えなくて、手紙をクラシック先生に見せてどうすれば良いのか尋ねました。
「パートナーとしての出席には年齢は関係ないのよ」
「そうなんですか…」
きっと私の顔に『嫌だ』と書かれていたんだと思います。
先生は笑われて『行きなさいね』と言いました。
「ミランは学生ですからこの新年のパーティーが終わったら次の社交の季節のデビューまでパーティーには出ないはずよ」
先生の話を聞いて、この冬からはミラン様に付いて私も夜会に出るんだと思ったら体から力が抜けました。
学生なので着飾らず清潔なイメージの服装が決まりだとクラシック先生から教わりました。
出席で返信した後、ミラン様とコーデを合わせたドレスを着てくるように、と返信が来ました。
お父様に作って貰ったドレスは家だし私の身長は去年より4センチも伸びたのであっても着られないと思います
手紙の感じではドレスは私の方で用意しろ、と暗に書かれてる気がして、またクラシック先生に相談しました。
「まぁ…」
クラシック先生は手紙を読んで呆れた声を出しました。
「ルナフが何も知らないと思って書いてきたのね。私に任せて貰えるかしら?」
「はい、お願いします
「パーティーのドレスは基本男性がパートナーに送るのが決まりなの。侯爵夫妻はルナフは寮にいてパーティーの知識は無いと思って書いているのでしょうね」
それに多分…夏休みの間引きの提案で私への評価がガクンと下がったからだと思います。
クラシック先生は私の前で侯爵夫妻宛に私のドレスを用意するよう書いて、最後に学園の寮官だとわざわざ名前を書き添えました。
その後先生の従姉妹宛に生徒が新年のパーティーに行くから若い頃のドレスを数着送ってくれるよう書いていました。
「これでフレーバー侯爵夫妻がドレスを贈って来なくても心配は無いわ」
書き終わったあと普段は真面目なクラシック先生が珍しくいたずらを仕掛ける子供のような表情をしました。
翌日、クラシック先生の従姉妹から高価なドレスが3着とそれに似合う小物と宝石が贈られて来ました。
薄いブルーと薄いピンクと白いドレスの3着で、デザインも大人しく私が着ても浮かない感じでした。
ですがよく見ると刺繍は凝っていて使われているレースも上質な物でした。
「白とピンクは私の若い頃のドレスよ。ブルーは従姉妹のだわ」
クラシック先生はドレスを私に当ててみて、ブルーを選びました。
「初めてのパーティーだから清潔感を大事にしましょう」
「…先生は…」
クラシック先生はクスリと笑うと話してくれました。
「私の里は侯爵家なの、夫は侯爵家の次男なので家を出て子爵になったの」
初めて聞いた話しにどう返して良いか分からなくて先生を見ているだけでした。
「息子は功績を認められて伯爵になってるわ」
「え…」
子爵が伯爵になれる話は初めてでした。
「公爵と侯爵は3家と5家と決められているけれど伯爵は決まってないの」
「決まってないんですか」
思わず聞き返してしまいました。
「国への功績で爵位を陛下から賜るの」
初めての話を真剣に聞きました。
「息子は隣国との国交の橋渡しをした栄誉で伯爵の地位と領地を賜ったのよ」
「何故寮官を…」
聞いてはいけないのかもと途中で気が付いて、声が小さくなりました。
「夫も私も教師だからかしらね。息子は来て欲しいと手紙をくれるの。でも生徒と接していると夫が側にいるようで安心するのよ」
穏やかに笑ってるクラシック先生は綺麗でした。
それから2日後に侯爵夫人から手紙が来ました。
先生に見せた叱責と、ドレスは私の方で用意するよう書かれていました。
最後に『こちらで用意するなら費用はお父様に請求しますよ』とありました。
「私の名前で分るかと思ったけど、忘れられたようね」
先生は可笑しそうに笑って私に聞いてきます。
「返事は私が書いても良いかしら」
「はい…」
先生は私の前で『生徒への手紙は寮官が検閲する』と本当の事のように書きました。
「これで、パーティーで会っても絡まれないわよ。念のため従姉妹にも気を配ってくれるよう手紙を書いておくわね」
その時は先生が何を心配していたのか分かりませんでした。
お城の控えの間で侯爵夫妻と待ち合わせです。
侯爵家からの迎えの馬車も来なくて、念のためと先生が手配してくれていた黒い馬車でお城に着ました。
控えの間は公爵と侯爵で広い一室で、伯爵に1部屋、子爵にも1部屋とありました。
男爵はお城のパーティーには参加できないそうです。
きっとお父様も伯爵の控えの間にいるはずです。
!
当然、会場では嫌でもお父様と顔を会わせる現実が衝撃になって迫って来ました。
ミラン様だけでも言われる言葉が想像出来て辛いのに、お父様まで…もう寮へ逃げ帰りたくなりました。
思っても行動に移せるはずはありません。
私は先生からいただいた扇子をきつく握りました。
私は控えの間に侯爵夫妻を探しました。
自然に上手は公爵、下手は侯爵と別れていました。
カラのご両親の公爵夫妻と目が会ったので小さく会釈して侯爵夫妻を探しました。
私のドレスを見た侯爵夫人の顔がきつくなり生地の良さに気付いた侯爵夫人は目を細めて言いました。
「誰に借りたの」
「寮官のクラシック先生の従姉妹の方からお借りしました」
正直に言うと侯爵夫人は更に不機嫌な顔になりました。
「恥ずかしい真似をしないで、見掛けは良質に見えますが寮官が買えるドレスなんて息子の婚約者に着せてると知られたらフレーバー侯爵家が笑われるんですよ」
「申し訳ありません…」
理不尽だと思いながらも謝りました。
それでその場は収まったはずでした、が遅れて現れたミラン様は明らかに不機嫌でした。
「何でお前来てるんだよ」
ミラン様は侯爵夫妻の前でも平然と毒付きます。
周りの視線が自分に集まっているとミラン様は感じて無いようでした。
「これミラン」
侯爵夫人が周りを気にして嗜めます。
「約束の金も払えない貧乏伯爵の娘を俺はエスコートしたくないっ」
周りは嫌悪の表情を浮かべてフレーバー侯爵家の近くから自然な動作で離れていきました。
今はりんごで持ち直しましたが、一昨年までは財政破綻の危機だっのです。
それを知っている離れた方々の視線には『その娘に助けられたのだろう』と蔑みが侯爵夫妻に向けられました。
視線の意味に気付いた侯爵夫人がミラン様を止めますがミラン様は止まりません。
「早くこいつとの婚約を解消して下さい。公爵の娘との婚約はまだ決まらないのですか」
「ミランっ」
堪らず侯爵がミラン様を叱責しました。
止めてもミラン様の声が大きかったので公爵の方々の所まで聞こえ、その顔がミラン様に向きました。
ミラン様の言った『公爵の娘』にその場の空気がガラリと変わります。
「決まっていない話を公の場所で口にするな」
財政が回復すれば伯爵の娘を嫁にする利点は無くなります。
侯爵は公爵との婚姻が正式に決まってからお父様の未納を口実に婚約破棄する予定だったのでした。